第21話 可能な範囲で善処します(後編)




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 諸国連合の盟主・ラキとの交渉中にもたらされた一報。

 それは隣国の赤狼せきろう公国が二千の兵を率いて諸国連合に侵攻してきた事と、公国軍を率いる将が「銀鷲帝国皇太子の愛妾あいしょうカイ・タクミ」を引き渡すように要求してきた事であった。



「は? はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!????」


 真っ先に反応、いや絶叫したのは櫂だった。


「だ、誰が愛妾ですか! 違いますからね! 嘘ですからね! 何が悲しくて私が男の妾にならなくちゃいけないんですか!!」


「は、はぁ……」


 突然、激昂した美少女に早口で問いつめられ、若い官吏は緊張と混乱で目を白黒させている。

 まさか敵軍が引き渡しを要求した本人が、自分の目の前にいるとは露ほどにも思っていないに違いない。


「……これはどういうことだ、揚羽の娘よ」


「は、はひっ!? そ、それはですね……色々と複雑な事情がありまして……」


 ラキに問い質されると突然口籠り、目が泳ぎ出すミカゲ・アゲハ。

 まさか櫂と自分が共謀した一芝居が、結果的に二大大国の軍事的衝突を引き起こしましたなどと、正直に白状できる筈もない。


(……あなたのせいだからね! なんとかしないさいよカイ!)


 視線だけの抗議を受け、櫂はミカゲの代わりにラキに事の次第を説明した。

 自分が皇太子の妾にされないため、また恩人であるランスカーク男爵の面子を保つため、ミカゲに自分を誘拐してもらった――のだと。

 尤もその小細工は、ここに来て完全に裏目に出てしまったのだが。


「――と言う訳で、私はそもそも皇太子殿下の妾になる気は全くなくて、帝都から逃げ出す際にミカゲさんに協力してもらっただけです」


 だからミカゲに非はないと、櫂はラキに説明するのだが――


「なるほど、揚羽の娘がなれの口車に乗せられた事は理解した。

 つまり――全て汝のせいというわけだな」


 完全に白けた顔でラキは言った。

 図星を突かれた櫂は「ハイ、ソノトオリデス……」と頭を下げるしかない。


(……こんなの完全に予想外でした! いくらVIPの目の前でさらわれたからと言って、それを口実に属国の軍隊が動くなんて普通は予想できませんよ!)


 櫂の言い分はもっともではあるが、しかし現に彼(女)が打った一芝居が、国同士の軍事的衝突を招いてしまったのである。

 それはもう自分の責任ではないと放置できるほど櫂は無責任ではなかったし、面の皮も厚くない。


「……ひとつご教授願いたいのですが、諸国連合の盟主としてはこの場合、どうなされるおつもりですか?」


「ふふ――叩き潰すまでよ」


「アッハイ」


 つまりラキには自分を突き返して戦争を回避するつもりはさらさら無く、売られた喧嘩は買う気満々らしい。そしてその為に多くの血が流れる事も厭わないと。

 これで櫂は間接的に戦争を引き起こし、多くの人間の命を奪ってしまった大悪人として糾弾される――そんな未来がすぐ近くまで迫っていた。


(……ど、どどど、どうしましょう私!

 この場を脱出し、なおかつ私を口実にした軍事的衝突を回避させる、そんな虫の良い話が――――ひとつだけ、ありますね)


 この時、櫂の頭の中には二つの難問をまとめて解決させる為の方策が、一つだけ存在していた。

 ただしそれは机上の空論どころか、希望的観測と性善説を前提にした、限りなく不可能に近い可能性でしかない。

 更に言えば、それは目の前のラキにとっては大したメリットもなく、その場凌ぎと戯言と一蹴されるのが関の山だろう。むしろ彼女の不興を買ってしまい、自分達をますます追い込む可能性の方がずっと高いようにも思える。

 しかし――今の櫂には他に打てる手はひとつも存在していなかった。


「――ひとつ、提案があります」


 覚悟を決めた櫂が口を開くと、白けていたラキの顔に僅かな興味が灯る。


「私が公国軍の侵攻を止めてみせます。それをもって、私が諸国連合にも帝国にも与するつもりはないと証明してみせましょう」


「……………」


 櫂の提案を聞いたラキはすぐには返答しなかった。

 更にはミカゲもエルナも呆然となり、不審の眼を櫂に向けてきた。

 つまり、みんな絶句していたのである。


「……く、くくく、くははははははははははははは!!

