第7話 帝国のプリンスさまっ




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 ランスカーク男爵と共に銀鷲ぎんしゅう帝国の首都イーグレに到着した櫂。皇宮を訪れた際に何故か金髪の青年にナンパされるのだが、その青年はなんと――



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「僕の名はルートヴィム・フォン・ハイデルン、この国の皇太子さ!!」


「そうなんですか」


 自分をナンパしてきた青年の名乗りに対し、心の底からどうでも良さそうな声でかいは相槌を打つ。

 言われてみれば癖のある金髪を伸ばし、眉目秀麗びもくしゅうれいで自信に満ちあふれた言動は確かにプリンスらしく見える。

 でもそれだけ。生憎と櫂は美男子には全く興味がなかった。心は未だに32歳独身男性なので、当然と言えば当然の話であるが。

 しかしルートヴィム皇太子からすれば、櫂の淡白な反応は予想外だったらしく、


「えっ、それだけ!?  いや君、もっとこう……あるでしょ何か? 次の皇帝陛下ですよ僕は?」


「それは大変ですね。がんばってください」


 この国の臣民でも、ましてやこの世界で生まれ育ったわけではない櫂にとって、目の前の相手が皇太子だろうと何だろうと、それだけで敬意や畏れを抱くはずもない。

 ましてや社会的な立場も高くて顔も良い若者など、櫂からすれば何もしなくとも「いけ好かない」存在なのだから。


「……ひょっとして君、帝国臣民じゃない?」


「かもしれません」


 けんもほろろな櫂の態度に、皇太子は肩を落として落胆するも……


「いや、構わん。僕も陛下のご威光にあやかるばかりの男ではないからな!

 よし元気出た! とにかく僕は君の事が気に入った! 気に入ったからね!」


 すぐに立ち直り、諦めないぞとばかりに櫂の手を取る。


「それはどうも……」


 そんな熱烈なアタックにも関わらず、櫂の心は冷めきっていた。

 傍目はためには絶世の美少女が男を袖にしているように見えるが、心はまだ男性の櫂としては、その気もないのに男に迫られて嬉しいわけがない。

 例え皇太子だろうと何だろうと良い迷惑でしかないのである。


(一刻も早くどこかに行ってくれませんかね……いえ、そもそも皇太子がどうして私の部屋に入って来たのでしょうか? どう考えても不自然です)


 今更ながら、櫂は疑問を抱いた。

 自分はランスカーク男爵の連れとして皇宮の一室に待機しているだけの人間だ。

 この部屋だって従者が控えるための、皇宮の中では大した場所ではないだろう。

 だからこそ、そんな場所に皇太子がお供を引き連れてやって来る事自体があり得ないのではないか。


「ところで殿下、どうしてこの様な場所にわざわざ足をお運びになられのですか?」


「ああ、それは師父しふ――いやランスカーク公に会えると聞いて、公務の帰りに立ち寄ったのだが……」


 どうやら彼は櫂ではなく男爵に用事があったらしい。

 だとしても皇太子自ら臣下の部屋を訪れると言うのは、異例にも思える。

 すると申し合わせたかのように、皇帝への謁見えっけんを終えたランスカーク男爵が戻ってきた。


「ご無沙汰しております殿下、いやぁ見違えるほど大きくなりましたな」


「おお師父! そちらこそ壮健そうで何よりだ」


 再会を喜び合う二人を見て、櫂は二人の間に漂う親しげな雰囲気に気が付いた。


「男爵閣下、皇太子殿下とはお知り合いなのですか?」


「ああ、まだ殿下が幼少のみぎり私が武術の師範代を勤めていたのだが、まさか帝位を継がれるまでに成長なされるとはな……」


「いいえ、これも全て師父の薫陶くんとうあってのこと。

 成人まで生きられないと言った医者に一杯食わせてやれたのは、師父のシゴ……指導の賜物だよ」


「もったいないお言葉です、殿下」


(シゴいていたのは否定しないのですね……)


 二人の関係性が垣間見えるやり取りを眺めながら、櫂は皇太子がこの部屋に自ら足を運んだ理由をそれとなく察した。

 どうやら身分の差を超えて男爵と皇太子は師弟関係にあるらしい。それも皇太子の方から出向くことを黙認されるほど、その絆は強固なのだろう。


「それよりもだ師父、彼女――カイは一体どこの子なんだい?

