第4話 学びの時間
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
男爵邸に招かれた櫂はその夜、正体不明の襲撃者に襲われる。彼女は何故か櫂を『勇者』だと疑うが、果たして『勇者』とは一体――
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彼(女)を襲った侵入者の行方はようとして知れず、櫂を館に招き入れたランスカーク男爵夫妻や警護の騎士たちは気を揉んでいたが、当の櫂自身は平然としており、今日も男爵邸の書庫に入り浸っては、自分が転生したこの世界について学んでいた。
(私、設定マニアなんですよね。もちろん考える方じゃなくて読む専ですけど)
机の上に分厚い歴史書や様々な記録を綴った書物を積み上げ、読書に
窓から差し込む陽光を反射して輝く
しかし櫂の美貌をもってすれば、それは本を読んでニヤニヤ笑っているオタクではなく、書物に記された叡智に心を躍らせる深窓の令嬢にしか見えないのだから、人間の認知は得てして身勝手なものであった。
「カイさま、そのように根を詰められては、本より先にあなた様が
冗談を口にしながら机にお茶と乾燥した果物を乗せた小鉢を置いたのは、メイドの老婦人だった。
ルチアという名の彼女はランスカーク男爵家に長年仕えていたが、老齢により足腰が弱くなった為に、普段はあまり使われない部屋の管理を任されている。
そんな中、見目麗しい少女が知識を求めて毎日のように通い詰めるようになったものだから、ルチアにとって櫂は思わぬ客人であった。
「ありがとうございます、ルチアさん。うん、甘くておいしい」
ルチアが淹れてくれたお茶はすっきりとした酸味と香りが素晴らしく、乾燥させて甘みが増した果実は学習で酷使した脳にありがたい甘味だ。
目は文章を追いかけながら、片手で果実を摘まみつつ、時々お茶を傾ける櫂の姿はお世辞にも品が良いとは言えなかったが、それでも絵になってしまうのが今の彼(女)である。
知識に対する貪欲さや人目をはばからずに飲み食いする
「お茶が欲しくなったら仰ってください。私はしばらくここに控えていますから」
そう言い残して、ルチアは窓に面した自分の席へと戻っていった。
(――なるほど、この国は元々一つの国が分裂した後に
六つの大公家が内乱に乗じてそれぞれ独立し、
櫂が読んでいたのは、この国の成り立ちを記した歴史書だった。
大陸西部の最大の帝政国家、銀鷲帝国。
その始祖と
(ディアルス帝には四人の忠実な腹心が存在した。
神竜の子である勇将イシュパーン。当代一の賢者であったソルブライト大師。
天女であり後に皇妃となった紅炎姫エルフリード。そして異邦人モトナガ。
この中でモトナガだけが晩年まで始祖に仕え、帝国の文化や制度に多大な貢献を果たした。特に統一言語の普及は彼なくしては叶わなかった――なるほど)
歴史書の中に由来が記されていた帝国の公用語、統一言語の成り立ちに櫂は興味を覚えた。
何故なら櫂がこうして歴史書を読み漁れるのも、その統一言語が櫂が生まれ育った国の言語――即ち日本語と酷似していたからだ。
固有名詞の違いは多少あれど、櫂が異世界転生した直後からこの世界の人々と円滑に意思疎通できたのも、櫂からすればみんな日本語を話しているからに他ならない。
唯一異なるのは文字だったが、統一言語は表音文字である「アルハ」と、表意文字である「ハン」を組み合わせたもので、その文法は日本語と全く変わらない。
従って日本語話者であれば50音とアルハを照合した表を作成し、幾つかのハンを覚えさえすれば、今の櫂の様に本を読む事は
「……いやいや、これは実に楽しいですね。TRPGのルールブックよりも読み応えがありますよ」
作品そのものだけでなく、その設定資料を読み込むことが何よりも好きな櫂にとって、この世界について学ぶことは実益と趣味を兼ね備えた至福の時間であった。
しかしあまり書庫に籠り過ぎては、男爵夫妻に要らぬ心配をかけてしまう。
櫂は残っていた果実を全て平らげると、ルチアにお礼を言って自分の部屋へと戻っていった。
「お帰り、お嬢さん」
櫂が自室に戻ると、部屋の前でかつてオークに襲撃された集落で出会った女騎士エリザが待っていた。
