第11話 山を越え谷を超え




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 皇太子のめかけになどされてなるものかとミカゲと共に帝都を出奔しゅっぽんした櫂は、護衛として付けられていた少女エルナも含めて「魔王」が待つ東の地へと向かうのだった。


 ・

 ・

 ・


 西の銀鷲ぎんしゅう帝国。東の諸国連合。

 大陸の覇を争う二大国は、一つの小国と一つの山脈によって隔たれていた。

 小国の名は赤狼せきろう公国。銀鷲帝国の皇室とは血縁関係にある赤狼大公が治める国である。

 そして山脈については昔から様々な名で呼ばれていたが、40年ほど前にある冒険家が山脈を踏破した際、手記にこう記した。

「高く険しい山嶺さんれいは、竜の骸で埋め尽くされていた」と。

 その一節は読み手に強烈な印象を与え、いつしかその山脈は『竜骸りゅうがい山脈』と呼ばれるようになったと言う。


「その噂は本当でしたね! ドラゴンの骨ですよ、骨ドラゴン!」


 そして今、内匠櫂は『竜骸山脈』の名の由来を目の前にして、かつてないほど興奮をあらわにしていた。

 ここは山脈の東端。山嶺のふもとに広がる高原地帯である。

 足下には草花が緑の絨毯じゅうたんとなって高原を覆っているが、日陰にはまだ白い雪が残されている。従って櫂たちが毛皮でできた防寒着を脱ぐには、もう少し山を下る必要があった。

 それはさて置き。櫂の目の前には、風化して岩と化したような巨大生物の骨が無数に横たわっている。その数は見当もつかないが、頭蓋ずがいの骨はどれも人間を難なく丸呑みできそうなほど大きかった。

 何より二本の角と無数の牙を備えた頭蓋の形状は、まぎれもなく櫂が良く知る竜のそれである。

 櫂はひときわ大きな頭蓋をスマートフォンで撮影すると、その画像を見ながら可憐な顔を花のようにほころばせるのだった。


「えへへ……かっこいい……」


 しかし傍から見れば、それは竜の骸を前に美しい顔をとろかす少女という実に倒錯的な光景に見えなくもない。

 更に彼(女)の振る舞いを良く知る同行者からすれば、今の櫂は実益のないものに執着する幼児そのものであった。


「どうせなら全身の骨も残っていませんかね? バッテリー切れになる前にデータを残して置きたいところですが……あ! もう少しだけ、もう少しだけ待ってくださいねミカゲさん!」


 そんな櫂が帝都を出奔したのは、今から五日前の話だ。

 彼(女)をさらうふりして帝都から連れ出した猫耳の少女ミカゲ・アゲハと、その乗騎である緑色の鱗を持つ飛竜。

 そして櫂とミカゲに巻きこまれた形で同行している少女、エルナ・ヴォルフの三人と一頭は、早くも竜骸山脈を横断して諸国連合の勢力圏に足を踏み入れていた。

 その諸国連合の工作員でもあるミカゲによれば、この高原地帯から麓の町までは特に険しい道もないとのことで、三人の心と足取りは軽い。

 もっともそのせいで櫂は、巨大な竜の骸に夢中になっているのだが。


「でもドランもかっこいいですよ? 大きいだけがロマンではありませんし」


 櫂がそう言って同行する飛竜の鼻のあたりを撫でると、「ドラン」と名付けられた飛竜はくすぐったそうにまぶたを閉じる。

 ドランは帝都から竜骸山脈を横断するまでの長い距離を、櫂を含めた三人の少女を背負って飛び続けてきた。それでも疲労した様子はなく、今は大きな翼を降りたたみ、四本の脚で自分よりずっと小さな少女達の後ろを付いて来ている。

