第42話 近すぎるって!
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
武闘大会の
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「……無様を晒しました。どうかお許しください、カイ様」
ハディンの大魔術により舞台から吹き飛ばされたマリアリガルは、櫂に抱えられる形で再び舞台の上に立つと、そう言って櫂に頭を下げようとした。
「謝る事はありませんよ。これは私のわがままですから。それに――彼らと一戦交えてみたいと言うのは嘘ではありませんしね」
「ですが……わたくしはカイ様に必ず勝つと約束しました。その手前、ここで退くわけにはいきません」
マリアリガルはそう主張するが、櫂は決して首を縦に振らなかった。
それどころかマリアリガルに舞台を降りるようにと促す。
「マリア、彼らが貴女に勝利したのは事実です。それを覆してはいけませんよ」
一国の公女として気位も高く負けず嫌いな彼女にとって、大見得を切った相手に敗北したと言う屈辱を素直に受け入れられる筈もない。
しかしマリアリガルは公女である以前に一人の武人であった。
試合の場において対戦相手の名誉を
「――ウルサーク司祭、選手の交代を申し出ます。よろしいかしら?」
マリアリガルは退場を受け入れ、試合の見届け人であり主審でもある善心教の司祭に交代を申し出た。
とは言え事前の打ち合わせもなく、それどころか大会の規約にも抵触しかねない申し出に司祭は応とも否とも言えず、ただただ渋い顔付きになる。
すると櫂は司祭と目を合わせ、
「私からもお願いします。良いですね?」
「わ、わかった……」
司祭は渋々といった様子で、しかし櫂の申し出をすんなり受け入れてしまう。
これにはマリアリガルも驚いていたが、櫂は自らの琥珀色の瞳に宿る権能を用いた事は誰にも明かさなかった。
「――選手の交代を認めます。赤狼公国公女マリアリガル・フォン・ヴェルアロートに替わり、カイ・タクミが優勝者との模範試合を行います」
司祭の宣言に闘技場内は騒然となる。
誰の目にも明らかだったマリアリガルの敗北が、櫂の
この武闘大会の優勝者に嫁ぐ――などと実しやかに噂され、注目を集めていた謎の美女が昨日に引き続いて姿を現しただけでなく、公女に代わって試合を行う事になったのである。
そのサプライズに観客は当初困惑したが、しかし二振りの蛮刀を構えて少年達と対峙する姿を目にすると、興味と興奮が入り混じった声を挙げ始めた。
「おいおい、あんな小さいのに戦えるのかよ?」
「公女様みたく魔法でも使うかと思ったら、なんだあの
「いや、公国軍と連合の衝突を身ひとつで回避したのだろう? 是非その実力を見せてもらおうじゃないか」
帝国最強の魔法使いと言う肩書が知られているマリアリガルに対し、櫂は存在自体が初めて公にされた事もあり、その実力は半信半疑どころか、大半の人間が試合自体が成立するのだろうかと懐疑的な目を向けていた。
尤もそれは対戦相手も同様であり、ハディンは白けた目で、ロイは驚きを隠せない顔で櫂を眺めている。
「……と言う訳で、ここからは私とエルナが君達の相手をします。
もちろん連戦で疲弊した君達に、このまま挑むのはフェアではありませんからね。
エルナはあちらの銀髪の少年の相手を頼みます。ただし私の邪魔にならない限りは手を出さない様にお願いしますね」
「うん、分かった」
「私はそちらの赤毛の少年と対戦しましょう。もしも私が彼に負けたら、エルナもすぐに降参すしてください」
「分かった」
勝敗には最初から興味がないと、エルナは櫂からの要請を快諾した。
「――は、お優しい事で。公女様は良い客人をお持ちだな」
大魔術を行使して疲弊したハディンは座り込んだまま、櫂の「配慮」に口の端を歪めて嫌味を返す。
