第44話 落ちていく




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 突如として姿を現した第三の『勇者』の襲撃により、帝都は戦場と化す。

 闘技場にて第三の勇者と対峙する櫂。観客の避難に努めるマリアリガル。飛竜と共に再会を急ぐミカゲ。それぞれの戦いはまだ始まったばかり。


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 建国祭の三日目――帝都が一年で最も賑わうその日、祭りの会場となる大通りとそこから繋がる三つの都市区画は阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄と化した。

 空より降り注ぐ銀鉄泥ミスリルの槍の雨。

 触れたものをことごとく融解し消してしまう雨を避けようと、誰かや何かを踏み潰し押し退けながら逃げ惑う者達の恐慌。

 その二つが生み出す地獄の最中にあっても、誰かや何かを守る為に立ち向かう者達がいる。


 帝都イーグレの守備隊は帝都の彼方此方あちこちに建つ鐘楼や高い建物の上から、銀鉄泥ミスリルの槍にて破壊活動を行う戦乙女ワルキュリアに向けてクロスボウを撃ち込んだ。

 撃ち出された無数の矢は戦乙女たちに突き立つが、彼女達を包む銀鉄泥ミスリルはクロスボウの矢を融解し、後には傷一つ残らない。

 いや――正確には矢を融解して対消滅した分、戦乙女の体を構成する銀鉄泥ミスリルは減少していたのだが、守備隊の衛兵たちがそれを知るのはもう少し後の話になる。

 攻撃を受けた戦乙女たちは、その時初めて眼下の人間を「障害」と認識した。

 そして建物に向けて投じていた銀鉄泥ミスリルの槍を衛兵に向けて投じ始める。盾を構えた衛兵は銀鉄泥ミスリルの槍に盾ごと融解され、直撃を避けた者達も足下にぽっかりと空いた穴に落ちていった。

 衛兵の中には攻撃が通じない事に恐れおののき、その場から逃げ出そうとした者もいなかったわけではない。

 しかし三分の一ほどの勇敢な衛兵たちは護るべき民が逃げ延びる時間を稼ぐため、攻撃の通じない敵に果敢に立ち向かった。それを見た三分の一ほどの衛兵は彼らの勇姿に感化され、残る三分の一の衛兵は逃げ出す事を諦めておっかなびっくりな物腰のまま抵抗を続けたと言う。

 だがその行いは確実に帝都の住民を、銀鉄泥ミスリルの槍がもたらす『死』から遠さげる事に成功した。

 例え、それがただの数分限りであったとしても。


「ジャン! お前はレナールを連れて大通りに向かえ。私はこのまま離宮に向かう」


「かしこまりました閣下! どうかご武運を」


 その頃――帝都の治安維持の最高責任者、アルマン・ド・ランスカーク男爵は襲撃の一報を受けて帝都守備隊の指揮を執っていた。

 彼の私兵であるボルト騎士団団長ジャン・ド・ラングロワールは男爵の命を受けると、騎士団を引き連れて大通りで戦う守備隊の救援に向かう。

 ランスカーク男爵は既に髪も白くなり、あと一、二年も経てば壮年から老人へと変わる年齢であったが部隊指揮官としての判断と洞察力に優れ、そして個人的な武勇も帝国随一と称えられている。

 その証拠に彼はジャンに命令を飛ばしたあと、少ない手勢を連れて皇族が住まう離宮へと向かった。

 銀鉄泥ミスリルをまとった百体の戦乙女たちは、その大半が帝都の大通りと三つの区画で破壊活動を行っていたが、片手の指より少ない戦乙女たちは男爵と同じように離宮を目指していた。

