第35話 努力・友情・勝利




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 極北の地より武闘大会に参加した二人組の少年、ロイとハディン。櫂が遠眼鏡越しに眺めるなか、彼らの試合が始まろうとしている。


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 銀鷲ぎんしゅう帝国五公家のひとつ、ヴィフシュタイン家。

 帝国中西部に広大な領地を保有する大貴族で、学術や芸術のみならず数多くの武術を保護・支援し、優秀な人材を数多く輩出している事でも知られている。

 加えて現当主は大陸全土から優秀な騎士や軍人を引き抜き、帝国有数の規模を誇るビィス騎士団を結成した。

 そうしたヴィフシュタイン家の人材に対する飽くなき収集心は、数代前の当主の劣等感の現れだとも噂されているが、その真偽はさて置き。待遇の良さも相俟あいまって、ビィス騎士団には武勇に優れた騎士たちが数多く在籍している。

 中でも「双翼」と呼ばれる二人の帝国騎士、モゥス・ディ・ガラタとオーン・ファン・シュタインは騎士団でも屈指の実力者であり、各地の騎士団から指南役として招かれる事も一度や二度ではなく、今回の武闘大会への参加もそのひとつであった。


「相手はまだ十代の若造だそうだな。ワシにとっては息子をしごくようなものだ。まぁ娘しかおらんがな! ガハハハハ!」


 筋骨隆々で顔も腹も丸いモゥスは現在40歳。二児の父でもある彼は豪快に笑いながら、競技場の中央に設置された円形の舞台へと歩を進める。

 その隣では30代に入ったばかりの手も足も背丈も長い青年オーンが「……フフッ」と口元を僅かに歪め、笑い声にも聞こえる吐息を洩らしていた。陰気なその顔から、彼の心の内は読み取れそうにもない。


「…………どうする?」


「闘神を退けたと言うその腕前、存分に拝見させてもらうとしよう。ワシらの眼に適うようであれば、騎士団への推薦も考えるさ」


 可能性を否定はしないが負ける事を微塵も考えないのは、傲慢ではなく二人が積み上げてきた戦果と経験から成る自信の現れでもある。

 彼らが闘技場に姿を現すと、名にし負う騎士二人の姿に観客は歓声を上げる。それを浴びながらモゥスとオーンが試合の舞台に上がると、そこには既に彼らの対戦相手が待っていた。

 銀髪の美少年ハディンと赤土色の髪をした少年ロイの二人は、歴戦の勇士であるモウスとオーンを無言で出迎えるが、その目には戦士としての敬意と挑戦者としての闘志が宿っている。