 何を言い出すかと思えば汝が? 二千の兵の侵攻を止めてみせるだと?」


 呵々大笑かかたいしょうと言わんばかりに、ラキは大口を開いて笑い出す。


「ちょっとカイ⁉ あなた正気なの? 熱はない?」


 遂にはミカゲが歩み寄り、櫂の額に手を当てる始末だった。


「いや、熱もありませんし最初から正気ですよ……これでも私は真面目に言ってるんですからね? だいたい向こうが私を返せと要求しているのなら、自分から出向けば、少なくとも戦の名分は失われるでしょう?」


「そ、それはそうかもしれないけど。だからって一国の軍隊がはいそうですかと兵を退くと思う?」


「思わないけど退かせてみせます! 成せば成る! 成さねば私の第二の人生にいきなり修復不能な汚点を打たれますし!」


 ほとんど自棄になって胸を叩く櫂の姿に、ミカゲの顔に浮かぶ哀れみの色はますます強くなっていく。


「……ど、どう思うエルナ? カイ、おかしくなっちゃってない?」


「カイがヘンなのはいつものこと。私はただカイについていくだけ」


 ミカゲに同調を求められたエルナは、しかし肯定も否定もしなかった。

 それが信頼ではなく護衛する事以外には無関心な性格から来るものだとは分かっていたものの、今の櫂にとっては多少なりとも慰めになるのだった。


「――さて、これが私の証の立て方です。お答えをいただけますか盟主様?」


「口では何とも言えよう。汝がその場しのぎの大口を叩いて遁走とんそうしないと誰が保証するのだ?」


 至極真っ当な指摘に、櫂は自分の胸を指して答える。


。もしもこの約束を果たせなければ、私は『勇者』などではなく、世界の救済など成せる筈もない凡人だったという何よりの証になります」


 それはつまり、ラキの不戦勝でもあると櫂は説いた。

 もちろん物は言いようだと、誰よりも櫂自身が理解している。しかしこれはその場凌ぎの詭弁ではない。一言一句、己が本心から紡ぎ出された約定だった。


「――吠えたな、第七の。我にそこまでの大口を叩くからには、秘策・奇策のひとつやふたつでも持ち合わせているのだろうな?」


「ありませんよ。ぶっちゃけ本番です」


 虚勢を張ることもなく、あっけらかんと無策を白状する櫂。

 しかしラキを見上げる琥珀色の瞳は、揺るぎない意志に輝いていた。


「――――善い。ならば二千の兵を見事退けてみせよ、タクミ・カイ。

 それを以て、我は汝を『勇者』の一人と見なす」


 ラキの返答に、櫂を除く誰もが我が耳を疑った。

 大言壮語の詭弁を弄した挙句、一国の君主の首を縦に振らせた菫色の髪の美少女は、拳を握りしめて一人ガッツポーズを決める。


「ならば――揚羽の娘よ、お前に次なる任を授ける。我の眼となり耳となりて、この者を約定を果たす様を見届けよ」


「――え? あ、は、はいっ! 畏まりましたっ!!」


 ラキより新たなる命を受け、深々と頭を下げるミカゲ。その声が確かに弾んでいた事を指摘する者は誰もいなかった。


「感謝しますラキ! ならば私も貴女の期待に応えてやりますよ。行きましょうエルナ、そしてミカゲさん!」


 再び共に居られる喜びを噛みしめながら、櫂は二人の少女の名を呼ぶ。

 ミカゲもエルナも無言で頷き、そして三人の少女は脇目もふらず、謁見の間から走り去っていた。

 彼女達を追う者、行く手をさえぎる者は、誰一人として存在しなかった。


