第2話 ……え、これが私?


 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 自分の身に起きた大変化をどう受け止めて良いのか分からないまま、彼(女)はこの地方を治める男爵家に招かれる事になった。


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「まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁ、とってもよく似合ってるわよカイ!」


「そ、それはどうも……」


 ふくよかな貴婦人がその丸い顔に湛えた満面の笑み。

 それが自分に向けられている事を知りながらも、かいは引きった笑みを浮かべる事しかできなかった。


 ランスカーク男爵夫人アンナベル・ド・ランスカークは、体型さえ除けば若い頃はさぞかしモテたであろうなと誰もが認める女性である。

 愛嬌があり、誰に対しても身分の差を超えてお節介をやく事から、夫である男爵同様に家臣や領民に愛されていた。

 それは分かる。

 櫂の感覚で言えば、彼女は遊びに行くとお菓子やジュースを沢山振る舞ってくれるだけでなく、食事も半ば強引にご馳走してくれるような金持ちのおばちゃんだ。

 分からないのは、ただひとつ。


(綺麗とか美しいとかめられた時は、どう返せば良いのでしょうか……?)


 今、櫂はその全身を女性用の下着とドレスに包まれている。

 男爵邸に着くや否や、メイドたちによってほこりにまみれたスーツだけでなく下着も全て脱がされ、有無を言わさず着替えさせられたのである。

 櫂のセルフイメージとしては中年男が女装しているも同然なのだが、他の人間からすれば、体形に合わない薄汚れた衣服を着せられていた少女を綺麗にしてあげたと、善行を積んだ気になっているに違いない。


「ほら、ごらんなさい」


 男爵夫人にうながされて鏡を見ると、そこには長く伸びたすみれ色の髪を後頭部で優雅に編み上げ、あらわになったうなじと首元が雪の様に白く細い少女が、所在なさげにたたずんでいた。


(……え、これが私?)


 輝く琥珀こはく色の瞳、小さな桜色の唇、薔薇ばらつぼみを思わせる瑞々しい頬――まだ幼さを残しながらも、今にも女性として花開きそうな境界線上の美がそこにはあった。

 櫂の少ない語彙ごいからすれば、まるで童話に出てくるようなお姫様に、自分は生まれ変わったのだ。


(……でも、私なんですよね)


 そう思った瞬間、一瞬光り輝いて見えた自分の姿が急に嘘臭く見えてしまう。

 例えるなら本物のように感じていたオモチャが、成長にするにつれて模造品に過ぎないと気付いてしまったかのような認知の転換。

 一瞬にして冷めてしまった櫂は、ますます自分の恰好に関心を抱かなくなるのだが、それが周囲からは生まれて初めて着飾った自分に戸惑う少女の様にも見えるため、余計に夫人達の使命感に火を付けてしまうのだった。


「……はぁ、こんな子が領内に埋もれていたなんて、いまだに信じられないわ。親や周囲の人間は何をしていたのかしら」


 男爵夫人の声にいきどおりが感じられるのは、ねたみや性愛的な感情からではない。

 櫂のような美貌の持ち主はそれだけで幸せに生きる事が保障され、その魅力は様々な恩恵をもたらすと彼女は考えていたからだ。

 男爵夫人の感覚からすれば、宝物庫に保管されるべき宝石が物置小屋に捨て置かれていた事を知らされたようなものである。


「言いたくはないのだけど、まさかさらわれてきたのかしら?」


 慎重に言葉を選びながら答えたのは、男爵家の一人娘であるアリエット・ド・ランスカークだった。

 母親とは違って目つきが鋭く、その場にいるだけで人を委縮させるような威圧感を備えた20代の女性である。


「いいえ、その……何と言いますか、よく覚えていませんね……」


 まさか「自分は昨日まで異なる世界で働いていた、32歳の元男性労働者です」とは言えず、櫂は何も知らないふりをするしかなかった。

 それが余計に周囲の人間達の同情を買うとも知らずに。


「ええ、そうかもしれないわね。きっと思い出したくないほど酷い目にあったのかもしれないわ。おお御柱みはしらあるじよ、どうか彼女に幸有らんことを」


 どんなストーリーが男爵夫人の脳内で披露されたのかは知る由もないが、同情して抱きついてきた人のい夫人を無碍むげにすることは、櫂にはとてもできなかった。


「だけどあなた、昔の事は何か覚えていない? ほら、どんなところで育ったとか、どの学院に通っていたとか」


 アリエットはその顔に同情の色を浮かべつつも、櫂の身寄りを知りたがっていた。

 いくら見目麗しい美少女とは言え、全く素性の知れない、それも発見時は珍奇ちんきな装束をまとっていた人間を、爵位を持つ貴族が客としてもてなしているのだ。少しでも身元を明らかにしておきたいと言うのは、当然の心理だろう。

 しかし、そうと理解できるものの本当に櫂は何も知らないのだ。

 この世界の事は右も左も上も下も、そもそも自分自身ですら分からない事だらけなのだから。


「いやその……庶民的な学校と言いますか、高等教育は受けましたが、これと言って何もない普通の環境で育ちましたね……」


 地元の学校で義務教育を終え、偏差値的には中の下くらいの高校と大学を卒業し、何かに何まで平均的な会社に就職した櫂にとって、人と比べて特別な教育を受けたり、そうした立場に置かれた経験など皆無であった。

