第5話 はじめてのちゅー(催眠)

 


 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 ランスカーク男爵邸で居候する櫂は、異世界の事情や性転換した自分自身についての学びを得ながら、との再会を迎えつつある。



 その日の夜。

 かいは肌着の上から黒い上着を羽織はおると、寝室の窓を開けた。

 星の見えない夜空とは対照的に、男爵邸には幾つもの篝火かがりびかれている。

 常時の歩哨ほしょうに加えて櫂を襲った襲撃者にも備え、警備に当たる兵士の数は見るからに増えていた。

 その甲斐あってか、襲撃から三日経っても櫂の身の周りには何も起きていない。


「――よし、それでは行くとしましょうか」


 櫂は窓枠に足をかけると、そのまま窓から飛び降りた。

 ここは洋館の二階。よほど訓練を積んだ者でない限りは大怪我をする高さだ。

 しかし櫂は音もなく地面に着地する。その身のこなしは猫のようにしなやかで優雅である。


(……単なる筋力強化ではなく、肉体自体が人間離れした動きに対応していますね。これまで何度か試しましたが、骨や筋肉にダメージは入っていないようですし)


 考えをまとめながら、地面に降り立った櫂は周囲を見渡す。

 幸いにして目につく範囲に警備の兵士の姿はなかった。

 護衛される対象が無断でそれも夜中に出歩いているのだから、兵士に見つかれば大騒ぎになるし、ランスカーク男爵夫妻や警備責任者の騎士達には小言を食らうだけでは済まないだろう。

 そこで櫂はしゃがみこんだ姿勢のまま、わずかに前傾してかかとを上げると――ただの一足で矢のように駆け出した。

 そして風を切り、一瞬にして離れた植木の影に身を潜める。


(だからこうして人目を忍んで、自分のを確認しているですけどね?)


 警備の兵士の目を掻い潜りながら、超人的な脚力を駆使し、櫂は物陰から物陰へと男爵邸の敷地内を駆け抜けて行く。


(我ながら凄まじい加速力ですね。肉体の構造から考えても不自然なくらいですから、これは魔法とかその類の特殊能力なのかもしれません)


 櫂が自分の身体能力のテストも兼ねて、夜中に出歩くのは今夜が初めてではない。

 今夜で三回目と言うこともあり、男爵邸内の建物の配置は把握済みであった。

 そして櫂は、今夜もまた男爵邸の敷地の外れ、ちた側防塔へと向かう。


 ランスカーク男爵邸は元々立派な城壁と堀を備えた城であったが、100年以上前に“暴食者”と呼ばれる怪物の群れにによって半壊し、その跡地に今の邸宅が建てられたと記録されている。

