第41話 復讐



 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 勝ち抜き戦の優勝者ロイとハディンは、その後の模範試合エキシビジョン・マッチにて公女マリアリガルと対戦する。自らの命を奪われるのも辞さないと宣言したマリアリガルは、その圧倒的な実力で少年達を真っ向から粉砕するのだった。


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「紅玉の魔法――“飛火の礫ショット・フレイム”!」


 マリアリガルが“力ある言葉スペルワード”と共に、手にした短い杖から炎をまとう無数の石礫せきれきを放った。

 対峙するハディンもまた、風をまとわせた翠玉の原石を無数に撃ち放つ。

 魔術師の攻撃の基本は、超常の力を用いての射撃と相場が決まっていた。

 その為、ハディンが用いる翠玉の魔術には風の精霊によって大気を操作し、空気圧を用いて弾丸となるものを撃ち出す秘術が存在する。

 対するマリアリガルは岩石の欠片に炎をまとわせて撃ち出すのだが、その機序メカニズムは未だに判明していない。何故、“力ある言葉スペルワード”を唱えて杖を振るだけで炎やつぶてが発生し、それらが対象に向けて撃ち出されるのか誰も何も分からないのだ。

 この杖を分析した魔導院の魔導師たちは、


「魔力とか言う不思議な力で? 火の精霊をなんかこう……いい感じに操って? そしてうまいとこ飛ばしているんじゃない? 知らんけど」


 などとさじを投げた為、マリアリガルが用いる紅玉の杖は晴れて「魔法」と認定されたのである。

 だがそのいい加減な由来とは裏腹に、マリアリガルが放つ“飛火の礫ショット・フレイム”の威力はハディンの魔術とは破壊力において比較にならない。


「――化け物めッ!」


 ハディンは悪態を吐くと、全力で横に跳んだ。

 彼が撃ち放った原石は全てマリアリガルが展開した“潔璧けっぺきの盾”に弾かれ、防御用にて配置していた圧縮した空気の壁は“飛火の礫ショット・フレイム”に容易く貫かれてしまう。

 炎をまとった礫は石舞台に激突すると共に小規模な爆発を起こす。

 仮に一発でも命中していたら、その衝撃でハディンは戦闘不能に陥るだろう。


「――ハディン!」


 ハディンを庇うため、ロイがマリアリガルの前に立ち憚った。

 そこにマリアリガルが放った“飛火の礫ショット・フレイム”が襲いかかる。

 ロイは剣を横に構えて防御姿勢を取るが――その眼前に展開したのは、マリアリガルが使用する“潔璧けっぺきの盾”であった。

 ロイに命中する筈だった礫は統べた光の盾に弾かれ、その表面で爆発を起こす。しかしその爆風や爆炎も全て光の盾が防いでしまう


「どういうつもりだ……」


 ハディンが身を起こしながら、マリアリガルを睨みつける。その端正な顔は怒りと屈辱に歪んでいた。

 しかしそれも当然の話だろう。何故ならマリアリガルは自分が放った攻撃を、自分で受け止めるような真似をしたのだから。


「わたくしの魔法を鎧も魔術障壁も無しに受けたりすれば最悪の場合、命を落としますわよ。そのような事、公女たるわたくしが許しません」


 二人の身を案じたのだとマリアリガルは答えたが、その慈悲は相手を自分と対等とは見なさない圧倒的強者の傲慢でもある。

 その屈辱にロイもハディンも怒りを覚えたが、さりとて今のマリアリガルには攻防共に付け入るスキを全く見いだせないでいた。

 ハディンの魔術もロイの剣も自在に展開される光の盾にことごとく阻まれた挙句、相手が撃ち放つ魔法は一発でも喰らえばお終いだ。

 これまで二人が戦ってきた相手は何れも格上の存在であり、ルールに頼らなければ二人はこの場所に立つ事さえ叶わなかっただろうが……それでも付け入る隙は存在していたし、何時かは勝機が訪れると信じていられた。


(いや無理だろ! こんなの人間じゃなくて城砦と戦うようなものじゃないか。それに……女相手はどうもやりにくい)


 ロイは騎士を志した様に武で身を立てる者として、たとえ相手が誰であろうと全力で挑み、手心を加えるのは流儀に反すると理解はしている。

 しかし相手は一国の公女様プリンセスであり、そもそもロイには彼女と戦う理由も、勝って得るものも存在しない。だからこのままマリアリガルの圧倒的な力に膝を屈するとしても、それはそれで構わないと考えていた。

