第29話 全然全くこれっぽっちも分かりません




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 赤狼せきろう公国の公女を説得(物理)し、都市国家アーチの守備隊を魅了した事で国家間の戦争を未然に防いだ櫂はその後、公女マリアリガルと共に赤狼公国の公都アルテンヴォルクに向かうのであった。



 赤狼公国の公都アルテンヴォルク。

 西の銀鷲ぎんしゅう帝国と東の諸国連合と言う、大陸有数の二大国家を繋ぐ街道沿いに拓かれた、比較的小規模な都市である。

 整備された広い街道から枝分かれするように伸びた無数の脇道には、白い壁と赤銅色のタイルで統一された家屋が、身を寄せ合うようにして並んでいる。

 しかし街道を行き交う人々の活気に満ちた様子は、この小さな都市が大陸有数の商業都市でもある事を如実に物語っていた。


 街道沿いには帝国、諸国連合、果ては海洋帯シーベルトと呼ばれる南洋諸国が出資する銀行が立ち並び、旅人や行商のための宿や歓楽施設の数は大陸一とも言われている。

 過酷な旅の疲れと寂しさを癒すには、古来より女と酒は欠かせない。

 その証拠に、アルテンヴォルクのとある酒場は昼間だと言うのにほぼ満席で、酒のさかなとして各地の様々な世情や噂が無責任に飛び交っていた。


 その中でも最も酔客の耳目を奪うのは、数日前に起きた赤狼公国と都市国家アーチの軍事的衝突である。

 幸いにして戦争には至らなかったものの、アーチは赤狼公国に賠償を求め、赤狼公国もまた対立の激化を望まない宗主国――銀鷲帝国の顔色を伺い、交渉に応じる構えを見せていた。

 従って賠償の額によっては商売の流れが変わるかもしれない――と言うのは話のまくらに過ぎず、酒が回れば回るほど人々の口に上るのは、国家間の激突を未然に防いだと言う謎の美女『カイ』の噂であった。


「おい聞いたか、何でも『カイ』って女が我らが公女様をたぶらかし、たった一日で軍を退き上げさせたそうだぜ?」


「実は連合の間者だと聞いたぞ? 聞けば連合でも老いた豪族や未亡人に取り入って、次々と破滅に追いやる魔性らしい」


「男も女も手玉に取るとか、どれほどの美貌なんでしょうね。いやはや一度拝んでみたいものです」


「いやいや、ただの美人じゃそうもいかねぇ。ここだけの話だが……『カイ』って女は男を咥えこんだら離さないくらいの淫婦なんだとさ」


 謎の美女『カイ』の噂はたったの数日で公国のみならず帝国や連合にも広まり、その名を騙る詐欺師まで現れるほどの熱狂ぶりであった――



「――だそうよ、謎の美女さん?」


 説明を終えた後、可笑しくてたまらないと口元を抑える猫耳少女――ミカゲ・アゲハのからかいに、櫂は溜息を吐く。


「……まぁ戦争を引き起こした悪女でないだけマシとしましょう。

 ネットのないこの異世界では人相バレの心配もありませんし、何より噂の中で私は妖艶な美女だと思われているようですしね?」


 だから気にはならないと強がりながら、櫂は自分の背後に目を向ける。

 ここは豪奢な内装を誇る城館の一画。貴人がくつろぐ応接間であった。

 そこには彼(女)の長く美しいすみれ色の髪を手に取り、慣れた手つきで三つ編みにしている少女の姿がある。

 透き通るような紅玉色の髪を持つ彼女は、マリアリガル・フォン・ヴェルアロートと言い、ここ赤狼公国の公女でもあった。


「次は何を着てみましょうか? ドレスはひとしきり堪能致しましたし、ここは連合の“ユカタ”なるを試すのも良いかもしれませんわね♥」


 公女にして公国軍を率いる大将でもある彼女は、先程からずっと櫂の髪を弄り続けている。

 マリアリガルは櫂の髪を様々な形に整えると、それに合わせた衣装に櫂を着替えさせては、その姿を眺めるという行為を飽きることなく繰り返していた。

 最初は櫂もノリノリであったが、次第に反応は薄くなり、今に至っては抵抗も放棄して彼女のされるがままになっていた。

 同席していたミカゲはそんな櫂を流石に見かねたのか、「嫌なら嫌って断りなさいよ」と櫂に助言するのだが……


「ありがとうございます、ミカゲさん。私も正直疲れましたが……でも! JCにウザ絡みされて一方的に弄られるというのもオタクの夢!

