第22話 絶許
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
窮地を脱するため、
だが両国が睨み合う最前線で彼(女)たちを待ち受けるのは、諸国連合随一の導師と帝国最強の魔法使いであった――
・
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それは櫂たちが
西の
その行軍はあまりに速く、諸国連合側の国境に設けられたオウサの関は、組織立った抵抗もできないまま無血占領され、公国軍の突破を易々と許してしまう。
公国軍が目指したのは、諸国連合の玄関口でもある都市国家アーチ。
アーチの藩主は突然の侵攻に慌てふためくばかりで、気付いた時には公国軍はアーチの目前に迫っていた。
公国軍は最も大きな街道を占拠すると、そこに陣を構える。
目と鼻の先に布陣されるまで何もできなかった藩主と、街道を封鎖した公国軍を、アーチの住人が口々に罵ったのも当然の話であろう。
そして、この侵攻の最初の被害者は、都市から都市へと荷を運ぶ商人やキャラバンであった。
諸国連合と帝国を結ぶ街道を封鎖した公国軍に対し、彼らは商売を妨害するなと集団で抗議を行ったのである。
「穀物をアーチに届けるだけなんだ! あんたらに敵対する意思はないから通してくれ!」
「こっちは魚だぞ! 一日でも遅れれば腐って売り物にならなくなる!」
しかし対応に当たった公国軍の仕官は、頑として通行を認めなかった。
その代わりに――
「通行は許可しない。しかしその荷はこちらで買い取ろう。卸値の倍で良いか?」
軍隊相手に一戦も辞さぬ覚悟で抗議に赴いた商人たちは、その一言で振り上げた拳を下ろせなくなってしまった。
商人たちは表面上は渋々と荷を公国軍に売り払ったが、頭の中では凄まじい勢いで
やがて商人たちは自ら公国軍の駐屯地に赴き、食料や
そのおかげで公国軍は付近の村や町から徴収や略奪を行わなくとも、しばらくの間は軍事行動に困らないほどの物資を補充する事ができたのである。
「――お見事でございます、公女殿下」
そして、ここは公国軍の駐屯地。
その中央に設けられた大きな天幕の中で、壮年の将軍が総指揮官である少女の手腕を絶賛した。
その少女――赤狼公国第一公女・マリアリガル・フォン・ヴェルアロートは、透き通るような紅玉色の髪をかき上げながら、優雅な手付きで髪と同じ色の茶を口にしている。
その瞳は海のように深く、彫像のように美を損なう要素を全て削ぎ落した美貌。
絵に描いたような美姫ではあるが、そんな
「いいえ、全ては大公殿下とお兄様のおかげですわ。お二人がたっぷりと溜め込んだ通行税がなければ、こんな真似はできません」
「仰る通りですな。出兵の費用と合わせれば官吏どもは泡を吹くでしょう」
請求される額に言葉を失う同僚の顔を思い浮かべながら、壮年の将は苦笑する。
公国軍の電撃的侵攻を可能にしたのは、
本来ならば進軍速度と引き換えに、大量の食糧や物資を侵攻先で
大量の通貨を保有し、都市国家アーチの交易事情を熟知していければ成立しない策だが、赤狼公国は二大大国間の交易によって巨万の富を有する国で、マリアリガルの父である大公と、その後継ぎである兄は、商才に長けた統治者であった。
ちなみに公女が軍隊を率いて諸国連合に侵攻したと知ると、兄はひたすら神に祈り、大公は体調不良を口実に自室に引き篭ってしまったのだが。
「兵は神速を
「――は、しかし皇太子殿下の
果たして連合は素直に引き渡しに応じるでしょうか。どう考えても
「そんな事は百も承知です。しかしわたくしが皇太子殿下から聞いた話では、賊は竜を引き連れて犯行に及んだそうですし、だとすれば一氏族あるいは都市国家の仕業である事は間違いないでしょう。
故に――筋は通していただかないと」
言葉遣いは穏やかで丁寧だが、その論調はひたすらに物騒で武断的だった。
マリアリガルがアーチの藩主に突き付けた要求の真意は、顔も知らない少女の引き渡しなどではない。
本当の目的は、帝国の面子を傷つけた事に対する報復であった。
「失礼いたします公女殿下、皇太子殿下が面会をご所望です」
その時、天幕の入り口に立っていた兵士がマリアリガルにそう報告した。
「殿下が? ええ、すぐお通しなさい」
皇太子の名を聞いた瞬間、花が咲く様に笑みを浮べるマリアリガル。
その変化を目の当りにする度に、彼女に仕える者は公女がまだ15歳の少女である事を実感する。
そして天幕の入り口に姿を現したのは、癖のある金髪を伸ばした
銀鷲帝国皇太子ルートヴィム・フォン・ハイデルンは、同じく帝国軍の甲冑をまとった三人の騎士を引き連れてマリアリガルの前に立つ。
「……や、やぁマリア。忙しいところ失礼するよ」
自らの容姿と社会的な立場を存分に理解しているルートヴィムは、本来であればもう少し尊大――いや自信と全能感に溢れているのだが、なぜかマリアリガルの前では愛想笑いを浮かべている。
「まぁ殿下、そんなお気遣いは不要ですわ。ささ、こちらにお座りになって」
「あ、ありがとうマリア。いや、その、本当に悪いね?」
一方、マリアリガルは心底嬉しそうな様子で、天幕の中央に置かれた長方形のテーブル、その上座にルートヴィムを案内する。
大公家の一員として軍隊まで指揮するマリアリガルだが、序列で言えば彼女は皇太子であるルートヴィムにははるかに及ばない。
しかしマリアリガルはまるで年の離れた兄のようにルートヴィムに接し、ルートヴィムは歳も序列も自分より下の少女に対し、何故か腰が引けていた。