 転生前から異世界ファンタジーが好きだった櫂からすれば、忠実で人懐っこいドランと仲良くなるのは時間の問題だった。


「西の地に竜はほとんど生息していないと聞くけれど、だからってああも執着するものなの?」


 櫂が竜の骨や飛龍とたわむれる姿を眺めていたミカゲは、呆れた顔で隣に立つエルナに尋ねかける。

 しかし髪も含めて衣服も黒で統一したエルナは「しらない」とだけ答えて、干し肉をかじり続けていた。

 ミカゲが知る限り、その干し肉は保存性を高めるために極めて硬く、本来は煮込んで食べる物なのだが……エルナはおかまいなしに口に咥えている。


「あなた、いつもその肉かじっているけれど……よく平気ね?」


「問題ない。食える時に食っておくだけ」


「なら今夜も寝ずの番をするつもり? 律儀と言うか変わり者と言うか……たまには代わりましょうか?」


 エルナは首を横に振った。

 しかしそれは、決してミカゲを思いやったわけではない。


「カイを守るのは私。お前は信用してない」


 そう言い捨てたエルナに、ミカゲは眉根にしわをよせる。

 あくまで自分は櫂の護衛であり、その役目をまっとうする為に護衛対象以外の人間を警戒していると言いたいのだろうが、不躾ぶしつけでつっけんどんな物言いは流石に反感を買ってしまう。


「……あっそう。この際だから言っておくけれど、あなたに寝首を掻かれやしないかとアタシ、ろくに眠れていないのですけど?」


「知らない。カイに手を出すならそうするまで」


 エルナとミカゲが出会ったのは、櫂が帝都を出奔した当日のこと。

 帝都イーグレの霊園にて櫂を(本人の願いで)さらおうとしたミカゲを、エルナが妨害するなどして、言葉よりも先に殺意と刃を向け合った間柄である。

 本来ならば、お互いに行動を共にする理由はないのだが……


「ミカゲさん、エルナも一緒に撮りませんか?」


 そこにほがらかな笑みを称えた櫂が声をかけてきた。この呑気な転生者の存在が、奇しくも二人を結び付けていたのである。


「また写し絵? 嫌ではないけれど……緊張感がどんどん薄れて行く……」


「良いじゃないですか、私は今更逃げたりしませんよ? エルナはどうです?」


 櫂の誘いにエルナは無言で頷いた。

 しかしその顔には何の感情も関心も宿っていないように見える。つまりはどうでも良いのだろう。


「ではいきますよ……はい、チーズ!」


 シャッター音が鳴ると、その直後に櫂のスマートフォンの画面には、横並びになって視線を向ける三人の少女の顔が写し出された。。

 すみれ色の髪と琥珀色の瞳を待つ櫂を中央に、月光を思わせる銀色の髪と金色の瞳のミカゲ、そして黒い髪と左右で色が異なるオッドアイのエルナの三人。

 その背後ではドランがちゃっかり写り込んで、カメラに目線まで送っていた。


(自撮りなんて今までした事もありませんでしたが、これは良いものですね……。

 何よりみんな顔が良いので、見ているだけで幸せになります)


