第38話 祭りの夜




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 帝都での武闘大会は熱狂の内に一日目を終え、櫂や参加者たちは帰路に着く。しかし祭りの夜はむしろここから始まるのであった。


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 地平に陽が沈んでも、帝都の喧騒は静まるのを知らないばかりか、むしろその賑わいを増していた。

 酒場に入りきらずに溢れた男達は路上で酒を酌み交わし、女性達はそんな男の前で舞い踊りながら、顔も名前も知らない相手との一夜限りの熱狂に身を委ねる。

 一方でくだらない事で喧嘩を始める者達も少なくないが、それをいさめる筈の衛士たちは赤ら顔で「もっとやれ」とはやし立てる始末だ。

 初日に鎮魂と召霊の儀式を厳かに終えた人々は、その反動とばかりの喧騒に耽る。

 その様子を宿の二階から見下ろしながら、ハディンはつまらなそうに茶で割った果実酒を口に運ぶ。

 灯火に照らし出された艶やかな銀髪の美少年に好色な視線を投げかけるのは何も女性に限らなかったが、彼の意識は一片たりとて浮かれ騒ぐ「大人たち」には向けられていなかった。


「――が好みなのか、ロイ」


 同じ部屋で骨付き肉をかじっていた赤土色の髪の少年ロイは、ハディンの問いに一瞬だけ考え込み、顔を赤くして弁明する。


「ち、ちがう! 俺は別にそんな――」


 彼は否定したが、その反応が何よりの答えであった。

 つい数時間前、激闘の末に明日の決勝戦に勝ち進んだ二人は、大会の主催者である赤狼せきろう公国公女マリアリガルから直々に表彰されたのだが、その際にロイが麗しい公女――ではなく、その後ろに控えていたすみれ色の髪の少女に見惚れているのをハディンは目撃してしまった。

 言うまでもないが、その少女とは櫂の事である。


「別にお前の好みに口を出すつもりはないが、カイと言ったか? あれは僕やお前より年下だろう、どう見ても」


「だから好みとかそう言うのじゃなくて……あんな綺麗な子、初めて見たからさ」


 ロイの返答に、ハディンは大きな――心底呆れたとばかりに――溜息を吐く。

 思わず口にしそうになった「それを“れた”と言うのだ」という指摘ツッコミを呑み込みながら。


「まさかとは思うがお前、村のガキどもをそんな目で見ていないだろうな?」


「だから違うと言ってるだろ! ……歳はさておき、あの子がリリたちとは全然違う事くらい、お前だって分かるだろ?」


 リリとはロイの妹分で、彼女は貧民街の子供たちのまとめ役でもあった。

 もちろんロイは、その妹分も含めた子供たちに性的な興味は全く抱いてはいない。


「――確かにな。あれは何と言うか、恐いくらいに“匂う”。男だろうが女だろうが誘いこんで屈服させる、そう言う手合いだ」


 ロイには告げなかったが、ハディンもまた櫂の姿に一度は眼を奪われていた。

 しかし櫂に対して抱いた感情は、初心うぶなロイとはまるで正反対のものであった。

 ハディンの評価にロイは「そうか?」と首を捻る。

 彼の眼に櫂はそのように映らなかったし、他の人間も恐らくはハディンの評価に共感する事はないだろう。

 しかし物心ついた時から他者の心を惹き付ける為の媚態を身につけ、一挙手一投足に至るまで誘惑する為の術を磨いてきたハディンは、櫂が持つ美貌のに気付いていた。

 あれはまるで、人をたぶらかす為だけに生まれた存在だ――と。


「……まぁいい、それよりも明日の話だ。決勝の相手だがな、お前の好きに戦え」


 ハディンが提案した直後、ロイの手がぴたりと止まる。意外だ――とその顔は無言で語っていた。


「待ってくれハディン、いつもみたいに作戦を立てないのか?」


「アホか、連中が策の通じる相手に見えたか? 僕は魔術師見習いであって、怪物退治の英雄なんじゃない。そう言うのはお前の領域だろ?」


「いや、俺だって別に怪物退治の専門家なんかじゃ……まぁ亜竜退治に参加した事はあったけどさ」


「充分だバカ、完全武装の兵士たちが逃げ出したあと、棒きれ一本で“大口野郎”を追い払ったのは何処の誰だよ」


 澄まし顔を崩してニヤニヤと笑うハディンから目を逸らし、ロイは気恥ずかしそうに空の杯を口に当てた。武勇に関する自負は少なからずあるが故に、褒められて悪い気はしないのである。


「諸国連合の導師どもだったか? あんな怪物相手に弄する策なんかない。いつも通りお前が


 聞き様によっては無謀を通り越し、自暴自棄になったとしか思えないが、ハディンは本気だった。「気合でどうにかしろ」と言われたロイは照れ臭そうに頬を掻いたあと、「わかったよ」とぶっきらぼうな声で応じた。


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 一方その頃。帝都の一等地に建つ赤狼公国の公邸では、遠く離れた祭の喧騒を羨ましそうに眺める菫色の髪の少女がいた。櫂である。


麦芽酒エール……蒸留酒ウイスキー……果実酒……ううっ、私も一杯引っかけて優勝したいのに……」


 この区画には三公国の公邸だけでなく、他国の使節や客人が滞在する為の建物も存在しており、それ故に酔っ払って気の大きくなった帝都の住民が足を踏み入れれば、素面の衛兵に追い出されるだろう。

 つまりこの場所は祭りの会場からは物理的にも気分的にも切り離されており、果実と野菜を煮詰めたソースと香辛料をまぶした獣肉、血のように真っ赤な油で揚げた川魚を、様々な酒で流し込みたいという櫂の欲望が叶わない事を意味していた。

 もちろん公邸では味も見た目も豪勢で上品な料理や酒が振る舞われたのだが、根が庶民の櫂は肩肘張った食事が苦手な上に、例え異世界であっても肉体年齢12歳の少女である櫂の飲酒は禁じられていたのである。


「あはは……これ果乳酒ですけど~いかがです~?」


 夜景を眺めながら黄昏ていた櫂に乳白色の飲み物を差し出したのは、体の線が出ない貫頭衣をまとっただいだい色の髪の少女だった。

 果乳酒とは果実酒を発行した乳で割った飲み物で、微量のアルコールは残されているものの、子供の櫂が飲んでも酔っ払ったりしない程度なので、当然の如く櫂には物足りない。


「お気持ちだけ受け取らせていただきますね、ベルタさん」


 橙色の髪の少女は名をベルタといい、櫂とはつい数日前に出会ったばかりの間柄だが、互いに交わす言葉が気安いのは趣味の方向性が一致している所為でもあった。


「ベルタさんもお酒はNGなのですか?」


 全く酔った様子のないベルタであったが、彼女は「私は~下戸というやつでして~」と首を横に振った。


「それなら仕方ないですね。それなら私の話につき合ってくれませんか?」


「もちろんですとも~私も殿下の厚意はありがたいのですが、こういうお貴族様な会食は苦手ですので~」


「私もですよ。本当なら抜け出して、祭りに繰り出したいのですが……」


 そう言いながら櫂が視線を移すと、その先にはツートンカラーの制服に身を固めたエルナ・ヴォルフの姿がある。

 彼女は無言で直立不動を貫いているが、櫂と目が合うと諫める様な視線を返して来る。どうやら彼女も勝手な外出を認めないつもりらしい。


「そんな訳でベルタさん、また色々とお聞きしても宜しいでしょうか?」


「ええ、喜んで~私もこう見えて魔導師ですし~、カイ殿に色々とご教授するのは個人的にも楽しいので~うへへへ……」


 締まりのない笑みをこぼすベルタだが、別に櫂に特別な感情を抱いているわけではない。知識を披露しても嫌がられず、熱心に耳を傾けてくれる初心者ビギナーに出会うと、嬉しくて舞い上がるオタク特有の心情である。


「では早速ですが……ベルタさん、私の瞳ってどう思います?」


「ふひゃあ! い、いきなり顔が近いです! ……いやまあ綺麗な瞳ですなぁ~と思いますけど~、何か気になる事でも~?」


 櫂の琥珀色の瞳は宝石の如く澄んではいるが、ベルタには他の人間と何一つ変わらない、普通の器官にしか見えない。


「私も確証はないのですけれど、この目は色々と変わっていましてね?

 他人を魅了して言う事を聞かせたり、自分がこれから行う事の成否が予め見えてしまうのです。そう言った“超能スキル”や奇跡に心当たりはありますか?」


 これまでの旅路の中で、櫂の瞳は様々な奇跡を起こしてきた。

 人並外れた超常の力を宿しているのは眼に限った話ではないが、今の櫂にとって最も不可解な器官であったからこそ、櫂はベルタに尋ねたのである。


「ふむ~ふむ~、お話を聞く限り魔眼や邪眼と呼ばれる奇跡に近しいとは~思いますけど~」


「魔眼……やはりそうでしたか! 良いですねぇ、これまたオタクの浪漫です」


「魔眼までご存知とは……カイ殿も相当好き者というか、その知識には驚かされるぱかりです~。ただ魅了については幾つも心当たりがあるのですが~、予知というか事象の視覚化と言うのは~生憎と聞いた事ないですね~」


 袖の内側から取り出した分厚い書物をめくりながら、ベルタは申し訳なさそうに答えた。その指がぴたりと止まると、そこには獣の耳と尾を生やした少女の絵が描かれている。

 しかし櫂の意識を奪ったのは耳と尾ではなく、少女がまとう装束にあった。


「これ……巫女服ですよね?」


 絵であるからして細部は簡略化されていたが、白を基調としたその衣装は櫂の目には巫女が着ている赤と白の袴にしか見えなかった。


「ミコ服? そう言う名称なのですか? 何処の文化圏なのでしょうか~? 

 ちなみに~この御方は“御柱みはしらの遣い”の第三柱、『神狐しんこイヅナヒメ』様ですね~」


「イヅナ……まさか、この世界に稲荷信仰が? いえ、これは信仰と言うよりもお稲荷様そのものじゃないですか?」


 書物に描かれていたのは狐を思わせる耳と尾を生やした、幼い巫女服の少女。

 それらの組み合わせが物語るのは櫂が転生する前の世界――即ち日本で生まれ、広がった信仰の痕跡であり神性である。


「むむ~カイ殿がまた私の知らない言葉を口にしてます~。かなり気になりますが~ 今はこちらの話に集中します~。このイヅメヒメ様の権能はですね~見るだけで相手の心の像を止めてしまうと言われてまして~」


「権能……普通に神様なんですねこの狐ッ娘? しかし私の目とは少し違う能力のようです」


「そうですよね……私も大陸各地や海洋帯シーベルトまで足を運んで神秘を蒐集していますけれど、カイ殿の目のような奇跡は~とんと聞いた事がありません~」


 お手上げだとベルタは嘆く。


「そうでしたか……だとすれば、ラキが何か知っているかもしれませんね」


 絵に記された少女と同じように、狐の耳と尻尾を生やした人物の事を櫂は不意に思い出していた。

 諸国連合の盟主である少女ラキニアトス・イヅナ。

 櫂とは一度しか顔を合わせていないが、それでも彼女は自分も含めた誰よりもこの世界について知悉ちしつしており、遥か先を観ていたような気がする。

 何より彼女は櫂の目を「こわい」と評したのだから。


(……とは言え、彼女はおっかないので、二度と会いたくないのも正直な気持ちなんですけどね)


 拝謁した直後に拘束されそうになった事を思い出し、馬鹿な事は考えるものではないと櫂は思案を断ち切った。


「お役に立てず申し訳ないですが~カイ殿、これだけは覚えておいてください~」


 かけていた眼鏡を外し、自分の目を指しながらベルタは櫂に伝えた。


「魔眼にしろ権能にしろ、眼で起こす奇跡は対象に『見られる』事ではなく、術者が『見る』事で発動するものと決まっています~。もしかしたらカイ殿は戦いの中でのではないですかね~?」


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 櫂たちが眠りに就いた後も帝都の賑わいは絶えることなく、祭りの喧騒は昼夜を問わないように思えた。

 建国祭は明日で終わる。だからこそ思う存分飲みあかし、踊り狂う夜はもう一度訪れるのだと誰もが信じていた。

 と言うのに、帝都の住民は我を忘れて祭りの夜に酔い痴れている。




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