第15話 真っ赤な誓い




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 徒党を組んで村を襲ったオークのリーダー格と櫂たちの死闘は、ミカゲの援護により遂に決着の時を迎える。



「グォ……」


 ミカゲ・アゲハが投じた暗器の毒を受け、リーダー格のオークは思うように動かせなくなった体に苛立ちながらも、煙幕によって視界を閉ざされた現状を把握しようと努めていた。

 その直後、彼は側方から何かが迫る気配を捉えた。

 恐らくはこの煙に紛れて、が死角から襲ってきたのだろう。そうと分かればやる事はひとつだった。

 オークは巨大な斧のような刃物を大きく振るい、周囲の空間ごと敵を薙ぎ払った。

 すると彼の読み通り、姿の見えないは自分の得物と接触し、軽々と弾き飛ばされてしまう。

 所詮は矮小わいしょうの浅知恵だと、オークはほくそ笑んだ。

 渾身の力で振るった一撃により、敵は視界を奪っていた煙幕ごと吹き飛んだと勝利を確信したオークが見たもの――それは地に伏せるように身をかがめ、しかし細く長い足を大地に突き立てたすみれ色の少女の姿だった。


(――行けます!)


 体ごと回転させて周囲を薙ぎ払う暴風の如き一撃――それ故に振り抜いた後の隙は大きい。

 かいはこの瞬間を、ずっと待っていた。

 右手の山刀はおとりとして失ってしまったが、無防備にも首筋を晒したなど左手の一本で充分事足りる。

 琥珀の眼が映す現実に、脳が描き出す可能性のみちが重なる。

 時にねじれ、ジクザグと折れ曲がる無数の路が、赤い一本の線に収束すると同時に櫂の細い脚が地面を蹴った。

 瞬間――櫂はその身を風と成す。

 オークの足先から首元へと吹き抜けた一陣の風が、手にした刃で分厚い皮膚ごと彼の頸椎けいついを断ち切った。

 その直後、今度は別方向から疾った剣閃が、巨大な斧を保持する太い指を四本まとめて斬り落とす。エルナ・ヴォルフの仕業であった。


「グ、ボガ? ボガガガガガ…!?」


 一瞬にして致命傷を負い抗う手段も奪われた怪物は、切断された頸部から吹き出す血に溺れ、泡のような断末魔を上げる。

 その首は辛うじて胴体と繋がっていたが、無数の神経を麻痺させる毒を喰らい、首から下を動かす神経の通り道自体を断たれた今、彼に成す術は何もない。


「――やったあ!」


 自らが流した血の海に沈む怪物の最期に、ミカゲは飛竜の背で快哉かいさいを叫ぶ。

 念の為に周囲を見回しても、生きているオークの姿はひとつもない。ついでに彼らの振るう暴力で命を散らした人間もまた、誰一人見当たらなかった。


「し、信じられない……あれだけのオークをたった三人で、しかもほぼ無傷で殲滅するとか聞いたことないわよ?

 こうなったら盟主様に陳情して、カイだけでも東に招き入れられないかしら? いいえ、それよりも今は――」


 飛竜の手綱を握り、ミカゲは二人の幼い戦士の元に舞い降りる。


「やったわねカイにエルナ! 怪我とかしていないわよね――――って、

 ギャーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 大戦果を挙げた二人を労い、必要ならば治療をと呼びかけたミカゲが見たもの。

 それは頭の先から足先まで、返り血を浴びて真っ赤に染まった二人の少女の凄惨な姿だった。


「い、いきなり何ですかミカゲさん! まさかまだオークの生き残りが?」


「い、いや違うけど、あなたたち、何て格好してるのよ!

