第45話 傾国




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 ミカゲと合流した櫂は、第三の勇者レイに対して上空からの強襲を図る。

 しかしその最中、思わぬ奇襲を受けた櫂は飛竜から引き剥がされ、その身を空へと投げ出されたのである――


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 地上の喧騒けんそうも届かぬ遥か上空――帝都イーグレの空を一匹の鷹が悠然と舞っている。鷹は大きく円を描くように飛びながら、その眼で帝都の彼方此方で起きていた破壊活動をつぶさに観察していた。

 鷹の両眼が映し出す光景は秘術により遥か遠くの異国――銀鷲ぎんしゅう帝国と国境を接する大国・八萬はちまん諸国連合の宗主国オウキへと届けられていた。

 具体的にはオウキに居を構える諸国連合の盟主、神狐ラキニアトス・イヅナの下へ。


「――はは、これはまた無茶苦茶やっておるのう」


 童の悪戯の痕を眺めるかのように、ラキは口の端を吊り上げてわらう。

 街が無惨に破壊され犠牲となった人々の哀れな骸が目に飛び込んで来ても、愉悦を湛えた瞳に哀惜の色を宿す事はない。

 自身の居城の一画に置かれた巨大な水晶球、そこに映し出される光景にラキは銀の杯を傾けながら眺めていた。


「北の地で蛮族どもが蜂起したと聞いて天鼠コウモリを遣わせたが、まさか単身で帝都を襲撃するとは――、よほど血が見たいとみえる」


 この先、間違いなく起こるであろう帝国の軍事力による「報復」を予見し、それもまた滑稽だとラキは嗤う。

 流される血も、積み重ねられる屍も、憎悪と不信を呼び起こす戦火も、彼女にとっては暇つぶしの見せ物でしかない。

 そして――


「さて第七の勇者よ、その程度で死んでしまっては興覚めよ。さぁてここから如何にいか足掻あがく?」


 空に投げ出され、成す術もなく落下していくすみれ色の髪の少女の生死もまた――見せ物のひとつに過ぎなかった。


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「――死ぬのでしょうか」


 自分が空に投げ出された事を知った時、櫂はただ途方に暮れるしかなかった。

 不思議と焦りはなかった。「死ぬのは嫌だなぁ困ったなぁ」と思いはすれど、自分が逃れられない「死」に直面している実感が驚くほど湧かないのである。

 恐怖のあまり思考が鈍磨してしまったのかと疑いもしたが、それでも胸の奥は今も穏やかに脈打っていた。

 手を伸ばし足を動かしても全ては空を切るだけで、なるほど人間は大地と言う足場なしではロクに動く事もできないのだと櫂は実感する。

 できれば地面に墜落する前にミカゲか飛竜に助けてほしいと願う一方で、間に合わなくて墜落するかもしれない。その瞬間はどれだけ痛いのだろうか、それとも痛みを感じる間もなく死んでしまうのだろうか――などと呑気に考えを巡らせていた。

 もちろんその間にも、彼(女)は重力に引かれて落ちていき、「死」が訪れるのはもはや時間の問題でしかない。


(……ああ、そうか。つまりは私はこの期に及んでも尚、この体が自分の体だと感じられないのですね……)


 自我と身体の奇妙な乖離、それを櫂はこの世界に転生した時から常に感じていた。

 性別が変わってしまったから――だけではない。例えるならば別の誰かの体に自分の意識が宿っている様な違和感から、櫂はずっと逃れられなかったのである。

 しかし何故だろう――今更ながら覚えた些細な疑問は、芽生えると同時に大きく膨らんでいく。

 櫂には無性にその理由が知りたいと思った。

 だから――ここでは死ねないとも考えた。


「――では足掻きますよ私!」


 己が「死」を実感し「生」への執着を自覚した途端、櫂の意識は空の様に澄み渡り、思考は一つの目的に向けて回り出す。

 自分には翼もなく、奇跡を起こす術も知らず、助けを求めたところで間に合うかどうかは分からない。

 それでも何かある筈だ――墜落死を免れるための都合の良すぎる未来へと繋がる可能性がある筈だ。いや、あってくれないと困る。

 首を動かして、櫂は改めて周囲を眺めてみた。

 と言っても目に映るのはすごい勢いで上へと流れていく景色と、ぐんぐん迫る地面と――だけ。


(――――線?)


 これまで視認してきた必殺の一撃を約束する赤い線――可能性のみちとはまた違う色をした線が、まるで蜘蛛の巣のように眼前に広がっている事に、櫂はこの時初めて気付いた。

 この線の正体はまるで見当が付かない。もしかして錯乱した意識が見せた錯覚でしかないとも言い切れない。

 けれど――櫂は確信する。この金色の線は自分の運命を左右する「可能性」だと。

 金色の線は空の上を放射線状に広がり、その一本一本が渦を巻くようにじれながら眼下の帝都へと伸びていた。

 そうした無数の線の行き先はようとして知れない。

 でも想像はつく。これは――これはきっと――


『魔眼にしろ権能にしろ、眼で起こす奇跡は対象に『見られる』事ではなく、術者が『見る』事で発動するものと決まっています~。もしかしたらカイ殿は戦いの中で何かを見ようと欲した結果、事象を予測してしまったのではないですかね~?』