 具体的には流行らない店のマスターになって、バイトのJKに経営を心配されるのに次ぐシチュエーションなのです!」


 櫂としては、まんざらでもないらしい。


「ふふっ、おいも様はわたくしの知らない言葉をよくご存じなのですね? 

 なんて博識ッ! やっぱり素敵ッ!」


 もっともその度に感極まって抱きついてくる公女には、流石にうんざりしていたのだが。


「公女殿下……その珍妙な呼び名はそろそろ改めてもらえますか? 私の事は呼び捨てで構いませんよ」


「まぁそんなご無体な! 敬称を省くなど、それではわたくしの溢れる敬意と姉欲あねよくの行き場がなくなってしまい、何をしでかすか分かりませんわ!」


「脅迫ですか? 脅迫ですね! あと自制心ってご存知ですか殿下⁉」


「ではこうしましょう。わたくしの事は殿下ではなく『マリア』か『マリアお姉ちゃん』と呼んでいただけたら、わたくしも敬称を改めますわ」


「実質一択ですよね、それ……分かりました『マリア』、これでよろしいですか?」


「はい、満点ですわ『カイ様』♥」


 (精神的には)年下の少女に様付けで呼ばれると、流石の櫂も気恥ずかしくなるが、イモ呼ばわりよりはマシだと自分に無理矢理言い聞かせた。


「……帝国の皇太子といい、カイってばやたらと身分の高い人に好かれるわね?

 盟主様も何だかんだで貴女のこと気に入ってたみたいだし」


「ラキのことですか? あれは親しみを覚えると言うより、獲物を弄ぶ肉食獣と言うか、遊び甲斐のある玩具だと思われているだけですよ」


 今となってはもう半月も前の話になるが、諸国連合の盟主である神弧ラキニアトスに謁見した際、あわや囚われの身になりかけた事を思い出し、櫂は渋い顔になる。


「まぁ、カイ様を玩具扱いするだなんて、わたくしも負けてられませんわね!」


「自覚はあったんですねマリア? あと張り合わないでくださいマジで」


 髪を弄る手が止まった瞬間、これ幸いとばかりに櫂は立ち上がる。

 そして三つ編みにした髪を揺らしながら、中庭に面したテラスへと移動した。

 手入れの行き届いた庭園の中央では、幼い子を抱く女性の像を据えた噴水が、空に向かって水飛沫を放っている。

 ここは公都アルテンヴォルクの北端、三重の城郭を超えた先に建つ城館である。

 マリアリガルの父と兄が政務を行う館から離れたそこは、マリアリガルの家でもあった。

 櫂は諸国連合を離れた後、マリアリガルの脅迫もとい強い勧めで、アルテンヴォルクに逗留とうりゅうする事になり、既に三日が過ぎようとしていた。


「これから、どうしましょうかね……」


 テラスの柵に肘をつき、溜息と共に愚痴を吐く櫂。

 その振る舞いは決して上品ではなかったが、その可憐な横顔に浮かぶうれいは、彼(女)に年齢不相応なつやをまとわせている。


「……エルナ、それ美味しいですか?」


「ん? 甘い」


 微妙に噛み合わないやりとりであったが、いつの間にか櫂の隣りに佇んでいたエルナ・ヴォルフは干し肉ではなく、乾燥させた果実やナッツを蜜で固めたお菓子をかじっていた。

 そんなエルナの髪を櫂が撫でると、彼女は気持ちよさそうに目を細める。


「そうなんですよね……料理は美味しいし、食べ放題だし、湯浴みも毎日できて、寝食完備なのは有難いのですけど……」


「まぁカイ様、それはつまりわたくしとここで姉妹の契りを交わすと言う事で宜しいですか?」


「……もしかして私、監禁されているのではないでしょうか?」


 マリアリガルの発言を無視した櫂の憂いは、何かある度に自分に言い寄り、片時も側を離れようとしないマリアリガル自身に起因していた。

 最初は姉気取りで妹分の世話を焼きたがっているのかと軽く考えていたが、どちらかと言うとこれは、うっかり籠に飛び込んできた小鳥を逃がさないように目を光らせている、と表現したほうが近いように思える。

 その証拠に……


「え? 街に出てみたい? いけませんわお妹様!

