第30話 魔法使いタイ!




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 公都アルテンヴォルクに逗留とうりゅう中の櫂は、自らの身の振り方について悩みを抱えていた。さりとて答えはすぐには見つからず、迷いそれ自体を忘れるために櫂は「魔法」について学ぶことを決めた。


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「どうもです~。帝国魔導院のほうから来ました、錬金術師のベルタと言います~」


 マリアリガルの紹介から三日後、彼女が住まい、櫂たちが逗留している城館を訪れたのは、明るいだいだい色の髪を左右で編んだ小柄な少女だった。

 歳は櫂たちと同じ十代前半くらいだろうか。

 体のラインが出ない貫頭衣をまとい、背は猫背気味で実際の数値よりも小さく見える分、顔にかけた眼鏡の大きさが際立っている。

 しかし彼女を最も印象付けたのは、そうした外観ではなく、やけに間延びした低めの声であった。


(……妙ですね。彼女とは完全に初対面なのに、何故か実家に帰った時のような安心感を覚えます)


 櫂はそんなベルタに強い既視感と、根拠のない安堵を抱いている事に気付く。

 しかしその理由をうまく表現できないため、黙って彼女の話に耳を傾けていた。


「それにしても~まさか噂の『カイ』様がこんなにもお美しく、可愛らしい乙女だったとは……はふぅ~眼福ですな~♥」


 目を細め、じっとりした視線を櫂に向けるベルタ。不躾ぶしつけではあったが、櫂は不思議とその湿度を不快には感じなかった。


「ええ、そうでしょうベルタさん? 次のサロンの集いには是非是非、カイ様を主役にして赤い髪の姫君との燃えるようなロマンスを……」


「あー……それはジャンル違いと言いますか~。全員男性にして良いなら筆も進むのですけど~」


(あ……分かっちゃいました!)


 マリアリガルとベルタのやり取りを目撃した瞬間、あるひらめきがピースとなって、櫂がベルタに覚えていた感覚がその正体を名乗り上げる。


「……ベルタさんで宜しいですか? BLボーイズラブ、お好きなのですか?」


 櫂がそう問いかけると、しまりのない笑みを浮べていたベルタの顔は一瞬にして凍結してしまった。


「――な、なななななななななななな、なぜその言葉を知っているのですか~⁉」


 盛大に取り乱すベルタを見て、同席していたマリアリガルや離れた場所でくつろいでいたミカゲも首を傾げるが、櫂だけは「やはり」と口元に笑みを浮べる。


「“ボーイズラブ”? 聞き慣れない響きですけれど、ベルタさん、それはわたくしの知らない‟力ある言葉スペルワード”なのかしら?」


「え、えぇ……まぁその、ある意味で力ある言葉パワーワードと言いますかジャンルと言いますか……も、もしかしてカイ様も同好の志なのでしょうか!」


「いえ、私は純愛系おにロリの信者ですから(※18禁が嫌とは言っていない)。まぁでも貴女の好きなジャンルを私は尊重しますよ」


「おぉ……言葉の意味はよく分かりませんが、言いたい事は完全に理解できます~。嬉しいです~まさかカイ様が我らの同類だったとは……」


「ふふっ、世界は異なれどオタクの生き様は変えられませんからね。ちなみに壁サーと言うからには即売会でもやっているんですか?」


「…………そくばい、かい?」


 異なる世界の文化で通じ合う櫂とベルタであったが、全てが通じ合ったわけではなく、「即売会」など聞いた事もないとベルタは首を横に振った。

 その後、ベルタとマリアリガルが櫂に説明したのは、『薔薇戎字ばらじゅうじ文芸サロン』なる集まりであった。

 『薔薇戎字文芸サロン』とは、かつて帝国に現れた‟異邦人エトランゼ”の女性が立ち上げた、女性の女性による女性の為の文芸を披露しあうサロンである。

 それまでは日記か古典的なロマンスしか存在しなかった世界に、‟異邦人エトランゼ”の女性が持ち込んだ男性同士の燃える様な情愛の物語は、たちまち多くの女性を虜にしたと言う。


「ええ、ベルタさんがお書きになる物語は、古今東西の見目麗しい英雄豪傑たちの、血のように濃く熾火のように燻ぶる熱情のストーリーなのですわ!

 ちょっと距離が近すぎません? などと感じることもありますが、それだけ男性として魅力的である事の証左なのでしょう」


「あ、あはは……過分なお言葉をどうもです~殿下~」


 尤もマリアリガルに至っては、ベルタの愛好するジャンルを別の文脈で受け止めている様だが。

 ちなみに「壁サー」とは、サロンの創始者である‟異邦人エトランゼ”の女性が「ま、まぁこれでも異世界に来るまでは私、いちおう壁サーの常連だったし?」と、微妙に腰の引けた自慢を繰り返していた事で、サロンの中で人気のある作品を書く者に「壁サー」の名が冠されるようになったらしい。

 本当の意味は誰も知らないまま。


「そ、それよりカイ様、いえカイ殿は確か『魔法』についてお知りになりたいと?」


 脱線した話を強引に戻したベルタに、櫂は「ええ」と頷く。その琥珀色の瞳は期待で宝石のように輝いていた。


「……そうですか~、私は魔法使いじゃなくて錬金術師なんですけど、まぁ概要くらいならばお教えしますね~」


 そう言って、ベルタは肩に下げていた鞄から一枚の板を取り出す。そして白墨チョークに似た白い石で、そこに字や図形を書き始めた。


「まぁ一言で言いますと『魔法』とは――です」


「え? 貴女もですか? ……いえ、違いますね。これは『定義も分類もできないが確かに在る』と言う意味での『よく分からないもの』なんですね?」


「はい~、その通りです~」


 教師が極めて出来の良い生徒を誉める様に、ベルタは気持ち良さそうに頷く。


「もともと魔導院とは神秘や未知の事物を蒐集・保管・分析するための組織でした。

 東の連合ではその過程で『四方六道しほうりくどう』なる魔術体系を設立しましたが、帝国はまぁその~……危険だし、から、とりあえず回収して封印しておく路線に進んでいったのですね~」


