第13話 オークがせめてきたぞっ




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 帝都を出奔しゅっぽんして四日目の昼。宿を求めて竜骸りゅうがい山脈内の集落へと降り立った櫂たちであったが、そこの住民は有無を言わぬ勢いで退去を命じるのだった。



「今すぐここを出ていくんだ! もうすぐオークたちが攻めてくるぞ!!」


 青ざめた顔で退去を命じたのは、頭の上に猫耳を生やした老年の男性であった。

 顔に刻まれた深い皺と貫禄から、櫂はこの男性が集落の長かと勘繰るが、事実その通りであった。


「ちょ、ちょっと落ち着いて! オークってどういう事なのそれ?」


 長の言葉に誰よりも驚いたのは、ミカゲ・アゲハだった。

 同属の姿を確認すると長は安堵したのか、少しだけ落ち着きを取り戻す。


「君も王虎おうこの民だったか! ならば悪いことは言わない、今すぐこの集落を離れなさい。間もなくここにオークの集団が攻めて来る」


「集団って……オークが徒党を組んで村を襲うだなんて、聞いたことがないわ」


「エルナ、そうなのですか?」


 緊迫した空気を読んでか、櫂は隣に立つエルナ・ヴォルフにそっと尋ねる。


「うん、オークは基本単体で行動する。オーク同士で獲物の奪い合いするのもしょっちゅう」


「なるほど。だとすれば今は余計に異常事態なのですね」


 櫂がこの世界に転生してまだ一月も経っていないが、オークという怪物には聞き覚えがある。

 転生初日に櫂が訪れた集落で住民を皆殺しにしたオークを、櫂は(何故か)一刀のもとに絶命させていたのだから。


「以前から複数のオークが畑を荒らしたり家畜を盗む事はあったが、まさか集団で村を襲うだなんて前代未聞だ」


 そう言って頭を抱える長を前に、ミカゲも顔付きを険しくする。


「さぁもう分かっただろう。私たちはこのまま村を捨てる。君達も一刻も早くここから離れなさい」


 同属が生存か死かの二者択一を迫られ、住み家を放棄せざるを得なかった苦渋くじゅうを思ってか、ミカゲは両の拳を強く握り締める。

 エルナは何も言わなかった。櫂には長の判断が正しいのかどうかすら分からず、全てをミカゲに任せる事にした。


「……行きましょう、二人とも」


 それがミカゲが下した選択だった。しかし櫂はそれを薄情だとは考えなかった。

 ただ、やりきれない気持ちだけが胸にわだかまる。


「――大変だ、村長むらおさ!」


 そんな時、別の住人が血相を変えて駆け寄ってきた。


「どうしたヒドリ、住民の退去はもう済んだのか?」


「あ、ああ……西側の連中は全員村を離れたが、その中にガキどもと雨女うめさまの姿が見当たらねぇんだ!」


 ただでさえ余裕を失っていた長の顔が蒼白になる。

 立ち去ろうとした櫂たちも、その言葉に思わず足を止めてしまう。


「まさか東の講堂に? いかんぞ、そちらにはオークどもをおびき寄せる手筈になっている!」


 どうやら集落の東側に逃げ遅れた住民がいるらしい。

 それも子供と雨女うめ――呪いや薬学を用いて住民の命や健康を守る女性――という決して失われてはならない存在ばかりが。


「――エルナ、ミカゲさん!」


 櫂は反射的に二人の名を呼んでいた。

 エルナは無言で頷き、ミカゲは「分かってるわよ!」と飛竜にまたがり手綱を掴む。


「お、おい――あんたら一体!」


 説明は不要と、櫂はエルナを連れて走り出した。

 向かう先は言うまでもない。集落の東だ。


「どうするのカイ? 相手はオーク、それも複数よ?」


「私なら問題ありません。少し前に一頭仕留めました。エルナはどうですか?」


「本来なら三人一組で対処する。でも……一人でも経験はある」


 二人の回答にミカゲは絶句した。

 オークとは猪に似た頭部を持つ亜人であり、その巨躯きょく膂力りょりょくは一匹で複数の人間を殲滅するに余りあると恐れられている。

 そんな怪物を、この二人は一人で仕留めた経験があるらしい。

