第43話 はじまりはおわる




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 武闘大会最後の試合となる模範試合エキシビジョン・マッチは櫂の闖入ちんにゅうとロイが抱いていた恋心によって、誰もが予想しなかった顛末てんまつを迎える。

 そして残されたハディンと勝敗の行方は――


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「――やってられるか。アホらしい」


 気を失ったロイが舞台の上から運び出されたあと、後を追うようにハディンもまた自分から舞台を後にする。それは同時に少年二人の敗北を意味していた。

 舞台の上に残された櫂はハディンを目で追いながら、呼び止める代わりに一言だけ投げかけた。


「よろしいのですか?」


「ああ、あいつロイがいない今、あんたらに勝てるとは微塵も思わないさ」


 試合を放棄したハディンを非難する声は何処からも聴こえてこない。

 彼がマリアリガルとの試合に持てる全てを費やし、櫂が闖入した時には疲労困憊していた事は誰の目にも明らかであったからだ。

 ハディンが去ると、残されたのは櫂と彼(女)にくっ付いてきたエルナだけになる。

 規定の上では櫂たちが勝利したと言えなくもないが、観客席からは勝者たる二人を祝福する声も決着がついた事への歓声も起こらない。

 それどころか「え? これで終わり?」と戸惑う声ばかりで、会場は何とも締まらない空気に包まれた。


「…………折角、格好良い登場を決めたのに、何もしないうちに相手が負けてしまいました」


 「自分も試合に出て戦いたい」という単純な願望ねがいの為に貴賓席を飛び出した櫂からすれば、この結末は期待外れも良いところであった。

 さりとて対戦相手の二人を責めるわけにもいかず、櫂は発散できなかった欲求を持て余したまま舞台の上に立ち尽くしている。

 そんな時であった。


「もう、終わりましたか?」


 唐突にかけられた声に振り向くと、舞台のすぐ外に見知らぬ少女が立っていた。


「え? ええ……多分、試合はこれで終わったと思います」


「勝ったのはあなたですか?」


「一応ですが、そうなると思いますけど……」


 質問に応じながら、櫂は怪訝けげんな目でその少女の顔を眺める。

 輝くような銀色の髪と、血の気が感じられないほど青ざめた白い肌。そして大きな灰色の瞳。

 背丈は櫂やエルナより遥かに高いが、どこか頼りなさげに見えるのは病的に思えるほどの華奢な体格のせいだろうか。その身にまとうのは色褪せて僅かに黄ばんだ白のローブ。

 不自然なほど色彩を欠いた風体の少女はどこからともなく現れて、名乗りもせずに櫂に話しかけてきたのである。


「あの……あなたはどなたですか?」


「……言わなくても良いですか?」


 しかも誰何すいかしても答えないし、疑問文を疑問文で返されてしまう。

 最初のコミュニケーションから失敗に終わった櫂は困ってしまい、次に何と声をかけたものかと悩むが、銀髪の少女はおかまいなしに質問を投げかけてくる。


「つまり、あなたが一番強いのですか?」


「答えにくい質問ですねぇ……私よりも強い人はそりゃあいると思いますけど……」


は退き、ここにはあなたが残された。つまり、あなたはその二人よりも強いと私は断じますが違いますか――?」


 答える代わりに櫂は後方に飛び退いた。

 これまで自分を『勇者』と呼んだのは襲撃者か加虐的な為政者だけであり、その名を口にするのはどうせロクでもない奴だと相場が決まっている。

 櫂の退避に合わせ、剣を抜き放ったエルナも櫂を庇うように前に歩み出た。


「第四と第五は退いたと言いましたね? つまりあの二人かマリアもまた『勇者』と言う事ですかね?」


「そう思いますか? 『勇者』はと聞いてませんか?」


 口にする言葉がことごく疑問形である事から意図を察しにくいが、銀髪の少女の言い分を信じるならばマリアリガル、ロイ、ハディンの三人のうち二人が第四、第五の『勇者』なのは間違いないと櫂は察した。


(光の盾や火の魔法を使うマリアはまず確実でしょうが、ロイ君たちのどちらなのかは私には判りませんね。いえ、それよりも肝心なのは――)


