第14話 斬命




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 山越えの途中で立ち寄った集落を襲うオークの集団。取り残された住民を救う為、櫂たち三人と一頭はオークの集団に立ち向かう。



 この日、集落を襲撃したオークは全部で11頭。

 彼ら(※オークはオスしかいない)は徒党を組んではいたものの、連携や共闘などは望むべくもない烏合の衆であった。

 それでも相手がただの村人や自警団であれば、彼らはその巨躯きょくから生まれる膂力りょりょくにて、無数の人間を血と肉の塊に変えていたであろう。


 しかしこの日、血と肉の塊と化すのは人間ではなくオークのほうだった。

 視認すら困難な速度と軌道から、文字通り一撃必殺の刃を振るう櫂と、

 電の如く苛烈な剣で相手の攻撃を弾き、返す刀で全身をなますにするエルナ・ヴォルフの前に、怪物たちは暴威の報いを自らの命であがなう。


「――南無三なむさん!」


 斜面になった屋根を駆け下り、櫂は一頭のオークを側面から強襲する。

 手にした二本の山刀を振るうと、オークは正面を向いたまま猪に似た頭部を斬り落とされ、即座に絶命した。

 その光景を目にした二頭のオークは自分よりもずっと小さな少女に恐れおののき、棍棒を構えたまま後ずさる。

 だがその直後、彼らは突然地面に膝を着いてしまう。

 彼らが足の筋を断たれたと気付く前に、一頭は山刀で首を斬り落とされ、もう一頭は屋根から飛び降りた黒尽くめの少女に、頭蓋ごと頭を叩き割られた。


「これで六頭――やっと半分ですかね。エルナ、大丈夫ですか?」


「うん、カイも疲れたら言って。後は私が片付ける」


 オークとは裏腹に連携し、共闘し、心を通い合わせる二人の少女。

 しかしその太刀筋は野卑なオークよりもずっと無慈悲に命を斬り捨て、三つの刀身は真っ赤に濡れている。


「……ねぇカイ、昔は何していたの?」


「昔? そうですね普通のサラリーマン……ああいえ、良くは覚えていませんが、きっと普通でしたよ」


 エルナからの突然の問いに櫂は思わず誤魔化すが、エルナの刃を思わせる眼差しはそれが方便だと見抜いている――ように櫂には思えてしまう。


「……そう、なら良い」


 しかしエルナはそれ以上踏み込むことはなく、剣に付いた血と脂を革製の篭手でぬぐい始める。対して櫂は後ろめたそうな顔をして口籠ったあと、白状するかのようにエルナに話しかけた。