 この容姿で貴族でないとしたら、まさか魔導院から引き取ったとか?」


「いえ、それが彼女は全くの身元不明でして。

 カイ、君は帝都に来て何か思い出した事はあるのか?」


 櫂は首を横に振った。

 男爵には自分は記憶喪失だと伝えていたが、実際はこの世界での記憶など元から存在していない。

 だからと言って「別の世界から転生したと思われます」と正直に白状したところで、より症状が重篤じゅうとくなのだと誤解されるのが関の山だろう。


「なんと……だとしてもカイ、君は“魔法”を使えるかい?」


「え? さぁ……試した事はありません……」


 櫂からすれば脈絡のない質問であったが、皇太子の表情はとても冗談を言っている様には見えなかった。

 もちろん櫂はこの世界に転生してから一度も“魔法”など使った事もなければ、見た事もない。

 しかし自分の体に宿っていた超常の身体能力や、男爵領にて対峙した猫耳少女――ミカゲ・アゲハが影に身を潜める姿を思い出すと、もしかして自分も“魔法”が使えるのでは? と言う期待がやにわに浮かんできた。


(……そうです! もしかしてこれは夢にまで見た『ぼく何かしちゃいましたか?』の時間なのかもしれません! 

 ちょっと試しただけなのに上級魔法が使えるんですかね?

 それとも失われた属性の使い手とか?

 こ、ここはまず試してみるべきですね!)


 異世界ファンタジーのお約束を思い出すと櫂は真っすぐ手を伸ばし、誰もいない空間に向けて「火よ!」と叫んだ。

 しかし、何も起こらなかった。


(……いえいえいえ、まだ火属性を試しただけですし。あと水と風と土と光と闇も試さなくては!)


 そうして櫂は口上を変えて何度か試してみたが、もちろん何にも起こらなかった。

 がっかりして皇太子の方を見ると、彼もそして男爵もついでに他の官吏も控えていたメイドも口元に手を当てて、体を小刻みに震わせている。

 それが笑いを堪えているのだと悟った瞬間、櫂の顔は羞恥しゅうちで真っ赤に染まった。


(うわぁーーーーーーーーー!? や、やっちゃいました私!

 恥ずかしい……恥ずかしすぎて死ぬ……私の黒歴史がまた一ページ!)


 ただでさえ分厚い失態の記録が増えた事で櫂は泣きそうになるが、しかしそんな彼(女)に注がれる視線は決してあざけりなどではなくて、


(か、かわいい……♥ 澄ましていたけれど、やっぱりまだ子供なのね ※メイド)


(大変良いものを拝ませてもらいました。さぁお仕事がんばるぞ! ※官吏)


(そんなお茶目な一面もあるんだね……最高だ君は…… ※皇太子)


(まだ空想に耽る年頃であったか。まぁ下手にさかしいだけよりずっと良い。※男爵)


 どちらかと言うと皆の好感度を荒稼ぎしていたのだが、もちろん櫂にはそれを知る由はなく、ただただ羞恥に耐えるしかなかった。


「――いや、“魔法”についてはともかくとしてだ。

 師父、カイの身元については私のほうからも魔導院に問い合わせてみよう。青に近い紫の髪の持ち主なんて連中が知らない筈がない」


「それはぜひ私からもお願い申し上げます。魔導師どのにかけあっても一介の地方貴族では門前払いが関の山ですからな」


 皇太子と男爵は櫂の身元調査について話し合うが、耐えがたい羞恥に震える今の櫂の耳には全く入ってこなかった。

 それからしばらくして……櫂がなんとか話に応じられるまで立ち直った頃、男爵はふと櫂に尋ねかける。


「それでどうだカイ、君の目から見て殿下は?」


「え? ……そうですね、とても気さくで親しみやすい方だと思います」


 正直に言うとかなり鬱陶うっとうしかったので、塩対応で追い払おうと考えていました――とまでは流石に口にしない櫂であった。

 すると男爵は嬉しそうに頷き、今度は皇太子に声をかける。


「殿下、こちらのカイはまだ幼いですが既知に富み、好奇心も旺盛です。

 どうか殿下のお側に置いていただけないでしょうか?」


 突然の男爵の直球の申し出に当の皇太子も櫂も、そして背後に控えていた官吏たちも驚きで目を丸くした。


「閣下……まさか最初からこのつもりで?」


「はは、もちろんだ。当てがあると言っただろう?