 確かにあれだけのオークを相手にしたのだから、返り血くらいは浴びるだろうけど……ここまで来ると流石にダメーーーーーーーーーー!」


 ミカゲは絶叫しながら二人の腕を掴み、近くの民家へと引きずりこむ。

 そして水瓶から水を汲むと、有無を言わさずに二人の顔に浴びせかけた。


「顔洗って! それから服脱いで全身洗い流しなさい! 今すぐ!」


「ちょ、ちょっと待ってください! 顔はともかく裸になれとかミカゲさんのエッチ!」


 自分一人なら何も問題はないが、となりできょとんとしているエルナも一緒だとすると話は別だった。

 見たくないかと問われると、本当は見てみたいけれども。


「恥ずかしがって場合じゃないでしょ! 一刻も早く洗い流さないと臭いとか髪とか大変な事になるから! 早くしなさい!」


 有無を言わさぬミカゲの一喝に打たれ、櫂は彼女の成すがままに服を脱がされ、そのまま全身を汲まなく洗われてしまう。

 ちなみにその隣ではエルナが同じように裸になって、水瓶の水と濡らした布で返り血を洗い落としていた。

 もちろん櫂は変態だが紳士なので、自分とエルナがミカゲに洗われている間はずっと目を閉じていたので、懸念していたエルナの裸は全く――


(……本当はお尻とかチラッと見ちゃいました、ごめんなさい!)


 その後、ミカゲが拝借してきた衣服に着替えた櫂とエルナは、血を洗い流した民家で休息していた。

 戦闘中は一切疲れを感じなかったが、一息吐いて気持ち的にも落ち着くと、全身にまとわりつくような疲労感が襲ってきた。


「疲れましたね……」


「まぁまぁ」


 椅子にぐったりともたれかかる櫂とは対照的に、エルナは既に自分の剣の手入れを始めていた。

 何でも刃に付いた血や脂はすぐに落とさないと、切れ味が落ちてしまうらしい。

 そう説明を受けると、櫂の中に一つの疑問が沸き起こる。


「……オークって、一体何なのですかね」


 猪に似た頭部を持ち、全身を毛皮で覆ったオークは、櫂が転生する前の世界で目にした同名の怪物たちとよく似ていた。

 しかし何体も命を奪った今だからこそ、櫂は毛皮に覆われたオークの肉体は人間と大差ない事に気付いていた。


「知らない? オークは"知恵なし"だよ」


 その疑問に答えたのはエルナだった。

 櫂は生憎と"知恵なし"という言葉を知らなかったが、聞いた瞬間に胃を外から押されるような不快感を覚えた。


「……エルナ、"知恵なし"とは何ですか?」


「そのまんまだけど? 生まれた時から獣の頭をしてて、


 エルナの説明は淡々として、ただ事実だけを伝えたように櫂には聞こえた。

 "知恵なし"が何から産まれ、何と比較された上でそう名付けられたのか、言わなくても分かるだろうとも。


「つまり――オークは?」


「言葉も知恵も持たないものはって、御柱みはしらの主も言ってるよカイ?」


 雨の日には傘をさすものだと言わんばかりの物言いに、櫂は絶句してしまう。

 なのに不思議と罪悪感はなかった。

 姿形は大きく異なるとは言え、同族の命を奪ってしまった事への後悔はいくら待っても湧いてこない。

 それが櫂には無性に――


「――すいません、ちょっと一人にしてください」


 こみ上げる不快感を堪えながら櫂は民家を出て、物陰になっている場所にしゃがみ込むと――一度だけ吐いた。

 朝食に食べたパンと干し肉のかけららしきものを地面にぶちまけたあと、胃液の逆流で荒れた喉を鳴らし、何度か咳きこむ。


「こういう時は、二日酔いみたいに引きずるものとばかり思ってました」


 ここは自分が生まれ育った世界とは異なる世界で、相手は自分の命を奪う事に何もためらわない怪物であり、情けをかければ自分や誰かがその報いを受けていたはず――そんな言い訳はいくらでも思いつくが、わざわざ言い訳を用意する必要もないと、誰よりも櫂自身が理解していた。


