第33話 開祭




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 彼(女)が銀鷲ぎんしゅう帝国の帝都イーグレを飛び出してから約一ヶ月。

 その間、東の諸国連合、三公国のひとつ赤狼公国を巡った櫂は、再び帝都イーグレの地を踏むことになる。


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 夏が終わり、暦の上でも秋の到来を告げる頃。銀鷲帝国の帝都イーグレでは、建国を祝う大祭『建国祭』が盛大に催される。

 帝国の始祖たるディアルス帝が戴冠たいかんした際、都の民に酒と食事を振る舞った逸話から始まった祝祭は、同時期に執り行われていた豊穣を祝い鎮魂を祈る祭祀さいしを取り込みながら、帝国臣民にとって最大の催事へと成長した。


 建国祭の初日、皇宮の一画で皇帝と皇后は祭祀に臨み、祖先の霊に護国を、御柱みはしらの主に豊穣を祈るのだが、一方で帝都の大通りでは訪れた者全てに果実酒とパンが振る舞われ、赤ら顔の老若男女が「帝国万歳」のかけ声と共に杯を傾ける光景が彼方此方あちこちで見られる。

 大通りを含む帝都の繁華街には無数の出店が立ち並び、東の諸国連合や海を隔てた海洋帯シーベルトからいつになく多くの人と物が流れ込み、帝都はかつてない賑わいに包まれていた。


 祭に浮かれるのは陸の上だけではない。帝都を二分する河川には無数の船が浮かび、船の上では楽器を手にした大道芸人の調べに合わせて、鮮やかな衣装をまとった舞姫が艶やかに舞い踊る。

 また帝国の伝説や伝承をモチーフにした装飾を施した観覧用の船も列を成し、その度に子供たちは歓声を挙げて手を振っていた。

 こうした催しは一日では終わらず、三日間に渡って続くのが建国祭の常である。

 初日は死者の鎮魂を願う慰霊の祭祀が執り行われるため比較的落ち着いてるが、 それ以降は特別な催しや公演が盛大に開催されるため、帝都は二日酔いを知らずに享楽の酒に酔う――とはある文筆家の評である。


 特に今年は帝都の西区に建つ円形の競技場にて、十数年ぶりに「奉健武術・競闘大会」略して「武闘大会」が開催されると言う事で、帝都の臣民だけでなく、それを目当てに帝都を訪れる者が多数現れるほど、人々の関心を集めていた。

 何しろ此度の武闘大会には、たったの一人で諸国連合と赤狼公国の軍事衝突を終わらせたと、実しやかに噂される謎の美女「カイ」が、優勝者の前にだけその姿を見せると噂されていたのだから。


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「久しぶりだなカイ。ふむ、また一段と美しくなったようだ」


 武闘大会の開催を直前に控えた、円形競技場の一画。

 貴賓席と呼ばれるフロアで櫂を出迎えたのは、顔付きも体格も精悍の一言に尽きる壮年の男性だった。

 両手を広げ、娘以上に歳の離れた少女に笑顔を向けてはいたが、その姿を目にした櫂は一瞬にして顔を凍りつかせてしまう。


「だ、男爵閣下……」


 壮年の男性は名をアルマン・ド・ランスカーク男爵といい、帝国の北西部に領地を持つ貴族である。

 櫂にとってはこの世界に転生した際に世話になった恩人である一方、自分を皇太子の妾にしようと画策した事から、一芝居打って帝都を逐電する事を決めた元凶でもあった。

 つまり今の櫂にとっては最も顔を合わせたくなかった人物であり、櫂は気まずさのあまり、挨拶を返す事も忘れてしまう。


「あぁランスカーク男爵! 誉れ高き帝室武芸師範たる貴方とこうしてお会いできるなんて、夢のようですわ」


 一方、櫂を連れて貴賓席を訪れたマリアリガルは、海のように深い碧眼を輝かせながら男爵に一礼した。


「身に余るお言葉、恐悦至極に存じます公女殿下。しかし武芸師範とは過去の話、今はただの田舎貴族に過ぎませぬ」


「まぁご謙遜を。帝都がこうして建国祭にのも、男爵のおかげだと聞いております」


 マリアリガルの賛辞は決して社交辞令だけではない。

 ランスカーク男爵は現在、帝都の治安維持に於ける最高責任者であり、彼の名ひとつで無数の犯罪組織や各国の諜報機関が息を潜めるようになったと囁かれたのは、決して誇張などではなかった。


