第3話 真夜中の侵入者




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 男爵邸に招かれた彼(女)はそこで手厚いもてなしを受けるが、自分の新たな肉体と変わらぬ心のギャップに戸惑うのだった。


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 大地に陽が沈み、男爵邸にも夜が訪れた。

 かいは屋敷の一室を貸し与えられ、広いベッドの上に横たわりながらぼんやりと天井を見上げている。

 体も心も緊張を強いられて疲弊ひへいしている筈なのに、何故か寝付けない。

 その原因に気付いた櫂は、むくりと体を起こした。


「……薄い」


 寝付けない原因、それは身に付けている衣装にあった。

 手ざわりから高級品だと分かる肌着。櫂は知らなかったが、それは彼(女)がかついて生きていた世界にて、シュミーズと呼ばれた肌着である。

 櫂の足首まで丈のある肌着は露出度も低く、性的な意匠は施されていないが、彼(女)が寝間着代わりに使っていたTシャツやジャージに比べると、肌触りが良すぎる上に生地が薄くてスースーする。

 これではまるで裸で寝ているようなものだと、櫂は落ち着かなかったのである。


「少しだけ、夜更かしするとしますか」


 ふと窓を見ると、夜空には金色の月と星々が輝いていた。

 雲一つない空と澄んだ空気により、月の光はともすればまぶしく感じられるほどだ。 

 おかげで灯りをともさなくとも、窓際に置かれた姿見に自分の姿が映し出されているのが分かる。そこで櫂はベッドを出ると姿見の前に近付き、おもむろにシュミーズの丈をまくり上げた。


「……ぱんつ、ですね」


 鏡に映るのは形状からカボチャに例えられる白いドロワーズと、そこから伸びる白い太もも、そしてしなやかな二本の足。

 しかし櫂の心の中の男性は少女の生足を目の当りにしても全く反応しない。

 転生する前は生足を露わにした美少女キャラクターに鼻息を荒くし、細いが柔らかいその太ももに挟まれてみたいと妄想した事も一度や二度ではないと言うのに、今は何の衝動も夢想も湧き上がって来ないのだ。


「こうなったら、ええいっ!」


 誰も見ていないからと、櫂は肌着まで脱ぎ捨て上半身裸になってしまう。

 すると鏡に映るのは、汚らしい体毛など一本も生えていない引き締まった体躯とハリと艶のある白い肌、胸は膨らみかけで、その先端には小さな乳首が慎ましく色づいていた。


(……これが私のおっぱいですか。小さいけれど柔らかいし、割と感度も良い気がしますね)


 自分で自分の胸を揉み、乳首を指で押し込んだりするが、感度が高いと分かるだけで特に気持ち良くもない。ドキドキしたりもしない。


(ああ、そう言えばフリンちゃんの胸もこのくらいだったなぁ……)


 幼女か否かでファンの間で大論争に発展した、推しキャラの女の子の姿を思い浮かべると、櫂は体の奥から熱が沸くような感覚を覚える。

 その推しキャラは一般指定のゲームのキャラクターではあったが、人気があるだけに際どい水着や衣装に着替える事も多く、18禁な同人誌も櫂は幾つか所有していた。

 彼女と比べても今の櫂は同等、いや五感で実在を確認できるという点では、自分の方が圧倒的に性的魅力が高いとは理解できるのだが……


(でも、私なんですよね……)


 その一言が強固なふたとなり、リビドーの噴出を一切許さないのだ。

 推しキャラの方は思い描くだけでも、ムラムラすると言うのに。


(……よし、こうなったら一線を越えてみますか)


 まさか性欲が枯れてしまったのではないかと不安に思った櫂は、思い切ってドロワーズも脱ぎ、前も後も鏡に映して確認する。

 もちろん何も生えてはいない。お尻は小さいけど丸くて男のそれとは全然違う。


(全然、興奮しません………)


 櫂は少しだけ泣きたくなった。

 性的不能になった男性とはこのような喪失感を味わうのだろうか。

 裸になって恥ずかしいところも露わにしたら、自分自身の体であろうとも欲情するのではないかと櫂は考えたのだが、結果は至極残念な結果に終わった。

 いや欲情したらしたで禁断の扉を開いてしまいそうなので、これで正解だったかもしれない。

 一時の気の迷いを反省しつつ、櫂が脱ぎ捨てた下着を拾い上げた時だった。


「はわわわ……」


 何時の間にか寝室には自分以外の人影が立っていた。

 体格は細く小さいが、今の櫂より背丈は上だろう。その人物はフードを目深に被り、全身をローブのような衣装で覆い隠している。

 どう見ても怪しい侵入者は顔に手を当てて、恥ずかしそうに声を震わせていた。


「……誰ですか?」


「だ、誰だっていいでしょ! いいから早く服着て! は、はしたない!」


 そう言われて櫂はようやく、自分が全裸である事を思い出す。

 思い出すが「きゃー!」と悲鳴を上げ、胸や股間を隠したくなる衝動も湧いてこなかった。

 櫂にとってはせいぜい宅配便を受け取った後で、ズボンを穿き忘れた事に気付く程度の恥ずかしさでしかない。


「分かりました。では少し待っててください」


 それでも折角なので、脱ぎ捨てた肌着を急いで着直す。


「もう大丈夫ですよ、侵入者さん」


 律儀なのか間抜けなのか、手で顔を覆い隠した侵入者は指の隙間からチラリと覗き見てから、改めて櫂と対峙たいじした。


「………………えっと、その」


(うん、気まずいですよねこれ)


