第50話 獅子身中の虫




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 帝都イーグレで転生前の知人と再会したかいは、それでも平穏な日々を過ごし続ける――その日までは。


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 二重の城壁と一本の河川で隔てられた、銀鷲ぎんしゅう帝国の帝都イーグレ。

 その中心部は丘陵地になっており、帝都を睥睨するその場所には帝政の象徴たる皇宮とその主が暮らす離宮が建てられている。

 更に皇宮を中心とした区域には、国政を執り仕切る様々な機関や施設が建ち並んでいるのだが、その中に広大な庭園を有する屋敷が存在する。かつて皇族が暮らしていたその屋敷は今、貴族院の議員が利用する議員会館サロンとして活用されていた。

 その証拠に緑豊かな庭園を抜けた先に建つ三階建ての屋敷の前には、何台もの馬車が停まっており、そこに彫られた紋章を目にした者は皆ことごとく自分の目を疑うに違いない。

 シャイハスティン、アマルダリア、ヴィフシュタイン、ホムラ、ランバード…五公家と称される帝国有数の大貴族の家紋が一同に集結している。それはつまり帝国の国政を内実共に担う存在が此処に集っている証拠なのだから。


「よおランスカーク男爵、相変わらずええ男っぷりじゃのう」


 議員会館のエントランスでアルマン・ド・ランスカーク男爵を呼び止めたのは、顔も体形も見事な円で構成された禿頭の壮年男性であった。

 貴族と呼ぶには卑しさを拭い去れない――と陰口を叩かれている彼は、その名をエチゴエモン・フォン・ホムラ公爵と言う。


「これはホムラ公、ご無沙汰しております」


 自分よりも背の低いホムラ公爵に対して慇懃いんぎんに頭を下げるランスカーク男爵。肥満体系のホムラ公爵とは対照的に顔付きも体格も武人として引き絞られた精悍せいかんな壮年男性である。

 

「最後に会ってからもう五年になるかね? 君が帝都の守護職に就いたと聞いて、近い内に顔を拝みに行こうとしたらこれだ。おちおち酒を酌み交わしてもいられん」


 心底残念そうに呟くホムラ公爵。貴族社会では対等に言葉を交わすことさえままならぬ身分差があると言うのに、二人が交わす言葉は何処までも気安く遠慮がない。


「それは是非、またの機会に。では早速ですが公爵――」


「応よ。おいお前ら、ここからはワシらだけで行く。会合が終わるまで控えておれ」


 複数の従者にそう命じると、ホムラ公爵はランスカーク男爵と並んで屋敷の奥へと歩を進める。


「――で、首尾はどうなっとる?」


「はい、ランバート公には直接お目通りをして賛同を頂いております。北部諸侯の結束の固さは疑うまでもありません」


 ランスカーク男爵がそう伝えると、ホムラ公爵は口の端を歪めて嘲笑する。


「そりゃ手前のが北の諸氏族チンピラどもに荒らされちゃ敵わんからな。何よりあの石頭ランバートが面子を潰されて黙っとるわけなかろう」


 二人が口にしたランバート公爵とは、帝国北部の広大な領地を持つ五公家の一員であり、彼の血族や庇護下にある貴族たち――北部諸侯は議会においてもランバート公爵を支持する一派として知られていた。


「ヴィフシュタイン公も北征論を支持すると聞いております。アマルダリア派の工作で何人かは離反する可能性もありますが……」


「まぁ少数だろうな。連中としても目と鼻の先の穀倉地帯がいつ踏み荒らされるか気が気でなかろう」


 ヴィフシュタイン公爵は帝国中西部に領地を持つ五公家で、アマルダリア公爵はその。帝国東北部に領地を持つ五公家である。

 この二家は昔から非常に仲が悪く、議会においても反目し合うのが常であった。

 今この時も公爵家だけではなくその親族や旗下の貴族たちを巻き込んで、議会の外でも中でも互いを罵り合っている有様だ。


「そこにワシらが加われば数の上では圧倒できる――と思いたいが、どうかね?」


「楽観はできかねますな。ヴィフシュタインもホムラも派閥間で意見は分かれておりますし」


「一派の当主を前によく言えるね君は……ま、そんなことろをワシは大いに買っておるのじゃが!」


 相手が帝国有数の大貴族であろうと歯に衣着せぬ物言いをするランスカーク男爵を、ホムラ公爵は以前から高く買っていた。二人は決して相性が良いだけの間柄ではない。


「何より警戒すべきはシャイハスティン公の動向でしょう。これまで様子見に徹してきた一派の議員がアマルダリア派の会合に参加していたとの情報も掴んでおります。何よりご老公が自ら足を運ばれた事が気になります」


