第34話 第五の勇者




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 開催を明日に控えた武闘大会を前に、かつての恩人との苦い再会を果たす櫂。

 その一方、予選大会では二人の少年が大番狂わせの快進撃を果たしていた。


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 闘神オスマンドの敗北。

 その一報は電の如き速さで、帝都を駆け巡った。

 彼を知る者は驚くと同時に闘神を打ち負かした相手の名に興味を寄せるが、それが名高き他の武芸者ではなく、聞いたこともない人間――それも十代前半の少年二人だと知らされると、闘神の敗北自体がデマではないかと疑ったと言う。


 しかし、実際の試合を目撃した者はこう語る。

 試合は二対二で行われ、闘神オスマンドは従者を連れて決勝に臨んでいた。

 従者とは言え、オスマンドが選別したその男は、並の武芸者では手も足も出ないほどの猛者である。

 その彼は試合開始直後、対戦相手の一人――銀髪の少年に挑みかかり、そして彼に拳の一発も当てることなく、全身を打ち据えられて沈んだ。

 一方、オスマンドは自分に立ち向かってきた赤土色の髪の少年を掴んでは投げ飛ばし、拳を当てて怯んだところを蹴り飛ばし、振り下ろされる木剣を巧みにさばいては痛烈な一撃をお返しする。

 誰の眼にも一方的な試合展開であり、あまりに絶望的な力の差に思わず目を逸らす者も少なくなかった。


 しかし、赤土色の髪の少年は手痛い攻撃を受けてもその度に立ち上がり、何度も格上の猛者に挑みかかったと言う。

 そして、その時は訪れた。

 赤土色の髪の少年が振り上げた木剣とオスマンドの拳が衝突した瞬間、岩を砕く大鎚に例えられる闘神の拳は弾かれ、虚を突かれたオスマンドの首筋に木剣が吸い込まれ――そして勝敗は決した。

 ほぼ無傷の敗者は満身創痍の勝者を称え、かくして奇跡の大番狂わせを起こした二人の少年は、武闘大会本戦に更なる注目と客足を呼び寄せることになるのだった。


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 建国祭、二日目の朝。

 帝都イーグレの西区に建つ円形の競技場は多数の観客でみっしり埋まり、場内に入れない人々は声だけ雰囲気だけでも味わいたいと、競技場を幾重にも取り囲むようにして集まっている。

 そんな連中の懐を当て込んだ商売人や博徒も威勢よく声を張り上げ、競技場はかつてない喧騒に包まれていた。


 一方、競技場内では外部の喧騒をよそに、おごそかに開会の式典が執り行われていた。

 帝国の国教である善心教の司祭から一本の剣を受け取るのは、白と赤を基調とした礼服をまとう美少女――透き通るような紅玉の髪を持つ、赤狼せきろう公国の公女マリアリガル・フォン・ヴェルアロート。

 大会の主催者でもあるマリアリガルは受け取った剣を、競技場の中央に置かれた舞台の中心に真っすぐに突き立てながら、


「偉大なる父祖よ、全てを慈しむ神母よ、そして三百年に渡る栄光と繁栄をお授けくださる御柱みはしらの主よ。

 始祖ディアルス帝が至尊の冠を戴いたこの日、四方よもより集いし心身健やかなる者たちが、己が武と技を御身らに捧げる事をここに誓います」


 凜とした声で、武闘大会の開催とその目的を朗々と宣言する。


「勇敢なる戦士、忠義の騎士、叡智を修めし学徒――あらゆる武技と競い合う者への敬意を以て、崇高たる存在へ奉納いたします」


 そう言ってマリアリガルは一度だけ剣の切っ先で舞台を叩いた後、円を描くように剣先を天へと向けた。


「さあ武闘の義に集いし者達よ! 祖と主と帝国に至高の武と技を捧げよ! ここに奉健武術・競闘大会の開幕を宣言する!」


 勇ましき少女の宣言を受け、競技場全体から「帝国万歳」の掛け声が湧き起こる。

 割れんばかりの掛け声は競技場の外に集まる者たちの耳にも響き、周囲はたちまち帝国を称える声と熱狂に包まれた。


「――はぁ、これは予想以上の盛り上がりですねぇ。五輪やスポーツの世界大会にも負けず劣らずと言うか、まぁどちらも参加した事ないんですけどね!」


 競技場の一画から、熱狂に包まれる場内を文字通り見下ろしているのは、すみれ色の髪と琥珀の瞳を持つ麗しき少女――櫂である。

 貴賓席と呼ばれ他の客席からは物理的にも隔てられたスペースの、更にその上層に設けられた部屋は他の客席から視覚的にも遮られており、王侯貴族のみが立ち入りを許される特別な部屋であった。