 櫂がたどり着いた側防塔は元々は城壁の一部であったが、今や左右の城壁はすっかり崩れ落ちて風化し、塔だけがぽつんと時の流れに取り残されていた。

 初めてその側防塔を見つけた時、まるで大きな墓標のようだと櫂は感じたが、それはあながち間違いではない。


「よし、誰もいませんね」


 これと言って用途のない塔の入り口には錠がかかっていたが、櫂が少し力を加えただけで、錆だらけの錠前はすぐ外れてしまった。

 そうして櫂は塔の内部に入り、梯子はしごを登って屋上へと向かう。

 かつて物見櫓ものみやぐらとしても機能していた塔の屋上からは、男爵邸の敷地や既に枯れた堀、そして点々と火を灯す城下町が一望できた。


「良い景色ですね。私、こう言うの好きなんです――――あなたはどうですか?」


 胸壁に腰かけながら誰もいない虚空に声をかける櫂。

 夜風になびく髪に手を添え、月光を浴びるその姿は幻想的ですらあった。


「――――」


 すると影の内から湧き出でるように、暗褐色あんかっしょくのフードを被った人影が姿を現す。

 それは三日前に櫂を襲った人物であった。


「やっと出てきてくれましたね? 昨日も一昨日も呼びかけたのに反応がないので、もうここにはいないかと思いました」


「何のつもりだ?」


「あなたにもう一度会いたかったんです。色々と聞きたい事もありますしね」


 櫂の返答に不意を突かれたのか、フードの奥からは息を呑む音が聞こえた。


「酔狂な奴だ。のこのこと出てきて、よほど死ぬのが恐くないと見える」


 これ見よがしに短刀を構える不審者に、しかし櫂は平然と言葉を返す。


「ええ、だってあなたの目的は私を殺す事ではない。そうでしょう?」


 櫂の指摘に不審者は何も答えなかった。

 それこそが答えだった。


「影に潜み、対象に気取られる事なく接近できるあなたの能力をもってすれば、私を殺害する事なんていつでも可能だったはず。

 なのに丸々三日も手出しをしなかったと言う事は、あなたの目的は私を誘拐して、どこかへ連行する事なのではありませんか?」


 それが櫂の導き出した答えであり、この場に不審者を誘い出した理由でもあった。


「人気もなく、警護の兵の目も届かない廃墟。そんなところにわざわざ私が一人でやってきた。しかもこれで三度目。

 これであなたが再び動くのであれば、私の推論は証明されます。いえ、これで証明されましたね」


「……べらべらとよく回る口だ。だが生憎と私はお前の教師でない」


 感情を押し殺した声と共に不審者は影に潜り、その姿を消してしまう。


「――!」


 それと同時に櫂も胸壁から跳躍ちょうやくし、空中に身を躍らせた。

 一瞬遅れて、櫂が立っていた場所に深々と短刀が突き刺さる。

 不審者の攻撃を回避した櫂は空中でくるりと身をひるがえし、離れた胸壁の上に音もなく着地した。

 しかし、そこに短刀を構えた不審者が迫る。常人ならば立ち上がろうとする間に、心の臓をその刃で貫かれていたであろう。

 しかし櫂は違った。

 正面から迫る刺客の斜め左の空間、そこに向けて櫂は胸壁を蹴る。

 すると櫂は解き放たれた矢の如くに加速し、刺客が突き出した短刀を間一髪でかわすと相手の背後に移動する。


(あ、危なかった……)


 考えるよりも先に体が反応していた。

 これまでも何度も起きた不可思議に櫂は確信する。この体は間違いなく、超常の力を持つものと戦う為に造られているのだと。


「その速さ、どうやら魔法の類ではないな。なるほど、これが神より授かりし超能スキル――『勇者』の証か」


「さて、どうなのでしょうね」


 今の櫂にとっては、自分自身でさえ分からない事だらけだ。

 しかし、目の前の不審者は由来も程度も不明の超能スキルを駆使しなければ、絶対に退けられない相手である事は間違いない。

 再び刺客は闇に姿を隠す。

 櫂は全神経を研ぎ澄まし、襲撃に備えた。

 そして右斜め後方に何者かが動く気配を捉えると、咄嗟とっさの判断で櫂は左に跳んだ。

 そして胸壁に背を預けたところで気付く。


「……石?」


 先程まで立っていた位置には小石が転がっていた。

 不審者が投げた暗器でも、その本人でもない。


(しまった!? フェイント!)


 失態を悟る櫂の背後、月の光が届かぬ闇の内から二本の腕が伸びる。


「!?」


 気づいた時にはもう、櫂は背後から不審者に拘束されてた。

 腰を抱かれ、口元には湿った布を押し当てられる櫂。すると鼻や口から強烈な刺激臭が流れ込み、鼻の奥や舌に痺れが走る。


(まさか麻酔薬? いや、これかなりキツいですね……頭がぼーっと……して……)


 櫂は何とかして不審者を引きはがそうとするが、単純な腕力は相手のほうが上なのかびくともしない。


「ハッ、素人が」


 あざけるように勝ち誇る声に、微睡まどろみかけていた意識が一瞬引き戻される。

 こうなったら刺客もろとも加速して、相手を振り落とすしかない。

 そう考えて地面を蹴りつけようにも腰を拘束され、麻酔薬の影響か四肢の感覚まで鈍ってきていた。


(せめて――せめてあそこまで行けたら――)


 櫂の視線の先には、下の階に伸びる梯子があった。

 このまま相手を振りほざけなくとも、脱出の手段さえ見つかれば――だから、動いてくれこの体よ。ただ、あそこまで行かせてくれ。


「――――――?」


 断絶は一瞬。

 視界が一瞬ブラックアウトしかと思うと、櫂は梯子のすぐそばに立っていた。

 何が起きたのかは分からない。ただ目に映る光景は先程とはまるで違う。

 後ろを振り向くと、先程まで自分を拘束していた不審者が唖然あぜんとして、こちらを眺めていた。


(…‥‥まさか脱出できたのですか?)