「それで、わたくしに何のご用でしょうか? 何か至らぬ事でもございましたか?」
「……あ、いやいや、別に待遇には何の不満もないし、むしろ良くしてもらっているくらいだ。ただその……これはあくまで、僕の個人的な意見というか、単なる気持ちなんだけど……」
「殿下のお考えでしたら、それはわたくしにとって拝聴すべき大事ですわ。
遠慮などなさらず仰ってくださいませ――何しろ、わたくしたちは将来を誓い合った仲ですし」
最後にそう付け加えると、マリアリガルはそっと目を逸らし、白い頬にほんのりと朱が刺す。
彼女は七年前にルートヴィムと婚約しており、彼が皇太子となってからは将来の皇妃になる事が確定していた。
「ああ、うん、そうだね……じゃ、じゃあ言うけれど――マリア、そろそろこの辺で公都に帰っても良いんじゃないかな?」
「――はい? アルテンヴォルクに? それは何故でしょうか?」
「ええとその……こちらの要求はもう先方に伝えたわけだし、後は向こうにお任せして兵を退くのもありなんじゃないかなー……なんて思うわけで。
ほ、ほら、マリアもこんな異境より城の方が落ちつくだろう?」
「殿下」
「何を仰っているのですか? ここで兵を退いたら、殿下の顔に泥を塗った者どもにどう落とし前をつけると?」
「そ、それはその通りだけど……」
ルートヴィムはこの時、虎の尾を盛大に踏み抜いた事に気付く。
お付きの三人の騎士や公国軍の壮年の将も、目を合わせないようにと皇太子から露骨に目を逸らし始めた。
「目の前で女の子を攫われたのですよ? それなのに殿下は報いをくれてやる必要はないと仰られるのですか?」
マリアリガルの口調は穏やかで、可憐な面立ちからは怒りや悲嘆といった激情は一片たりとも伺えない。それなのに彼女の言葉には、目には見えない無数の刀槍を突き付けてくるような凄みがある。
「いや流石にちょっとやりすぎと言うか、もう少し穏便なやり方が‥…」
「なんたる惰弱! それで志尊の冠を抱くおつもりなのですか殿下!!」
「はひぃっ⁉ す、すいませんっ!」
マリアリガルに一喝され、ルートヴィムは反射的に頭を下げた。
勢い余って額がテーブルと激突するが、それを笑う者は誰もいない。
「帝国と三公国、
そのような惰弱と家名を穢す行い、わたくしが絶対に許しません!!!!」
マリアリガルの叱責はその場にいたものを等しく打ち据え、その迫力には歴戦の騎士たちでさえ背筋を正さずにはいられなかった。
ルートヴィムに至っては全身をガタガタと震わせ、目元にはうっすら涙まで浮かべる有様であった。
「で、でもねマリア? ほら僕には君と言う許嫁もいるし、カイの事は確かに心配だけど、君からすればただの愛人と言うか浮気相手になるというか」
「殿下? 次期皇帝たる御方が側室や妾の一人や二人持たぬとあっては、それこそ正室の面子を潰すも同然。
殿下にどのような深慮遠謀があるのか存じ上げませぬが、なればこそ次期皇妃たるわたくしが帝国の威信を護るべきと存じます」
これ以上は議論の余地はないと、マリアリガルは立ち上がった。
「要求した期日は今日。東の者どもが未だ誠意を見せぬと言うならば、その傲慢の報いを血で
全軍に通達しなさい、これより敵都市の攻略を開始します!
城門を砕き、一切合切を焼き砕きなさい!」
マリアリガルの命を受け、天幕に控えていた伝令兵たちが一斉にそれぞれの部隊へと散っていく。
「では公女殿下、ご出立の準備を」
「ええ――殿下、これよりわたくし達はアーチを攻め落としてご覧に入れます。
しかし御身に万が一の事があれば帝国の一大事、故にどうか後方にて吉報をお待ち下さいませ」
優雅に一礼し、天幕を出ていくマリアリガル。
後に残されたルートヴィムは、お供の騎士の一人に泣きついた。
「ど、どうしようジャン
「殿下の所為ではありませんよ。まぁ……すでに燃え盛っていた火に油を注いだ感もありますが、元より止められなかったと思いますよ私は」
「団長の言う通りですって、殿下。マリアリガル公女が今生の紅炎姫と呼ばれている事は剣を握る者なら誰でも知ってますし。なぁエリザ?」
「……それはそうですが、しかし女の一人として言わせてもらえれば、公女殿下の言い分にも共感しない事はありませんね」
「ううっ……それはそうかもしれないけれど……」
周囲に他の眼がいない事もあって、ルートヴィムと騎士たちが交わし合う言葉は、ともすれば不敬に思えるほど遠慮がない。
しかし、それもその筈でルートヴィムにとってこの三人は兄弟子・姉弟子にあたる存在でもあった。
「しかしたった二千ですよ? それで本当に都市一つ落とすつもりなんですかね? 公女殿下は」
「――いや、それについては多分間違いない。
僕は昔からマリアを知ってる。あの子は間違いなく帝国最強の魔法使いだ。
だからアーチは間違いなく陥落する。むしろ問題はその後だよ! そうなったら最後、帝国と連合が全面戦争に突入するのは避けられなくなる」
ルートヴィムは言動こそ穏健を通り越して気弱ですらあるが、統治者としての才覚は誰もが認めるところである。このまま公国軍がアーチを陥落させれば、諸国連合は決して黙ってはいないし、帝国も赤狼公国を見捨てるわけにもいかなくなる。
元より互いへの敵意と戦乱を望む声は一部で
しかし今のルートヴィムは、その惨劇を止める手段も考えも、何一つ持ち合わせていなかった。
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