 昨晩、ベルタが自分に語った言葉を櫂は不意に思い出していた。

 それは思考の果てに掘り起こした記憶であり、「死」に直面し「生」を渇望した生存本能が掴んだ「可能性」という名の蜘蛛の糸だったのかもしれない。


「――幻惑の“機構かみ”より授かりし権能を、契約の《名》に於いて顕現を行使する。

 我は勇者、救済を成す“偽神権能デウスイクスマキナ”なり」


 知らず口にした言葉が、落ちていく己が肉体を律する。

 それと同時に琥珀色の瞳に流れ込む神威は金色の路を辿り、四方八方に伸びた先に在るものたちに幻覚を植え付ける。

 その眼が「見た」もの全てを惑わす権能にして魔眼――幻惑の瞳が今、


「――全員、こっちに来なさい!!」


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 一方その頃――帝都の各所では、守備隊の兵士たちが空に浮かぶ戦乙女と死闘を繰り広げていた。

 鎧や盾ごと融解してしまう銀鉄泥ミスリルの槍と、矢も剣も斬り込んだ分だけ融かして消してしまう銀鉄泥ミスリルの肉体を持つ戦乙女たちを前に、大半の兵士は成す術もなかったが、それでも相打ち覚悟で振るった槍が戦乙女の首を斬り離すと人の形を保っていた銀鉄泥ミスリルは崩れ落ち、自己矛盾を起こして消滅してしまう。

 兵士たちがその事実に気付いた時、形勢は人間の側に傾き始めた。


「突くな! 首を狙って薙ぎ払え!」


 真っ先に守備隊の救援に駆け付けたボルト騎士団は、団長ジャン・ド・ラングロワールの指揮の下、武芸に優れた騎士たちが長柄の武器を振るって銀の戦乙女に立ち向かう。

 その身に触れるだけで槍の穂先も斧槍ハルバードの斧頭も溶けてしまうのだが、ならば相手の首を刎ねるまで二本三本と武器を使い捨てれば良いと歴戦の騎士たちは判断した。

 従者や兵卒には替えの武器を用意させ、複数の騎士で囲んで一体ずつ撃破する――ボルト騎士団が編み出した戦術はすぐに駆け付けた他の騎士団や守備隊にも広まり、一方が蹂躙じゅうりんされるばかりであった戦況は変わりつつあった。


「――――?」


 闘技大会に参加していたビィス騎士団の一人、オーン・ファン・シュタインも三本の槍を犠牲にして、戦乙女を一体倒す事に成功する。しかしその直後、彼は思いもよらぬ光景を目の当たりにした。

 今正に頭上から銀鉄泥ミスリルの槍を投じようとしていた一体の戦乙女が、突然動きを止めたかと思うと、きびすを返して飛び去ってしまったのである。

 これまで一度も見た事のない動きにオーンは警戒したが、見れば他の戦乙女も後に続いてその場から飛び去ろうとしているではないか。

 中には背を向けた瞬間に首を刎ねられて消滅した個体も存在したが、それでも銀鉄泥ミスリルをまとった戦乙女たちは敵に背を向けたまま、別の場所に移動する素振りを見せていたのである。

 そうした変化は帝都の各所で見られ、全てではなかったが大半の戦乙女が突然破壊活動を止めて、ひとつまたひとつと飛び去っていく。

 闘技場にて避難する民衆を護っていた者達も、対峙していた敵が突然攻撃を止めて、空へと飛び去って行く姿にただただ困惑していた。


「――え? どうして?」


 そして――それは自らの契約神能により百を超える戦乙女を召喚した第三の勇者レイもまた例外ではなかった。

 突然、自分の命令を受け付けなくなり、何処かへ飛び去って行く無数の戦乙女たちの姿に呆然となり、今にも泣きだしそうな顔で戦乙女たちを灰色の瞳で追いかける。

 すると闘技場に滞空していた戦乙女だけでなく、帝都の彼方此方から戦乙女たちがこの場所に集い始めていた。もちろんレイはそんな命令を下してはいない。

 戦乙女たちは闘技場の上空に集うと翼を羽ばたかせて、一斉にある一点を目指す。遥かな空から降り来るものを出迎えるかのように――


「……まさか、カイ様?」


 その時、闘技場に残っていた全ての者達は目撃する。

「死」と「破壊」を振り撒いてきた銀の戦乙女達が、自らの所業を忘れたかの様に一人の少女を抱えながら、その周囲に恭しくはべる姿を。


「――どうやら、落下死だけは免れたようですね」


 安堵の声と共に、銀の戦乙女たちを侍らせた少女は再び闘技場に降り立つ。

 そう――第三の勇者が召喚した戦乙女たちをことごとく琥珀色の瞳で惑わし、地上に降り立った第七の勇者・内匠櫂たくみ かいは腰から黒い蛮刀を抜き放ち、その切っ先をレイに突き付けた。


「お待たせしました。では第二ラウンドを始めましょう」


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「――奴だ! 傾国の大淫婦、大分裂を引き起こした終極の‟超能スキル”か!」


 水晶玉に映し出された光景を前に、ラキは驚愕に張り詰めた顔から、明らかな苛立ちを込めた台詞を吐き捨てる。

 手にしていた杯を投げ捨て、皿の上に盛られていた果実をその足で無惨に踏み潰しながら。


「道理で母なる神魂アーカイヴにも記憶されていない筈だ。あのの特性を授けるとは――‟機構かみ”どもめ、我に気付いたか!」


 一人激昂しながらラキは拾い上げた果実に、憎々しげに齧りつく。


「‟傾国”――それは

 英雄が築いた国家・秩序・時代を滅ぼす終焉の化身――対社会・対秩序・対砕世さいせい装置――第四十九柱・終極のサロメの‟超能スキル”よ」


 獣の様に果実を噛み砕きながら、ラキは言葉を紡ぎ続ける。

 舌も喉もその様に動いていないのに、流暢で多弁な言の葉を垂れ流す。


「第三の勇者よ、命惜しくばくその場から退去せよ。お前の目の前にいるのは――である!」




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