 理性ではありえないと判断しても、現実は理性を真っ向から否定している。

 ならば、この好機を逃すわけにはいかない。櫂は一瞬で加速し、今度は自分からしかけていく。

 不審者の足下には誰かが脱ぎ捨てた服が落ちていて、更には「は、はだかー!?」とか叫んでいるけれど今はどうでも良い。

 走りながら足を振り上げ、櫂は蹴りを放った。

 不審者は慌てて避けるが、櫂の蹴りは背後の胸壁を文字通り蹴り砕く。その衝撃で不審者は吹き飛ばされて地面を転がった。

 その隙を見逃すことなく櫂は刺客に馬乗りすると、不審者の両手を拘束する。


「形勢逆転ですね? では先ず顔を拝ませてもらいますよ」


「ま、待て――!」


 制止の声を無視し、櫂は不審者が被っていたフードをまくり上げた。

 するとその下に隠されていたのは――


「やっぱり女の子でしたか。あと……猫耳?」


 夜と言う事もあって定かではないが、月の光よりも澄んだ銀髪の少女。その頭の上には獣の耳がにょっきりと生えていたのである。

 とりあえず触ってみると、すべすべして手ざわりが良く、女の子は女の子で「ふにゃあ!」と悲鳴を上げた。

 どうやら本当に生えているらしい。


「か、勝手に触るなぁ!」


「いやいや、ごめんなさい。つい好奇心で。

 しかし女の子だとは予想していましたが、まさか猫耳少女とは……可愛いですね」


 二次元にしか存在しないと思われていた猫耳少女に、思わず櫂は笑みを向ける。

 転生前の櫂ならそれは変態特有のねばついた笑いにしか見えないが、現在の櫂は超のつく美少女である。その微笑は相手の警戒を解き、敵愾心てきがいしんを骨抜きにする甘美な毒であった。

 その証拠に猫耳少女は「可愛い」と言われて、顔を真っ赤に染めてしまう。


「では教えてもらいましょうか。私を何処に連れて行くつもりでしたか?」


「誰が教え――ふにゃあ! み、耳触わんないでよバカ!」


「教えてくれなければもっとモフりますよ? 私としてはどっちでも良いですし」


「も、もふ? だから、そんなの教えないってば!」


「なら、誰が私を連れてこいと命じました?」


「それも答える気はないわ。このまま兵士に突き出して拷問にでもかければ?」


「リアルな拷問はちょっと……触手みたいなソフト路線しかダメなんですよね私」


「しょく……しゅ?」


「ああいえ、こちらの性癖の話です

 ではこれならどうです? あなたの名前を私に教えてください」


「はぁ? そんなの知ってどうするのよ? それにアタシが素直に名前を教えるとでもおもっ――」


 猫耳少女の言葉はそこで途切れた。

 無言のまま、その金色の瞳でまっすぐ櫂を見つめてくる。


「………もしもし? どうしました?」


「…………」


 返事はない。彼女は瞬きすら忘れて櫂の琥珀こはく色の瞳を覗き込んでいる。


「おほしさま……きれい……」


「星? どこに?」


 突然脈絡もない事を言い出す猫耳少女。不思議に思った櫂は夜空を見上げるが、月以外に自分達を照らす光はどこにも見当たらなかった。


「もっと見せて……」


 再び櫂が顔を向けると、猫耳少女は両腕を伸ばし櫂の頬に手を添えた。

 その冷たさと突然の接触に、櫂の心臓はドクンと高鳴る。


「あの、これは一体――――――んっ!」


 それは完全な不意打ちだった。

 猫耳少女が突然顔を近づけてきたかと思うや否や、櫂の顔を引き寄せてその唇を奪ったのである。


「ん……んぅ……」


 唇を触れ合わせるだけの軽いキスだったが、それでも櫂の意識をとろけさせるには十分すぎる刺激であった。


(知らなかった……女の子の唇って、こんなに柔らかかったんですね……)


