第39話 義心の臓
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
祭りの夜は明け、遂に武闘大会は二日目を迎える。
最後に勝つのは果たして――
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まだ陽が昇り始めたばかりだと言うのに帝都の西区に建つ闘技場は、既に多くの見物客に囲まれていた。
彼らの殆どは入場して実際の試合を見物する事は叶わなかったが、それでも会場から溢れ出す熱気を共有し、誰が優勝するのかと互いの願望と金を賭け合うのは、この地に集った者達のまたとない娯楽だったと言えよう。
やがて太陽が昇り、帝都各所の鐘楼が一日の始まりを告げる鐘を鳴らすと共に、武闘大会二日目の幕は切って落とされた。
最初に執り行われるのはトーナメント形式の勝ち抜き戦、その決勝である。
この日、雌雄を決する二組――四人の選手たちが姿を現すと、会場はそれだけで割れんばかりの歓声に包まれた。
極北の地からやってきた二人組の少年ロイとハディンは、今や帝都一の有名人と化し、性別や年齢を問わず多くの臣民が声援を贈っている。
一方、二人の少年と優勝を巡って争うのは、鏡写しのようによく似た風体の二人の青年であった。体の線が出ないゆったりとした衣服をまとい、その口元は布で覆い隠されていた。
フー・クリンとガラバ・アイオンと名乗るその二人は、帝国から見て東の大国、諸国連合の導師と言う触れ込みで武闘大会に参加していたが、それ以外の事は全て謎に包まれた二人組であった。
観客の大半は彼らの名前すら聞いた事がなかったが、大会に参加した高名な武芸者たちは彼らの姿を見かける度に畏怖の眼差しを向けていた。
帝国の大貴族であり五公家のひとつ、ホムラ家。
裏社会の顔役とも噂される公爵の推薦を受けた彼ら二人は、かつて裏社会で殺し屋として名の知られた二人組であったのだ。
「…………あんちゃん、どうする?」
「やるこたやるまでさ。オイらはもう殺し屋やめたし、しくじっても
「んだんだ、相手が誰であろうと殺さないに越したことねぇ。公爵様もオイらの好きにしてええと言ってたし」
僻地の
間違いなくその手を血で汚し続けた彼らはしかし根は純朴な善人であり、大会への参加自体が殺し屋を引退する彼らへの選別である事を知っていたのは、ホムラ家の当主ただ一人であった。
「――あれがフーとガラバか。噂だけは聞いていたが、生身を拝むのは初めてだ」
「ああ、俺でも分かる。あの二人――ただ立っているだけなのにまるで隙が無い。殺気を全く感じさせないのも一流の証拠と言う事か」
一方でロイとハディンは二人組の元殺し屋に畏怖の念を抱き、その佇まいから強者の風格を感じ取っていたので、一流の戦士は言葉や拳を交えずとも相手を理解し合える、など言うのは単なる理想論であったようだ。
「――
試合開始を告げる善心教の司祭の聖句は、試合開始を待ちきれない観客の大歓声に呑まれて最後は聞こえなくなってしまう。
これから始まるのは決勝戦であり、互いに無名の存在が名の知れた猛者を退けて勝ち進んだ事から、誰も勝敗を予測できない状況にあった。
それ故に勝敗の行方に向けられる関心は大きく、闘技場に集まった千を超える観衆は四人の選手に熱の籠った視線を注ぎ続けていた。
ところで結論から先に言えば、勝利を収めたのはロイとハディンの二人である。
試合開始と同時にフーとガラバは互いの掌に、短い命文を記した。
すると二人は一頭の巨大な獣人へと変貌する。虎の頭部と四肢を持つ身長三メートル以上の巨人――
その威容に観客席からは悲鳴と興奮の声が上がった。
フーとガラバはこの術を用いて予選から勝ち上がり、戦法は極めてシンプルながらも圧倒的な強さで、様々な猛者を倒してきた。
虎人の毛皮はそれ自体が竜の鱗に次ぐ天然の鎧であり、魔術への耐性も備えている事から並の武器や魔術では傷一つつかない。
だが何よりも恐ろしいのは、人間とは比べ物にならないほどの筋力量とそこから生み出される
この虎人に、ロイとハディンはどう挑んだのか。
答えはこれまたシンプルで、ロイはその剣に魔術で生み出した風をまとい、ハディンは圧縮した空気の壁を盾のように展開して、圧倒的な膂力の差を埋めようとしたのである。
しかしそれでもロイは攻撃を受け止めきれずに吹き飛ばされ、舞台の外に落ちそうになるところをハディンの魔術で救われていた。
一方で虎人と化したフーとガラバは、容赦なくロイを攻め立てた。