 この侵入者は十中八九、自分に害を為す為に侵入したと思われるが、何故か櫂の裸に取り乱し、着替える最中は何もしてこなかったので、侵入者に対する警戒と緊迫感は一瞬で失われてしまった。

 おかげで、この場の空気はすっかり弛緩している。


「――お前が、タクミ・カイか」


「はい、内匠櫂です。あなたは何と仰るのですか?」


「い、言うわけないでしょ! 状況考えなさいよバカ!」


 質問に答えたのに緊張感が無さすぎて叱られてしまう櫂。

 しかし、そのおかげで櫂は目の前の侵入者が女性――それも自分と同じ年代の少女だと気が付いた。


「質問は一切受け付けない。命が惜しければ素直に答えろ――お前は『勇者』か?」


「『勇者』? そう呼ばれた事はゲームの外では一切ありませんね。残念ながら」


「ゲーム? 何のことだ?」


「ああ、この世界にはコンピューター・ゲームはまだ無いのですかね? では卓を囲む方のロールプレイング・ゲームはどうでしょうか」


「……知らん。だが、とぼけるなら確かめるまでだ――」


 直後、侵入者は部屋の影に溶けるようにして、音もなく姿を消してしまう。

 反射的に櫂は動いていた。

 櫂から見て左の方向に置かれたベッドに飛びずさるや否や、櫂が立っていた場所に侵入者が短剣を突き立てていた。


(体が、勝手に?)


 驚く櫂はベッドの上を転がると、流れるような動きで素早く体勢を立て直す。

 それは生前の櫂からすれば、到底不可能な運動能力であった。


「――せいっ!」


 櫂は起き上がると同時に枕を掴み、それを不審者に向けて投げつけた。


「――チッ!」


 突如として眼前に迫った枕を侵入者はしかし、短剣であっさり切り裂いてしまう。

 だが櫂は更に一手を打っていた。

 侵入者が枕をぼろきれに変えるのと同じタイミングで、ベッドから天井に向かって跳躍ちょうやくすると、天井からぶら下がっていた小型の燭台を文字通り、蹴り落としたのである。

 頭上から迫る燭台をとっさに回避する侵入者。

 直撃は何とか避けたものの重い燭台が床と激突して、寝室のみならず建物全体に大きな音が響き渡る。


「しまった!」


 失敗を悟ったの櫂ではなく、侵入者の方だった。

 この騒音を聞きつけた衛士が、こちらに駆け付けるのは時間の問題だろう。

 それどころか屋敷全体が間もなく警戒態勢に入ってしまう。

 櫂の一撃は正しく、それを意図したものであった。


「だがその身のこなし、間違いなくお前は『勇者』だ。いいか、私は必ず――」


「でしたら、次はもう少し開けた場所でお話ししましょう。生憎と私も今宵こよいはゆっくり休みたいので」


「――――!」


 櫂の物言いを挑発と受け取ったのか、侵入者は無言のまま、その全身に怒気をみなぎらせる。

 しかしこのままではらちが明かないとも理解していたのだろう。

 衛士の足音を聞きつける否や、窓を蹴り開けてそのまま立ち去ってしまった。


 その数秒後、二人の衛士が櫂の部屋を訪れた。そして部屋の惨状と櫂の証言に血相を変える。

 ほどなく男爵邸は大騒ぎとなった。

 櫂が襲撃されたと聞いて男爵夫妻が駆け付けただけでなく、屋敷に待機していた騎士まで駆り出しての侵入者の捜索が行われたのである。


「ああカイ、怪我はないのね?」


「はい、かろうじて無傷のようです」


 身を案じる男爵夫人に対し、襲われた張本人である櫂はケロッとした顔で応じる。

 しかしそれは命の危機に晒されて感情が麻痺してしまったに違いない――と解釈した男爵夫人は「おお、御柱みはしらあるじよ」と嘆いて、櫂を強引に自分の部屋に連れていき、幼い我が子にそうするかのように一緒に寝ようとしたのである。


(これは……かなり恥ずかしいですね……)


 夫人のふくよかな腕と体を押し付けられながら、性欲とはまた違うむずがゆさに襲われる櫂。

 しかしその内に安心したのか、足元からゆっくり眠気に包まれていく。

 意識がまどろんでいくなか、櫂が考えていたのは侵入者が自分に向けて放った言葉だった。


(……確かに『勇者』と言ってましたね。異世界ファンタジーには定番の名前ですが、何故私がそうだと思っていたのでしょうか)


 もちろん櫂はこの異世界に転生して、ほとんどまだ何もしていない。

 集落を襲ったオークを斬殺したものの、それを知っているのは恐らく自分だけだ。


(いやは何をしたかではなく、何ができるかで判断していた節はありましたね)


 恐らくは手誰てだれであろう侵入者の襲撃を退けただけでなく、ベッドから跳び上がって天井の燭台を蹴り落とす様な人間離れした動きから、櫂の事を『勇者』だと断じていた。

 しかし櫂には全く身に覚えがない。

 そもそも今の自分は何故あのような常人離れした動きを、半ば反射的に行う事ができるのだろうか。それが仮に『勇者』たりうる資質だとすれば、その資質を自分に与えたのは誰なのか。

 謎は深まるばかりであった。


(どうやら彼女とは、もう一度会う必要がありそうですね……)


 窓の外に映る月と星々を眺めながら、櫂の意識はやがて眠りの淵に沈んでいった。



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