第28話 幻惑の瞳



 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 無数の‟塊人ゴレム”の群れにエルナと共に斬り込む櫂。自身の“超能スキル”を駆使する櫂は単身で敵陣を突破し、巨大な‟塊人ゴレム”の残骸を利用して一気に城壁を駆けあがる。

 そして遂に彼は‟塊人ゴレム”を使役する導師どうしと対峙するのだった。



 傾き始めた陽を背に、すみれ色の髪の少女が降って来る。

 諸国連合随一の導師と謳われるドゥリム・オロチは、その光景をただ呆然と眺めていた。

 例え彼が魔術だけでなく武術に秀でていたとしても、その一撃を避ける事は不可能だったに違いない。何故ならばその少女は、地表より遥かに高い城壁の、更にその上から降下してきたのである。

 認知上の死角を突いた菫色の髪の少女――櫂は、呆然と立ちすくむドゥリムを引き倒すと馬乗りになり、彼の首筋に黒い蛮刀を押しあてた。


「チェックメイトですよ、‟塊人ゴレム”遣い」


 眼下の青年に対し、ニコリと屈託のない笑みを浮べる櫂。

 ただの一挙動で自分の命が喪われると言うのに、未だにドゥリムは自身が陥った窮地を理解していないのか、呆然とした顔で櫂を見上げていた。

 一方でドゥリムと共に居たアーチ守備隊の兵士たちは、城壁を跳び越えてきた襲撃者に向けて槍を構える。

 いち早く反応したのは、守備隊を指揮する部隊長であった。彼は素早く腰の剣を引き抜くと、その切っ先を櫂に向けて叫んだ。


曲者くせものが! ドゥリム様より離れよ!」


 すると櫂は首筋に当てた蛮刀はそのままに、部隊長に顔だけを向ける。


「ああ、ご安心ください。命まで奪う気はありませんから――ですから、少し待っていただけませんか?」


 今すぐにでも首を掻き切れると誇示しているのに、櫂の口調は場違いなほどに丁寧で穏やかであった。

 だからとは言え、刺客の言い分を信じるような部隊長ではない。

 例えどんなにあどけない少女であろうとも、要人を守る為に切り捨てるまで。彼の理性も、意思も、そして鍛え抜かれた体もその方針に異を唱える事はなかった。

 だと言うのに――剣を構えた右手はそっと下ろされてしまう。


「ど、どうしたのですか隊長?」


 真っ先に驚いたのは、部隊長の両脇で槍を構える二人組の兵士だった。


「いや、これはその、彼女は危害を加えるつもりはないと言っているのだし……」


 そして二人は返ってきた言葉に、思わず耳を疑ってしまう。

 今も要人の命を脅かしている刺客の言い分を馬鹿正直に信じるなど、おおよそ正気の沙汰ではない。

 自らの上に立つ者として、常日頃から部隊長を尊敬していただけに、二人の兵士が受けた衝撃は察するに余りある。

 しかし、自分の口から出た言葉に最も驚き、そして納得していなかったのは他ならぬ部隊長自身であった。


「わ、私は何を……? いや違う、彼女はそのような曲者ではない……そうなのか? いやしかし……」


 彼の理性と意思と肉体がいくら訴えかけても、頑として耳を貸さないもの――それは彼自身の心であった。

 「下手に動けば要人を守れない」、「彼女の言葉は信じられるかもしれない」、「彼女は我らの敵だと誰が決めた?」などと、次から次に都合の良い疑義ぎぎを呈しては、櫂に対する実力行使を拒否し続けている。


「ええい、こうなったら我らだけで導師様をお救いするぞ! 覚悟しろ曲者――」


 困惑し続ける部隊長に見切りをつけ、二人の兵士は槍の穂先を櫂に向けた。

 しかしその瞬間、二人は櫂の琥珀色の瞳を己の視界に入れてしまう。


「ダメですよ、どうか邪魔しないでくださいね?」


 悪戯をたしなめるような、穏やかで理知的な櫂の声を耳にした途端、兵士たちは槍の穂先を櫂から逸らしてしまった。

 そして、おどけた櫂が桜色の唇に指を当ててウインクすると――二人はその場で櫂に背を向け、その槍を今度は味方に向け始める。


「そ、そうだぞ! 邪魔してはいけない! ――な、何で?」


 混乱に声を震わせながらも、その体は櫂を守るように身じろぐこともない。

 その光景に、周囲の兵士たちは動揺し始める。


「……あれ? 何だか予想以上に効いてません? 私としてはちょっと躊躇ためらってくれるだけで良かったのですけど……」


 しかしこの事態に驚いていたのは、櫂自身も同じだった。

 今の自分が幼く愛らしい美少女だと知っているからこそ、それをアピールして兵士たちの動揺を誘おうとしたのだが、何故か部隊長は自ら剣を下ろし、お供の兵士は自分を守り始めている。

 まさかと思い、櫂が他の兵士たちにも目を向けると、ある者は剣や槍を下ろし、遠巻きに眺めるだけで近寄って来ないし、またある者は同僚たちに「手を出すな」と呼びかける始末だった。


「何ですかこれ? ひょっとしてこの部隊は私の同志――ああいえ、非モテのロリコン男しかいないとか?」


 チョロいを通り越して、都合の良すぎる展開に却って櫂は不安を抱いてしまう。

 すると、足元から「何をした貴様!」と抗議する声が聞こえてきた。

 顔を下に向けると、床に引き倒されたドゥリムが険しい顔で櫂を睨みつけている。


「まさかその瞳、邪眼・魔眼の類か! それで兵士たちを魅了したのだな!」


「私の眼、ですか? いいえ、全く覚えはないのですけど――貴方にはそう見えるのですか?」


 自分が目で兵士たちを魅了したのだと責められても、櫂には全く覚えがなかった。

 もしも自分がそんな便利な目を持っていたなら、これまでにだって誰かや何かを惑わしていた筈だ。

 しかし、そんな記憶は――


(――あ、確かミカゲさんと二度目にやり合った時、何故か途中でキスされましたね……いや、あれは役得でしたけど……)


 ふと蘇る記憶に顔を赤くする櫂。

 更には諸国連合の盟主・ラキにかけられた言葉を思い出す。


(――確かにラキは『こわい眼』と言いました。だとすれば、私にはそうした能力が秘められていたのかもしれません)


 試してみる価値はあると、櫂は手始めに足元のドゥリムに目を向ける。

 するとドゥリムは慌てて視線を逸らした。


「ふふっ、私にはその手の術は通じんぞ! 邪眼・魔眼の耐性など導師として初歩の初歩だからな!

 それどころかこれまで私がどれだけの妖術師たちに、魅了の術をかけ返してやったか知らないでしょう?

 だから、今からそれを貴女にも思い知らせて差し上げます!

 手始めに!」


「めっちゃ効いてますね! とりあえず語尾に『ワン』と付けてみてください」


「お断りだ!」


 もはや疑う余地はなかった。

 仮にこれがドゥリムの演技だとしても、ここまでの恥辱を晒した男を櫂は、これ以上追い詰める気にはなれなかった。

 ふと周囲を見回せば、今や櫂を止めようとする兵士は誰一人として存在しない。

 それを確認したあと、櫂は再びドゥリムに話しかける。


「貴方があの”塊人”たちを操っているのですね? 今すぐ止める事はできますか?」


「私ができないとでも? できるに決まってるワン!」


「……もうその語尾は結構です。では一刻も早く活動を停止させてください」


「ふん――地道のはく、七曜を巡り地に帰す。言命即時我が意の侭に」


 指だけを動かして、空に短い命文を綴るドゥリム。

 その直後、城壁の真下では公国軍に襲いかかろうとしていた無数の‟塊人ゴレム”が一斉に停止する。その顔から紋様の様な表意文字が消えると同時に、体は音もなく崩れ落ち、ただの土砂と化した。

 隊伍を組み、槍と盾を構えて備えていた公国軍の兵士たちは、敵が前触れもなく消滅した事に唖然としていたが、兵士たちを率いる赤狼公国公女・マリアリガルだけは、自分の胸にそっと手を添える。


「成し遂げましたのねカイ・タクミ……あぁ、貴女はやはり」


 城壁を見上げる碧い瞳はわずかに潤み、その頬は戦の高揚とは異なる感情で赤く染まっていた。


「カイ、“‟塊人ゴレム”は全て消えたわ! だからそろそろドゥリム師を離してあげて」


「ミカゲさん⁉ それにエルナにドランも!」


一方、櫂の元には飛竜にまたがったミカゲとエルナが駆けつけていた。

 地上の様子を手短に伝えると共に、ミカゲの眼は地面に横たわる同僚にも向けられている。


「申し訳ありませんでした、導師様。許してくれとは言いませんが、おかげで助かりましたよ」


 ミカゲの願いを受けて櫂はドゥリムから降りると、その手を差し伸ばして彼の身を引き起こす。


「私を脅しておいて、よくもそんな白々しい事が言えたものですね。


 未だに魅了されたままのドゥリムに心の中で詫びつつ、櫂もまた立ち上がる。


「私はこれで失礼します。ですが最後に一つだけ、お願いしても良いですか?」


 次に櫂が声をかけたのは、アーチの守備隊を率いる部隊長であった。


「あ、あぁ……内容次第だが、何をお望みかね?」


「警戒しなくても、そんなに無茶な要求ではないですよ……多分」


 そう前置いてから、櫂はおもむろに城壁の端まで移動し、そこから城門の前に集う公国軍の姿を眺め下ろす。彼らが”塊人”が一斉に消失しても、アーチへと攻め込んでこない事も確認して。


「私と公国軍は今から直ちに退きます。ですから追撃などなさらぬように――それが私の願いです」


 櫂はあくまで個人的な願いだと強調するが、一方で城壁を破壊されて混乱したままの守備隊が、無傷の赤狼公国軍を追撃する余裕がない事も承知していた。


(だからこれは、お互いの顔を立てる為の建前です。でも、きっと相手もそれを理解してくれる筈でしょう)


「分かった。少なくとも守備隊には追撃を命じないし、それを私から願い出る事もしない――これで良いかね?」


「ええ、感謝します」


 承諾しょうだくの証にと手を差し出す櫂。

 すると部隊長は戸惑い、まるで初恋の少年のように周囲の反応を伺ったあと、恐る恐るではあったが櫂と握手を交わした。


「ではミカゲさん、エルナ。私たちも戻るとしましょう」


「ええ、でも私は西の民だから、あくまで二人を送るだけよ? いいわね?」


「もちろんです」と頷いて、櫂は飛竜の背に跨った。

 短い間ではあったが、彼女との旅が終わりを迎えようとする予感と、その寂寥せきりょうを胸の奥に押し込みながら。

 やがて飛竜は大きな翼を羽ばたかせて、滑るように地上へと飛んでいく。

 その後ろ姿を見送りながら、ドゥリムはふと櫂の名前を呟いてしまい、周囲から怪訝けげんな目を向けられるのであった。



「――お待たせしました、公女殿下。さて私たちも戻るとしましょう」


 無事に地上へと戻った櫂は、そのまま公国軍を率いるマリアリガルの下に向かう。

 まさかこの期に及んで約束を反故ほごにしないかと櫂は警戒していたが、マリアリガルは櫂の無事を喜び、二つ返事で撤退の命令を全軍に通達してくれた。

 ふと城壁に目を向けても、アーチの守備隊が追撃をかけてくる様子も伺えない。

 どうやら自分の目論見は全てうまく行ったようだ――と櫂は、ようやく小さな胸を撫で下ろした。


「あの……カイ、宜しいかしら?」


 撤兵の準備を進める最中、マリアリガルが一人、櫂に歩み寄ってきた。

 最初に出会った時のような刺々しさも、公女としての威厳も脱ぎすて、年相応の少女らしい淑やかな態度に、櫂は思わず緊張を覚えてしまう。

 いくら肉体は彼女に負けずに劣らずの美少女とは言え、心は未だに非モテの独身男性であるが故に。


「実はわたくし、貴女にひとつだけお願いしたい事がありますの。

 貴女に負けた手前、わたくしから図々しく要求するのは身勝手だと分かってはいるのですけど……」


「いいえ、それは気にしないでください! 私にできる事なら良いのですけど……」


 口実とは言え、自分が企てた狂言誘拐がきっかけで、マリアリガルは軍隊を動かし、あわや大国同士の戦争の口火を切るところだったのだ。

 その責任と後ろめたさから、櫂はマリアリガルの要求をできる限り聞こうとは考えていた。


「で、では……カイ・タクミ、貴女のことを‟お姉様”と呼ばせてくださいまし!」


「―――――――はい?」


 もしかしたら愛の告白ですか、参ったなぁ――などと内心期待していた櫂であったが、マリアリガルの要求は、彼の予想を斜め上方向に裏切るものであった。


「わたくし、ずっと待っておりましたの。

 わたくしよりも強く、聡明で、頼りがいのある御方に身も心も尽くす時を!

 カイ・タクミ――貴女こそわたくしの運命の人! ですから、わたくしのお姉様になってくださいまし!」


「ちょ、ちょっと待ってくださいね?

 いやそこまで褒められるのは男子の本懐と言うか、人生で一度は体験してみたかったシチュエーションではありますが、しかし今の私は女の子でして――あ、そうか」


 だからお兄様でも旦那様でもなく「お姉様」なのだと櫂は落胆する。

 百合の花が咲き誇るロマンスは嫌いではないのだが、あくまで自分は壁になって女の子たちを見守る側でいたいのであって、当事者になってしまうのは、櫂にとってはそれだけで死罪に処される程の禁忌とも言えた。


「どう見ても公女殿下のほうが私より(肉体的には)年上ですよね?

 なにせ私まだ12才……くらいだと思うので」


 何より心境的にも年齢的にも「お姉様」はそぐわないと、櫂は遠回しにマリアリガルの申し出を遠慮するが――


「そうでしたわね……では、‟お妹様いもさま”ということで、わたくしの妹になってくださいまし!」


「いや、せめてその名称は考え直しましょうよ!」


 事態はより悪化したが、既にマリアリガルの中では結論が出ていたらしく、櫂の腕を掴むと、ズルズルと自分が乗る馬車へと引きずっていく。

 その後ろ姿をミカゲは笑いを堪えながら、エルナは馬車の中ではひと眠りできるだろうと考えながら見送っていた。



「――以上が、アーチとアゲハからの報告であります」


 報告を終えた老齢の官吏――諸国連合主席藩主・シムネス・カギュウは顔を上げ、八萬諸国連合盟主・神狐ラキニアトス・イヅナの言葉を待つ。


「予想以上にやるではないか、タクミ・カイ。これならば我も彼奴きゃつを『勇者』だと認めねばならぬな?」


「御意に」


 シムネスは静かに頷き、奏上に用いた報告書を他の官吏に引き渡した。

 その間にラキは虚空に細い指を走らせ、何もない空間に一本の巻物を出現させる。

 それは彼女が“機構かみがみ”より贈られた契約神能けいやくしんのう―――万象ばんしょう紀録きろくと呼ぶ、超常の力の顕現であった。


「契約神能――『幻惑げんわくの瞳』。やはり彼奴のあの目は魔眼の類であったか。

 これではヲロチも浮かばれぬな? いくら研鑽を積んだところで、人が神の権能に抗うなど不可能。

 賢牛の翁よ、ヲロチに伝えるが良い。此度の失態は不問に処すとな」


「我が尊き盟主様の寛大なる御心に、感謝申し上げます」


 もとよりラキはヲロチ――ドゥリム・ヲロチの責を問うつもりはなかったが、しかし大国を治める立場としては、欠かせぬ建前と手続きがある。

 ドゥリムは謹慎を命じられるだろうが、既に彼はそれ以上の屈辱を味わっていた。


「だが――契約神能だけではない。

 彼奴が顕したもうひとつの“超能スキル”、これに関しては予測がつかぬ。

 帝国とその属国の動向に関しては、今後とも目を光らせておく必要がある」


「では天鼠コウモリどもを遣わしますか?」


「いや、それには及ばぬ。随分と入れ込んでおる様だが、監視は揚羽めに任せる。

 それよりもだ――」


 櫂についての情報が記された紀録を閉じ、ラキは足元に広げられた大陸全土の地図に目を落とした。


「そろそろ“”が動く頃合いよ。場合によっては帝国が戦火に呑まれるやもしれぬが、それもまた一興――」


 睨み合う銀鷲大国と諸国連合の頭上、「極北の地」と呼ばれる広大な北部の寒冷地帯にラキは視線を向ける。


「さて次はどう動く、第七の勇者よ――“北の勇者”の無情さは我の比ではないぞ?

 いや『傾国』の‟超能スキル”を顕した者、タクミ・カイよ。我が喰らうまでは、せいぜい足掻き続けるが良い――」





※後書き

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。

 次週は本編の更新はお休みしますが、その代わりに水曜・土曜の夜に、登場人物と用語解説のページを大幅に更新する予定なので、どうぞご期待ください。


 2023.8.26 カミシロユーマ






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