第6話 帝都イーグレ




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

「ミカゲ・アゲハ」と名乗った刺客との再会と別離とはじめての体験を経て、彼(女)はいよいよ帝都へと旅立つ。


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「短い間ですが、本当にお世話になりました」


 かいが丁寧に礼を述べると、ランスカーク男爵夫人アンナベル・ド・ランスカークは思わず抱きつきそうになる衝動に耐えきり、


「困った時はいつでも戻っていらっしゃい、カイ」


 と男爵夫人としての威厳をかろうじて保ちつつ、櫂を送り出した。

 この時、櫂が着ていたのは濃紺のスーツに白いシャツ。そこまでは転生前と同じであったが、決定的に違うのは青から赤へと変わったネクタイの色と、ズボンではなくスカートを穿いている点だった。

 これは櫂が着ていたスーツを男爵夫人の命令で仕立て直したもので、肩幅や袖も小柄で細身の今の櫂に合わせた丈になっている。


(本当はズボンが良かったのですけど、男装だからと却下されましたしね……)


 スカートだと下半身がスースーして全く落ち着かないのだが、この国において異性装はただ奇異の目で見られるだけではなく、道徳的な禁忌であると夫人たちに説教されては素直に従わざるを得なかった。

 他には現実世界から持ち越した鞄を手に、櫂はアルマン・ド・ランスカーク男爵と共に馬車に乗り込んだ。

 ここに滞在したのは一週間にも満たなかったが、それでも名残惜しさを感じるのはここでの暮らしが櫂にとって心休まる日々だったからに他ならない。

 これから櫂は銀鷲ぎんしゅう帝国の帝都イーグレへと向かう。

 男爵が帝都にて一年間、治安維持の任に就くついでにと、櫂を帝都に連れて行く事にしたのである。


「みなさん、ありがとうございました。またいつか」


 櫂と男爵を乗せた馬車を見送るのは男爵の家族と家令だけではなく、男爵家に仕える騎士や警護の兵士たち、更には屋敷で働いしているメイドたちまで集まっては、櫂を送り出してくれた。

 そのお礼にと櫂は馬車の窓から身を乗り出し、彼らの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 こうして邸宅を離れた櫂と男爵は護衛の騎士や従者を引き連れて街道を東に進み、その日の内に大回廊と呼ばれる長いトンネルを抜けた。

 その後は街道沿いの宿場町で夜を過ごしながら四日が過ぎ、男爵領を出てから五日目の朝、ついに櫂は銀鷲帝国の最大の都市、帝都イーグレに辿り着くのだった。


「すごい! まさしく白亜の城壁ですね!」


 馬車の窓から拝む帝都の威容。それは高さ10メートル以上の白い城壁によってもたらされていた。


「日がな一日書庫にこもっていただけあって、君は古い言葉をよく知ってるな」


 少しだけ呆れたように男爵は笑う。

 しかし櫂の気持ちも分からなくはないと、一緒に城壁へと目を向けた。


「私も初めて帝都を訪れた時は、この光景に言葉を失ったものだ。三百年を経てもなお悠然とそびえ立つこの都市こそ、帝国の誇りであり象徴なのだよ」


 様々な出来事だけでなく、気が遠くなるほど長い時を経ても変わらず在り続けた事、それ自体が多くの人を勇気づけてきたのだろう。

 帝国の歴史も文化も知らない櫂であっても、この城壁の前では男爵の言葉は自然と心にみていった。


 帝都イーグレは二重の城壁に囲まれ、一本の河川で大きく二分された都市である。

 更に外側の城壁の外側には街道に沿うようにして建物が立ち並び、それだけで一つの町を形成していた。

 それは単に都市に集まる人の多さだけではなく、奪い奪われる戦乱が過去のものと化した証でもあった。

 男爵と櫂の一行が正門から城壁内に入るとそこからは石畳が敷かれ、真っ直ぐ伸びた広い道の先には荘厳そうごんな宮殿がたたずんでいた。


「あれが皇宮だ。皇帝陛下をはじめ皇族の方々は普段は離宮におわすが、帝国の行末ゆくすえを決める政事や祭事のときは、皇宮にてそれを執り行われるのだ」


「と言う事はつまり、皇帝陛下は通常の政務には関わらないのですか?」


「ああ、帝国の統治は貴族院と臣民会議の議員によって決定される。それが80年前に制定された憲法による帝国の統治体制だよ」


(なるほど……身分制度は残っているが、政治形態としては立憲君主制と議会制民主主義の中間のような形なのですね)