「いえ、全ては帝都の平穏のため、陰に日向に尽くす局員の功績にございます。それに――エルナ、今までよくぞカイを護ってくれた」


 男爵が櫂の背後に控えていた黒尽くめの少女に声をかけると、エルナ・ヴォルフは一瞬にして直立不動の姿勢を取り、胸の前で握った両手を重ねる。

 これは彼女が所属する治安維持組織における敬礼であり、立場上、男爵はエルナの上司に相当していたのである。


で迷惑をかけるだろうが、これからもカイを護ってくれ」


 男爵の労いの言葉にエルナは深く頷く。

 一方「お転婆」呼ばわりされた櫂は、その物言いが自分に対する痛烈な皮肉だと気付かされ、愛想笑いを浮べようにも失敗して、顔を引きつらせていた。


(……この様子だと私が騙った身の上や、狂言誘拐の件は全てバレていてもおかしくはありませんね。ここは真っ先に土下座もとい謝罪するべき場面でしょうか?)


 何しろ自分は恩人の顔に泥を塗るような真似をして帝都を逃げた挙句、それを口実として国家間の武力衝突まで引き起こした元凶なのだ。

 こうして男爵と鉢合わせた事で、櫂が抱え込んでいた後ろめたさは彼(女)を激しく動揺させたのだが――


「だが安心した。こうしてことを公女殿下と御柱の主に感謝せねばな」


 そう言って男爵は胸の前でくるりと円を描いた。帝国の国教である善心教において、それは主神への感謝を示す祈りの動作であった。

 傍から見れば何でもない言動に思えるが、櫂にしてみれば「お前の吐いた嘘を暴くつもりはない」と暗に告げられたも同然であり、櫂は少しだけ胸を撫で下ろす。


(……まぁ、これは男爵閣下の恩情と言うより、釘を刺さされたと考えるべきでしょうね)


 男爵は国政を左右する様な大貴族ではないが、皇太子のみならず大公家の人間からも一目置かれるほどの人物である。

 自分ごときがその場凌ぎで立てた企みなど、容易く喝破されて当然だと櫂は自分に言い聞かせ――そしてドレスの裾を掴み、彼に一礼した。


「私も、再び閣下にお会いする事ができて嬉しく思います。建国祭の間、どうぞよろしくお願い致します」


 そもそも櫂がこうして武闘大会の会場を訪れたのは、主催者であるマリアリガルの客人――と言う建前であり、この場の主役は櫂ではなく、マリアリガルとランスクカーク男爵の二人であった。


「カイ――いやカイ様、どうぞ面を上げてくだされ。赤狼大公家の公女殿下のご友人とあらば、我ら一同、一命を賭してお守り申しげます」


 これまでの親しげな口調から一転し、男爵は改めてカイを帝国の客人として迎え入れる。

 マリアリガルは泰然としていたが、身元も身分も定かでない根無し草の自分が、何時しか正真正銘の貴族に礼を尽くされる立場になっていた事に、櫂はただただ驚かされた。


(……なるほど、マリアの後ろ盾を得られるとはこう言う事なのですね。建前とは言ってましたが、それでも私などには勿体ないくらいの厚遇ですね……)


 これまで地位や名声とは無縁の人生を送ってきただけに、櫂は地位や名声の影響力に戸惑ってしまう。


「男爵、会場の警備と運営は全て我らにお任せください。しかし――ここは銀鷲のみかどのお膝元、もしもの際には貴方の指揮に従う事をお約束いたします」


「御意に、殿下」


 武闘大会の運営と会場の警備は主催者たるマリアリガルもとい赤狼公国軍が担当するが、そもそもこの帝都の治安維持は男爵に任されていた。

 時には暴力も辞さない権限を持つ組織が同じ場所に複数存在するのは、それだけで不和と混乱の呼び水となる。だからこそマリアリガルは男爵をこの場に招き、最終的な権限はどちらにあるのかを明確にしたのである。


(つまりは挨拶をして相手の顔を立てる――異なる世界とは言え、面子を重んじるのが政治の基本なのは変わらないのですね)