「良い面構えだ。これは期待できそうだな」


「…………そうか」


 これから刃を交える四人が言葉を交わす事はなかったが、互いの佇まいと視線を介して意思の疎通は図られていた。

 あとは自らの肉体と武器を以て、存分に語り尽くすのみ。武闘とは最もシンプルで対等な意思の交錯である。


「――御柱みはしらの主よ、彼らの健闘をご照覧あれ」


 善心教の司祭が聖句を以て開始を告げると、四人は利き手に得物を構えた。

 モゥスは柄の短い手斧を両手に持ち、オーンは自らの背丈よりも僅かに長い槍を構える。

 対するロイは標準的な長さの直剣。そしてハディンは何も手にしていない。

 その姿を見たモゥスとオーンは、ハディンが武器ではなく秘術を使って戦う魔術師ではないかと予測する。


「――いくぞハディン!」


「分かってる!」


 先に仕掛けたのは年若き少年たちであった。

 ロイは剣を右手に構えたまま、モゥスへと駆け寄る。ハディンはオーンの槍が届かない位置に立ちはばかった。

 良く言えば血気盛ん、悪く言えば向こう見ずな少年達の動きに観客は沸き立ち、闘技場内は一気に興奮と期待に包まれた。


 彼らをそれぞれ迎え撃つ形となった騎士たちは、口元に笑みを湛えながらも、全身の筋肉を獣の如く引き絞る。

 モゥスは走りながら打ち込んできたロイの剣を、手斧で軽々と弾き返した。

 しかしロイは怯むことなく剣の軌道を変え、再び斬りかかっていく。

 ロイの剣はモゥスの手斧をリーチで上回っている。それを活かし、体格も技量も格上の騎士を近づけさせまいと連続で剣を振るい、牽制していく。

 洗練されてはいないが無駄の少ない実戦的な剣さばきに、モゥスは心の内で感嘆の声を上げた。


「――だがッ!」


 その程度の小賢しさなど自分には通じない――剣を弾くのではなく受け止めるように流し、モゥスは一気にロイに肉薄した。

 丸々とした体格からは予想できない俊敏な動きに、ロイは意表を突かれてしまう。

 モゥスは距離を詰めると、肩を突き出してロイに体当たりをかけた。全身の体重を乗せたその一撃を受けて、ロイは後方に吹き飛ぶ。


「くそッ! まだだ!」


 転がりながら素早く立ち上がるロイであったが、そこにモゥスが振り下ろした手斧が迫る。

 慌てて刀身でその一撃を受けるロイだったが、その一撃は予想以上に重く、すぐには反撃を繰り出せなくなってしまう。

 形成は一瞬でモゥスに傾いた。彼は二本の手斧を巧みに振るい、防戦一方のロイを圧倒する。

 力も技量も経験も格上の騎士は攻勢に出ても慎重さを欠かさず、自分の攻撃を敢えて受けさせることで、ロイの体力を着実に削っていく。


「どうした小僧、これでしまいか!」


「まさか!」


 モゥスの煽りをロイは真っ向から退けるが、その間もモゥスが振るう二本の手斧は、少年に防戦以外の選択肢を与えてくれない。


「――俺は、ここからだァ!」


 叫ぶと同時にロイは、剣を構えたまま一歩前に踏み出した。

 そこにモゥスが振るう一撃が重なり、ロイは体勢を崩してしまう。

 しかし――彼の狙いはその先にあった。自ら地面に倒れ込むや否や、勢いそのままに床の上で首を軸に体を回転させる。

 未知の動きにモゥスは追撃の手を止められ。体と共に回転するロイの足が接近を阻んだ。


「らぁッ!」


 かけ声と共に全身のばねを使って、ロイは再び立ち上がった。

 その曲芸じみた動きに、観客はもとよりモゥスも思わず感嘆の声を洩らす。


「よく鍛えている。海洋帯シーベルトの闘奴のような動きだが――」


「我流だ! 海なんて見た事もない!」


 ロイの冗談に、モゥスは大口を開けて笑い出す。

 観客の中にはその姿を呑気だと咎める者もいたが、敵に冗談を飛ばし、共に笑い合うことでも戦士は己が闘志を高めていく。

 その顔に相手の武への敬意と闘技の喜びを湛えながら、二人はどちらからともなく距離を詰め、激しく荒々しく打ち合う。肉を打ち、骨を軋ませ、血反吐を吐きながら斬り合い、時に組みあう壮絶な肉弾戦が展開された。


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 一方、オーンとハディンとの相対は互いに睨み合ったまま、ともに相手の出方を伺う静かな始まりであった。

 オーンが槍を突き入れるとハディンはわずかに身を退く。すると次の瞬間、オーンの槍は敵に届くことなく穂先を逸らして止まってしまった。

 寸止めではない。傍目からもオーンの槍が相手にまるで届いていないことが分かる。

 オーンは驚きながらも素早く槍を引き戻し、違う軌道から再び槍を突きいれた。

 しかし、その一撃もまたハディンには届かない。


「――風か、翠玉の魔術師よ」


 しかし、それだけでオーンはハディンの秘術の正体を見抜いてしまう。彼は魔術師――それも風を操る翠玉の魔術の遣い手だと。


「ふん、流石はビィス騎士団の双翼だ」


 悪態を吐くような声で応じながら、ハディンは右手の指の腹を擦り合わせた。

 するとその指先から、陽光を反射した粉末が飛散していく。それは碧玉を削り落とした粉であり、風の精霊に働きかける秘術の媒体であった。


(――気を付けろ、相手は魔術師との戦いも経験済みらしい。絶対にこちらから仕掛けるなよ?)


