第32話 お金ですわ
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
しかしそこで開催される武闘大会において、何故か自分が優勝賞品にされている事を、櫂は主催者であるマリアリガルから告げられるのであった。
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「――どういうことですか、マリア?」
櫂の
あどけなさを残してはいるものの、容姿が端麗であればあるほど、内に秘めた感情は鮮明に現れる。
要するに今の櫂は、もの凄く恐い顔をしていた。
「ああ、そんな目で見ないでくださいカイ様……わたくし、新たな快感に目覚め――もとい悲しくなってしまいますわ」
「貴女の性癖開花はどうでも良いのです。それより説明してください。どうして私が武闘大会の賞品にされているのです?」
櫂にとっては寝耳に水の報告であり、仮に事前に打診されていたとしても櫂には承諾する気はなかった。
全てはマリアリガルの独断であろうが、分からないのはその理由である。
「ご安心くださいカイ様。いくらわたくしが公女とは言え、大会の賞品としてうら若き乙女を優勝者に宛がうなど許される事ではありません」
「なるほど、必要最低限の倫理観だけは捨てていなかったのですね」
「なので、匂わせる程度に留めておきましたわ♥」
「ダメでした、この公女!」
どうやら櫂を武闘大会の賞品にする事は既定路線であり、明言は避けつつも広く宣伝しているらしい。
しかも、そこまでしておいて本人は全く悪びれていないと来た。
「外堀を埋めておいたからには、せめて理由くらい話していただけますよね?」
「もちろんですわ。全てはそう――わたくしとカイ様の為なのです」
眼を閉じ、歌うように語り出すマリアリガル。
その芝居がかった振る舞いを見るに、櫂が不満を露わにしても彼女は全く動じていないらしい。
「カイ様は今や帝国はおろか、諸国連合や海洋帯にまで名が知られるようになった御方。その正体を探り、あわよくば強引にでも手に入れようとする不届き者の数は十や百ではないでしょう。
そ・こ・で・カイ様は赤狼大公家とは縁深く、公女たるわたくしが後見人であると広く知らしめるのに、此度の武闘大会は格好の機会だと考えたのです」
「……なるほど、つまり私は身分を保証され、マリアは私を大公家に引き入れる。それが互いの利益になると言うのですね?」
「ええ、流石はカイ様。話が早くて助かります」
「それは建前として、本音は何ですか?」
「お金ですわ」
マリアリガルはあっさり白状した。櫂が方便を見抜くことを最初から想定していたに違いない。
「お金ですか……あ、まさか武闘大会を開催したそもそもの原因は、先日の出兵だったりします?」
「ふふ、その通りですわ」
マリアリガルの意図を察すると同時に、櫂はバツの悪そうな表情を浮かべ、マリアリガルは反対に満面の笑みを浮べる。
「そもそも軍隊と言うのは、国家経営においては大変な金食い虫ですし、二千人もの兵を動員して軍事行動を起こすとなれば、膨大な額のお金が一日単位で消えていくものです。
特に今回は損害こそほぼ皆無でしたが、その代わりに何も奪え――いえ戦果を挙げられませんでしたし」
それが誰の所為であるのかをマリアリガルは口にしなかったが、櫂は気まずそうにマリアリガルから視線を逸らしてしまう。
何故なら櫂こそは、半月ほど前にマリアリガルと決闘し、その勝利を以て赤狼公国軍に都市国家アーチへの侵攻を思い留まらせた張本人なのだから。
戦争は回避され、攻め込んだ側も攻め込まれた側も人の命こそ奪われなかったが、双方に生じた経済的な損失は決して安くはない。
それを改めて告げられた櫂は後ろめたさに
「更に付け加えますと、一月ほどの軍事活動を想定して買い集めた糧食も、このままでは倉庫で腐らせてしまいますので――血沸き肉躍る催事の
マリアリガルが説明した真意は極めて現実的であり、それ故に櫂は何も言えなくなってしまう。
櫂自身、転生前は一企業のサラリーマンであった事から、身も蓋もないお金の話を、卑しいとは決して考えなかった。
加えて、公国に損失をもたらしたのは他ならぬ自分自身である、と言う負い目を抱えていたのだから。
「つまり大会を確実に成功させるために、私の名と存在を最大限に利用したいと言う事ですね? 大会の参加者だけでなく観客も呼び込めると期待して」
「はい、ですが……これだけは信じてください。
わたくしはカイ様のご意思を
大会への出場を宣言し、自らの胸を叩くマリアリガル。
驚きの声が複数上がったのは言うまでもない。
「殿下が!? ま、魔導院としてもそれは初耳なのですがー!?」
真っ先に驚愕したのは自称錬金術のベルタであった。
マリアリガルは赤狼公国の公女であるだけでなく、「帝国最強」の二つ名を授かった魔法使いでもある。
従って彼女の動向は、ベルタが所属する帝国魔導院と無関係ではいられない。
「ええ、今ここで初めて打ち明けましたもの。ちょうどベルタも遊びに来てくれたから絶好の機会だと思いまして」
「えぇ…………」
口調から態度まで気楽なマリアリガルとは対照的に、ベルタはその顔を引き攣らせている。魔導院はあくまで国家ではなく研究を主体とした組織であるが、そこに所属する人物が催事とは言え魔法を披露するとなれば、当然内部からは非難の声が上がり、世間的にも快い反応ばかりではないだろう。
(……あぁ、あれは見覚えがありますね。社長が適当な思い付きで何かを始めたら、それに伴う煩雑な事務と擦り合わせと苦情対応を押し付けられると悟った、事務課の人達の顔です)
櫂は転生前の経験からベルタに深く同情しつつ、マリアリガルのこれまでの発言に考えを巡らせる。
(マリアが武闘大会でひと稼ぎする為に、私を客寄せパンダとして利用しようと言うのであれば、もちろん良い気はしませんよね。
ただ……自分も大会に参加すると宣言したのですから、私と言う「賞品」を誰かに手渡すつもりがないと言うのは本音なのかもしれません。
心の
それでも勝手に客寄せに使われ、しかも自分の負い目に付け込んでくるような言い分には櫂とて納得がいかない。
以前のように、この城館ひいては赤狼公国を出奔してやろうかと言う考えが、ふと脳裏を
(……いやいや、それで何が起きたかを忘れたわけではないですよね、私?)