 なに、殿下は既に婚約されているから、君は殿下の元で帝国について存分に学ぶが良い」


 快笑する男爵であったが、その言葉をバカ正直に受け取るほど、櫂も世間知らずではない。

 要は皇太子のめかけになれと、男爵は言ってるのである。


「ま、待ってくれ師父! 私は別に……いや正直に言うとカイの事はかなり気に入っているのだが、それは彼女の気持ちを確認してからだろう?」


 慌てふためく皇太子に男爵は頭を下げ、


「なるほど……いや、これは私めが先走りすぎましたな。

 そして殿下も年若い女性への気遣いができるほどに成長さなれたようで、喜ばしい限りです」


 ほめているのかどうか判別つきにくい物言いではあったが、皇太子がすぐには首を縦に振らないことも、男爵としては織り込み済みだったのだろうと櫂は考えていた。

 恐らくこうして皇太子を立てることで、女性(櫂)の心理的なハードルを少しでも下げる目算なのだろう。


(まぁ……閣下なりの善意ではあるのでしょうね。

 専制君主の時代にこんな事したら他の貴族が黙っていないでしょうが、議会が実質的に統治する時代であれば、皇太子に私を差し出すのは政治的な損益よりも、文字通り身寄りのない私への救済策の意味合いが強いと思われますし)


 櫂はそう解釈したが、もちろん納得しているわけではない。

 しかしだからと言って、男爵の申し出は自身の好悪だけで決めて良い話でないことも分かる。


「……申し訳ありません、殿下。なにぶん身に余る話ですので、少し考える時間を頂ければ幸いです」


「そ、それはもちろんだとも! 師父が帝都にいる間は焦らずとも良い。

 そうだ! 来月には建国祭もある。離宮での晩餐会に君を招待させてもらうよ」


 皇太子のその言葉を聞いた瞬間、部屋に控えていたメイドが思わず手を口に当てる姿を櫂は見てしまう。

 彼(女)は知らなかったが、この国において王侯貴族が集う晩餐会に参加する事は事実上の社交界デビューであり、しかも招待主が皇太子だとすれば皇室の後ろ盾を得ていると云う最上級の箔付けにもなる。

 男爵が満足そうに頷く理由もそこにあった。


「………………………………はい、お待ちしています」


 たっぷりの逡巡しゅんじゅんのあと、櫂は会社員時代につちった愛想笑いを駆使して、その場をやり過ごした。

 ちなみに周囲からは、あまりの光栄に言葉を失った身寄りのない美少女と言う美談に誤解されていたのだが。

 その後、櫂は男爵と共に皇宮を後にし、帝都における男爵の邸宅へと馬車で戻っていった。

 その途中、晴れぬ顔でぼうっと窓の外を眺める櫂に、男爵が話しかける。


「――カイ、だますような形になってしまったのは謝る。だがさとい君なら分かるだろう、こんなに良い話は先ずないと」


「ええ、それについては閣下に感謝しています……本当ですよ?」


「その顔で言っても説得力がないな。

 殿下はまだ若いができた御方だ。その覚えもめでたいとあれば愛妾あいしょうとまでは行かなくとも、縁談には苦労しないだろう。

 何より殿下のお側に控えるとなれば、それなりの身分を与えられる。廃嫡はいちゃくした家名を継いで領地をたまわる事も夢物語ではないぞ?」


(……それは分かっています。傍から見れば私はシンデレラストーリーの主役でしょうからね。

 分かってはいますが……)


 それでも無理なものは無理なのだ。

 櫂の中では既に結論が出ていたが、それを伝えたところで恐らく誰も納得しないだろう。

 櫂の心を曇らせる理由は正にそれであった。









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