 櫂自身は「場違いも甚だしい」と恐縮していたが、優雅に髪を結わえ、淡い赤と紫に染められたドレスをまとい、豪華な装飾品をいくつも身につけた今の彼(女)は大貴族のご令嬢か、はたまた一国の姫君に間違われてもおかしくない美貌と気品を備えている。


「……ここが特等席なのは理解していますが、どうせならなるべくステージに近い席でペンライト振ってる方が性に合っているんですけどね」


 転生前の経験を踏まえて、退屈そうに息を吐く櫂に対し、


「私はここのほうが楽。カイは大人しくしていて」


 珍しく心情を吐露して口元に笑みを称えるのは、黒い制服と白いズボンで身を固めたエルナだった。

 いつもの黒一色の衣服と革製の装具は身に着けておらず、黒い髪も後ろで束ねられて耳元やうなじが露わになっている。

 櫂の護衛を担うのは変わらないが、この場では治安維持組織の局員としての肩書きを重んじているらしい。


「ですよね……分かってますよ、大会の最中は大人しくするとマリアや男爵閣下には誓いましたしね」


 それでも不満は消えないとばかりに、櫂は席の隣に置かれたテーブルの上から果実酒の入ったグラスを手にする。

 帝国の風習では嫁入り前の若い女性への飲酒は禁じられていたが、炭酸水で割ったものであれば「それは酒ではない」と見なされている。

 胃に流れ込む微量のアルコールで櫂の白い肌は赤く染まるが、櫂自身はこの程度では酔いもしなかった。


「ところでこの武闘大会とやらはどんなスケジュール……いえ、どのような日程になっているのですか?」


 櫂が訪ねたのは背後に立つエルナではなく、少し離れたところに控えていた長身の女性だった。

 質素だが品のある服装で、数人のメイドを従える彼女の名はヨアネ・ハルナタ。マリアリガルに仕える侍女の一人でもある。


「はい、武闘大会は今日一日と明日の午前に渡って行われます。本日はこれより奉納演武として我が赤狼公国の騎士たちの馬上試合と、有志による鷲獅子グリフォン退治が執り行われます」


「おお鷲獅子グリフォンですか! しかし退治と言う事は……複数人でそれと戦うのですか?」


「はい。これまで何頭もの鷲獅子グリフォンを退治してきた帝国騎士さまとその従者、そして魔導院の魔術師たちが鷲獅子退治に臨まれるそうです」


 詳しく説明しながらも、ヨアネの表情には僅かな憂いが宿っていた。彼女自身はこういった荒々しく血なまぐそい見せ物は好きではないようだ。

 かく言う櫂も鷲獅子という存在自体に憧れを抱いているため、遊興ゆうきょう目的で殺されてしまうと聞くと興奮より哀れみが勝ってしまうのだが……


(まぁ、私は所詮よそ者ですからね。手前勝手な価値観と感情で一概に否定するのは良くありません。それに人が死ぬのを見るのはもっと嫌ですしね?)


 この大会が建前の上では祭祀の一環である事は、マリアリガルが立てた開会宣言からも明らかだった。

 だとすれば鷲獅子と戦い、その命を観客の前で奪うのも、単なる見せ物以上の意味を有しているのだろう。

 そう考えて、櫂は何も言わずに見届けようと自分に言い聞かせた。


「そして午後からは、選抜された勇士たちによる勝ち抜き戦が開催され、本日の勝者二組が明日の準決勝に望み、勝ち残った一組がおひいさま――ああいえ公女殿下と戦うと聞いております」


「なるほど、お約束のトーナメント戦ですね! ちなみにそちらは人死などは出ません……よね?」


「え? ええ、もちろんですわ。実剣や魔術の使用は認可されておりますが、参加される方は何れも武芸を極めし御方ばかり。無様に負ける事だけでなく、勢い余って相手をあやめてしまうなど武芸者としてこの上ない恥辱となりましょう」


「良かった。そうですよね、江戸の御前試合とて基本は真剣禁止だったそうですし」


「……エド?」


 ヨアネは聞き慣れない名に首を傾げていたが、櫂は彼女の答えに胸を撫で下ろす。

 いくら本人が望んだ事とは言え、マリアリガルが見せ物として傷ついたり万が一にも殺されるのは見たくないし、何より実際の人間が殺し合う姿を娯楽として堂々と観賞するほど、この銀鷲帝国は野蛮な国ではないと信じたかったからだ。