「魔」という字が付けられたのは、それが理由だとベルタは説明した。


「私も普段は依頼を受けてあちこちに赴き、神秘かそうでないかの分析や鑑定を行うのが仕事なんです~。

 その際にカイ殿のように興味を示す方にご指南したり、あるいは力や技術の使い方を伝えたりしているので『魔導師』と呼ばれるわけです~。まぁ本当は錬金術師なんですけど」


「なるほど、しかし神秘の真贋とやらはどうやって判別するのですか? あ……もしかして」


 櫂は途中で何かに気付き、もう一度板に記された「魔法=よく分からないもの」という記述に目を向ける。


「はいはい、そうです~。我々魔導院が100年に渡って蒐集した知識や様々な文献を当たった上で、該当するものや記載がなく、本当によく分からないものだけを『魔法』と認定しています」


「だから『よく分からないもの』としか言えないのですね……」


 櫂は納得すると同時に、マリアリガルの方を向いて問いかける。


「ではマリアの光の盾や炎のつぶてを飛ばすのは、過去にも例がなく、何でそうなるかも分からない現象と判断されたのですか?」


「ええ、そうですわ。最も紅玉の魔法については、昔から我が家に引き継がれてきた二本の杖が無ければ使えないので、神秘と認定されたのは杖に備え付けられた紅玉の方ですけど」


 櫂はマリアリガルの回答を受け、憧れていた魔法がこの世界では大変に希少かつ、学んだところで得られそうにもない奇跡だと思い知らされ、小さく溜息を吐いた。


(私も魔法を使ってみたかったんですけどね……。

 でも私にできる事と言えば、人間離れした加速力と一撃必殺の攻撃と、あと何故か裸になる瞬間移動の‟超能スキル”だけ……いえ、待ってください)


 自問自答する中で疑問が浮かび、櫂はベルタに‟超能スキル”とは何かと問いかけた。


「‟超能スキル”ですか! はぁ~これは悩ましいです。

 魔導院としては一応『肉体や魂に紐づけられた超常能力』と定義していますが、実態はよく分からない事が多いのです~。

 厳密には魔法か‟超能スキル”か明確に区別できる例は少ないですが……ただ一点だけが違います」


 そう言うとベルタは、今度は鞄の中から部厚い辞書のような本を取り出した。

 革張りの表紙には『御柱みはしらの遣いたち』と記されている。


「100年以上前、この世界に度々降臨されたと言われる‟御柱の遣い”。達が有していたとされる超常の力――それこそが‟超能スキル”なのです」


 ベルタが本を開き、凄まじい速さで目的のページを探し出す。

 そこには顔の半分以外が黒い布で覆われた人物の絵と、彼女について記した記述があった。


「カイ様の‟超能スキル”は‟御柱の遣い”の第十四柱――『死の影タナトス』さまの力とよく似ていますね~。

 この大典によると『死の影タナトス』さまは目に見えない速さで悪しき者に近付き、どんな猛者だろうと一撃で葬る暗殺者のような御遣いだったようです。

 例え敵に囲まれ牢に囚われたとしても、のように別の場所に瞬時に逃れていたとか」


「……完全に私じゃないですか。なるほど、超常の力であっても、それが知識や記録として残されたものに酷似していれば、それを‟超能スキル”と判別するのですね」


「概ねそんなところです。ちなみにこれは自慢じゃないんですけど~、私のご先祖様はこの御方なんですよ~♪」


 自慢でないと前置きなかせらも、敬意と優越に満ちた顔でベルタは大典のページをめくる。

 ‟御柱の遣い”の第三十三柱――錬金術師ベルタ。

 目の前のベルタと同じように眼鏡をかけた若い女性であるが、異なるのは短いその髪と、球体を繋げたような謎の人型が一緒に描かれている点だった。


「魔導院の母体となる組織と理念を生み出したのが、この初代様でして~。

 それ以来、我が家は初代様の名を受け継ぎながら、魔導院の運営に関与しているのですね~えっへっへ」


 ベルタは得意げに笑うが、その功績によりベルタの家系は高貴な血を引いていないにも関わらず、帝国では大貴族とほぼ同格に扱われていた。


「――なるほど‟超能スキル”と魔法の違いについては理解しました。他にも色々と知りたいところではありますが……」


 そこで言葉を切った櫂は、マリアリガルにそっと目配せをする。すると彼女は控えていた侍女に昼食を用意する様に命じた。

 それを確認した櫂は、後ろと前からほぼ同時に聞こえてきた虫の鳴き声に対し、聞こえなかったふりをしていた。

 昼食は豪華ながらも手で掴んで食べられる様な軽食が中心で、その間も櫂はベルタから魔法やこの世界の神秘について学んでいく。


 そんな時であった。

 マリアリガルの執事が部屋を訪れ、彼女の耳元で何かを報告をする。

 するとマリアリガルは花が咲いたかのように顔を綻ばせ、その場で寛ぐ櫂たちに向けて声を張り上げた。


「カイ様、皆様、聞いてくださいませ! 来週は――お祭りですわよ!!」






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