 だから正直にそう説明したのだが……


「あら、やっぱり。そうよね言葉遣いからして違うもの。

 しかもこの歳で高等教育だなんてあなた、五公家かそこに連なる家の出よ」


「はぁ!? 何それ、そんなの絶対に一大事になってるじゃない!?」


「……そうよねぇ。でも帝都にいた時にお近づきになった方々は皆、カイみたいな話し方をしていたのよ。中には高等教育を受けていた方もいましたし、そうとしか考えられないわ」


「は、はぁ……」


 櫂からすれば全く身に覚えのない話であるが、男爵夫人の指摘もあながち的外れではない。

 櫂は普段から誰に対しても敬語を交えて話しかけるのだが、男爵夫人達からすればそれを自然にやってのける時点で相当に身分が高く、幼少期から立派な教育を施された証としか考えられない。

 加えて、この国の女性が高等教育を受けられる場所はたったの三つしかない。

 それも全て大陸有数の大都市に建てられているものだから、そこに通う時点で貴族の中でも上位の家系だと推測できるのである。

 もっと言えば、庶民の大半が高等教育を受けられる世界に育った櫂の方が、ここでは異端なのであった。


「どうだね彼女の様子は――おお、これはなんとうるわしい」


 その時、一人の壮年男性が入室してきた。

 老いを感じさせる白髪ながらも顔付きは精悍せいかんそのもので、実年齢よりもずっと若く見える。

 この地方を治める領主、アルマン・ド・ランスカーク男爵であった。

 男爵は櫂の姿を見ると、大仰おおぎょうにその可憐さを讃えながら歩み寄ってきた。

 背丈は高く体格も良い。対照的に142㎝しかない櫂にとってはそれだけで威圧感を覚える相手である。

 すると彼は自ら膝を着き、櫂と目線を合わせる。全く貴族らしからぬこの振る舞いこそ、彼が領民から慕われる所以ゆえんでもある。


「やはり君にはドレスの方がよく似合う。あの男装も物は良いがサイズは全く合っていなかったしな」


「あ、ありがとうございます……」


 男爵が善意からそう言ってる事は百も承知であったが、ドレスの方が似合うと言われても櫂の心は32歳男性なので素直に喜べなかった。

 しかもいつも着ていたスーツのサイズが合わなくなったと言うことは、体自体が相当に縮んでしまった証拠でもある。


(参りましたね……腕力だけでなくあらゆる筋力が低下したばかりか、身長も体重もずっと下がっています。これでは何かされても抵抗できないし、逃げきれないかもしれません)


 自分自身の性的魅力が高まった事は素直に嬉しいが、生物として弱体化した不安の方が櫂にはずっと深刻だった。


(日本にいた時は何かと怯える女性に辟易へきえきしていましたが、こうして女の子になってみると、その心細さというか不安は笑い飛ばせるものではないですね。ごめんなさい……)


「それで、何か思い出せたかね?」


 男爵の問いかけにも、櫂は首を横に振るしかない。

 すると夫人が男爵に近付き耳元で何かをささやいた。恐らくは先程交わされたやり取りや推測を伝えているのだろう。


「――なるほど、確かにその通りだ。ええと……確かカイと言ったかね、君は」


「ええ、はい」


「どうやらまだ記憶が戻ってはいないようだが、君の素性は実のところ我々にもよく分からなくてね。やんごとなき家柄の出だと推測はできるが、五公家や上流貴族のどこからも娘が行方をくらましたという報告は聞いていない」


(それはそうですよね……詳細は分かりませんが、私はこの世界からすれば無から生じたようなものですし)


「まぁ、ではこの子はどこから――」


「それも含めて、私はこの子を帝都に連れて行くつもりだ。

 あそこならば医術の研究も進んでいるし、引き取ってくれる当てもある。何より君はこんな田舎でくさらせるには勿体もったいない」


 それが自分の容姿に対する賛辞である事は理解しているが、実感が全く伴わないのが今の櫂である。

 ふと鏡を見ると、確かにそこに映っているのは異質なまでに美しい少女だ。小さな背丈と華奢きゃしゃな手足が保護欲をかき立てると言うのも理解できる。


(でも私なんですよね、これ……)


 どんなに褒め称えられたところで、櫂自身のセルフイメージは32歳の男性でしかない。自他であまりに乖離かいりした自己評価は、自分の容姿に対する実感を奪う要因にしかならなかった。

 とは言え、


「帝都ですか……」


 右も左も分からないこの世界だが、これまで目で見た光景や聞いた言葉から推測できるのは、この地が櫂の感覚としてはヨーロッパに近しい君主制国家である事だ。

 ならば帝都とはその名の通りこの国の首都であり、貴族の上に君臨する皇帝がその都市におわすのだろう。

 元より異世界転生もののファンタジーが好きな櫂である。

 帝都とやらを実際に見てみたいという想いは、十分に次の指針になり得た。


「――よろしくお願いします男爵閣下。この御恩は一生忘れません」


 櫂がそう礼を述べると、何故か男爵夫人が感極まり、そのふくよかな腕で櫂を抱きしめる。


「ああ、なんて良い子なのかしら。もしこの先、カイに何かあれば私たちが力になりますからね」


「おいおいアンナ、カイの顔を見たまえ。困っているじゃないか」


「お母様は全く……でも私も気持ちは同じよ、遠慮なく頼ってらっしゃい」


 和やかな笑い声に包まれながらも、櫂は複雑な表情を浮かべていた。


(ただ女の子であるだけで、世界や他人はこんなにも優しくなるのですね。

 なんだか、なぁ……)


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