 櫂が生まれ育った世界に当てはめると、銀鷲帝国の政治・統治体制は中世ではなく近世に相当しているようだ。それは整備された街並みからも見て取れた。 


「では男爵閣下も、その貴族院の議員なのですか?」


「いやいや、私もランスカーク家も辺境統治を任されただけの田舎貴族さ。

 一応、貴族院議員の選挙には立候補できるのだが、貴族院の議員は大半が五公家とそれに連なる上流貴族で占められているのだ」


「私も何度か耳にしましたが、五公家とはどのような貴族様なのですか?」


「うむ、カイもちょうど良い機会だから覚えておくと良い。

 五公家とは帝国内にそれぞれ広大な領地を持つシャイハスティン、アマルダリア、ヴィフシュタイン、ホムラ、ランバードの五つの公爵家の総称だ。

 百年前から帝国統治の主要な役職はこの五家が代わる代わるになってきた為、貴族の中でも更に特別な存在なのだよ」


「百年も前から……それほど力のある大貴族なのですね」


「ああ、帝国が百年もの長きにわたって大きな内乱も起こらず統治されたのは、この五公家が歴代の皇帝陛下を支え続けたおかげでもあるのだ」


 中央集権をとする国家においては、騒乱の火種としか思えない様な力関係ではあるが、奇しくもこの国ではかえって良い方向に働いているらしい。


「だとすると五公家は、皇帝陛下や皇族とは血縁関係にあるのですか?」


「いや、それはない。皇帝陛下は直系を除けば、帝国に隣接する三つの公国から選出されるのが決まりだ」


 櫂の推論を男爵は否定した。

 全く血縁関係がないと言えば嘘になるが、そこに政治的な思惑は介在しないと。


「五公家はあくまで貴族の一員だ。確かに姻戚関係を結んで皇帝陛下を政治的に利用とした貴族がいなかったわけではないが、それは遠い昔の話だ」


(ふむふむ、つまり憲法と議会の制定によって君主の持つ権力が分散されてしまったので、大貴族は皇帝の権威より議会の掌握しょうあくに力を注ぐようになったのですね)

 

 櫂の推論通り、現在の帝国における政治の主戦場は玉座から議会に移っている。

 となれば皇帝や皇族の存在は、荘厳そうごんな皇宮と同じように内外に国の威容を掲示するに留まっているのだろう。 


「さて、話し込んでいる間に着いてしまったようだ。

 カイ、私はこれから陛下に着任の挨拶に伺う。君はその間、用意した部屋で大人しく待っていてくれたまえ。

 くれぐれも、人目を盗んで飛び出したりしないようにな?」


 それが男爵邸での夜歩きの事だと気付き、櫂は苦笑しつつ頷いた。どうやら男爵にはバレていたらしい。

 そうして櫂は皇宮に到着するとそのまま客室へと案内され、男爵は家臣を連れて、皇宮の奥に消えていった。

 一人になった櫂はたちまち手持ち無沙汰になってしまった。

 部屋の隅にはメイドが控えているので、頼めばお茶やお菓子は持って来てくれるものの、生まれも育ちも庶民かつ女性に縁のない櫂は、彼女に声をかけることすら躊躇ためらってしまうため、話し相手も存在しない。


(……暇ですね。スマホでも見ていましょうか)


 櫂がこの世界に持ち込んだ鞄の中には、自身のスマートフォンも含まれていた。

 もちろん電波は繋がっていないので通話やネットへの接続は行えないが、機能自体は生きており、オフラインで遊べるゲームや電子書籍は利用可能だった。

 唯一の懸念はバッテリーであり、もしもの為にと常備していた複数のモバイルバッテリーのおかげでまだ電池切れは起きていないが、充電する方法もないのでこのままでは数日で使い物にならなくなるだろう。

 しかし退屈には絶えられないと言う事で、悩んだ末に鞄からスマホを取り出そうとした時だった。


「失礼するよ」


 突然部屋の扉が開かれ、櫂が慌てて鞄を閉じると、数人の官吏かんりを引き連れた青年が入室してきた。

 控えていたメイドがうやうやしく頭を下げた事から身分の高い人間だと分かるが、櫂はどうして良いのか分からず、そのまま座り込んでいた。


「お……おお! おーーーーーーっ!!」


 すると櫂を見た青年は歓喜の声をあげ、足早に歩み寄ると、断りもなく櫂の隣に座り込んだ。

 癖のある金髪を伸ばした眉目秀麗びもくしゅうれいな若者だが、全身にみなぎる自信と全能感に櫂は思わず気圧けおされてしまう。


(だ、誰ですか?)


 驚きのあまり誰何すいかの声も上げられない櫂に対し、金髪の青年は気安い調子で話しかけてきた。


「君、名前は? どこの家の出だい? 輝くようなすみれ色の髪……なんと美しい!

 いや美しいのは髪だけにとどまらないが、とにかく素晴らしい!」


 一方的にめちぎる青年に、櫂はただただ圧倒されていた。

 しかし無理もない。彼(女)は今、生まれて初めてのナンパを受けているのだから。


「えっと……内匠櫂たくみ かいと言います」


「タクミ・カイ? タクミで良いのかい?」


「い、いえ、内匠は姓で櫂が名前です」


「タクミとは初めて聞く家名だな? もしかしてホムラの出かい? 

 ……いや、それにしてはあいつらから全く話を聞かなかったな……あ、もしかして手を出されたくなくて秘密にしていたのか?」


 いいえ自分はランスカーク男爵領に転生した、ド庶民の32歳(元)男性です。

 そう答えたくもなったが、正直に話すと色々とややこしい事になるのは火を見るより明らかだ。

 なので櫂は誤魔化す事にした。


「……実は私、恥ずかしながら生まれた家もどうしてここにいるのかも、今は全く思い出せない状態なのです」


「そ、それは失礼した。

 しかしその髪の色はどう考えても下層の血から出るものではない。言葉遣いも丁寧だし……ふふ、いやこれは申し分ない……」


 自分を見定めるような青年の視線に櫂はほとほとうんざりしていたが、ノックもなしに入室してもメイドはとがめないばかりか一礼し、お付きの官吏達は後ろから見守っているように見えて、櫂の一挙一足を絶えず見張っている。

 だとすればこのナンパ野郎はよほどの大貴族、或いはそのボンボンだったりするのだろうかと櫂はいぶかしんだ。


「よろしければ、お名前をお伺いしても?」


 櫂がそう尋ねると、青年は一瞬きょとんとした顔になり、お付きの官吏も驚いた様子を見せる。


「なんと! 僕の事を知らない?

 ……いやいや、彼女は自身の記憶すら思い出せないらしいから、それなら仕方ない。うん、そうに決まってる」


 一人で勝手に納得すると金髪の青年は立ち上がり、歌う様に櫂に名を告げた。


「僕の名はルートヴィム・フォン・ハイデルン、この国の皇太子さ!!」







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