「いえ、こちらの世界の話です。折角このような場に招いてもらった事ですし、観客は観客らしく楽しませてもらうとしましょうか」


 そう言って櫂は左手に棒の付いた遠眼鏡を持ち、右手には短いステッキを構える。

 ステッキは鮮やかな赤色の塗料で染められており、なぜかマリアリガルの名がそこに刻まれていた。


「……あの、カイ様? ご注文通りの物を用意させていただきましたが、そもそもこれは一体?」


 ヨアネが不思議そうに尋ねると、櫂は遠眼鏡を除きながら振り返り


「知りませんか? 現地参戦の必須アイテムですよ。アリーナならさておきスタジアムでは、これがないと推しの顔も見えませんしね」


「オシ……? ふふっ、でもこの杖を振っておひいさまを応援するのは楽しそうですわね」


「ええ、楽しいですよ。それに午後の勝ち抜き戦には、どのような猛者が登場するのかも楽しみですしね」


 気持ちを切り替えて、楽しむ準備を整えた櫂の視線の先では、陽光を反射して輝く鎧に身を固めた騎士たちの馬上試合が始まろうとしていた。


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「……痛ッ、まだ腫れは完全に引いてないみたいだ」


 脇腹の湿布を剥がしながら、赤土色の髪の少年――ロイは痛みに顔を顰める。

 闘神の拳を何発もその身に浴びただけでなく、堅い地面に幾度となく叩きつけられた彼の体には無数の痣や打ち身の炎症が残っていたが、その様子を眺めていたハディンは、肉体を容易に損壊するような攻撃であっても、痣や腫れ程度に留めてしまうロイの頑強さに改めて驚かされていた。


「――確か契約神能けいやくしんのうと言ったか? お前は肉や骨ではなく臓腑それ自体が特別なのだと」


「連合の盟主様の言葉か? ははっ、まさか俺にそんな大層な資質が備わっているなんて、今も信じられないよ」


 ロイは照れ臭そうに笑うが、ハディンはにこりとも笑わない。値踏みをするように、ただロイの肉体を眺めている。


「それより動きに支障はないだろうな? まさか闘神と正面から組みあうなど、お前がとうとうイカれたのかと思ったぞ僕は」


 ハディンが放つ言葉は紛れもなく非難でしかなかったが、ロイは申し訳なさそうに頭を掻くばかりで怒る様子も見せない。


「いや……だって、相手は俺なんか足元にも及ばない勇者の中の勇者だぞ? それが俺を対等の敵と見なしてくれたんだ。だったら正々堂々とやり合わないと、俺の心義しんぎもとる」


「何か心義だ、アホだお前は。勝たねばわざわざ帝都に来た意味を失うんだぞ?」


「うーん……俺はともかく、確かにハディンにとっては勝って結果を出すのが大事だもんな。――分かった、次の戦いはお前の作戦に従うよ」


「当たり前だ。ここからはお前の固い頭だけで勝てる様な相手じゃないからな」


 ロイから望んでいた言葉を引き出した後、ハディンは手にした藁草紙わらぞうしを彼に手渡す。

 ロイが黄ばんだその紙を広げると、そこには予選枠を勝ち取った二人の対戦相手の名前が記されていた。


「帝国五公家、ヴィフシュタイン家お抱えの騎士団――ビィス騎士団の双翼か。確かどちらも大道場の師範代なんだってな」


「ああ、つまり――こいつらを民の前で打ち負かしてやれば、


「……勝つこと前提なのかよ。でもまぁ――胸を借りるのは悪くない」


 まだあどけなさを残す顔にほむらのごとき闘志を湛え、ロイは立ち上がる。

 衣服を整えて革製の装具を身につけると、不意にハディンがその肩を叩く。


「謙虚なのは良いが、少しくらいは胸を張れ。あのいけ好かないも言っただろう、ロイ――お前は”第五の勇者”だと」


「――――ああ、そうだった」


 友からの激励を受け、ロイはその拳を強く握りしめる。

 二人の次なる戦いは間近に迫っていた。隣に並んで歩く同郷の友人と歩調を合わせ、”第五の勇者”は闘技の場へと向かう。

 その心の臓は逸る闘志をあらわすように、常ならざる速さで鼓動を刻んでいた。




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