「――ひとつだけ確かなのは、私のこの体は私だけの仕業ではないという事です。

 どうも私は望んでこうなったわけではなく、そう在れと望む者によってこうされたと考えています」


「……どういうこと?」


「つまり、私の剣は自らの意思と鍛錬で体得したものではなく、獣のようにこの身にあらかじめ刻まれていたもの――だと思うのですよ。根拠は乏しいですが」


 それが知りたかったのでしょうと櫂が付け加えるとエルナは無言で頷き、今度こそその話題は幕を閉じた。

 今はまだ戦闘の最中さなか。村を襲うオークはまだ半分残っている筈だ。

 櫂はエルナにならって山刀についた血と脂をオークの死骸で拭うと、立ち上る煙幕に向けて駆け出した。



 オークの数が半減した頃、村の入り口で待機していたリーダー格のオークはようやく異変に気付いた。

 彼がけしかけた手下による暴力と破壊の音が小さくなり、それどころか同族のものらしき悲鳴まで聞こえてくる始末だ。

 まさか武装した兵士の集団が駆けつけてきたのだろうか。

 だとしても鎧や刀槍を鳴らす音や、連携を取り合う人間どもの声がほとんど聞こえてこないのはおかしい。

 彼は一匹のオークを側に控えさせていたが、そのオークに様子を見に行くように命じた。

 とは言え、オークは言葉を話せない。

 鳴き声のトーンと動作で偵察を命じると、側に控えていたオークは怯えるように身を震わせて、無数の煙が立ち上る集落の奥へと走って行く。

 そして二度と帰って来なかった。


「――――?」


 しびれを切らして自ら様子を伺おうとした矢先、リーダー格のオークの足下に何かが転がってきた。

 それは――つい先ほどまで傍らに控えていたオークのであった。

 自分達を嘲笑あぞわらうような挑発を受け、リーダー格のオークはひときわ大きな体を震わせ、怒りの咆哮をあげる。

 彼らオークには仲間意識など存在しない。

 リーダー格のオークは誰よりも強い力とオークにしては高い知能で、他の個体を従わせていたに過ぎなかった。

 従って全身を震わせる怒りは、とっておきの玩具を取り上げられた子供の癇癪かんしゃくと大差ない。


「これで最後」


 やがて彼の前に、手下の首を蹴ってよこした者が姿を現す。

 黒い髪と黒い皮製の防具を身に着けた、肌と目の色以外は黒で統一した少女――エルナであった。

 そして反対側からもう一人、両手に二振りの山刀を構えたすみれ色の髪の少女――櫂も同じタイミングで姿を現した。

 彼女達の得物の刀身が真っ赤に濡れている事から、手下をことごとく斬殺したのは誰なのかは考えるまでもなかった。


 オークにとって人間は食料ではない。

 ただし彼らが飼っている家畜や、住居に溜めこんだ野菜や木の実は、山奥で暮らすオークにとっては垂涎すいぜんのご馳走ばかりだ。

 故にリーダー格のオークは手下を使って人間を追い出し、集落ごと一人占めしようと画策したのである。

 ついでに小さて弱くてキーキーうるさい人間を叩いて潰すことで、暇をつぶそうとも考えて。


「いかにも親玉と言った風情ですね。流石に一筋縄ではいかないようです」


 櫂の目に映るそのオークは他のオークと比べてもひときわ大きく、手首や下腿かたい部、更には心臓の位置を分厚い毛皮で覆っている。

 恐らくは他の動物の毛皮を、鎧のように急所に巻きつけているのだろう。

 その厚みや強度は見た目だけでは判断できないが、手にした山刀では一刀両断できないだろうと櫂は感覚的に理解していた。

 更にそのオークが手にする武器は原始的な棍棒ではなく、どこから調達したのかも不明な巨大な斧――を思わせるトップヘビーの刃物であった。

 かすっただけでも衣服ごと皮膚を引き千切られ、致命傷を負う事は間違いない。


「まぁ――何とかなるでしょう、多分」


 櫂の楽観は、決して無知や無謀から来るものではない。

 しかし叩けば果実のように潰れてしまう矮小わいしょうな人間が、自分を恐れることなく平然と立ち向かってくる事。それ自体がリーダー格のオークにとっては激昂すべき屈辱であった。


「グルガァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 怒りと共に敵は足を踏み出し、櫂に向けて巨大な斧を振り上げた。

 それが落雷の如くに振り下ろされる直前、櫂は一瞬にして加速するとその一撃を避ける。巨大な斧の一撃は地面をえぐり飛ばし、大きな砂埃を巻き上げた。

 その衝撃に空気は震え、まるで大砲の直撃だと櫂の背筋に冷たいものが走る。

 すると敵は地面を抉った得物を、そのまま真横に振るった。

 その一撃は周囲を薙ぎ払うだけでなく、刃が抉った土や石を同時に巻き散らす複合攻撃であった。

 殺傷能力こそ低いものの、土砂をまともに受ければ相手は足を止めざるを得ず、次の瞬間には斧で叩き切られてしまうだろう。

 この戦法によりリーダー格のオークは数えきれない程の兵士や狩人だけでなく、同じオークすら血祭りにあげてきた。


 櫂は慌ててその場にしゃがみ込み、飛来する土や小石から顔を守ろうとする。

 しかし、いつの間にか側に駆け付けていたエルナが剣を一振りすると、櫂に飛んでくる筈だった土砂は全て叩き落とされてしまう。


「ありがとうございますエルナ! しかし――めんどくさい!」


 礼を言うと当時に、二人はそれぞれ別方向に退避する。

 その直後に再び、オークの振るう刃が二人がいた地面を抉り飛ばした。


「動作は俊敏ではありませんがリーチが馬鹿になりませんね! 加えて複数との戦いに手慣れています!」


 超能スキルと呼ばれた加速力と、急所を一撃で仕留める無意識の殺法をもってしても、あのオークは仕留めきれないと櫂の頭ではなく体が判断を下していた。


(私は足こそ速いですが、肉体的な強度は女の子のそれです。一か八かで斬り込んだところで、仕留めそこなえば即デッド・エンドでしょうね……)


 敵の攻撃をかわし、懐に潜り込む自信はある。

 しかし急所をおおう毛皮の鎧に加え、他のオークよりも大きな体は皮下の筋肉の厚みも相当なものに違いない。例え深く切り込んだとしても一撃で断ち斬らなければ、肉の厚みに刃を止められてしまう。

 そしてあの太い腕で打ち払われるか、或いはその手に捕まってしまえば、少女の華奢な肉体など容易く破壊されてしまうに違いない。

 そしてそれは、エルナとて例外ではない。

 その証拠に彼女もまたリーダー格のオークから距離を大きく取り、攻めあぐねているように見えた。


(狙うは毛皮に覆われていない頸部。超能スキルで一気に加速して首を落とすしかありませんが――当然、敵もそれを警戒しているでしょうね)


 人間を遥かに超える巨躯と膂力だけではなく、このオークは実に狡猾こうかつであった。

 それは半裸の手下と違って急所を鎧代わりの毛皮で覆っているだけでなく、得物のリーチと土砂を飛ばす戦法を活かし、敵を自分の間合いの内に入れようとしない事からも明らかだ。


「こっちよ! !!」


 その時――頭上を巨大な影が通り過ぎたかと思うや否や、ミカゲが投じた無数の暗器がリーダー格のオークの太い腕に突き立った。

 その隙を突いてエルナが動き出したが、それも警戒していたのだろう。オークは暗器が突き立ったままの腕で得物を振るい、エルナの接近を阻む。

 オークからすれば短剣より細い暗器は蜂に刺される程度の損傷しか受けないが、 蜂の一刺しは刺突による損傷よりも、注入される毒こそが真の脅威である。

 オークの動きに変化が生じたのは、それから息を三回を吐いた後だった。

 巨大な斧を振るう動きは緩慢になり、大地を踏み潰すかのような足取りにもふらつきが見られるようになる。


「もしかして神経毒ですか! えげつないですねミカゲさん!」


「うるさい! とっておきの肝毒まぶしを全部お見舞いしてもまだ動けるとか、こっちは大損よ!」


 ミカゲは悪態を吐くと、煙幕玉をありったけリーダー格のオークに投げつけた。

 たちまちその巨体が白い煙幕に覆われ、敵と味方は視覚的に閉ざされてしまう。


「――行きます! エルナ!」


「――うん!」


 ミカゲの援護により、好機は遂に訪れた。

 櫂とエルナはその手に刃を握りしめ、同時に動き出した。



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