 故に彼らは目的地に到達する前に会敵する。その結果、男爵は三本の剣と一本の槍を失い、後には何も残らなかった。

 そう――彼に向けて銀鉄泥ミスリルの槍を投じた戦乙女は、一体も残さず消えてなくなったのである。


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 帝都の西区に建つ闘技場。

 その場所を警備していた赤狼公国軍兵士による避難誘導は、ようやく始まったばかりだった。

 彼らを指揮する赤狼公国公女マリアリガルは自身の契約神能けいやくしんのう――機構かみがみより授かった権能――“潔璧けっぺきの盾”を頭上に展開し、闘技場から逃げ出そうとする民衆と避難誘導を行う自国の兵士たちを、銀鉄泥ミスリルの槍から守護していた。

 しかしそれ故に彼女はその場から動けない。

 代わりにたった一人で帝都を襲う第三の勇者に対峙するのは、第七の勇者・内匠櫂であった。


「でも、どうしろって言うんですかこれーーーーーーーー!!」


 上空から降り注ぐ銀鉄泥ミスリルの槍を、ひたすら避け続ける櫂。

 『加速』の‟超能スキル”を持つ彼(女)にとって、戦乙女たちが投げつけてくる銀鉄泥ミスリルの槍を避ける事はさほど難しい事ではない。

 だが相手は十メートル以上の上空に浮いており、櫂の常識外れの脚力をもってしても届く高さではない。


(試してみる価値はあるかもしれませんが、下手に跳び上がって空振りに終わればもう成す術はありませんからね……)


 背中に大きな翼を生やし自在に空を飛ぶ戦乙女たちと異なり、当たり前だが櫂は空を飛べない。

 仮に高く跳び上がって敵を倒したとしても、重力に引かれて落ちていく間は完全に無防備になってしまう。そこを戦乙女たちに狙われたら、櫂とて一巻の終わりだ。


(私には有効な遠距離攻撃手段もありませんし、このまま敵の注意を引き付けておく事しかできないのでしょうか?)


 闘技場内を駆け回り空より降り注ぐ攻撃を避けながら、櫂はこの事態を打開する方法が見つからない事に焦りと不安を感じていた。


(マリアが観客の避難を終え、あの光の盾で頭上からの攻撃を防いでくれれば、まだやり様はあるのですがね……)


 櫂の視線の先には銀色の髪と青ざめた白い肌、灰色の瞳や色褪せたローブに至るまで色彩を欠いた少女の姿がある。

 自らを第三の勇者と称したレイ・シャロット・アメルシアは何をするでもなく立ち尽くしたまま、櫂の動きだけを目で追っていた。

 彼女が銀鉄泥ミスリルをまとった戦乙女たちを従える大将格である事は間違いないだろうが、櫂の琥珀色の瞳は今も尚レイに刃を届ける可能性を見い出せてはいなかった。


「全然当たらない? まだ足りない?」


 攻撃を避け続ける櫂に対し、レイは闘技場の上空を飛ぶ10体の戦乙女の内、その半分を櫂に差し向けた。

 一層激しくなる銀の雨。しかし櫂はそれも避け続けていく。


(隙だらけに見えますが、問題は彼女ではなくその頭上――常にあの二体が目を光らせているのでしょうね)


 櫂に向けて銀鉄泥ミスリルの槍を投げつけながら、しかしレイの頭上から一歩も動かない二体の戦乙女。その配置から櫂はあの二体がレイの身を守護しているのだと推測した。

 つまり自分がレイに直接攻撃を届かせるには先ず、その二体を排除する必要がある事も。


「――しまった!?」


 その時、櫂が駆けるすぐ先の地面に銀鉄泥ミスリルの槍が突き刺さった。

 槍自体は突き刺さった地面と共に消滅するが、その際に出来た穴に櫂は足を取られてしまう。

 俊足故に一度体勢を崩してしまえば立ち直す暇も与えられず櫂は転倒し、その勢いを殺す事ができずに地面を転がっていく。

 痛みと衝撃と屈辱が櫂を襲い、それに耐えながら身を起こした時、櫂の頭上には四体の戦乙女が集っていた。彼女達はうずくまる櫂に向けて、一斉に銀鉄泥の槍を投げつける。

 しかし櫂は膝を着いたまま、自慢の脚力を発揮する事も出来すせにいた。


(――『影離えいり』!)