「――そうか、私はその気になればやってしまえる人間なのですね」


 こみあげた不快感は命を奪った相手の正体ではなく、それを容易く実現できてしまう今の自分に向けた感情だった。


「せめてこの手で奪ったものを忘れてはいけない……そうですよねミカゲさん、エルナ?」


 こっそりと後ろから様子を伺っていた二人に声をかけ、櫂は立ち上がった。

 不快感は何時の間にかきれいさっぱり消え去っていた。けれども今も鼻に残るすえた臭いだけは、一生消えないように思えた。


「……カイ、雨女うめさまがあなたにお礼を言いたいって」


 櫂が吐露とろした心情にミカゲは何か言いたそうな様子ではあったが、口にしたのは単なる伝達であった。

 ミカゲの後ろに立っていたのは、白い貫頭衣と布を頭に巻き付けた女性だった。

 年齢が定かではないのは、顔や手に刻まれた無数の入れ墨のせいだけではない。

 目の前に立っているのに距離感がつかめなくて、手を伸ばしても届かないような――まるで違う世界に立っているようなを感じる女性だった。


「命を救っていただき感謝申し上げます、西の国のお方」


「いえいえ、私はその……無事で何よりでした」


 雨女は櫂を銀鷲ぎんしゅう帝国の人間だと思っているようだが、それを否定しようにも自分がこことは異なる世界から来たのだとは流石に言えない為、櫂は当たり障りのない言葉にすり替えた。


「お手を拝借いたします」


 すると雨女は櫂の手を取り、てのひらに緑色の雫を数滴垂らした。

 ひやりとした感触に続き、若葉を思わせる爽やかな香りが櫂の鼻をくすぐる。


「これは……香水ですか?」


「はて、そのような物は存じませんが、これはギーモの葉より抽出した疫除やくよけの秘薬です。それを手に馴染ませたあと顔や傷口に塗りこんでおいてください。古来より血は穢れと呪いを運んできますので」


 言われた通り、櫂は秘薬を掌の上で馴染ませると、それを顔や手足に塗りこんだ。ひやりとした感触の後に清涼感が広がっていく。


(……ハッカ油のようなものでしょうか。匂いからして殺菌作用もありそうですね)


 ある程度洗い流したとは言え、オークの返り血を浴び続けた櫂は、生物の血液が細菌やウイルスを運ぶ媒体であることを思い出し、念入りに秘薬を肌に塗り込んだ。


「本来は薬湯で身を清めてさしあげたいのですが、今は手持ちがなく……」


「い、いえアタシたちは偶然立ち寄っただけの者ですし? 一夜の宿をお借りできればそれで……」


 へりくだりながらもちゃっかり宿を要求するミカゲに、雨女は可笑しそうに微笑み、村長にその旨を伝えると約束した。

 そして雨女は去り際にもう一度、櫂に声をかけた。


「西の国のお方、あなたは今日、無数の命を奪いました。

 しかしそのおかげで私も子供たちもこうして生きていられます――それだけはどうかお忘れなきよう」


 去り行く雨女の背中を眺めながら、櫂は彼女にかけられた言葉を何度も何度も――心の中で反芻はんすうする。

 ただの慰めでない事は最初から分かっていた。血の穢れと言う言葉も暴力を振るう事をそれとなくいさめているとも考えられる。

 でも、それ以上に――


(誰の命を奪い誰の命を救うのか、その選択の結果から目を逸らすな……いえ、それは彼女の言葉ではなく、私の誓いなのでしょうね)


 どれだけきれいに洗い流しても心に残る、己の掌を濡らした鮮血。

 その罪を悔いることも、呪うこともできないならば――せめてその結果を背負っていこう。

 決意と共に櫂は拳を握る。

 無数の命と血の中から生まれた、真っ赤な誓いを胸に刻んで。



 村を救ってくれた勇者として歓待された翌日――飛竜とともに高原地帯を踏破した櫂たちは遂に、大陸東部の巨大国家「諸国連合」への入国を果たす。


「さぁドラン、ここからはまた頼みますよ?」


 防寒具を脱いでスーツ姿に戻った櫂を背中に乗せ、ドランと名付けられた緑の飛竜は「任せて」と言わんばかりに声を鳴らした。

 これより三人と一頭が目指すは、諸国連合の首都でありその盟主を仰ぐ都市国家「オウキ」。

 西の地の風聞曰く、魔道に通じ、御柱の主に背く獣の頭目――すなわちが治める都である。


 




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