 右手に蛮刀を構え直すと、櫂はその切っ先を丸腰の銀髪の少女に向ける。

 大人げないとは思わない。確証はないがほぼ間違いなく彼女は――己の様に人知を超えた‟超能スキル”を有する


「第七の勇者、内匠櫂が問います。あなたも――勇者なのですね?」


「そうです。は第三の勇者――レイ・シャロット・アメルシア。

 北より来たりし戦乙女ワルキュリアの末裔にして、五湖大王ごこだいおう様の尖兵です。聞こえましたか?」


 色彩を欠いた貌に屈託のない笑みを浮べ、銀髪の少女――レイ・シャロット・アメルシアは朗々と名乗り上げる。

 その口調は迷いなく、その声色は邪気を帯びず、その調子は何処までも他人事。

 自らが口にした言葉が何を意図し、それを聞いた相手が何を思い、己の発現がどんな未来を招き寄せるのか――そうした一切の文脈と思慮を欠いた、北風の様に冷たく乾いた言動だった。


「エルナ、マリアに伝えてください! 間もなくここは戦場と化します!」


 勇者と勇者が互いの‟超能スキル”を駆使して衝突すれば何が起こるのか。この場でそれを知っているのは櫂とエルナ、そして今は会場を離れているマリアリガルの三人しかいない。

 護衛として櫂の側を離れる事に抵抗がなかったわけではないが、それでもエルナは二つ返事で舞台を飛び出していった。

 何故なら緊迫した空気に包まれる当事者たちとは対照的に、何も知らない観客達は「また新しい出し物か」と呑気に見物を続けていたのだから――


「あなたの意図は聞くまでもありませんね? 互いに勇者だと名乗り合った以上、その目的はもちろん――」


 自分に『勇者』の存在意義を説いた諸国連合盟主・神狐ラキニアトス・イヅナの顔とその言葉を櫂は思い出していた。


『“機構かみがみ”は我らを競い合わせることで、神災に立ち向かう究極の一体を求めている。つまり我ら『勇者』は――相争う運命なのだ』


「大王様は言いました。うちは一番強い勇者を倒して都も壊すのです。分かりましたか?」


「充分すぎるほどですよ!」


 敵対する意思を隠そうともしないレイに対し、櫂は“加速”の‟超能スキル”を以て応じた。

 未だに丸腰で対峙しているエイに向けて、櫂は一瞬で肉薄する。しかし彼(女)の琥珀色の瞳には可能性のみちが一本も映し出されていない。


(―――――?)


 一撃必殺を約束する未来を可視化した赤いみち

 それが未だに見えないと言う事は、今の自分にはどうあっても彼女は殺せない――そうと結論付けた瞬間、櫂は急制動をかけて側方に飛び退いた。

 その刹那、天から降り注いだのは銀の雨。雨粒の一つ一つが槍の様に大きく、そして鋭い。

 銀の雨は石舞台の上だけに降り注ぎ、分厚い岩から削り出されたそれを容易く貫いたあと、ぱしゃんと弾けて消えてしまう。

 あとには槍のような雨垂れに貫かれて、だけが残された。


「水滴が石を貫くどころの話ではないですね――岩をも貫く天上からの降撃こうげきというわけですか! なにそれずるいッ!」


 初めて目にした攻撃の威力に畏怖と嫉妬を噴出させる櫂であったが、彼(女)はすんでのところで回避に成功し、今は無傷のまま舞台の外で膝を着いている。


「速いですね? ではもっともっと出しましょう。よろしいですか?」


 初撃が不発に終わった事を確認したレイは、懐から短剣ほどの巨大な鍵を取り出した。錆びてもいないのに赤黒いその鍵をエイは片方の掌に差し込み、扉を開ける時の様に右に捻る。

 すると彼女の頭上に三つの扉が出現し、音もなく開き始めたのである。


「うちの契約神能けいやくしんのう――“繁営はんえい門扉もんぴ”。大王様は容赦するなと言いました。だから開けてしまいましょう?」


「ハチャメチャに嫌な予感がするので、止めて頂けませんかね!」


「ごめん。もう止められませんが?」


 三つの扉が開け放たれると共に、その中から現れた者たちは一斉に銀の翼を羽ばたかせて空へと飛翔する。

 果たしてだれがこの光景を予想しただろうか。

 突如として空中に出現した扉の中から現れたのは、銀の翼と銀の槍を持つ銀尽くしの乙女たち。

 華奢な全身を輝く銀ので覆い、その顔はこれまた銀のプレートで覆い隠されていて表情を伺う事はできない。


「な、なんだあれは――戦乙女ワルキュリア?」


 数にして十を超える銀の有翼の乙女の姿を前に、観客達は呆然となる。

 確かにそのシルエットは神話や伝承に登場する天女に酷似していたが、空想の中の彼女達はもっと優雅で憧憬を駆り立てる麗しい乙女である筈だ。

 決してあの様に背筋が冷たくなるような空虚な人形などではないと、誰もが直感的に理解していた。


「ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!

 で、殿下いますぐ退避を! あれは――あれは銀鉄泥ミスリルです!」


 一方――観客席と会場を繋ぐ場所に移動していたマリアリガルは、そこで駆け付けたエルナから櫂の伝言を受け取った。

 その傍らでは自称錬金術師のベルタが震える指と声で、戦乙女がまとう銀の正体を看破していた。


「ミスリル? おとぎ話の? つまりドチャクソに硬いと言う事ですか?」


「そ、そんな単純な物じゃないですぅ! 銀鉄泥ミスリルは賢者の石の成り損ない――つまり万物を融解する神話級の劇物ですぅーーーー!」


 慌てふためくベルタとは違い、マリアリガルには神話級の劇物とやらがどれほどの脅威なのかは分からない。

 だが一つだけ確かなのは上空に浮かぶ不気味な戦乙女が、今にも物騒な劇物を自分達に向けて投げつけてくるという危機が訪れたと云う事だ。


「会場内の全ての兵を動員して観客を退避させなさい! シャーリアとエウスは賓客の護衛と退避を! それまではわたくしが――皆を護ります!」


 直ちに配下の騎士たちに命令を飛ばすと、マリアリガルは家宝でもある紅玉の杖を天に向けて叫んだ。


「――――――“盾よ”!!」


 その瞬間、無数の光の盾が天蓋の様に闘技場の観客席全てを覆い尽くす。

 そこに戦乙女たちが投じた銀の槍――舞台を無残な姿に変えた銀の雨が降り注いだのはほぼ同時であった。

 触れた物を立ちどころに分解し、融解した瞬間に消滅する特性を持つ銀鉄泥ミスリルの槍は分厚い石をも容易く貫いたが、それでもマリアリガルの契約神能、“潔璧けっぺきの盾”を貫く事は叶わなかった。弾かれると同時に、銀鉄泥ミスリルは自己矛盾を起こして崩壊する。

 存在そのものが不完全な銀鉄泥ミスリルは、それ故に他の物質を我が身に溶かし込んで融合しようとするが、その時点で自己矛盾を起こして触れたもの共々消滅する性質を有していた。

 しかし“潔璧の盾”は銀鉄泥ミスリルと言えど分解される事はない。

 代わりに銀鉄泥ミスリルは周囲の空気を自らに取り込み――その瞬間に雷鳴の直撃にも似た轟音を発生させた。


 何が起きているのかも分からずにいた無数の観客達は、その轟音に打ち据えられた途端、やっと自らの身に訪れた危機に気付く。

 静寂を引き裂いたのは甲高い悲鳴だった。そこからはもう数えるまでもない。

 恐慌に陥った民衆は我先にと出口に殺到し、他人を押し退けてまでこの場所から逃れようとする。

 避難を誘導すべく集まった兵士たちは、パニックに陥る民衆に押し潰されそうになるのを耐え抜き、一人また一人と確実に逃そうと奮戦する。

 その高い使命感と勇気をあざ笑うかのように、民衆は誰かや何かを罵りながら押し合い圧し合い、親とはぐれた子供が泣き叫ぶ声も身勝手な喧騒にたちまち呑まれて消えてしまう。


 しかし――闘技場に集まっていた民衆はまだ幸福だったと言えよう。

 同時刻、帝都イーグレの大通りに面した繁華街の上空に無数の扉が出現し、そこから百を超える銀の戦乙女たちが飛び出したのである。

 闘技場では“潔璧の盾”に弾かれた銀鉄泥ミスリルの槍であったが、建国祭に沸くの住民の頭上には空以外には何も存在しなかった。

 音もなく降り注いだ銀鉄泥ミスリルの槍は一軒の酒場の屋根を貫き、山のように積まれた酒瓶を前に競い合っていた男達を床ごと融解せしめたあと、ぱしゃんという水音とともに消えてしまう。

 後に残されたのは、円形にくり抜かれた不自然な空間。

 それを目の当りにした酒場の客たちは何が起きたのかも分からず、まだ酒が抜けていないようだと笑い合った直後、続いて投じられた銀鉄泥ミスリルの槍によって、自分が死んだことも理解できないままこの世から消え去った。


 大通りでは数十人もの戦乙女が投じた銀鉄泥ミスリルの槍で巨大な山車が穴だらけにされ、命の危機を悟って逃げ出す者達と、何が起きたのかも知らずに集まった群衆が衝突し、たちまち彼方此方あちこちで剣呑な騒動へと発展する。

 災禍を振り撒く戦乙女たちは彼らの頭上に銀鉄泥ミスリルの槍を投げつけるような真似はしなかったが、その代わり大通りに面した商店や出店に向けて槍を投じていく。

 人気ひとけのない夜ならともかく、閑古鳥が鳴く店など祭りの最中には存在しない。無数の男が女が老人が子供が臣民が異人が建物もろとも分解こわされ、融解とかされ、何も残せずに消えていった。

 頭上から無慈悲かつに降り注ぐ「死」を、祭りに参加していた民衆が自覚した時、帝都イーグレは阿鼻叫喚の地獄と化す。

 闇雲に逃げ惑い、他人どころか家族や恋人を押し退けてまで生存を図ろうとした者達を誰が攻める事ができよう。例え彼らの無数の足が大人達に押されて転倒した子供を、そうとは知らず踏み付けて物言わぬ屍に変えたとしても。

 何故なら彼らが逃げ込んだ建物ごと、戦乙女たちは銀鉄泥ミスリルの槍で文字通り消滅させたのだから。



「――何処どこ何奴どいつらよ! 帝都に仕掛けるとか正気の沙汰じゃないわ!」


 祭り囃子は絶え、悲鳴と恐慌が木霊する帝都の空を切り裂くように空を駆ける一人と一匹。

 一匹は大きな翼を広げ、滑るように空を飛ぶみどりの飛竜。

 一人はその背にしがみつく様にまたがる澄んだ銀髪の少女。その頭には猫のような耳が伏せられていた。

 ドランと名付けられた飛龍と諸国連合の斥候であるミカゲ・アゲハは、帝都とその住民を破壊し尽くす戦乙女たちを尻目に、西区に建つ闘技場へと一直線に向かっている。

 心が痛まないと言えば嘘になる。

 例え獣の加護を受けた自分を亜人と侮辱するような帝国人でも、こんな無惨な殺され方をして良いとはとても思えない。

 しかし後ろ髪を引かれながらも、彼女には脇目もふらず闘技場を目指す理由が存在していた。


「――待っててカイ、今アタシが行くから!」



 名前:レイ・シャロット・アメルシア

 性別:女性

 年齢:15歳

 クラス:第三の勇者

 属性:増怨

 Strength (力): 14

 Agility (敏捷):18

 Vitality (体力): 20

 Intelligence (叡智):20

 Wisdom (賢さ): 26

 Charisma (魅力): 10

 Luck (運): 12

 保有技能:心神不変/神格値B/大神の娘/灰眼

 契約神能:繁営はんえい門扉もんぴ


 追記:

 ちからはむっつ。たましいはひとつ。からだはむっつ。

 おい、ひとつたりないぞ?



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