 転生前のサラリーマン業を思い出し、櫂は一人頷いていた。


「さてカイ様、明日と明後日はここで武闘大会を心ゆくまでご覧あそばせ。何か用があれば侍女にお言いつけください」


「ありがとうございます。ちなみにこの部屋を出て、町へと遊びに繰り出すと言うのは――」


 恐る恐る櫂が問いかけると、マリアリガルも警備の責任者である男爵も、何も答えずにただにこりと笑う。


「……分かりました、大人しくしています。しかし今日は顔見せだけなのですか? 競技場も設営だけで予選なんかも行われていないようですし……」


 櫂の指摘通り、競技場の各所では明日から始まる大会に向けて、急ピッチで設営が行われていたが、大会に出場すると思わしき人間はどこにも見当たらなかった。


「カイ様、建国祭の初日は精霊を送り出し、慰霊と鎮魂を祈る日でもあります。ですから祭祀を除いた催しは二日目からが本番なのですわ」


「なるほど、建国祭とやらは時期的にのようなものなのですね。では予選も今日は行われてないと」


 するとマリアリガルは首を横に振り、貴賓席のガラス張りの窓から、南の方角を指し示した。


「いいえ、予選は帝都の外――城壁の周囲で行われている筈です。そこを勝ち抜いた者達が、明日は様々な競技に参加するのです」



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 帝都イーグレの象徴でもある二重の城壁。白亜の城壁の周囲には、街道沿いに様々な人や施設が寄り集まって一つの町を形成している。

 マリアリガルの言う通り、その一角で武闘大会の参加者を決定する予選大会が、今正に決勝戦を迎えていた。

 高名な武芸者や騎士に傭兵といった名声に因る招待枠ではなく、身分を問わない実力が全ての一般枠は、一獲千金や名を売ろうと目論むあらくれ者達の修羅場でもある。


 木の柵と縄だけで区切られた円形の闘技場では、最後の出場枠をかけた戦いが始まろうとしていた。

 酒を手にした見物客の中には、派手な衣装をまとった貴族や、見るからに屈強な武芸者たちも混じっており、見せ物としての側面が強い本戦とは異なり、この予選こそが真なる武闘大会だと考えている者は少なくない。


「――おい、嘘だろ? まさかアークルとジャスワンが敗退するなんて……どちらもアルマリカ流の免許皆伝者だぞ」


「ケッ、剣聖だか何だか知らねえがカビの生えた剣術なんぞ、実戦では何の役にも立たないんだろうよ。俺はよぉ、あのガキどもを応援しているぜ!」


「お前が期待しているのは掛け金だけだろ。まぐれか実力か知らんが、あんな子供がオスマンドに勝てる訳ねぇだろ」


 血なまぐさい戦いと賭けに興じる見物客の声は、今年はまた一段と賑わしい。

 しかしそれもその筈で、最後の出場枠をかけたこの決勝戦に於いて、誰もが予想だにしなかった大番狂わせが発生したからだ。

 闘神の異名を持つ海洋帯出身の闘士オスマンド。

 大陸各地の武闘大会で何度も優勝してきた彼と、嘆きの剣聖と呼ばれた武芸者が創設したアルマリカ流の師範二人の対決は予選大会の目玉でもあったが、後者は準決勝でなんと十代の少年二人に敗北してしまったのである。


 並の人間を遥かに超える背丈と、筋肉で張り詰めた長い手足で、戦う前から相手を圧倒するオスマンドに対峙するのは、冷たく愛想のない顔をした銀髪の少年と、人好きのする赤土色の髪をした少年二人だった。

 同年代で比較すれば体格的には恵まれているが、オスマンドの前では子供にしか見えない少年達はしかし、ふてぶてしいほどの余裕に見せている。


「正念場だぞロイ、いや――気負うのはお前ではなく、僕のほうか」


「なんだハディン。天才のお前が珍しく弱気になってるのか? 俺はともかくお前が負けるなんて予想もできないな」


 ロイと呼ばれる髪も眼も赤い少年が笑うと、ハディンと呼ばれる銀髪の美少年は「ふん」と不満そうに鼻を鳴らす。


「それはこちらの台詞だ。さぁロイ――いくぞ、相手は闘神オスマンド。気を抜けば僕達に未来はない」


 ハディンは二本だけ指の部分を切り抜いた手袋を付け、ロイは木製の直剣を肩より上に構える。

 一方、自分よりもずっとあどけない若者二人に対し、オスマンドは腰を落とし、その腕をわずかに前に伸ばす。

 これまで数多くの猛者を倒し、一切の油断も手加減も許さない必勝の構えに、見物客たちは酒で軽くなった口をそろって閉じ、固唾を飲んで試合の行方を見届けようとしている。

 張り詰めた空気は周囲から音を奪い、鳴り響く鐘の音だけがその場にいた男達の耳を打つ。


 そして――彼らは知る事になる。

 北より来る少年の一人、カルダモ荘のロイこそは、後に『勇者』と呼ばれる歴史の寵児である事を。




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