 転生する前の櫂は「自分の顔なんて見たくもない」という哀しい理由で自撮りをする事はなかったが、今の彼(女)は誰もが認める12歳の美少女である。

 新しい顔には未だに違和感を覚えるが、見ていて不快にならないという点だけは櫂には有難かった。

 何よりミカゲもエルナも櫂の目から見ればかなりの美少女であり、背後には本物のドラゴンである飛竜ドランも映っていて、実に絵になる一枚だ。


「それにしても今日で五日目ですか……色々ありましたねぇ」


 櫂たちが帝都を離れ、山脈を横断し始めてから五日が過ぎた。

 本来ならばもう少し日数を要する行程だが、険しい山々の上空をドランに乗って移動していたので、三人は極めて短期間で横断に成功したのである。

 しかしその道中は決して平穏無事とは言えず……


「そうね、最初の集落までは平和だったんだけど……」


 晴れ渡る空を見上げながらここに至るまでの道中を思い出し、ミカゲはため息交じりに呟いた。

 いくら飛竜と言えど、三人の少女を乗せたまま昼夜を問わず飛び続ける事は困難だった。

 そこで三人は山脈に点在する集落に立ち寄りながら羽を休め、時には一夜の宿を借りることもあった。


 最初に訪れた山脈西側の集落で、三人と一頭は手厚い歓迎を受けた。

 山越えに必要な防寒着や食料などを分けてもらえただけでなく、その日は村長の家に招かれて歓迎の宴まで開かれる始末だった。

 宴の席で振る舞われたのは、薄く平たいパンに野菜と塩漬け肉のスープという素朴な料理だったが、見た目とは裏腹の芳醇ほうじゅんな味に櫂は感動して涙ぐむほどであった。


「いやあどれも美味しいですね……しかし今更ながら疑問なのですが、どうしてここまで私達に良くしてくれるのですかね?」


「そんなの、アタシのおかげに決まってるじゃない」


 櫂の疑問にミカゲはドヤ顔で答える。


「アタシは西方風道せいほうふうどう王虎おうこの民。祖の眷属けんぞくは誰でも家族のようにもてなすのが王虎の民の掟なの」


「なんですかその西方風道って? あと王虎?」


 聞き慣れない言葉に櫂は首を傾げる。しかしその目は好奇心で輝いていた。


「西方風道とはアタシが産まれた地の属性で、王虎は祖として崇め奉る存在。

 そうね……あなたたち西の民で言うところの御柱みはしらの主のひとつかしら」


「御柱の主はだ。いくつもいない」


 すると珍しくエルナが異を唱えた。


「それは西の民の教えでしょ? 私たち東の民は違うのよ。

 まぁ理解してくれとは言わないけれど、とにかくここはアタシの同属ばかり住んでいるから、いつも立ち寄る度に良くしてもらえるのよね」


「……同属ですか。言われてみれば確かにここの人達、ミカゲさんと同じく猫耳生やしてますもんね」


 櫂が改めて周囲を見回すと、宴に参加する集落の住民は老いも若きも性別も関係なく、全員が頭から猫に似た耳を生やしていた。


「ええ、猫は王虎の遣いだから私たちの同胞、いや兄姉きょうだいみたいなものね」


 ミカゲは誇らしげに話すが、櫂はその内容に少しだけ疑問を抱く。


(……その割にはミカゲさんも、他の皆さんも顔付きはまんまヒトですよね。進化論的な先祖とはまた違うのでしょうか?)


 できるならば生物学的な意味でも調べてみたいが、自分以外は誰も耳の形状の違いを特に意識してないようにも見えたので、櫂はその疑問を心の中にしまっておくことにした。


「ところでエルナ……さん? 食べないんですか?」


 ミカゲとの雑談が一段落したところで、櫂は隣に座るエルナに声をかけた。

 彼女は床に膝を着き、左手にはさやに収めた剣を抱えたまま、振る舞われた食事には一切手を着けていなかった。


「だいじょうぶ」


 ミカゲなどは料理に手を着けないのは礼を失すると注意したが、それでもエルナは頑として食べようとしない。

 理由については口にしなかったが、常に周囲に目を配って気を張っている様子から、それが護衛としての彼女のスタンスなのではないかと櫂は察した。

 そこで櫂は無理には勧めない代わりに、盆に盛られた平たいパンで塩漬け肉や野菜を包むと、配膳をする女性の住民に頼んで、それを皿代わりの大きな葉で包んでもらった。


「あら、あなた良く知ってるわね。ホウナの葉は丈夫で香りも良いし、何よりこれで包むと腐りにくくなるのよ」


 頼まれた中年の女性は、嬉しそうに葉の効用を説明してくれた。


「やはりそうでしたか。子供の頃……ああいえ、小さい頃に見た記憶がありまして」


 転生前の櫂が見たのは味噌や酢飯を同じように葉で包んだ郷土料理だったが、どうやらそれと良く似た植物や文化は、異世界にも存在していたらしい。


「これで明日の朝までは腐らずに保つようです。後で食べてくださいね」


 葉に包まれたサンドウィッチを手渡されたエルナは、少しだけその顔に驚きの色を浮かべた。

 迷惑だったのだろうかと櫂は一瞬不安になったが、櫂の気遣いにエルナは聞き逃してしまいそうなほど小さな声で


「うん……うれしい」


 結局、宴が終わるまでエルナは何も口にしなかった。

 しかし翌朝。櫂が目を覚ますと、寝台の傍らで膝を着いたまま目を閉じるエルナの側には、二枚の大きな葉が重ね置かれていた。

 それに包んだはずのパンと肉は今はどこにも見えない。恐らくは誰かの胃の中にでもきれいさっぱり消えたのだろう。

 櫂は安心して再び目を閉じるが、その数分後――


「いつまで寝てるのよカイ! さっさと支度しなさい!!」


 怒り心頭のミカゲに叩き起こされ、慌てて旅立ちの準備を整えるのであった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る