「あの老いぼれがしゃしゃり出てきたって事は……派閥の引き締めを狙ってるわけか。つまり――シャイハスティン派は東征論を支持すると?」


 ホムラ公爵の懸念にランスカーク男爵は無言で頷いた。

 シャイハスティン公爵もまた五公家の一角であり、帝国の国政を左右する力を持つ大貴族だ。シャイハスティン、アマルダリア、ヴィフシュタイン、ホムラ、ランバード…貴族院の議員をほぼ牛耳る五つの派閥は今、自国の軍事的危機に際して大きく二つに分かれて互いの主張を議会で通そうとしていたのである。

 北征論と東征論――端的に言うと北から侵攻して来た敵か、東から迫り来る敵のどちらを優先的に対処するのかという話だ。


 帝国の属国である翠馬すいば公国に侵攻した五湖ごこ連合軍を真っ先に追い払えとの北征論を主張するのは、ランバート公爵とヴィフシュタイン公爵の二人。

 一方で宣戦を布告した東の大国にして長年の宿敵である八幡はちまん諸国連合に備えるべきとの東征論を主張するのは、アマルダリア公爵のみ。

 残る二家、ホムラ公爵とシャイハスティン公爵は未だ旗色を鮮明にはしていなかったが、ホムラ公爵とその派閥は既に北征論を支持すると腹を決めていた。

 しかしシャイハスティン公爵とその一派は恐らく東征論を支持するだろう。

 ランスカーク男爵の見立ては既に噂として広まっており、議員の数では最も多いシャイハスティン派がこぞって東征論を指示するとなれば心変わりする者や離反者は必ず現れる。

 その数次第では自らの主張が通らない事も十分に考えられると、二人は決して現状を楽観視していなかった。


 やがて二人は廊下の突き当りに設けられた、一際大きな扉の前に辿り着く。

 左右に開け放たれた扉の先には巨大な円卓と、それを囲むようにして並べられた無数の席が見て取れる。

 その部屋が議論を目的とする場所である事は疑うまでもないが、しかし貴族院の議場はこことは別の場所だと法で定められている。

 しかも開催は明日。だと言うのに議員会館の一角では大勢の貴族院議員や五公家に連なる大貴族たちが集まって席を埋めている。

 更に議員としては引退したものの、今だ大きな影響力を持つ公爵家当主やその代理人までもが顔を出している事を考えれば、今この場所こそが貴族たちにとっての議院であるとも言えよう。


「どうぞこちらを」


 ランスカーク男爵とホムラ公爵が議場に入室する際、二人は古びた銀貨を一枚ずつ受け取った。今となっては使用されていないこの古い銀貨は、秘密裏に行われる選挙の投票券でもあった。

 今からこの場所で執り行われるのは、明日の本会議を前に帝国貴族たちの総意を問う非公式会議であり、その影響力は建前としての二院制議会をも超える、帝国の真なる統治者たちの会合なのだから。


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「――では、論を尽くす前に我らの総意を確かめるとしよう」


 議長であるベルバルゼム・フォン・ヴィフシュタイン公爵の呼びかけに応じ、別室から二つの箱が運び込まれた。

 色の異なる二つの箱は別室に設置されていた投票箱であり、今こうして議場に集っている貴族たちは受け取った銀貨を投じ、既に投票を終えていた者ばかりだった。

 投票箱は円卓の上に並べられ、二人の従者が恭しく箱の外側だけを持ち上げると、中からくすんだ金色の杯が姿を現す。そこには酒の代わりに無数の銀貨が湛えられていたが、その量は傍目からでも分かるほど異なっている。

 投票の結果は――東征論の圧勝であった。


「どういう事だこいつぁ! 手前ら裏切りおったなァ!」


 真っ先に声を上げたのはホムラ公爵だった。

 彼はその丸い顔を怒りで歪ませると、背後に控えた自らの派閥に属する貴族たちを一喝する。血縁も土地も持たず、己の実力のみで公爵へと昇りつめた裏社会の顔役――その鬼気迫る怒号が議場を震撼させた。

 しかし彼の怒りもむべなるかな。一方に偏った銀貨の数を見れば自分の派閥から離反者が――それも少なくない数が出た事は一目瞭然なのだから。


「ホムラ公、落ち着きたまえ」


 ヴィフシュタイン公爵は激怒するホムラ公爵をたしなめるが、彼とて予想外の結末に眉間に深いしわを刻んでいる。

 金髪碧眼の絵に描いた帝国貴族であり、稀代の美男子として喝采を浴びてきた彼は、ランバート公爵と共に北征を主張し続け、爵位としては低いが武人として名高いランスカーク男爵や、食わせ者のホムラ公爵を味方に引き込み、これ以上ない勝利への筋道を引いたと自負していた。