 今の櫂は肉体こそ美少女だが、精神と記憶はモテない32歳の独身男性である。

 未知の感覚に翻弄され、まともに思考できない櫂に追い打ちをかけるかのように、

わずかに開いた口に相手の舌がぬるりと侵入してきた。


(……あ、これ舌ですかね?)


 初めてのディープ・キスは気持ち良さよりも、くすぐったいというのが櫂の正直な感想だった。

 ただしそれもその筈で、猫耳少女は子猫や子犬がそうする様に唇や口の中を舌先で舐め回していたのだ。

 もちろんディープ・キスも初体験の櫂には区別など付けられないのだが。


「――ぷはっ」


 息苦しくなったのか、猫耳少女がようやく唇を離す。

 すると夢から覚めたかのようにきょとんとした顔で、息がかかるほど間近にある櫂の顔を見て――悲鳴を上げた。


「いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 夜の静けさを切り裂く甲高い悲鳴に、櫂は思わず耳を塞ぐ。

 猫耳少女は櫂を突き飛ばすと慌てて身を離し、口元を拭いながら詰問する。


「あ、ああああ、あなた何したの!」


「何をと言われましても……そちらからこう、ぶちゅーっと」


「言うなーー!! 言わないでー!」


 どうやら我に返ったのか、羞恥心で猫耳まで真っ赤に染まる猫耳少女。

 強引に唇を奪われたのは櫂のほうなのだが、彼(女)の性自認は32歳の男性のままなので逆に申し訳なく感じてしまう。


「こ、この恥辱はあなたの命でつぐなってもらうから! もらうんだからね!」


 物騒な台詞とは裏腹に、猫耳少女は塔の胸壁に飛び乗ると、空へと躊躇ちゅうちょなくその身を投げだした。

 驚いた櫂が駆け寄ると、彼女ははるか下の地面ではなく、翼を広げた巨大な生き物の背にまたがっていた。

 月の光を反射して輝く緑のうろこ

 大きな翼を悠然とはためかせ、長い尾を振ってバランスを保つ生物の頭部には、長い角と無数の牙を並べた大きな口が見て取れる。


「まさか飛龍?」


 漫画やゲームの中で何度も見た、人を乗せて空を飛ぶドラゴン。

 幻想されていた通りの姿で、それは櫂の前に姿を現したのである。


「ま、待ってください――」


 櫂の呼びかけを無視し、猫耳少女を乗せた飛龍は遠ざかって行く。

 しかし一度だけ振り返ると、


「ミカゲ・アゲハよ! 覚えておきなさい! あと――服着ろ!!」


 律儀に名乗っただけではなく、忠告まで残して猫耳少女は去って行った。

 その姿(※本命は飛龍)を見送った後、櫂は改めて自分の恰好を確認する。

 ミカゲ・アゲハと名乗った少女の言う通り、今の櫂はパンツ一枚しか穿いていない半裸状態であった。

 彼(女)の肌着と上着は、後ろから拘束された地点に落ちていた。


「あの時の瞬間移動で服だけが残されたのでしょうか? でも下は穿いていますし、これは……どうした理由ですかね」


 どうやらこの体にはまだ、櫂の知らない能力や秘密が隠されているらしい。

 そしてもう一つ、櫂には気にかかる事があった。

 それは――


「ミカゲとアゲハ、どちらが名字でどちらが名前なのでしょうか?」


 ・

 ・

 ・


 ミカゲ・アゲハ

  性別:女性

  年齢:14歳

  クラス:斥候

  属性:旅人

  Strength (力): 20

  Agility (敏捷): 24

  Vitality (体力): 20

  Intelligence (叡智):9

  Wisdom (賢さ): 16

  Charisma (魅力): 11

  Luck (運): 20

  保有技能:四方六道/超感覚/影技






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