狂言誘拐まで起こして出奔した事がきっかけとなり、あわや戦争を引き起こしかけた苦い経験を思い出し、櫂はすぐに思いとどまった。
「――わかりました。今回は大人しく従うとしましょう」
溜息交じりに櫂は首を縦に振った。
ベルタだけでなく離れた場所で話を聞いていたミカゲやエルナも、櫂がマリアリガルの企みにあっさり折れた事に驚いていたが……
「――え? 宜しいのですか?」
最も驚いていたのは、当のマリアリガル本人であった。
「どうしてそこでマリアが驚くのですか? 最初から有無を言わさずに私を客寄せに使う気だったのでしょう?」
「そのような礼を失した待遇ではありませんでしたが、カイ様の事ですから、ご不興を買われた途端に逃げ出してもおかしくないとは、わたくし考えていましたわ」
だから館の周囲を手練れの騎士で固め、関所にも触れを出していたと、マリアリガルはこれまた悪気の無い態度で白状した。
「やはり手を打っていたのですね……
まぁ、私も先の一件は流石に反省しているのですよ。それにマリアが私の身を案じてくれたのは嘘だとも言い切れないですし」
そう言って、櫂は照れ臭そうに頬を掻く。
「カイ様……ええもちろんですわ! わたくしがきっちりかっちり優勝してみせますので、どうぞ応援してくださいませ♪」
その調子の良さに嫌みの一つや二つも言いたくはなったが、笑顔で自分の為に勝利を誓う(精神的に)年下の少女の前では、櫂はどうしても毒気を抜かれてしまう。
彼女やこの国が受けた損失について負い目があるのは確かだが、櫂がマリアリガルの計略に逆らわなかった理由はそれだけではない。
(……まぁ、今は成り行きに身をまかせながら、じっくりと考えるとしましょう)
小さな冒険の旅を終えてから、自分の心にぽっかりと開いてしまった寄る辺の無い寂しさ。そして新たな生活の指針が見つからない事への漠然とした不安は、不可視の枷となって櫂の脚を止めていたのである。
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――同刻、極北の地。
「何が起きたと言うのだ……」
長く艶やかな髭を蓄えたその男は、集落の惨状に言葉を失っていた。
騎馬民族の末裔であり、五湖連合の一画を成す王でもある彼は、これまで両手の指では足りないほどの戦乱を経験してきた。
仮に一つの集落がまるごと焼き払われ、民が屍となって無残な姿を晒していたとしても、部下の前では決して動揺を見せなかったに違いない。
しかし今――目の前に広がる光景は、彼ですら経験した事のない、極めて異質な惨状であった。
「おお陛下……よくぞ、こんな僻地にまで足を運んでくださいました……」
荘園の領主である男が慌てて駆け寄り、伏せる様にして地面に額を付ける。
「顔を上げよ。何が起きたのか詳しく申せ」
「ははっ――今より三日ほど前の話になります。
突如として雷とも雹とも異なる何かが天より降り注ぎ、立ち寄られていた将軍様や兵士だけでなく、この集落ごと貫いたのです」
本来なら謁見すら叶わない王と言葉を交わす緊張に加え、自身と領地に降りかかった未曾有の衝撃と恐怖が、領主の声を聞き苦しいほど震わせていた。
王が報告を受けながら周囲を見渡すと、無数の家や庫、そして巨大な風車が、鼠にでも齧られたかのように、穴だらけになっているのが分かる。
領主の言葉通り、天から降り注いだものに人も建物も土地も、その
「陛下、これはもしかして……」
王の腹心たる武将が馬を寄せ、ある想像に眉根を寄せる。
「ああ、間違いないだろう。‟北の勇者”の仕業よ」
領主の耳にもその言葉は届いていたが、彼は特に何の反応も示さない。
しかしこうして軍を引き連れ、自ら見分に訪れた王にとって、その言葉は到底無視できない重みを有していた。
「領主よ、そ奴らはどこへ向かった」
王の問いかけに、領主は指を向けて南方に
その彼方には何処までも広がる大草原と、肥沃な土地で栄えた大国の領土が広がっている。
「はっきりと目にしたわけではありません。ですが生き残った者達は口々に言っておりました。その者達は南――ええ、帝国の方へと向かったそうです」
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