 本来ならばホラ話として聞き流す類の妄言であるが、ミカゲは櫂が持つ常識外れの脚力と、エルナの凄まじい剣技をその身をもって体感している。

 何より櫂もエルナもホラを吹いて虚勢を張る人間ではないと、ミカゲはこれまでの道中を通じて知っていたのだから。


「……分かった。でも何かあればすぐ逃げるのよ? いいわね!」


 強い口調で念を押すと、ミカゲは飛竜を駆って二人に先行する。

 その後を追いながら村の東側に向かう途中、櫂は一件の民家に立ち寄った。

 住民はもう逃げたらしく家はもぬけの殻であったが、つい先刻さっきまで人が生活していた痕跡があちこちに残されている。

 それらを目で追いながら、櫂は物置小屋に置かれていた二振りの刃物を発見した。


「これは……なたというか山刀でしょうか。ふむ、長さも重さも申し分ないですね」


 櫂が探していたのは自身の武器であった。

 ミカゲやエルナとは違い櫂は護身用の短刀すら所持していなかったので、短刀よりも長く直剣に比べると短いそれは、櫂にとっては理想に近い得物であった。


「緊急事態なので、大目に見てくださいね」


 顔も知らぬ持ち主に詫びると、櫂は二振りの山刀を構えて民家を離れた。

 すると無人の筈の集落から、何かが破壊される音が連続して聞こえてくる。恐らくはオークが遂に村に侵入したのだろう。

 櫂とエルナは足を速め、先ずは長が口にした講堂と思わしき建物を目指す。

 漆喰しっくいの壁でできた講堂は、それ故に他の民家とは一目で区別できる。櫂の感覚からすれば教会に近い外観をしていたが、その入り口は固く閉ざされていた。

 そしてミカゲとドランは講堂を守護するかのように、屋根の上に陣取っている。


「こっちよ二人とも!」


 ミカゲの声に導かれて、櫂とエルナは彼女の下へ急ぐ。


「ミカゲさん、子供たちは無事ですか?」


「ええ、この建物の中から複数の声と気配を感じるわ。全員かどうかは分からないけれど――確認している暇はないわね」

 

 集落の東側はゆるやかに曲がる一本の道を挟むように、複数の民家が向かい合って建てられている。そのほとんどが一階建ての小さな家ばかりだ。

 そして今、ミカゲの金色の眼には木製の民家のひとつが、音を立てて半壊する光景が映っている。

 遠目では顔立ちを判別できないが、身をかがめても民家の扉を潜れないほど大きな人影が倒木から削り出した棍棒を振るい、目の前に存在する人造物をことごとく瓦礫がれきに変えていく。それも複数。

 棍棒の一撃を受けた木製の壁はひしゃげ、自重できしみながら潰れていく。

 細い柵や木製の棚、ずしりと重い瓶や壺も、太い手足で粉微塵に砕かれる。

 逃げ惑う小さな家畜たちは悲鳴のように鳴きながら、その命を手折られていく。

 破壊それ自体が目的と化したオークたちの蛮行に、ミカゲは嫌悪感を露わにした。


「数は10頭くらいかしら、散り散りになって目に付いた物を手当たり次第に破壊しているわ」


「散り散りですか――ありがとうございますミカゲさん。

 できればいつもの煙を出すやつで、上空から敵の位置を教えてください。私たちはそれを目印にを狙います」


「……本当にやる気なのね? あぁもう、こんなの武者や導師どうしの出番じゃない!」


 たったの三人でオークを、それも複数を相手にするという無謀な行為にミカゲは頭を抱えるが、それでも彼女は櫂の要請を受けてくれた。

 飛竜と共に集落上空を飛び回るミカゲは、上空からオークめがけて小石大の球体を投擲とうてきする。それらは衝撃を加えると簡単に弾けて、様々な効果を備えた煙幕を発生させる。


「――グルァ?」


 突然視界を奪われたオークは民家を破壊する手を止め、周囲を見回し始める。

 そこに一振りの刃がはしった。

 煙幕を切り裂き、オークの膝ほどの高さから一直線に空へと駆け上がった刃は、成人男性の胴ほどに太いオークの首にするりと斬りこんだかと思うと、紙を裂くように怪物の頭と胴を永遠に切り離した。