隙を突こうとするハディンの動きを封じつつも、何度も窮地に立たされる二人を
それは観客達の目にも明らかで、ある者はフーとガラバを外法の使い手ながらも騎士道を体現する者として称え、ある者は敢えてとどめを刺さない事で少年達をいたぶっているのだと眉を潜めていた。
尤も当の本人達はと言うと――
(……あいつら、わりとやるなぁ)
(んだんだ、これは将来有望だべ。殺さないで無力化すんのは難しいなぁ)
手加減はしながらも、あと一歩のところで勝利を逃し続けていた。それほどまでに二人の少年達の力量は、凄腕の殺し屋に迫っていたのである。
一方でロイとハディンは苦境に立たされながらも、互いの役割を固辞しつつ、何度も何度も虎人に挑みかかった。
愚直にしか思えないその戦いぶりはしかし、愚直以外の何者でもなかった。
ロイは手にした直剣で虎人に斬りかかり、攻撃が届く前に振るわれる剛腕をその剣で防ぐ。
最初は、それだけで舞台の外まで吹き飛ばされそうになった。
二度目は、体二つ分吹き飛ばされた。
三度目は受け止めきれずに態勢を崩し、四度目は剣を持つ手が痺れて追撃の機会を奪われてしまう。
フーとガラバは致命傷を与えないように加減こそしていたが、容赦だけは微塵もしていない。故に五度目に剣一本で自らの一撃をいなしたロイに、虎人の口は驚嘆と戦慄の咆哮を挙げる。
(――殺るぞ!)
殺し屋はその瞬間、一切の加減を放棄した。
相手を殺害して無力化する為に最適化された一撃を、ロイは真正面から剣で受け止め――全身の筋は膨張し、血管は限界を超えて拡張と収縮を繰り返し、骨はその密度を増して、関節は生体力学に基づいて衝撃を足裏へと受け流す体勢を取る。
ロイの肉体に急激で異様な拡張をもたらしたのは、血液と共に
契約神能――
第五の勇者に、義心の
「行け――ロイ、精霊ども!!」
ハディンは待ち焦がれていた時が到来したと察し、相棒の少年と――彼の装具に仕込まれた碧玉の原石に宿る精霊たちに命じた。
(ハイヨロコンデーー!)
風の精霊たちはハディンの「ことば」を受け、一斉に動き出した。
そうして局所的に発生した大気の流れはロイを包み込むように渦を巻き、彼の持つ直剣へと収束する。
(あんちゃん、これ――?)
(けけけけ、剣聖の天技じゃあ! し、死んじまうー!)
風をまとう剣の一撃。奇跡にも等しい武技の再現に、フーとガラバは即座に撤退を決意し、結果として訪れる敗北を受け入れた。
虎人へと変貌する術を解除し、左右に割れる虎人の巨体。
それと同時にロイの剣は、天に向けて振り上げられた。
果たして観客の目には石の舞台をも
振り上げた剣と共に、一陣の強風が闘技場を駆け抜けた。
その風が一切の音をさらうかのように、場内の歓声は完全に
「――え、マジかよ」
誰よりも先に自らの勝利を理解したのはハディンであったが、彼はそれと同時にこの結末に驚きを隠せずにいた。
ロイが虎人に勝利する事は彼の中では当然の結果であり、原石を仕込んでいた事からも風をまとう剣技の再現も想定通りであった。
しかし、まさか一撃で決着がつくとは、全く予想していなかったのである。
(……また偶然か。ロイが持つ悪運とも強運とも呼べない、都合の良すぎる事象の発生と望んだ展開への結実。
まるで――ロイの行動を何者かが意図的に補正しているような……)
それがハディンがロイを利用する理由の一旦であったが、それが何であるのかをハディンはまだ知らずにいた。
これまでハディンが何度も目にした必ず起こる奇跡の発現に、ハディンは勝利の喜びも二の次とばかりに思案に
しかしそれも長くは続かなかった。
「やった! やったぞハディン! 俺たちの勝利だ!」
「や、やめろバカ!」
感極まったロイがハディンに抱きつき、頭を撫で――いや力加減を考えない所為でガシガシ擦る様なスキンシップに、ハディンは本気で抵抗した。割と痛いし。
傍から見れば、それは勝利の喜びに沸き立つ少年達の微笑ましい光景であり、貴賓室の一画から少年達を眺めていたベルタは、眼を血走らせながら手にした帳面にひたすら何かを書き殴っていた。
それが何を意味する行為であるのかを知っていたのは、同じ部屋で見物していた櫂だけである。
だが――武闘大会はまだ続く。
優勝した二人の少年を眺め下ろしながら、輝くような紅玉色の髪をまとめあげる赤狼公国の公女マリアリガル。
優勝者に授けられる栄誉のひとつ。
それは、帝国最強の魔法使いに挑む機会である。
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