「――それで、どうするのよカイ! 盟主様には何もないと言ってたけど、実は何か秘策があるとか?」


「……『こんなこともあろうかと』などと言ってみたいところですが、本当に全く何も思い浮かびません。

 とにかく今は侵攻してきた公国軍に接触するとしましょう――そう言えば、帝国軍ではないのですね?」


 官吏の報告では諸国連合に侵攻してきたのは、隣国の赤狼公国であるらしい。

 今更ながら要求の内容と、それを求めた者達の違いを櫂は疑問視する。更に言えば櫂は赤狼公国についてほとんど何も知らなかった。

 そこでエルナに尋ねると――


「赤狼公国の大公殿下は皇帝陛下の親戚。元々帝国の属国で、東の脅威からずっと帝国本土を守ってきた」


「なるほど統治者こそ違えど、帝国の一部ではあるのですね。だとすれば帝国が出兵を要請したのでしょうか?」


「ううん、それは多分ない。そんな事できるのは皇帝陛下くらい。兵の数から考えても公国が独自に動いたんだと思う」


 エルナの分析に、ミカゲも頷いた。 


「そうね。あたし達も帝国も今は表立って戦を起こす理由が一つも浮かばないもの。だから大袈裟な示威行為――だとは思いたいのだけど」


 理性ではそう判断するものの、二千の兵を動員するのは「大袈裟」の一言では済まされない事態でもある。

 ミカゲの言葉は、分析と言うより希望的観測に近かった。


「……なるほど、余計に困りましたね。どうやって兵を退いてもらいましょう?」


 転生して間もない櫂にはもちろん、公国に知人など一人も存在しない。

 自分で言い出した事ではあるが、そもそも交渉はおろか、自分を知る者すらいないのではないかと途方に暮れてしまう。


「――カイ、問題はそれだけじゃない」


 エルナは彼女にしては珍しく、眉根を寄せて深刻な表情を浮かべていた。


「赤狼公国の大公殿下は高齢で表にはあまり顔を出さない。だから軍を指揮するのは第一公女で間違いないと思う」


「公女様が自ら軍を率いるわけですか。あ、もしかして姫騎士的なあれですか?」


「姫なのに騎士って意味分かんないんですけど……でもまぁ有名よね。あたしでも流石に知ってるわ」


「カイは知らない? 赤狼公国第一公女マリアリガル・フォン・ヴェルアロートは、帝国でも屈指の名将だけどそれだけじゃない。

 公女は――使だよ」


 ・

 ・

 ・


「――宜しかったのですか、盟主様」


 櫂たちが走り去った後、玉座に戻ったラキに老齢の官吏が声をかける。

 ラキは銀の杯に継がれた紅い果実酒を飲み干したあと、


「かまわぬ。あやつはまだ――我が喰らうほどの価値もないわ」


 そう言い捨て、杯を床へと放り投げる。

 仕草に官吏はそっと目を伏せた。


「しかしあの娘、とんだ大口を叩いたものよ。どこまでやれるかお手並み拝見と行こうではないか」


 どちらに転んでも傑作だと、ラキは口の端を歪める。


「時に賢牛の翁よ、アーチにはぬしの同輩が逗留とうりゅうしてはいなかったか?」


「――は、ドゥリム・ヲロチめが要請を受け、道術の師範をしているはずです」


「……ほう、それはそれは災難だったな、第七の勇者よ」


 ラキが手をかざすと、侍女がその手に果実酒を称えた銀の杯を手渡す。


と帝国最強の魔法使い――この二人を相手にどうを通すか、楽しみにしておるぞ――カイ・タクミ」





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