第16話 この樹なんの樹?




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 遂に大陸の東――諸国連合の地を踏んだ櫂たちは、飛龍の背に乗り「魔王」が待つと言う都市国家「オウキ」へと向かう。


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「デッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッカいですねぇ!」


 悠然と翼をはためかせて空を飛ぶ、緑色の飛竜。

 その背中にまたがる櫂の前には、見たこともないほどの大樹がそびえ立っていた。

 ただ大きいだけではない。

 街道を行き交う人が米粒にしか見えないほどの高度にあっても、上を向かなければ、天に向かって真っすぐ伸びる幹や、その先に広がる枝を拝めないほどの大樹なのだ。

 転生する前の櫂は、地上600メートルを超える「空」の名を冠した塔を目にした事があるが、この大樹は高さも幅もそれとは全く比べ物にならない。

 どのような賢者であっても、この大樹が天を支えていると聞けば、それだけで納得してしまいそうなほどの威容だった。


「しかし、これだけの大樹なのに、太陽光が全くさえぎられていないのはおかしいですね……?」


 断崖絶壁にしか見えない幹の表面には、しわのような陰影が落ちていたが、下に目を向ければ、この大樹は大地のどこにも影を落としていない。

 その不自然さに櫂は首を傾げる。


「ねぇカイ……あなたまさか『神樹しんじゅ』のことまで忘れてしまったの?」


 一方、櫂に抱きつかれながら飛竜の手綱を握る少女――ミカゲ・アゲハは、信じられないと言わんばかりの顔で問いかける。


「え? そうですね……こんな大きな樹は初めて見ました! しかしその反応からすると、割とよくあるものなのですか?」


「帝国にだってあるでしょ! そうよね、エルナ?」


 ミカゲが話を振ると、櫂の背中に抱きついている黒尽くめの少女、エルナ・ヴォルフは「うん」と即答した。


「古都にある。『神樹』じゃなくて『始源しげんの樹』だけど、大きさは変わらない」


「そうなんですか! いやそちらも見てみたいですね!」


 良い事を聞いたとばかりに目を輝かせる櫂に対し、ミカゲとエルナはそっと目を合わせる。


(ねぇエルナ、カイって本当にただの記憶喪失なの?)


(……知らない。でも、ちょっとヘン)


 実際に言葉を交わし合ったわけではないが、二人は櫂がこの世界の常識をあまりに知らない事に疑念を抱き始めていた。


「それよりもですね? この樹は葉を持たないのですか、ミカゲさん?」


「……そうか、これも忘れちゃったのね。神樹の枝の先端を良く見てみなさい。でしょ?」


 言われた通り、櫂は顔を上げて遥か頭上に目をらす。

 すると彼(女)の琥珀色の瞳は、空に向かって伸びる枝の周囲が確かに波立っている事に気付いた。


「ほ、本当ですね……何とも面妖な……って、もしかして蜃気楼じゃないですか?」


「シンキロウ? 何それ?」


「簡単に言うとですね、温度差によって生じる光の屈折現象――って、そうか!

 この樹は太陽光を屈折させて自らを照らしているのですね! でも何のために?」


「……またカイがよく分からない事言ってるわね。導師が言うには、神樹はその葉に光を集めて大地を照らし出しているそうよ。だからまぶしくて見えないんですって」


(……それは恐らく光の透過率の影響でしょうね。

 だとすればますます解せません。これでは植物と言うよりも、樹の形をした集光装置……いえ、まるで他の生命体に生息圏を与えているようにも思えます)


 櫂の疑問は尽きる事を知らなかったが、ドランと名付けられた飛竜は、自分の背に乗せた少女の疑問などどうでも良いと、巨木の周囲を巡りながら高度を下げていく。

 すると根元に近付くにつれて、足元に広大な街並みが見えてきた。


「これが――魔王の都なんですね」


 面積だけで言えば銀鷲ぎんしゅう帝国の帝都イーグレとさして変わらず、周囲を囲む荘厳な城壁も見当たらない。

 しかし神樹の根本に広がる街並みは、帝都のそれよりも櫂の好奇心を刺激した。


 諸国連合の宗主国『オウキ』。

 国号と同じ名のその都市は、神樹に抱かれたである。

 巨木の根元に広がる街を第三層とすると、第一・二層は神樹を囲むように建てられた半円状の広大な足場の上に、無数の建造物を整然と並べていた。

 その中でも三層の中央部、神樹をたてまつる神殿のような佇まいの建造物が、この地を統治する存在の住まいなのだろう。

 櫂たちを乗せたドランは第二層へと降下し、外苑から突き出す平らな甲板の上に着陸した。


「おおーーーーーーーーっ! 飛竜に大きな鳥に、もしかしてあれはグリフォンじゃないですか?」


 広い甲板にはドランの他にも白、黒曜、赤銅に紺碧など色とりどりの鱗を輝かせる飛龍が翼を休めており、他にも飛竜と同じ大きさの鳥も散見される。

 更にわしの頭と翼と前足に加えて、獅子の体を持つ生物が人間に連れられて歩く姿を見るや否や、櫂は夢中でスマホのシャッターを切っていた。


「…………まぁ予想はしていたわ。確かに鷲獅子グリフォンは珍しいだけど」


 櫂が竜骸山脈を横断する途中で、骨と化した竜の骸に執着していた事を思い出し、ミカゲは呆れて空を仰ぐ。

 一方、エルナはエルナで撮影に夢中になる櫂の背中をそれとなく警護していた。


「これは確かに魔王の都っぽい……と、ミカゲさんの下手なサプライズに乗っかりたいところですが、やはり


 オウキに到着するまで、ミカゲは何度もここが(銀鷲帝国の噂によれば)魔王が治める都だと脅かしていたが、櫂は話半分に聞き流していた。

 その理由は言うまでもなくミカゲ自身と、そして櫂の目の前で忙しそうに働くオウキの住民の姿にあった。

 彼ら彼女らは獣を思わせる器官を備えてはいるものの、見た目も仕草も交わす言葉のやりとりも、人間そのものだ。


(まぁ十中八九、帝国のプロパガンダか単なる偏見だとは思ってましたが……)