(――リョウカイ、ダワサ)


 ハディンの心の声に応じたのは、目には見えない風の精霊の「ことば」。

 言語を有さない精霊は、ただの人間には知覚する事も出来なければ、意思の疎通も叶わない存在であった。

 だがごく稀に、彼らの思念を人間の言語に翻訳して、意思疎通を図る事のできる人間が存在する。ハディンはその一人であった。

 ハディンは媒体となる碧玉の粉末と言葉をもって風の精霊に働きかけ、オーンとの間に無数の空気の塊を配置している。

 オーンの刺突が逸れたり勢いを削がれたのは、槍の穂先が塊に触れた瞬間、圧縮されていた空気が膨張して、疑似的な斥力せきりょくを発生させたからである。

 目には見えず知覚も困難な罠ではあるが、一方で手練れの騎士が振るう槍を弾き返すほどの防壁にはなり得ないという弱点もあった。


「…………なるほど、目的は足止めか」


 加えて、ハディンの目論見はオーンにあっさり見抜かれてしまう。

 目には見えない風を操る秘術を体得しながらも、積極的に仕掛けてこない事からオーンはそう推測したのである。


「どうかな」


 ハディンはとぼけるが、ハッタリが通じる相手ではないとも理解している。

 オーンは槍を更に引き戻すと体を捻り、何もない空間を横に薙ぎ払った。すると何かが破裂したような音と共に、凪いでいた空間に風が巻き起こる。

 突然吹きつけた風にオーンのみならずハディンや、別の場所で戦っていたモゥスとロイも思わず動きを止めてしまった。


(ヤーラーレーター!)


 風の精霊の「ことば」を聞き、ハディンは思わず舌打ちする。

 オーンが振るった槍は、ハディンが仕掛けた空気の塊を一気に薙ぎ払ってしまったのである。突如として生じた風は、配置していた空気の塊が一斉に弾けた為に生じた爆風でもあった。

 振るった槍を構え直すと同時に、オーンは一気に踏み出し、稲妻のような刺突を繰り出す。それに対し、ハディンは握り込んでいた碧玉の粉を全て前方に投じた。

 パァンと弾ける音を立てて、オーンの刺突は空気の壁に阻まれるが、その衝撃を受けたハディンはバランスを崩して後ろに倒れ込んでしまう。

 幸いにして追撃は訪れなかったが、ハディンの秘術の媒体となる碧玉の粉はもう、指先に僅かに付着しているのみだ。もはや同じ強度の壁や空気の塊は生み出せない――それを悟り、ハディンの背を冷たい汗が伝う。


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「これは……実に対象的ですが、見応えのある試合ですね」


 その頃、闘技場の貴賓室では遠眼鏡越しに、四人の闘いを観戦しているすみれ色の髪の美少女の姿があった。櫂である。


「カイ様、どちらが勝つと思われますか?」


 侍女の問いかけに、櫂は細い顎に指を当ててしばし考え込む。

 その間も遠眼鏡を覗き込みながら、試合を観戦している。


「そうですね……試合の趨勢すうせいを見る限り、年配の騎士達に分がありそうなのは素人の私でも分かります。ただ……」


 櫂の視線は、レンズ越しにロイとハディンの二人に移る。

 得物をぶつけ合うだけでなく肉弾戦に移行したロイは、元来の体格差もあってかモゥスの攻撃を受ける機会が増えていく。

 対照的に睨み合うハディンとオーンだったが、一度体勢を崩したハディンとは裏腹に、オーンは微動だにせず次の攻撃の機会を伺っているように見えた。

 故に櫂の理性は年配の騎士達の勝利を半ば確信していた。しかし彼(女)の感情こころは、強者に果敢に挑み掛かる少年たちに傾きつつある。


「努力・友情・勝利――私の好きな言葉です。折角なので私は、あの若者たちを応援するとしましょう」




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