エリザは20代くらいに見える背の高い女性で、褐色の肌に短く刈った砂色の髪。その細い目と大きな口から櫂はキツネを連想するが、首から下の引き締まった肉体は狼にたとえた方が良さそうだ。
「こんにちはエリザさん、私に何かご用ですか?」
「ああ、実は今日からお嬢さんの警護はアタシが担当する事になってね。あれはアタシの部下だ」
エリザの視線の先には、彼女と同じように髪を短く刈った女性の兵士が一人、扉の前に控えていた。
「エリザさんがですか? でも今まではレナールさんが担当されていましたよね? 何かありましたか?」
襲撃を受けて以来、男爵は櫂の自室に常に護衛を置く様になったのだが、昨日までは警備担当も護衛の兵士も全て男性だった。
櫂が理由を尋ねるとエリザは何故か渋い顔になり「少し話せるかお嬢さん?」と、櫂を自室から少し離れた場所に連れて行った。
そこは廊下の突き当りに設けられたサンルームであった。
今では使用されていないが、窓の向こうには中庭とそこで鍛錬をする兵士たちの姿が見てとれた。
「お嬢さん、あんたにはいい人はいるのか?」
突然の質問に櫂は面喰らい、「まさか」と首を横に振った。
「……まぁそうだろうと思っていた。子供にしか見えないのにあんたは妙に
櫂からすれば(精神的に)年下のエリザから子ども扱いされたように感じられて、何だか釈然としなかったが、色恋沙汰に興味がないのは図星だった。
(だって二次元専門ですからね、私)
「だから余計に
そう言って、エリザは中庭で組み打ちをしている兵士たちを指した。
エリザに促され、櫂が彼らの声に耳を傾けたところ――
「良く聞けお前ら、俺は警護中にカイちゃんから七回も声をかけられたんたぜ!」
「ああん? それを言うならオレは十回だ。しかも手まで振ってもらえたぞ!」
「はっ、挨拶くらいで調子に乗りやがってザコどもが。僕はだな、なんと彼女と天気の話をしたんだぞ!」
複数の若い兵士が何故か櫂のことで自慢、もとい張り合いだした。
櫂ははっきりと覚えてはいなかったが、見覚えのある顔もその中に紛れていた。
「ひひっ、こいつらそんな事でよく張り合えるものだな」
「聞こえてるぞティル! ならお前はあの子と何回話したって言うんだよ!」
言い争いは周囲の兵士たちにも波及し、問い詰められた陰気そうな兵士はおずおずと懐から何かを取り出した。
「ぼ、ぼくなんかがあの子と話すなんてとてもとても……でもこれ、部屋の前で拾った。色からしてあの子の髪だと思う」
「な―――――――⁉」
その瞬間、若い兵士たちの間にどよめきが走る。
「……いいにおい。これ、お守りにするんだ」
「お、おい手前この野郎、それよこせ!」
遂には一本の髪の毛をめぐって乱闘が始まり、見かねた他の兵士たちが制止に入るほどの大騒ぎへと発展する。
その一部始終を目撃した櫂は無言でしゃがみ込むと、「……もしかして、私のせいなのでしょうか?」と血の気の引いた顔でエリザに尋ねた。
彼女はもちろんだと首を縦に振った。
「いいかお嬢さん、これはあんたの為に言ってるんだ。
あまり若い野郎どもを勘違いさせるものじゃない。あそこまでのぼせ上った連中は何をするのか分からんと、レナールが私に相談してきたのだからな」
「で、でも私はただ挨拶をして、時々世間話をしたくらいで――あ、そうか」
不意に櫂は学生時代の出来事を思い出した。
中学生だった頃、教室で隣に座っていた憧れのクラスメイトが消しゴムを拾ってくれただけで、櫂は「もしかして自分に気があるのかも……」と盛大に勘違いして舞い上がったと言う黒歴史である。
(そうでした……男という生き物は美人にちょっと優しくされただけで、願望が異次元の方向に暴走する哀しい生き物でしたね……)
櫂からすれば(精神的に)年若い同性を
加えて今の櫂は超の付く美少女である。
それなのに自身の性的な魅力とそれが周囲に与える影響に
「はい……今後は気を付けます……」
実感の伴った後悔に浸ったあと、櫂はエリザから幾つかアドバイスを受けて自室に戻っていった。
(女性とは、私たち男性には想像もできない様な苦労を抱えているのですね……)
そうして櫂は今日も、知らないほうが良い知識をまたひとつ学ぶのであった。
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