 櫂はふと空を仰ぎ、そこに自分の空想を投影する。


(でも見たかったですね……コテコテでゴシックな魔王と怪物たちを……)


 青白い月に照らされ、闇の中にそびえ立つ凶々しい城砦。

 その最奥には二つの角を生やした冷酷無情の王が万に届く魔物を従え、勇者の命と世界への反逆を虎視眈々と狙っている――しかし、そんな光景はオウキのどこにも見られない。


「角? ああ、彼らは東方地道とうほうちどうの龍人様ね。姿形は人間に見えるけど、あの方々は飛竜と同じ高位の亜竜ありゅうなのだから、くれぐれも失礼のないように」


 ミカゲはそう釘を刺すが、確かに額から二本の角を生やす男性は、近寄りがたい雰囲気をまとっていた。


「……すみれ色、いいよね」


「いい……」


 話している内容と、櫂を見つめ返す目付きは兎も角として。


「で、ではミカゲさん、肩に小さな翼を生やしているのは南方の人達なのですか?」


「ええ、そうよ。よく知っていたわねカイ……向こうで騒いでいるのは、南方火道なんぽうかどう炎翼えんよくの民ね」


 櫂とミカゲの視線の先には、屋台の様な店の前で盃を持って、陽も高いのに酒をみ交わしている男達がいた。

 彼らは一様に複数の色が混じった派手な頭髪と、肩から手のひら程度の小さな翼を生やしている。


「おいおい、そこの可愛い子ちゃん達、おじさんと飲もうぜー! ヒャヒャヒャ!」


 彼らは櫂とミカゲに気付くと誘いの声をかけるが、もちろん二人は好き好んで酔っ払いの相手などする気はない。


(王虎おうこ鎧亀がいき、東は龍で南は炎翼えんよく……細部は変わっていますが、間違いなく四神ししんですよね?)


 櫂が酔っ払い達の出自を見抜いたのは、偶然ではなかった。

 彼(女)はミカゲが口にする祖神そしんとよく似た存在を既に知っていた。風水において方角を司る霊獣――白虎、玄武、青龍、朱雀の四神である。


(店の看板や貨物に書かれている文字は帝国と同じ統一言語ですが、見た事のないハン(※この世界の表意文字)ばかり。となれば、オウキないし東の地の文明は風水や陰陽道の影響でも受けているのでしょうか。しかし何時いつ?)


 櫂は小さなあごに手を当てて思案に暮れる。

 だが結論を出すには知らない事があまりに多すぎると、早々に思索しさくを中断した。


「しかし幻想生物をこんなにも目にする事が叶うなんて、異世界転生さまさまです♪

 ミカゲさん、あの鳥たちは飛竜のようにくらを付けていませんね」


 甲板に集まる巨大生物をまじまじと眺めているうちに、櫂はその全てが人間の乗騎ではない事に気付いた。

 飛竜は何れも馬のように鞍と手綱を付けているが、巨大な鳥はなめした皮で首から胴体を覆うだけで、人を乗せるような装備は身に着けていない。


「ええ、巨鳳オオトリは荷物を運ぶけど人は乗せないの。と言うか人が乗ったらすぐに落とされるわ」


「……なるほど、飛竜とは用途も飛び方も違うのですね。つまりは大きな伝書鳩みたいなものですか」


 櫂の言葉にミカゲは「そうね」とうなずく。どうやらこの世界にも伝書鳩は存在しているらしい。


「……あ、残念」


 夢中で巨大生物や街並みを撮影していた櫂が、ふいにスマホを顔から離した。

 バッテリーが空になってしまい、ディスプレイには気落ちした顔の美少女――つまり櫂の顔が映るだけだ。


「どうしたのカイ、その板壊れちゃった?」


「単なるバッテリー……ええと、お腹が空になってしまっただけです」


 この世界には電池で動くような機械もなければ、そもそも「動力」という概念自体が存在しているかどうかも分からない。

 そこで櫂は下手な例えをするしかなかったのだが……


「お腹? が足りないんじゃないの? しに行きましょうか」


「エレ……今『充電』って言いましたかミカゲさん⁉」


 驚きのあまり声を張り上げる櫂。

 ミカゲもエルナも声の大きさに驚き、周囲の人間達も何事かと目を向けてくる。


「え、ええ……良くは知らないけど、写し絵の板ってエレキで動くのでしょう?

 一件しかないけれど、オウキにはエレキを売ってくれる店があるわ」


 そこまで言ったところでミカゲはエルナに目を向け、「まぁ帝国にはまだないでしょうけどね」と嫌みを付け足す。

 尤もエルナは「エレキ」なるものを知らないので、ただ首を傾げていた。


「い、一体どうなっているんですか、この異世界……てっきり魔力を電気に変換するとか、そう言う理屈かと期待していたのに!」


「魔力? そんなじゃないわ。導師が使う絡繰りや板帳ノートにはエレキが必要だから、昔からそれを売る店があるのよ」


 ミカゲは櫂の手を取り、早速その店に行こうと歩き出した。エルナは櫂の背後を何も言わずについて行く。

 そんな少女達の背に、好奇の目が無数に注がれていた。





※作者より

 

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。

 作者の実生活の影響で、しばらくは毎週水曜・土曜の夜20時頃に更新します。

 ご了承ください。








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