 そんな事したらいつ逃げられるか分からな……いえ、よこしまな連中に目をつけられ、口では言えないあんな事やこんな事されるかと思うと、わたくし姉として許可できません!」


 などと言って、頑として城館を出る事を認めないのである。

 あと姉じゃない。


「……参りましたね」


 とは言え、櫂がその気になれば城館を脱出するのは容易いし、今も護衛を勤めてくれているエルナや、何故か一緒に公国に付いてきたミカゲも、協力を惜しまないだろうという確信もあった。


(とは言え、私の我儘わがままでマリアだけでなく、男爵閣下にも大変な迷惑をかけてしまいましたしね。

 しばらくは大人しくしているのも、やぶさかではありません。ただ……)


 テラスから晴れた空を見上げる櫂。

 同じように見えても、自分がこれまで見上げてきた空も、帰るべき家も故郷も、この世界には存在しないという事実が、寒風となって櫂の心に吹き込んでいた。

 自分はこれからどうするべきなのか――言葉通りの命題を、櫂は持て余していたのである。


「……そうです! 折角だしお願いするとしますか」


 そんな時、ふと思い浮かんだのは半月ほど前に見た、とある光景であった。


「マリア、宜しければ私に魔法を教えてもらえませんか?」


 アーチの城壁前で繰り広げた戦いの中で、マリアリガルが展開した白い光の盾。

 短い杖を振るう度に放たれる火の石礫せきれきや、爆熱を孕む刻印――戦闘中にはそんな余裕もなかったが、あの光景こそ櫂が長年夢見てきた、超常の力たる「魔法」そのものであった。

 折角、異世界転生したのだから自分も魔法が使いたい!

 その子供じみた想いはしかし、それ故に彼(女)が抱えた不安や心細さを忘れさせてくれたのである。


「……ええと、その……」


しかしマリアリガルは言葉を濁し、申し訳なさそうに目を逸らしてしまう。


「あ、もしかして魔法の教授は御法度でしたか? それとも私には魔法を習得する資格はないと……」


「い、いいえ、そんな事は言えないと思いますが……ただその……実はわたくし、全然全くこれっぽっちも魔法の事なんて分かりません」


「「「え!?」」」


予想外の答えに驚きの声を挙げたのは、櫂だけではなかった。


「ま、待ってくださいマリア? では貴女が使ってみせた、あの光の盾や爆発する刻印は一体……」


 櫂が耳を疑うのも無理はない。明らかに超常の力を駆使し、自分を追い詰めたのは何処の誰だと言うのだろうか。


「あの盾――“潔璧けっぺきの盾”も、大公家に代々伝わる紅玉の杖も、確かに魔導院から『真なる魔法』とのお墨付きをいただきましたわ。

 でも……わたくし、自分が何故そんな力を有しているのか、どうやって奇跡を起こしているのか、全く分かりません」


「で、では帝国で最強の魔法使いと謳われているのは?」


「それはその……魔導院を訪れた時、わたくしの魔法を虚仮にした無礼者がいましてたので、そいつの矢のように走る雷光を盾で弾き、自慢の障壁ごと紅玉の魔法で吹き飛ばしてやりましたら、次の日からそう呼ばれるようになっただけでして……」


(……あぁなるほど、最強なのは単純にケンカの強さであって、魔法に通じているわけではないのでするね)


 櫂は内心落胆を禁じ得なかったが、かと言って、これ以上マリアリガルに恥をかかせるのも本意ではなかった。


「……分かりました。では、他に誰か魔法に詳しい人を紹介していただけませんか? 私はこの世界の魔法について学びたいのです」


 マリアリガルは櫂の言い回しに少しだけ違和感を抱くが、すぐに「それでしたら」と笑みを浮かべる。


「わたくし、一応は魔法使いの一人としての魔導院に籍を置いていますから、カイ様の頼みとあらば魔導師を一人紹介させていただきます。

 彼女の名はベルタⅦ世――帝国魔導院の筆頭にして、の錬金術師ですわ!」


「すいません、ここ本当に異世界ですか?」




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