 咄嗟に回避不可能と判断した瞬間、櫂は自身を瞬間移動させる‟超能スキル”を発動しようとした。それでも回避が間に合うかどうかは神のみぞ知るといったところだった。

 その直前――全身を震わす咆哮が闘技場内に轟く。


「シャァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 戦乙女たちが滞空する、それよりも高い空から放たれた衝撃波。

 それは飛竜が放つ‟衝激の咆哮ショック・ブレス”。

 戦場では自らに放たれた矢を落とし、魔術師が使役する精霊たちを震撼させて散らしてしまう竜の一声ひとこえだった。

 耳をつんざき体を震わせる衝撃波は、銀鉄泥ミスリルをまとった戦乙女をも震撼させ、彼女達が投げつけた銀鉄泥ミスリルの槍も櫂に届く前に全て消滅してしまう。


「ドラン⁉ それにまさかあれは――」


 かつて共に旅をした碧の鱗を持つ飛竜。そしてその背にまたがるのは戦乙女たちと同じ色の髪をした猫耳少女――


「カイ、捕まって!」


 戦乙女たちをその身で弾き飛ばし、急降下する飛竜。

 自分にかけられた声に応じて櫂は手を伸ばし、視界が飛竜の翼で覆われた瞬間、彼(女)の身は引き上げられ、重力に逆らって空へと昇る。


「――ミカゲさん、ナイスタイミングです!」


「なに? また変な言葉を使って――よく分からないけど、もっと感謝しなさいよね!」


 飛竜と共に闘技場へと辿り着いたミカゲ・アゲハは櫂を引き起こすと、自分の背中に誘導した。

 しかしかつての旅と違い、振り落とされないように装具で体を固定している暇はない。櫂は必至でミカゲの腰にしがみつきながら、戦乙女たちどころか闘技場すら俯瞰する高度へと上昇した。

 急上昇から水平飛行へと移行した飛竜に向けて、戦乙女たちは追撃をかけてはこなかった。それを確認して櫂はミカゲに問いかける。


「助かりましたミカゲさん……でもどうしてここに?」


「そんなのカイやエルナが心配だったに決まってるでしょ!」


 叱る様な口調でミカゲが答えると、櫂は驚きで目を丸くする。


「え? そこは『あ、あなたを心配したわけじゃないんだからね!』と言うところではないのですか? ツンデレのお約束的に」


? 何の‟力ある言葉スペルワード”か知らないけれど、こんな状況で貴女たちの身を案じないような薄情者だと思っていたの?」


 明確な抗議を込めた返答に、櫂は素直に反省して詫びを入れる。


「み、ミカゲさん……ううっ、私が馬鹿でした。やはり貴方は女神でした……」


「だから女神とか言いすぎよ……それより何が起きているの? 誰が帝都に仕掛けてきたって言うの?」


「帝都?」


 ミカゲの問いに、櫂は初めて闘技場だけでなく帝都自体が襲撃された事を知る。


「アタシと飛竜は外縁の町に居たのだけど、大通りで騒ぎが起きたって聞いたから空から眺めてみたのよ。そうしたら何? あの物騒なものを投げつけてくる連中は?」


「私もよくは知りませんが、恐らくあれは彼女――いえ第三の勇者の使い魔か兵隊の類でしょうね。どうやら単身で帝都を襲撃に来たようです」


「第三の『勇者』⁉ まさかそれが‟北の勇者”だって言うの?」


 どうやらミカゲには心当たりがあるらしい。


「アタシも良く知らないわ。でも盟主様が以前に仰ってたの。極北の地には第三の勇者をようする勢力がいて、更に帝国にも新しい勇者が現れる兆候があるからってアタシを帝国につかわせたのよ」