 だが――翠の目に憎悪を宿し、高みから自分達を睥睨へいげいする敵と真っ向から対峙しようとする相棒には、公女と戦う理由が存在しているようだ。


「……ハディン、教えてくれ。俺は何をすればいい?」


 立ち上がった相棒に、ロイは問いかける。


「今まで通りだ。護衛の騎士はお前に任せだ。僕は公女を


「わかった――任せろ」


 都合の良い未来が待っている事も、奇跡のような勝利が訪れる事も、ロイは全く信じていない。信じるものはただ、これまで共に戦ってきた相棒ともだけ。

 ロイは再び剣を構え、その足にハディンは風をまとわせた。

 魔術により文字通り疾風の如く加速したロイは一気に距離を詰めると、マリアリガルに向けて剣を振り下ろし――そして光の盾に防がれてしまう。

 しかし、それは想定内の展開だった。


「――今だ!」


 足にまとわせていた風が渦を巻き――ロイは弾かれる様に空へと跳び上がる。

 人の身では叶わない大跳躍で光の盾を跳び越えたロイは、落下の勢いを剣に乗せてマリアリガルに再度斬りかかった。

 けれども、ロイの剣は何時の間にかマリアリガルの側に控えていた女騎士に受け止められてしまう。互いの剣と剣が激突し、その衝撃でロイは後ろに跳んだ。着地の際に体勢を崩す事はなかったが、それによって彼はマリアリガルへの接近を阻まれてしまう。

 だが――それもまた想定内。

 ハディンは護衛の騎士の目がロイに向き、悠然と立ち尽くすマリアリガルの意識が自分から逸れた瞬間――口ではなく思念で風の精霊たちに「ことば」を放つ。


(僕の全財産をくれてやる! にしてやれ――精霊ども!!)


 その「ことば」通り、ハディンは手にしていた翡玉の原石を全て空中に放り投げた。陽光を反射する無数の宝石の輝きに誰もが目を奪われたその瞬間――風の精霊たちは一斉に動き出した。


(ガッテンダーーーー!!)