 何が起きたのか最期まで理解できないままオークの頭部は地面に落下し、切断された首からは噴水のように血が噴き出す。

 無音の斬首――煙幕が晴れた後、そこには首を失ったオークの死骸のみが残されていた。


「うまく行きました! 我ながら何でこんな事できるのか理解不能ですが!」


 たったの一撃でオークを斬殺したのは櫂であった。その証拠に、右手の山刀の刀身は血で濡れている。

 彼(女)はオークの首を落とすと民家の屋根に一足で跳び上がり、そこから次の標的の位置を見定めていた。その傍らには直剣を構えたエルナの姿もある。


「――すごい。わたし、あんなにはやくて無駄のない剣を見たことない」


「いやぁまぐれ……ではないのですが、自分でも不思議なんですよね。

 どうしたらあんな事ができるのかさっぱり見当がつかないくせに、できるかどうかは何となく理解わかってしまう」


「わからないのに、できる?」


「はい、全然まったく分かりません。それでも、やる事は変わりませんからね!」


 櫂が白い煙が立ち上る方向に目を向けると、その先に棍棒を構えた二匹のオークの姿を捕える。

 オークたちはミカゲが投じた煙幕から抜け出していたが、櫂たちに気付いた様子は未だ見られない。


「エルナ、一頭は任せます」


「うん」


 短く言葉を交わすや否や、二人は屋根から飛び降りた。

 そして乾いた地面を蹴りつけると、一直線にオークの元に駆け出す。その姿は正に疾風にして迅雷じんらい

 櫂の接近に気付いた一匹のオークは威嚇いかくのために咆哮した後、それでも足を止めない櫂に向けて棍棒を振り上げ、力任せに振り下ろした。

 直撃すれば人間を肉塊へと変える一撃は、地面をえぐり飛ばすだけに留まらず、周辺の大地を空気ごと震わせた。

 だが――それだけ。

 櫂は棍棒に叩き潰される前に民家の壁に飛び移り、壁を垂直に駆けながらオークの背後へと回りこんでしまう。

 渾身の一撃を軽々とかわした櫂の眼には今、無防備に首筋を晒す怪物の背中が映っていた。


「そこです!」


 頭で考えるより先に櫂の両腕が交差する。

 二つの刃はオークの首と頭部を斬り裂き、砂埃の中に血の花を咲かせた。


「これで、ひとつ!」


 一方、仲間の最期を看取る暇もなく、もう一匹のオークは別方向から襲来した刃に左の手首を斬り落とされた。

 櫂の一撃を風にたとえるなら、エルナの剣は雷光そのものである。

 下からすくい上げるように放たれた斬撃は、振り下ろされる直前だったもう一頭のオークの攻撃を手首ごと断ち切っていた。


「――もらった」


 武器と右手を失った衝撃に愕然とするオークを次の瞬間、刃の嵐が襲う。

 瞬きの合間に顔面、右脇、両の大腿部、下腹部に刻まれた刀傷。

 エルナが振るう刃は毛皮に覆われたオークの皮膚を深々と切り裂き、分厚い筋に包まれた太い血管にすら刃を届かせていた。

 豚のような悲鳴と共に、オークは全身から赤い血を吹き出す。

 もはや戦闘どころではなく、全身から命そのものが失われていく痛みと恐怖にオークはその場から逃げ出した。

 しかしその足取りは無様なほど鈍く、数歩進んだところでオークは前のめりに倒れ、自分が流す血の海に沈んだまま絶命した。


「……ごめんなさいエルナ。私、君のことをあなどっていました。手助けとかマジでいらなかったですね」


「うん、だってカイを守るのがわたしだから」


 二人の会話はいちまち噛み合っていなかったが、こと肉弾戦においては二人の息は驚くほどぴったりだった。

 しかしまだ三匹。他のオークたちは集落のあちこちで無秩序な破壊活動を繰り広げ、その位置を指し示す煙幕は無数に立ち上っている。


「でも、これなら何とかなりそうですね。エルナ、行きますよ」


「うん、まかせて」


 時間にして一分にも満たない休息を終え、二人は再び動き出した。

 その手の刃で更なる血と命を散らせるために。






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