 その結果櫂とミカゲは出会い、奇妙な縁が紡がれる事となったのだが――どうやら第三の勇者はそれ以前から名前が知られていたらしい。


「極北の地――そう言えば彼女はこうも言ってましたね。自分は五湖大王ごこだいおう様の尖兵だと。知ってますこの名前?」


 レイが口にした言葉を思い出した櫂はミカゲに尋ねるが、彼女は首を横に振る。


「極北の地には確かに五湖ごこ連合と呼ばれる勢力があるわ。でもそれは小国や部族の寄せ集めであって、大王だなんてダサ……大仰な統治者がいるなんて聞いた事ないわね」


「そうですか。では……手詰まりですね」


 第三の勇者の手掛かりが得られなかった事に落胆する櫂ではあったが、しかし彼(女)の目は期待に輝いていた。


「それよりもこれは千載一遇の好機です。ミカゲさん、このままドランを闘技場の中央――そこに立っている北の勇者に向けて急降下させてください」


「…………まぁ予想はしていたけれど、本当にやる気なのねカイ?」


「私の事はミカゲさんが一番良く分かっている筈ですよ? ドランはどうやらあの槍を無効化できる手段をお持ちのようですし、このまま頭上から強襲します」


 櫂の提案に飛竜は「まかせとけ」と言わんばかりに短く鳴いた。


「そ、そうね……アタシ、カイの無茶には散々付き合わされたし、何となく言い出しそうなことも分かっちゃうし……」


 何故かミカゲは照れ臭そうに指を回していたが、その理由について櫂には思い当たる節はなかった。


「それより早速お願いします、ミカゲさん。地上ではまだエルナとマリアが戦っている筈ですから」


「ええ――行くわよ! しっかり捕まってなさい!」


 ミカゲは手綱をり、飛竜を一旦上昇させた。

 飛竜はそのまま垂直方向に回転すると、頭が下を向いたタイミングで翼を折りたたんでしまう。そうして重力に身を任せて頭から落下していった。

 二人と一匹は大地に吸い込まれていくように加速し、遥か上空から第三の勇者の頭上へと降下を開始した。

 仮に「下」から戦乙女たちが銀鉄泥ミスリルの槍で迎撃してきても、飛竜の“衝激の咆哮ショック・ブレス”で無効化し、そのまま戦乙女たちを振り切って大将格を強襲する。

 櫂の作戦は単純ではあったが、ミカゲも飛竜もその成果を疑いはしなかった。

 これまでと同じように、彼(女)はどんな無茶な戦況であっても何とかしてしまうだろうと。

 だが――その信頼は、降下中の自分達を囲むように出現した扉によって打ち砕かれてしまう。


「――ミカゲさん、ここから離れてください! 今すぐ!!」


 櫂が叫んだ瞬間、ミカゲではなく飛竜が突然翼を広げて急制動をかける。

 突然の事にミカゲも櫂も全身を激しく揺すぶられたが、飛竜はお構いなしに身をかたむけると左方向に急旋回した。

 その直後、飛竜から見て上空に展開した扉から飛び出してきた複数の戦乙女が、手にした銀鉄泥ミスリルの槍を一斉に投じた。飛竜は間一髪でそれを避けたが、体勢を立て直せないままきりもみ状に落下していく。

 それでもこの高度であれば、飛竜とその背に跨るミカゲは地面に叩きつけられる前に体勢を立て直す事ができるであろう。

 ただし、もう一人を除いて。


「カイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」


 強引な急旋回によって飛竜から引き剥がされたすみれ色の髪の少女が、空にその身を舞わせる。

 重力に引かれて落ちていく少女には、風を受けて空を滑空する翼は存在しない。

 飛竜もミカゲも驚きに目を剥きつつ、しかし今は自分達の体勢を取り戻すだけで精一杯だった。

 このまま地面に叩きつけられれば、いかな『勇者』として死は免れないだろう。

 第七の勇者・内匠櫂は成す術を持たぬまま、「死」に向かって落ちていく。



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