 もしもこの時、風の精霊たちが人間と同じ肉体を持っていたとしたら。彼らは両の目を輝かせ、口からは滝の様に涎を流した事だろう。

 宙に舞う大小さまざまな宝石めがけて闘技場内の全ての風の精霊が殺到し、ハディン達が立つ舞台を中心に巨大な渦を発生させた。


「――⁉」


 泰然としていたマリアリガルの貌に戦慄が走ったのは、その時だった。

 突然吹きこんで来た旋風が彼女を取り囲むように渦を巻き、四方に風の壁を発生させたのである。


「殿下!」


 異変に気付いた女騎士はマリアリガルに駆け寄ろうとしたが、それをロイが阻む。


「悪いがあいつらの戦いに手出しはさせない! やってやれハディン!」


「言われずとも! ‟荒れ狂え大風よ、全てを吹き飛ばせタイフォーン”!!」


 ハディンは一際大きな翡玉の塊を握りしめながら、目の前で両手を交差させる。

 それはハディンが修得した翠玉の魔術における奥義のひとつであり、かつてハディンが「浪費」と吐き捨てた大魔術であった。

 その指摘通りに彼が握り込んだ宝石は無数の精霊に貪られ、たちまちただのへと変貌し、やがて砂と化して風に吹き散る。

 しかしその甲斐あってか彼が起こした風は竜巻と化し、マリアリガルをその身に呑み込んでしまった。


「――お見事です、しかし!」


 マリアリガルの杖から再び、無数の炎の礫が放たれた。

 鎧を破砕し岩をも削るその一発はしかし、竜巻と化した風の壁を貫通することなく、あっと言う間に風に巻かれて消えていく。

 思わず舌打ちをこぼすマリアリガルであったが、幸いにして四方を囲む竜巻は今のところ、彼女を直接的に脅かすものではないようだ。


「このような大魔術、すぐに打ち止めになるのは目に見えています。

 しかし何故? 貴方はつもりだったのではなくて?」


 渦巻く風の壁の向こうに立つハディンに向けて、マリアリガルは問いかける。

 その声が届く事はなかったが、ハディンは応じるように首を横に振った。


「それこそが貴女の敗因だ、公女様。目には見えない翠玉の魔術でのを警戒したんだろう? だから魔法で防備を固め、決して自分から仕掛けようとしなかった。

 そう――僕が発していた殺気を気取けど取ってな!」


 ハディンの額には無数の汗が浮かんでいる。

 見開いた両眼は充血し、強く噛みしめた唇には血が滲んでいた。

 戦士が戦いで自らの肉体を酷使するように、魔術師は己の脳を酷使する。

 その為、脳に血液を送り込む血管は常より激しく拡張と収縮を繰り返し、それは激しい頭痛と四肢の虚血を引き起した。

 一瞬でも気を抜けば脳は活動を制限し、大魔術はその瞬間に消失するだろう。

 故にこの大魔術は媒介となる宝石の量だけでなく、肉体への強大な負荷もハディンに言わせれば費用対効果の低い浪費でしかない。

 しかし今だけはそれを承知の上で、この大がかりな魔術を行使し続ける必要があった。全ては己が目的を遂げるために。


「わたくしは全く身に覚えがありませんが、貴方はわたくしに憎しみを込めた眼を向けていました。それはわたくしへの復讐が目的だったからでは?」


「ああこれは復讐さ。でも――貴女の命を奪うのが目的じゃない。僕はただせんせいの汚名をそそぎたいだけだ!」


 ハディンは交差させていた両手をじり、左右の手を組み合わせた。

 その動きに合わせて、彼が発生させた竜巻も更に勢いを増していく。その勢いにロイと女騎士も戦いの手を止めざるを得なかった。


「え? ちょ、ちょっと――」


 竜巻の内側に囚われたマリアリガルも吹き飛ばされまいと足を踏みしめるが、風はどんどん勢いを増し、彼女を空へと誘おうとする。


「帝国最強の魔法使い、公女マリアリガル――かつて帝国魔導院で貴女を侮辱し、手打ちにされた魔導師がいた筈だ。それが僕に魔術を教えてくれた師だ」


 ハディンの脳裏に浮かぶのは、痩せこけた一人の男性。

 かつて自らの才におごり、真の魔法使いマリアリガルを侮った報いを受けたその男は逃げるように帝国を去り、極北の地へと落ち延びた。

 そこで多くの弟子を取り類稀な才を自分ではなく他人の為に発揮することで、その身を縛っていた傲慢から解放されても尚、被った汚名は彼を苦しめ続けた。

 いや人格者として慕われ尊敬を集めるほど、汚名は影のように彼の背中から離れなくなったのである。


「師は一度も僕を妬んだりしなかった。その成長を喜んでくれた――だが、その度には師を嘲笑った。

 僕のような子供に追い越された三流魔導師だと――だから僕はッ!」


 酒の席で師を虚仮にした高弟をことごとく魔術で叩きのめした後、ハディンはそのまま師の下を去り、ロイの家に居候する事になる。

 自分が側にいる事でこれ以上大切な人を苦しめたくはないと、その胸の内を誰にも明かすことなく。


「公女様、僕も師も貴女に恨みは抱いていない。

 だけど――だから――僕はする! せんせいは三流なんかじゃないと、せんせいが授けてくれた魔術で貴女に勝利する!

 いいか精霊ども、祭りは終わりだ! 天へと帰れ!!」


 組んでいた手を解き、その掌を天にかざす。

 ハディンの動きに合わせ、竜巻は空へと一気に吹き上がった。


「――殿下!」


 その風に舞い上げられ、空に放り出されたマリアリガルにいち早く気付いたのは、護衛の女騎士だった。

 彼女は脇目もふらず舞台を飛び出し、落ちてくる主人を受け止めようとする。

 落下するマリアリガルもまた空中で体勢を整えようとしており、このままいけば地面に墜落する事だけは避けられるだろう。

 だが――女騎士が主を受け止めたその瞬間、大会の規定によりマリアリガルの敗北が決定する。

 何故なら彼女が落下する先は、試合会場である舞台の外なのだから。


「――勝った」


 精も根も尽き果て、膝から崩れ落ちるハディン。彼にはもはや一つの秘術も繰り出せない。今この瞬間の為に彼は全てを投げ打ったのだから。

 師の汚名を自らの手で雪ぐ、そんなの為だけに。

 だが彼も、そして観客の誰一人として気付いていなかった。

 重力に引かれて落ちて行く公女に向けて、風よりもはやく迫る影の存在に。


「――あ」


 落ちてくる主を受け止めようと両腕を広げる女騎士の眼前で、マリアリガルは突然その姿を消してしまう。予想だにしなかった光景に呆然となる女騎士。

 その耳に石を削るような甲高い音が響き、彼女が慌てて音が聞こえてきた方向に顔を向けると、そこには――


「――――カイ様?」


 マリアリガルを両手に抱えたまま、舞台の上に着地したのは彼女より年下のすみれ色の髪をした美しい少女だった。

 よほど急いでいたのだろう、丁寧にまとめた髪は解け、着ていたドレスは足下が大きく裂けて、白く細い脚が露わになっている。


「困りますよマリア、貴女が負けたら私は誰かのものにされちゃうじゃないですか」


 そう言って、櫂は、呆然としたままのマリアリガルを舞台に下ろす。

 突然の闖入者に観客達は驚きに静まり返り、舞台に残っていたロイもハディンも何が起きたのか分からないと目を白黒させていた。

 それを尻目に櫂は腰に差していた二振りの蛮刀を抜き放ち、回転させながら両手に構える。

 その隣ではいつの間にか舞台に上がっていた黒髪の少女が、櫂に続いて自らの剣を抜き放った。


「申し訳ありませんがここで選手交代です。公女マリアリガルに替わり、私が君達の相手を努めましょう――」


「カイ、私もいる」


「そうでしたね、すいませんエルナ。ええと――ロイ君にハディン君でしたか? 連戦で申し訳ないですが、ここからは私たちと戦ってもらいますよ?」


 かくて第七の勇者カイとその護衛は、第五の勇者ロイとその相棒ともに相対する。


「「そ、そんなのアリかーーーーーーーーーーーー!!」」


 本気で抗議する二人を無視しながら。




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