第11話 大路かれん

 それからまたしばらく経ったある夜。

 俺はコニーによってベッドに押し込められ、横になったがなかなか寝付けないでいた。

 ウルフから全く返事がない。心配のあまり耐えきれずに数日前の夜、ベアクマートを呼び出したところ、ウルフは旅暮らしのため、コンタクトが非常に取りにくいと回答があったのだ。

 強引に接続しようと思えばできるが、世界のつなぎ目が不安定になり、悪い影響が出やすくなってしまうそうだ。

 悪い影響ってなんだと尋ねたら、それは様々で、天災だったり、疫病だったり、魔物の頻出という形をとることもあるそうだ。

 どれもこれも最低最悪の悪影響だ。

 なのでベアクマートに頼らずウルフの無事な姿を一目見たい、その一心で、詩集片手にあてどなく城内徘徊する日々を過ごしていたのだ。

 俺としては仕事はこなしているし、ヘディや国婿や銀結晶、そのほか城の中で働くみんなと顔を合わせればあいさつを交わしていて、ちゃんとしているつもりだったのだが、徘徊中の顔があまりにも険しいと、方々に心配されていたらしい。

 ルミネルは2人の故郷の思い出話をしに来るし、シャラムは夜の眠りの魔法の押し売りに来るし、フレイアートは徘徊についてきて、オズラクは怪しい薬をにやにやしながら持ち込み、ノワキは銀結晶のコイバナ暴露をしに来る、エアルドはたまには詩集ではなく哲学書はいかがかとよくわからん事を言ってきた。

 哲学書はお前が好きなだけやろがい。

 かわるがわるやってきて、心配してくれるのはありがたいが、今俺が見たいのは、ウルフの笑顔なんですぅ~君らじゃないんですぅ~。ウルフのぼっさぼさの髭面が拝みたくって拝みたくって仕方がないんですぅ~!

 あぁ~~~!ウルフ!

 無事だよね?元気だよね??

 一目でいいから、無事を確かめさせてほしい。

 じきに夜の眠りの魔法が効力を発揮し始めるだろう。

 そうすれば、俺は眠れる。でも、ウルフは眠れてる?

 ウルフの事を考えると、眠ることにすらどうにも罪悪感がある。

 どうか、どうか、どうか。


 ズン。


 そんな俺の気持ちを汲んだかの様に、低く低く、重い音楽が聞こえた。

 唸るような歌声、【HIDDEN POWERハイデンパワー】のタイトル曲。俺は暗がりの中、サイドボードに急いで手を伸ばす。

 ウルフ、ウルフだ、ウルフだーっ!

 引き出しに思い切り指をぶつけたが、どうだっていい。

 淡い光を持つ詩集を開き、その光を頼りにドレッサーにたどり着く。

 鏡にかぶせてある布を取り払い、中をのぞく。

 しかし向こうも夜だ。暗くて何も見えない。

 俺はがっかりする気持ちを押さえて詩集に浮き出る文字を追った。

 まさかこんな暗闇の中で戦っているんだろうか。大丈夫なの?

 まるでこめかみに心臓があるかのように、バクバクしている。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 ウルフは寝そべって空を眺めていた。