 その結果がこの大敗――銀貨の数から自らの派閥からも離反者が出た事は疑いようがない。彼と共に北征論を唱えたランバート公爵に至っては怒りのあまり、円卓に置かれた銀製のグラスを握りつぶす始末だ。


「ははっ、これはこれは……ボクらの勝ちということでいいの…かな?」


 しかし東征を主張した若きアマルダリア公爵もまた投票の結果に驚きを隠せず、勝利の実感も沸いていないように見える。

 ただ一人、この結果を泰然と受け止めていたのはシャイハスティン公爵――の隣で瞑目めいもくする老人のみであった。

 名はフィルモアス・ド・シャイハスティン。御年72歳のシャイハスティン家当主である。


「――うんうん、分かったぜじーちゃん。えー、とりあえず投票の結果、貴族院としては諸国連合への応戦体制を整えるって事でよろしい?」


 ぼそぼそと囁く祖父の声を翻訳したのは、現シャイハスティン家当主、サイレン・ド・シャイハスティン公爵。日焼けした肌に輝くような赤髪を持つ青年の言葉に、多くの貴族院議員が手を打ち鳴らして賛同を示した。その数は過半数を超えている。


翠馬すいば大公の身の安全に関してはどうする気だ?」


 自分の領地ではなく敵に捕らわれた大公爵の安否を名分に、ランバート公爵は異を唱えたが、


「それはまぁ……これから話し合って決めるんだろ?」


 他人事のようにシャイハスティン公爵はさらりと受け流す。

 特段彼が無責任なのではなく、投票はあくまで前提となる方針を定めるもので、細部を論じるのも決定を下すのもこれからの議論次第なのである。。

 返す言葉もなく押し黙るランバート公爵。それらの光景を議場の片隅で見守っていたランスカーク男爵は、誰よりも先に議場に歩み寄る足音に気付いた。


「イェーーーーーイ! もう話はまとまった? まだケンケンガクガクしてても別にボクには関係ないッスけど」


 直後、扉が前触れもなく開け放たれたかと思うと、桃色の髪を揺らしながら一人の少女が薄暗い議場へと飛び込んで来た。


「お、じゃん。ちょうど良いところに来てくれた――って、じいちゃんも言ってるぜ」


「それはそれはどうも~♪ ボクのこと待ち焦がれていたなんて、ご隠居も嬉しいこと言ってくれるっスね」


 この場において最も敬服される大貴族を「ご隠居」と呼びすてた少女は、シャイハスティン公爵の隣に立つとウインクして三本の指を立てたポーズを決める。


「どもどもご貴族の皆々様、ボクは超々カワイイ勇者・斯波勝己しば かつみちゃんでーす☆ みんなはボクのこと好きー?」


 甲高い声でそう呼びかけるや否や、齢70を超えた老人は弾かれたように立ち上がり


「「「YEAH! カツミちゃん最高ーーーー!!!!」」」


 と叫んだのである。

 しかもこの老公爵だけではない、議場に集まった貴族の四分の一が同じように立ち上がって、感極まった声で勝己を称えたのだ。

 あまりの異様に誰もが言葉をなくす中、桃色の髪をした少女――斯波勝己は満足そうに頷くと、居並ぶ貴族たちら向き直って声を朗々と張り上げる。


「最大の脅威が目前に迫ってるって言うのに、しょーもないザコに構っていても意味ないっスよ。先ずは一致団結して相手に一撃喰らわせないと、どっちにも舐められるってもんでしょ?

 でもでも大ジョーブ、何故ならこのボクはだから!」


 薄い胸を張りながら、自身たっぷりに宣言する勝己。


「そうそうカツミちゃんは御柱みはしらの主が遣わした救世主、すなわち『勇者』なのだから彼女の言う事をよく聞くように――って、じいちゃんも言ってるし」


 孫が翻訳してくれた己の言葉を聞き、老公爵は「然り」と頷く。

 この国の内外から恐れられた老獪ろうかいな大貴族が、奇矯ききょうな少女の太鼓持ちと化している光景に多くの貴族は言葉を失っていた。


「敵は八萬はちまん諸国連合! 今こそ総力を挙げて宿敵に一矢報いるべし!

 ……だ・け・ど・その前にぃ~」


 ニタリと笑みを浮べながら、勝己は先程から自分に怪訝けげんな目を向けるランスカーク男爵に視線を移す。


「獅子身中の虫を排除する必要があるっスね?

 その名はタクミ・カイ――彼女は連合の代行者エージェントと通じている間者にして、なんスから」


 

 

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