第37話 君に胸キュン




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 双翼と呼ばれる騎士との戦いに勝利したロイとハディン。そんな二人と櫂との接点がもうすぐ生まれようとしている。


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「え? 私も出席するのですか?」


 闘技大会一日目の日程が終了した、その直後の話である。

 主催者であるマリアリガルが貴賓室に姿を現し、有無を言わさず櫂を抱きしめて嫌な顔をされた後、一日目終了の挨拶に同席するよう促したのである。


「ええ、と言ってもカイ様はわたくしの後ろに控えてもらうだけです。終了の挨拶と本日の勝者を表彰するのは、わたくしが行いますので」


「まぁそれについては異論ありませんが、私の姿を晒しても良いと考えた理由は何ですか?」


 櫂は自分の存在が闘技大会の目玉である事は承知していたが、マリアリガルは周囲の目が及ばない貴賓室に自分を閉じ込め……もとい外出を制限した事から、自分の姿を隠そうとしているのだと考えていた。

 しかし、どうやらそれは間違っていたようだ。


「カイ様がその愛らしいお姿を現せば、選手も観客もきっと喜ぶに違いない――ただそれだけですわ」


「つまり、明日の集客に向けての念押しと言う事ですね?」


「うふふ」


 マリアリガルは首肯しなかったが、櫂の質問にハッキリと答えずに韜晦とうかいした事が何よりの答えであった。

 とは言え、櫂としても単に控えているくらいならば断る理由もない。


「……分かりました。しかしですよ、皆さんがっかりしませんかね? 噂の美女とやらがまさかこんな小娘だと知れたら」


「まぁカイ様、そのような事は決してありませんわ。帝国において銀月の如き乙女は、かの海竜姫の如くに人々の夢と憧れを掻き立てる存在なのですから」


「つまり、この国の男どもはロリコンの気があると言う事ですね。……まぁ私も同類なので気持ちだけは分かりますが。気持ちだけは」


 転生前の性癖から共感は覚えても、多数の好奇の視線に晒される自分を想像すると、櫂はどうしても腰が引けてしまう。


(美人とは言え、良い事ばかりではないのですね……)


 そうして櫂はまたひとつ、異性に対する理解を深めるのであった。


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「戦士たちよ、御柱の主に捧げられた貴公らの武芸と矜持、実に見事でありました。私も、そして八百万やおよろずの臣民たちも貴公らに心からの賞賛を送りましょう!」


 大会一日目の終わり。闘技場の中心で挨拶するマリアリガルには、試合中に勝るとも劣らぬ数の視線が注がれている。

 しかし彼らの興味は麗しい公女殿下よりも、その後ろで静かに佇む幼い少女――櫂に向けられていた。


(あれが噂の……まだ子供じゃないか)


(いやしかし、この銀月の如き艶やかさはどうだ。公女や連合の将兵を篭絡させたと言うのも、あながち嘘ではないのかもしれん……)


(アッアッ…カイチャン…)


 ざわめき囁き合う無数の声は櫂には届かなかったが、浴びせられる視線だけでも観客が何を考えているのかは分かってしまう。

 それは取り立てて他人に注目される機会など存在しなかった櫂にとっては、生まれて初めての経験であった。


(……い、嫌すぎます……! 何ですかこの全身に生暖かい風を吹きかけられるかの様な不快感は……)


 視線には熱量も質感も宿っていないものの、「無数の人間に見られている」という認知は櫂の心に強い緊張と負担を強いてしまう。

 それでもマリアリガルが退場するまで、自分だけ先に逃げ出すわけにはいかない。

 それまで何とか耐え抜こうと、櫂は視線を前方に建つマリアリガルの紅玉色の髪に集中させ、不快感で表情を崩さぬようにと唇を噛み締める。

 だが櫂のその姿は、千を超える観衆に晒されても泰然たいぜんと佇んでいる様にも見えてしまい、ますます注目を集めてしまうのだった。


(――ふぅん、あれが噂のカイとやらか。ただのガキじゃないか)


 一方、本日の勝者として表彰されていたハディンは、櫂の姿を間近で眺める機会に恵まれたが、その容姿を一瞥した後は興味を失ってしまう。

 櫂が子供に見えたからではなく、ハディンはそもそも女性の「美」とやらに何の感慨も抱かない。彼に言わせれば、美男美女も醜男醜女も等しく「汚らわしい欲望」の持ち主であるが故に。


(優勝すれば噂の美女とやらが手に入ると聞いてはいたから、ロイに押し付けるつもりだったが……流石には酷か)


 自分は目的の為にロイを利用している――ハディンはそう考えていたからこそ、利用した彼には不要な報酬を譲ってやろうと考えていたが、妹にしか見えない少女を押し付けても困るだけだろう。

 そう思って、ハディンがふと隣で膝を着く赤土色の髪の少年に目を向けると――


「………………」


 ロイはハディンが一度も見た事もないほど、呆けた顔をしていた。

 極北の地の貧民として育った彼が大舞台で表彰され、煌びやかな装いの公女プリンセスや、見た事もないほどの大観衆を前にすれば、心が呑まれて実感を失ってしまっても仕方のない話かもしれない――と最初はそう思っていたが、よく見ると頬にはうっすら朱が刺し、赫灼かくしゃくの瞳は見開かれたまま、ただ一点に注がれている。