 情報収集に立ち寄った街道沿いの宿場町で、運よく屋根裏の部屋が取れ、その突き出し窓から屋根の上へ這い出して、空に広がる星を眺めていた。

 どこかの開け放たれた窓から、吟遊詩人の歌声と、酔客の笑い声が漏れ聞こえる。

 ふう、と息を吐く。

 魔人を倒すべく動き出したはいいが、そのタイミングでなぜか魔人の活動が収まり、動きが追えずにいる。

「はぁ~、きれぇ~だな~」

 せっかく野宿をしないで済んだというのに、わざわざこんなところへ来てしまったのは、普段の野宿にはない安心感のせいかもしれない。

「こんなに怖い世界でも、星空ってのは、きれいだねぇ」

 妙におかしな気持ちになって、ウルフは喉の奥で笑う。

 しばらく笑い、しばらく黙り、ウルフはある事に気が付いた。

「あ、そっか。天井ないんだ」

 当たり前だ。ここは自ら這い出た屋根の上なのだ。

「だからか。だからあたし、ずっと楽しいんだ」

 ウルフは目をしばたたかせた。

 ようやくわかった。

 この世界は怖い。たくさん怪我をしては痛い思い、苦しい思い、辛い目にあった。

 正直散々だ。

 でも、どこか腹の奥で、全てを楽しんでいる自分の存在がいて、ずっと何かが引っかかっていたのだ。

 そうだ。

 この楽しさは、視界を覆う天井が無いからだ。

「あたし、病気で死んだんだった」

 小学生の頃は、どちらかといえば活発だったのに、中学生にあがって発症したなんとか言う病気の治療で病院にいた。チューブに繋がっていた。

 家族が持ってきてくれるゲームのコントローラーを、手袋やひもで括りつけて、難しい操作の必要のない、ノベルゲームをよくやっていた。

 本をめくるより、ボタンを押して続きが読めるゲームが、楽でありがたかった。

 1年持てばいい、3年持てばいい、そう言われながら結局6年を病院で過ごし、水分以外は何も口に出来ず、笑う力もなくなっていた。

 そんな自分に気を遣うことなく、ゲーム画面から笑いかけてくれるキャラクターたちが、癒しだった。


“明日少しだけ、家に帰っても良いって、先生の許可とったからな”

“かれんちゃん、かれんちゃんの食べたいもの、お母さんがなんでも作るからね“


 娘はもはや何も口にする事など出来ないと十分知りながら、それでも何か作ってやりたいと、目に涙をためて、笑顔で。

 背後に立つ医者は、難しい顔をして看護師とやり取りをしている。

 こりゃ、お父さんもお母さんも、先生を相当困らせてるなぁ。

 でも、甘えちゃおう。


“お母さん、あたしね、作る時にいい匂いがするのがいい。

 お菓子がいいな。焼くといい匂いがするでしょ。ずっと甘いもの、食べてないんだもん“


 精一杯、笑顔を作って答えたつもりだ。


 結局、家には帰れなかったけど。


「お母さん、あたし、こっちでも家に帰れないままだよ」

 ウルフの故郷、ベオルはすでに地図上にない。

「しかもさぁ~いまだに甘いもの、食べれてないんだよ。ひどくない?」

 ウルフは声を低くして笑う。

「でもね、今、楽しい。怖いけどね、楽しいよ」

 走っている。空の下にいる。山野をめぐり、まさかの剣など振るっている。

 星を、見ている。

「秋山さんも、ちょっと楽しそうだから安心しちゃった。男の人も、ドレスいっぱい着る機会があったら、実は楽しいのかな。はあ~、あの青と淡い黄色のドレスのリリーナ、めちゃかわいかったよね~」

 上半身を起こす。風が吹いて、冷気が肌に沁みてきた。

 屋根の上に立ち、夜を見つめる。

 月影が冷たく吼えて駆け抜けた。

「大丈夫だよ、リリーナ。怖がらないで大丈夫」

 ウルフは立ち上がり、大きな手を腰の剣に這わせる。

「魔人はきっと倒す」

 戦士は不敵に笑う。


「“俺”が」


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「リリーナ!」

「大丈夫ですか?」

「みなを呼んでくる」

 朝目覚めると、ルミネルとエアルドが俺の顔を心配そうに覗き込んでおり、すぐに他の4人も現れた。

 全員不安そうだ。

 どうやら俺は、ウルフの様子を詩集に読みながら、夜の眠りの魔法の力で寝落ちし、ドレッサーの椅子から転げ落ちたらしい。

 驚いたアダンデが、すっ飛んでまだ精霊城で仕事をしていた6人を呼び、ベッドに運び込まれ、交代制の朝まで見守りサービスを受け、今に至るらしい。

 やっちまった……。

 俺はなんて馬鹿なことを。どうせ鏡の向こうは暗くて何も見えないんだから、さっさとベッドへ戻りゃ良かったのに。

 それでも、ただ寝ていただけなら夜の眠りの魔法のタイミングを見誤っただけ、うっかりテヘペロで誤魔化す事も出来そうだが、いかんせん、床に倒れた俺の顔は涙で濡れていたらしい。