「いや勿論、君達がマリアに勝利した事実は覆せません。むしろ往生際が悪いと非難されるのは我々のほうでしょう。それでも――君達に優勝してもらっては私が困るのですよ」
申し訳ないと詫びつつも、櫂はロイに向き直り、両手の蛮刀を逆手に構えた。
「だからロイ君、私に遠慮は要りませんよ? 男らしく正々堂々とやり合うとしましょう」
「――え? あ、あぁ……わ、分かった!」
櫂の言葉を受けて、ロイもまた自らの直剣を構える。
しかしその顔に覇気は感じられず、視線は僅かに揺れていた。
「――では、行きますよ」
まるでこれから散歩にでも出かけるかのような、気負いのない声色で櫂は告げた。
その直後、二振りの蛮刀がロイの眼前で交差する。
「――⁉」
反射的に剣を横に構え、ロイは双刀による斬撃を防ぐ。
意識は一歩遅れてそれが敵からの攻撃と気付き、慌てて斬り返すものの櫂は既に彼の間合いから離れていた。
「――
「お褒めに預かり恐悦至極。でもこれは挨拶代わりですからね? 私が女の子だからと言って侮ってはいけませんよ、ロイ君?」
そう言って櫂は不敵に笑う。高みから相手を見下す悪役になったつもりで櫂はおどけてみせるが、ロイは何故か慌てて「ご、ごめん」と謝り出す。
「いや君が謝る事はないのですが……むむ、いけませんね。別に恐縮させるつもりはなかったのですが……」
予想外の反応に櫂は戸惑い、まだ試合中だと言うのに額に指を当てて考え込んでしまう。
まるで緊張感のない櫂の態度に、しかしロイは剣を構え直したまま、何をするでもなくその場から動こうとしない。
観客席からは二人が互いの出方を伺っているようにも見えたが、舞台の上では何とも気の抜けた時間が流れていた。
「よし、ではロイ君の番ですよ。さぁ――遠慮なくかかってきなさい」
櫂はそう言って両手を広げ、相手を迎え入れるような体勢を取る。傍から見ればそれは挑発以外の何者でもなかったが――
「え? お、俺から? えっと、その……」
何故かロイは狼狽し、視線は助けを求めて
「何やってんだロイ! まだ試合は終わってないぞ!」
無様を晒すロイを見かねてハディンは叱咤を飛ばすが、それでもロイは剣を構えたままその場から動こうとしない。
一方、櫂も手を広げたまま、相手が一向に仕掛けて来ないものだから途方に暮れてしまう。
「…………どうしましょう、エルナ」
「斬れば?」
「いやいやいやいや、それは流石に卑怯と言うか興覚めでしょう。
もしかして彼、マリアとの戦いで深手でも負ったのでしょうか? どうも闘志と言うかやる気が感じられないんですよね?」
「そうかも」
エルナにとっては対戦相手の事情などどうでも良いのだが、櫂からすればやる気のない相手に勝っても少しも嬉しくない。
それに――今のロイは明らかに様子がおかしかった。彼の戦う姿を手に汗握りながら応援してきた櫂からすれば失望を通り越して、その身を案じる始末だった。
「仕方ないですね、ここは体育会系で行きましょう!」
このままでは埒が明かないと櫂は瞬時に加速し、一気にロイに肉薄する。
意表を突かれて迎撃もままならないロイと組み合うと、櫂は足を払ってそのまま彼を舞台に押し倒した。
弛緩していた事態が動き出した事で観客席から歓声が挙がる。その間に櫂はロイの腹の上に馬乗りすると、ずいと顔を寄せる。
「―――――な⁉ ち、近すぎるって!」
「マウントを取ったのだから当然です。それよりこの
「お、俺と?」
「そうです。体をぶつけあって力と技で交わりながら、最後はお互いボロボロになって地面に寝そべる、そんな少年漫画的なアレやコレを期待していたのにッ!」
「ぼ、ボロボロ…? ね、寝そべる⁉」
何を想像したのかロイの顔は瞬時に赤く染まり、そのまま頭ごと櫂から目を逸らしてしまう。
しかしそれを櫂は許さなかった。両手でロイの頭を掴み、強引に自分の方を向かせる。そして更に顔を近づけ、ロイの炎を思わせる
しかしその炎は今、風に煽られたかのように頼りなく揺れるばかり。
「ちゃんと私を見なさい、ロイ君。全く……どうしたんですか? あの勇猛果敢で格好良かった君はどこに行ったのですか?」
「か、格好良い…⁉ お、おおお、俺が?」
「そうですよ。私は君の事をドキドキしながら応援していたのですから。
まさか君、疲れかダメージが残っていません? よく見れば顔も赤いし――」
「――――⁉」
櫂に顔色を指摘された瞬間、ロイの心臓はひときわ大きく脈打った。その衝撃に口を堅く閉じ、日焼けした肌は衝撃と羞恥で更に赤く染まっていく。
明らかに普通ではないロイの様子に、櫂は前髪をかき上げて白い額を晒すと更に顔を近づけて――
「どれどれ……熱はっと」
母親が幼い我が子にそうする様に、互いの額を接触させて熱を測る。
互いの鼻が接触し、吐息を直に感じるほど接近した二人の顔を、櫂の
時間にして僅か二、三秒ほどの接触であったが、誰もがその姿を固唾を飲んで見守っていた。
「僕は一体……何を見せられているんだ?」
ハディンがこぼした呟きは、大多数の観客の心情を代弁したものでもあった。
少なくとも目の前で繰り広げられている光景は闘争や武芸の類では決してない。ここは闘技場で、今は模範試合の最中だと言うのに。
「あ、熱がありますね! いけません、これは一大事です! ロイ君、意識はありますか? 息苦しくないですか? 胸がドキドキしませんか?」
ようやく顔を離した櫂は、触れ合った額から伝わった熱に顔付きを険しくする。
もはや戦っている状況ではないと判断し、慌てて馬乗りの姿勢を解いた櫂はロイの傍らに膝を着いて、少年の顔を覗き込む。
その時のロイは首から耳の先まで真っ赤に茹で上がり、虚ろな目はぼんやり空を見上げたまま。明らかに尋常ではない。
「う、うん……息苦しいし、胸もドキドキしてる……」
「やはり発熱していますね! 骨折か内臓損傷で炎症を起こしているのでしようか? それとも頭部を強く打ったりして、脳に異常が起きている可能性もありますね……」
「いい……」
「どうしましたロイ君? いいですか、無理はいけませんよ! ここは安静にしていてください!」
うわ言のように何かを呟いたロイの頭部を抱き、櫂は心配そうに声をかける。
櫂にとって彼は(精神的に)年下の少年である。であるならば自分が庇護しなければならない。
その一心で彼の声をしっかり聞き取ろうと顔を近づけ――それに合わせて櫂の長い髪が一房、ロイの顔の上に垂れた。
「いい、匂い……」
その一言を最後に、ロイは気を失ってしまう。
櫂は慌てて司祭を呼びつけ、それからほどなくしてロイは担架のような物に乗せられて退場していく。
その後ろ姿を櫂は悲痛な面持ちで眺めていた。
「ロイ君、一体どうしたのでしょう……大事にならないと良いのですけど」
果たして櫂は気付いて――いや自覚していただろうか。自分が今どのような姿をして、周囲からはどう見られているのか。
もちろん彼(女)は全くと言って良いほど、自覚していなかった。
転生した際に12歳の美少女に性転換したと言うのに、性自認は32歳の成人男性のまま男同士――それも年下の兄弟のような距離感で異性と接した挙句、同性だと思って遠慮なく触れ合った結果、何が起こったのか。
ロイからすれば生まれて初めて目にしたような絶世の美少女が、初めて顔を合わせたと言うのに友人同士のような距離感で接してきたかと思ったら、有無を言わさず押し倒されて散々に褒められた上に、互いの息がかかる距離まで接近してスキンシップしてきたのである。
貧民出身の純朴な少年にとって今の櫂はあまりにも刺激が強く、加えて彼(女)は一目惚れした相手だった。
当人たちはまるで気付いていなかったが、歪な形ではあっても男女の情交を経験してきたハディンは全てを察していた。
彼は舞台に腰を下ろしたまま深く――深く溜息を吐いた。
「やってられるか、こんなの……」
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