 まさかと思い、ハディンはロイの視線の先を追う。

 彼の視線は赤と白の礼服をまとった麗しい公女ではなく、その背後に注がれていた。

 そう――自分に注がれる視線に耐えかねて、半目でプルプルと身を震わせているすみれ色の髪をした美少女に。


「…………嘘だろ」


 ハディンが思わず零した愚痴は、幸いにして誰の耳に入る事もなく、闘技場の喧騒に呑まれて消えていった。


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 ――同日、翡馬すいば公国公都エウスヴェルデ。


 銀鷲ぎんしゅう帝国の北端。その国境に隣接する属国のひとつ、翡馬公国。

 極北の地と帝国を繋ぐ街道の一大中継地点であるその都市は今、未曾有の災害に見舞われていた。


「魔術師を呼べ! 塵を吸い続けると喉がやられるぞ!」


 甲冑を着込んだ上級騎士が口元を布で覆い隠した姿で、配下の騎士や兵士に命令を飛ばす。

 彼らもまた口元を布で覆い甲冑を着込んではいたが、その手には槍や弩ではなく円匙(シャベル)が握られていた。それで瓦礫や土砂を掬い上げ、瓦礫に埋もれた人や物を救いだす為に。

 騎士を乗せて戦場を駆ける馬も今は荷車を引き、怪我をした公都の住民を救護所へと運んでいる有様であった。


 やがて数人の魔術師がその場に到着すると、彼らは碧玉エメラルドを先端に嵌めた杖を振るい、風を呼び起こす。

 その風で土埃や塵を吹き払いながら、武装した兵士や騎士たちはひたすら救護活動に勤しんでいた。


「……一体何が起きたのだ。局所的な地震でも発生したのか?」


 現場の指揮を執る上級騎士は翡馬大公家に仕える騎士ではあったが、本来は北部に駐屯する国境警備隊を率いる立場にあった。

 彼の下に公都の窮状を訴える早馬が到着したのは昨日の事。

 公都の守備隊だけでは手が足りないからと救援を要請された彼は、直ちに二百の兵と騎士を引き連れて急ぎ公都に駆け付ける。

 そこで彼が見たものは、無残に崩れた落ちた無数の家屋と城壁――そして都の何処からでもその姿を拝む事のできる公城の半壊した姿だった。

 戦火こそ生じてはいないものの、公都の被害や死傷者の数は守備隊だけでは到底対処できるものではなかった。


「マリゼン卿、よくぞ駆けつけてくれた!」


 そこに馬に乗った青年が駆けつけると、マリゼンの家名を持つ上級騎士は慌てて地面に膝を着く。


「殿下! ご無事で何よりに御座います」


 青年の名はラスティフ・フォン・ヴィストヤード。次期翠馬公として様々な政務を担う公子であった。

 彼もまた端正な顔の下半分を布で覆っており、上着は土埃で汚れている事から、彼もまた別の場所で住民の救護を指揮していた事が分かる。


「堅苦しい挨拶は抜きだ。けいはこのまま城門から大街道沿いの救護に当たってくれ。私はこのまま東部に向かう。負傷者は大聖堂や城に運び込み、足りない物資があれば官吏どもに用意させる。一人でも多く民を救い出すのだ」


「御意に――しかし殿下、大公殿下もご無事なのでしょうか」


「ああ、父君も妹達もみんな無事だ。家臣も含めて命を落とした者はまだ一人もいないと聞いている。被害はどうやら城の外の方が大きいようだ」


 ラスティフの返答に安堵する上級騎士であったが、しかし彼の懸念は他にもあった。


「地震や竜巻ではないようですが、さりとて何者かが攻めてきたようにも見えません。一体何が起きたのですか?」


 それはこの惨状を引き起こした原因であった。町や城は激しく破壊されているが、しかし武器を持った者達が争い、命を奪い合ったような痕跡は見当たらない。

 ならば天災かと問えば、ラスティフは首を横に振る。


「それが私にもよく分からないのだ。雷が重なったような凄まじい音が響き、気が付けば城や町がこのような有様だ」


 上級騎士は若き公子の人となりと才覚を高く評価していたが、この時ばかりはその言葉を疑わざるを得なかった。そのような事があり得るのだろうかと。


「ただ、救い出された民は口をそろえてこう言っていた。‟何かが天より降り注ぎ、家々を貫いた”のだと」


「では何者かの砲撃、或いは魔術か奇跡の類でしょうか?」


「かもしれん。だが、それを示す痕跡は何処にもないのだ」


 故にお手上げだとラスティフは口惜しそうに語る。正体も意図も不明な襲撃であっても、その被害はここにしかと刻まれていると言うのに。


「――そうだ、もう一つだけ聞いた事がある。事が起きた前後、妙な人物が南に向かう姿を複数の民が見かけたそうだ」


 証言の内容を思い出しながら、ラスティフは上級騎士に警告する。


「確か――をした若者だそうだ。旅人や行商人には見えず、一人で歩いている姿が印象に残ったらしい」


「白髪ではないのですね――まさかはぐれの魔法使いか妖術使いと言う線も」


「与太話にしか聞こえんが、それが最も妥当な線だろう。卿も兵たちもそのような人物には十分注意せよ」


 そう言い残し、ラスティフはお供を連れてその場を去って行った。

 その後ろ姿を見送りながら、上級騎士は先ほどの会話の内容をふと思い出す。


「――では、これも魔法使いの仕業だと言うのか」


 彼の瞳に映るもの、それは白い城壁に穿であった。





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