 直前まで男泣きに泣いていたんだから、そりゃもちろんそうなる。かれんちゃんの事を思うと、今からだって十分泣ける。

 しかし、向こうもこっちを伺う機会があったようだ。向こう側を確認できる状態は双方向で発生するわけじゃないって事なのか、いや、詩集を持ち出し忘れたり、隠しポケットを装備出来ないドレスを着る機会があったから、その時かもしれない。

 青とベージュのドレスってどの話だろう。ドレスが多すぎて記憶にない。

 ああきっと、俺がバクバクとお菓子を食ってる姿だって、見たんだろうな。

 それを考えると、思考が真っ暗になる。

「ごめんなさい……」

 ふと、蚊の鳴くような声が聞こえた。

 シャラムが高い背を限界まで丸めて、泣きそうな顔をしている。

「夜の眠りの魔法……きっと、変な効き方をしたんだね……」

「違う、それは違います。シャラム、こちらこそ、皆さんにも心配をかけてしまって……」

「君はここ最近、ずっと不安そうだったね」

 ルミネルが、なだめるように声をかける。表情は悲しそうだ。

「相談をしては、もらえないだろうか。私が力不足でも、他にも5人いるのだよ」

「そうですよ、俺に出来る事があれば、なんだって」

 フレイアートが意気込むと、オズラクがにや〜っと口を挟む。

「あれぇ、もしかしてみんな、個別任務もらってないの〜」

「あらぁ奇遇ねぇ。あたしはもらってる~」

「えっ、なんでよリリーナ!僕だけ特別だと思ってたのに!」

「はいはい、オズラクちゃんはちょっとお口のボタン止めときましょうね」

 ノワキにあしらわれるオズラクを尻目に、エアルドが進み出る。今ならなんとなくわかるが、オズラクなりに場を和ませようとしてくれたんだと思う。

「もし、あなたの懸念が私の叔母の事なら、あまり胸を痛めないで頂きたい。別件ならば、グチでもなんでも聞く事はできますから」

 シャラムがうんうんとうなずいている。

「……その。私は、……」

 二の句が継げない。なんて言えばいいんだよ。全て事実を正直に、なんてのはとても無理だ。

「ただ……自分が無力で、何も出来ていないと、感じていて」

 かれんちゃんの事を思うと、泣きたくないのに、目の奥から勝手に涙が上がってくる。

 俺が【HIDDEN POWERハイデンパワー】世界にビビり始めた事も、知られているかもしれない。

 いや、あの様子ならきっと、知られてる。

「どうにかしたいのに、方法が分からなくて。辛い事を全部押し付けてやしないかって」

 こんなの情けなさすぎる。

 しかも皆してポカーンて顔してる。わかる!そうなるのすごくわかる!

 悩みに具体性がない事この上ない。具体的な事を言いたくても、出来ないから中身がなんもない自己陶酔の語りだ。

 いや、シャラムとフレイアートが、わけわからんなりにもらい泣きしてる。優しすぎて心配になる。

「わあ、リリーナってば、ほんとに大丈夫じゃなさそう。ホームシックとか?」

「詩集を肌見離さず持ち歩いているし、それはあるかもしれないな」

「銀の乙女候補は我々国婿候補と違って、国に帰らない覚悟はあまり持たずに来ると聞く。環境に慣れて、緊張が解けた反動かもしれない」

 銀の乙女候補は、銀結晶にもならなかった場合は早急に故郷へ引き返すのが通例だが、国婿候補は選別から漏れても、いや、むしろ漏れるのは前提であり、実はそこから本番とばかりに、ブレイザブリグの中枢、精霊城に潜り込むために八方手を尽くし、基本的に数年は帰らぬ覚悟で来訪するのが普通だ。

 なのでリリーナとルミネルはともにブレイザブリグへ訪れたが、リリーナが銀の乙女にならなければ、帰路は別となったはずだ。

 だがもちろん、理由はホームシックなんかじゃない。

 ただの罪悪感だ。

 でもこれは、ウルフの状況を目にして、それがあたかも自分の悲劇であるように感じたいだけの、無意味な、趣味の悪い振る舞いじゃないか。

 こんなのは結局自分がかわいいだけじゃないか。

「何もできないと思うリリーナちゃんは、それで、何をしたいと思ってるの?」

 ノワキがかがんで視線の高さを合わせてくれる。

ETERNAL SILVERエターナルシルバー】のヒーロー達は、みんな優しいんだな。

「私……私は」

 多分、攻略を進めなきゃいけないだろう。かれんちゃんと交代のできるタイミングで、好感度の低さゆえに精霊力が乱れて大騒ぎ、なんて、いかにもありそうな進行障害は潰しておく必要もある。

 そして、俺のネックとなっているのもまさに好感度だ。

 好感度を上げなきゃいけない、でも好感度が上がるのも怖い。

 こいつらから向けられる好意にあらがえるだろうか。

 特に何もなくとも、笑顔を見るだけで勝手に胸が締め付けられる。

 考えろ。

 夫婦にもいろいろある。

 好意の形にもいろいろ……。

 色々だ。

「……私は……皆さんと、友達になりたいです」

 そうだよ。好感度を上げて、恋愛に持ち込もうとするからおかしくなるんだ。

 ならば前提を、ルールを変えろ。そもそも俺は、ルールの外から来たんだから。

 男友達ならいくらでも歓迎する。

 しかし、場の空気が妙な感じになった。

 一瞬だが、国婿全員の表情が曇ったように見えた。

 公然と6股されて文句の言えない状態って、絶対嫌だと思うんだけど。

 いや、まてよ、離縁と捉えられたか?

 離縁されたとなれば、精霊城で勤仕の道も断たれるし、国元へ帰っても、婚姻失敗の責任を問われる事になり、それなりにただじゃすまないだろう。

 銀の乙女と国婿のパワーバランスは、圧倒的に差があるのだ。

「つまり!つまりですねーえ、夫婦として1対6というのがどうしても申し訳なくて。皆さんの事は頼りに、大切に思っています。ですがそれは妻の務めを均等に果たせると言う事では有りません。それで、まずは、お互いをよく知るためにも、夫婦というのは事実としても、気持ちとしては別にして、お友達として親睦を深めたいなぁ~と」

 それっぽい言い訳を慌てて付け足す。とりあえず事実だし、こいつらに不幸になってほしいわけでもないし。

「もちろんだ」

 ルミネルが急にデカい声を出し、自分の声に驚いたように口を塞ぐ。

 顔を見ると、誤魔化しきれない喜色がにじみ出ている。

 これはもう、すでに自分は “お友達” から頭一つ抜き出ていて、本命に選ばれると確信してるな。ほんとにマジで申し訳ない。ねえんだわこれが。

 というか今更だが、リリーナがそうであったように、ルミネルもリリーナに対して、きっとずっと想いを寄せていたんだろう。

 1人の銀の乙女に6人の国婿。罪深い制度だ。

「さてと。リリーナちゃんは無事だったし、ひとまず今はお暇しましょ」

 妙な空気になったのを振り払うように、ノワキがポンと手を打って立ち上がる。

「そうだな、俺はコニーを呼んで来るよ」

「あーあ、僕、リリーナとはとっくに友達だと思ってたのに」

 ぞろぞろと6人の夫達は連れ立って外に向かう、が。

「待って欲しい」

 エアルドが制止の声を出す。

「リリーナが倒れて……このような事があって、不安の種を抱えたままでは良くないだろう。過日、リリーナからのご厚意で、ノワキに私の叔母の死の調査をしてもらっていたのだが」

「あら、いいの?」

「ええ。私の中で整理がつかず、口止めをしてしまって申し訳ない」

 エアルドの言葉に、ノワキが小さく構わないわよ、と答える。

「リリーナ、そしてご同輩。午餐の後にお時間を頂きたい。そこでお話をします」

 その言葉に、それぞれ了承の声をあげる。

「リリーナちゃん、ごめんなさいね。あなたより先にエアルドちