第26話 スク水です!




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 マリアリガルの紅玉の魔法と、光の盾の前に防戦を強いられる櫂。

 何とか不意を突いたものの、「勝利」のためには彼女を殺す事も不用意に傷つける事もできない櫂に、マリアリガルはある選択を迫る。


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「このわたくしに未遂でも一矢報いた実力を評し、貴女に未来を選ばせてあげましょう。

 さぁ選びなさいカイ、このまま無残に焼き砕かれるか、或いは――殿下のめかけとなって生き永らえるのかを」


 無数の光の盾で形成された外殻――その内側で、透き通るような紅玉の髪を持つ少女・マリアリガルは櫂に選択を迫る。

 このまま自分の魔法に焼かれて死ぬか、それとも銀鷲ぎんしゅう帝国の皇太子の妾として生き永らえるのかと。


「いやいやいや、待ってください! 最初のはともかく妾になれとか何ですかその選択肢!」


「あら、お嫌ですの? ……わたくしなりの厚情こうじょうですのに」


 理解に苦しむと小首を傾げるマリアリガル。嫌みでも当てつけでもなく、本気で櫂に情けをかけたつもりであったらしい。


「そ、そうだぞカイ! 意地を張ってないでここはマリアにごめんなさいして――」


「黙っててくれますか、殿下?」


 離れた場所から口を挟んで来た銀鷲帝国皇太子・ルートヴィムに、櫂は怒気を込めて言い放つ。

 それだけでルートヴィムは口をつぐみ、すごすごと引き下がった。


「ちなみにですね? 私がもし貴女の厚情にすがったとして、この街をどうするつもりですか?」


「もちろん、焼きとしますわ」


 どうやらマリアリガルは何が何でも、都市国家アーチを攻め滅ぼすつもりらしい。

 そうした前提の上で、自分に楯突いた櫂には情けをかけたのだが――櫂にとっては皇太子の妾になる事も、このままアーチが戦火に焼かれるのも絶対に回避さねばならない未来であった。


「それならば、私の答えはひとつです。こいつの妾なんて絶対に嫌です!」


 ルートヴィムを指して断言する櫂。

 一方、好意を抱いていた異性に「こいつだけは嫌」と断言されたルートヴィムは、ショックのあまりその場に崩れ落ちたが、それは櫂の知るところではない。


「……なるほど、ではこのまま死にますか?」


 差しのべた救いの手を振り払った櫂に対し、冷たく言い放つマリアリガル。

 何よりも体面を重んじる彼女が、これ以上の情けをかける事は先ずないだろう。


「いいえ、私は死にません。言ったでしょう? 私は必ず貴女を分からせて、この茶番を終えてみせますと」


 あくまで己の目的を貫くのだと、櫂は宣言した。


「良い覚悟です、カイ。では、その誇りを抱いたままちりと化しなさい」


 マリアリガルはもはや躊躇ためらわなかった。

 櫂の足下の地面に刻んだ魔法の刻印、“焔砕刻印ブレイズシール”。

 刻印の内に蓄えた膨大な熱エネルギーを解放した瞬間、櫂は間違いなく骨まで焼かれ、塵と化した体を爆じけ散らすだろう。

 櫂が持つ「加速」の‟超能スキル”をもってしても、その「死」から逃れる事は不可能だと、当の本人も覚悟していた。


(――さぁ、どうしますか私? このまま何もしなければ100%オダブツですが、でも何をどうすれば良いのか全く思いつきません!)


 死ぬのは恐くない、などとは微塵みじんも思ってはいない。

 こうして開き直った今も、櫂の頭脳は「死」を回避する方策を必死に探っている。


(「加速」の‟超能スキル”で、この場から離れたところで、爆発の炎と衝撃から逃れるのは絶対無理でしょう。

 では発動前に公女様に肉薄し、魔法の発動を止めると言うのは――まぁ、あの光の盾で全身を覆っているから、そもそも近付けませんね残念!)


 物理的には櫂もう

 唯一の打開策は超常の能力に頼って奇跡を起こすしかないのだが、しかし櫂はそんな都合の良い能力など持っていない――


(――――いや、待ってください。私にはまだ知らない‟超能スキル”が存在した筈です)


 不意に蘇る記憶。それはつい先日、諸国連合の盟主ラキが櫂に見せた自身の紀録きろく、即ちステータスであった。

 そこには櫂がこれまでの旅の中で行使した二つの‟超能スキル”、「加速」と「斬命」の他にも名前が記されていた事を、櫂は思い出す。


(確かラキはこうも言ってましたね? 伏せ字になっていた項目は私がまだあらわしていないか、或いは自覚していないから読めないのだと)


 櫂が記憶する範囲では、ステータスには自身が保有する一部の技能と、契約神能なる項目が伏せ字になっていた筈だ。

 しかし、その‟超能スキル”はどんな能力なのか本人も知らないのに、名前は伏せられていなかった。


(つまり私は既にその‟超能スキル”を知っていたし、使用もしている筈――嗚呼、だから私はあの時――)


 思考に合わせて、記憶の海から引き上げられていく無数の断片。

 その中には今となっては遠い帝国の地で起きた、ひとつの夜の情景がある。

 棄てられた側塔の上――自分を背後から拘束するミカゲ――どうあっても振り解けなかったあの時――自分はどのようにしてその危機を脱したのだ?


(そうです、私は。だからこうしてのですから――)


 思考は到達する。最初から用意されていた、たった一つの奇跡の在りかに。

 その直後、櫂の琥珀色の眼は、杖を振り上げたマリアリガルの姿を捉える。

 彼女を覆う、無数の光の盾が形成する外殻。どう考えても突破できそうにない鉄壁の防壁にも関わらず、琥珀色の瞳が映す可能性のみちは、真っすぐ彼女の下へと伸びているではないか。

 それを確信し、櫂はその‟超能スキル”の名を叫んだ。


「―――――‟影離えいり”!」


 断絶は一瞬。

 五感は時と断絶し、肉体はことわりの外側をはしる。

 万物が世界に落とす影より離れたその身は、如何なる場所であろうと必ず到達するのだ。


「え?」


 直後、マリアリガルの目の前で櫂はその姿を消した。

 後にはただ、重力に引かれてひらひらと落ちて行く衣服と、鞘に納められていた二つの蛮刀が残されている。

 一体何が起きたと言うのか。自らも魔法という超常の奇跡を行使すると言うのに、その光景はマリアリガルの記憶には全く存在しない――未知にして理不尽の極みであった。


「――な、なんですのそれ?」


 そして何の前触れも気配も感じさせず、至近距離に突然出現した少女――櫂の姿にマリアリガルは素っ頓狂とんきょうな声を上げる。

 何故ならその時の櫂は、細く白い手足を剥き出しにしており、ぴったりと体に張り付いた紺色の布地は、女性らしく咲き始めた肢体を隠すどころか強調している様にも見える。

 つまりそれは――


「――です!!」


 その言葉通り、櫂は何時の間にか水着姿になって、マリアリガルに肉薄していた。

 意表を突かれて固まるマリアリガルの肩を櫂が軽く押すと、それだけで彼女は腰を抜かしてへたり込んでしまう。


「あれっ?」


 しかし、櫂にはとっては予想外の反応だったらしく、そのままバランスを崩して前に倒れ込んだ。


「――――あ」


 気付くとマリアリガルは地面に横たわり、櫂はその上から覆い被さるように四つ這いになっていた。

 当然、二人の顔は互いの息がかかるほどの至近距離にあり、櫂の意識は嫌が上にもマリアリガルの顔に吸い込まれていく。

 海より深いあおの眼は驚きに見開かれ、白磁のような肌は艶やかに色づいた唇を際立たせている。


(……い、いけません! これは流石に通報案件です!)


 櫂は慌てて目を逸らすが、マリアリガルは呆然とした表情のまま、赤く染まる櫂の横顔に視線を注いでいた。


「……えっと、その……目をつむってくれますか?」


 いきなり及び腰になった櫂の要請に、


「は、はい……」


 マリアリガルも何故か素直に従ってしまう。

 その事を疑問にも思わないまま、櫂が恐る恐る眼下のマリアリガルの顔を伺うと、彼女はわずかに身を震わせたまま、素直に目を閉じていた。

 目を合わせずに済んだ事を内心で安堵しながら、櫂はマリアリガルの顔にそっと手を伸ばす。

 そして――ぺちん、と。


「わっ⁉」


 子供のような悲鳴をあげて、マリアリガルは慌てて自分の額を押さえた。

 軽く弾かれたそこはほのかに赤くなっていたが、すぐに消えてしまう。


「な、何をしたのですか……?」


です」


 知らなくても意味が伝わるようにと、櫂は右手の人差し指と中指で輪を作り、指で弾いてみせた。


「私は命の奪い合いにも、勝負事にも、そして面子にも興味はありません。

 しかし、これが戦場あるいは決闘ならば、私は貴女にとどめを刺す事ができた。

 その事実をこうして証明したのですから、私の勝ちと言う事でよろしいですね?」


 だから、これ以上は戦うつもりはないと櫂は起き上がり、地面に横たわるマリアリガルに手を差し伸ばす。


「…………何をしたんですの? 私の“盾”をどうやって潜り抜けたと?」


 如何なる攻撃をも防ぐ、光の盾で形成された外殻。

 魔法の爆炎と衝撃から我が身を守るために展開されたそれは、外敵の侵入を決して許さない堅牢な城塞でもあった。

 しかし櫂はその城塞を易々やすやすと突破し、城主たる自分を押し倒してしまった。

 その理解不能な結果に対し、マリアリガルは納得のいく回答を櫂に求める。


「ええと、その……私にも良く分からないのですが、多分この身に備わった特殊な力と言いますか。恐らくは瞬間移動みたいなものでしょうね、多分」


 櫂の歯切れが悪いのは韜晦とうかいでも何でもなく、自分が行使した‟超能スキル”が如何なるものか、本当に知らなかったのだ。

 分かっていたのは次の二点。

 一つ、この"超能"は様々な障害を無視して、意図した地点に自らを移動させる事ができること。

 もう一つは、この‟超能スキル”を行使すると、何故か服や身に着けていた物を置いてけぼりにして、下着を含めた自分の体だけが移動してしまうこと。

 かつてランスカーク男爵邸でミカゲの拘束から逃れた際にも、櫂は同じような不可思議を経験しており、その時から何とはなしに気付いていたのだろう。


「なので、予め服の下にスク水を着ておいたと言う訳です!」


 腰に手を当てて、誇らしげにスクール水着を誇る櫂。

 彼(女)が着ているそれは水着としては露出度が低いが、この世界においては年若い女性が腕や素足を晒すだけでも十二分に過激で、煽情的な恰好である事を櫂は知らなかった。

 その証拠に二人の決闘を見守っていた騎士たちは慌てて目を逸らし、一部の兵士たちは戦闘とは異なる高揚に包まれていた。

 ちなみにこのスクール水着は諸国連合の公衆浴場で使われていた代物であり、櫂は浴場を後にする際に、密かに譲り受けていたのである。


「はい、これ。早く着替えて」


 マリアリガルが周囲に張り巡らせていた光の盾は、何時しか全て消え去っていた。

 闘争の終わりを肌で感じたのか、エルナは櫂に歩み寄ると、脱ぎ捨てた衣服を手渡そうとする。

 しかし櫂は未だに救いの手を指し伸ばしており、マリアリガルに関してはその手を掴もうとはしない為に、櫂は受け取りたくても受け取れない。


「あ、ありがとうございます。ええと……それでマリアリガル、さん?」


 これで「おしまい」にできませんか? と櫂は眼で問いかける。


「――ええ、わたくしの負けですわ」


 あれだけ面子に拘っていたのが嘘だったかのように、マリアリガルは素直に櫂の手を取り、そして立ち上がった。

 その瞬間、櫂だけでなく、周囲で見守っていた帝国の騎士や公国軍の将たちの顔にも安堵の色が浮かぶ。


「カイ・タクミ、わたくしは貴女の要求を呑みますわ。ですから――ええ、今すぐ軍を退いて公国に戻るとしましょう」


 これまで櫂に向けていた敵意も嘲弄ちょうろうもすっかり消え失せ、憑き物が落ちたかのように晴れやかな声でマリアリガルは誓う。

 更には、その白い肌を赤く染めて――


「本当ですか? ありがとうございます公女殿下! こちらこそ度重ねる無礼をお詫び申し上げます」


「い、いいえ、謝るには及びませんわ。それと……これからは貴女のことを――」


 その時であった。

 足下から伝わる振動と、背後から湧き起こった驚きの声に、二人の会話は中断を余儀なくされてしまう。


「地震? いいえ、これはまさか⁉」


 振動は地面だけではなく、その場の空気をも震わせていた。

 その原因に思い至った櫂がアーチの城壁に視線を向けると――城壁もろとも崩れ落ちていた巨大な“塊人ゴレム”の腕が、再び持ち上がりつつあった。

 だが、その腕を形成していた無数の土砂や岩石は重力には抗えずに、次から次に無惨に剥がれ落ちていく。もはや土塊の巨人は自らの巨体を維持する事さえ叶わないのだろう。

 だと言うのに――その光景を目の当りにした人間たちは、敵味方問わず巨人が見せた生き汚さに絶句する。

 剥がれ落ちた無数の土砂と岩石の中から立ち上がる、人間大の“塊人ゴレム”たち。その数はもはや、指や目で目算できる数を超えていた。

 予想外の光景に、マリアリガルはこの日初めて、驚愕に声を震わせた。


「――そんな⁉ 敵の新手ですの⁉」







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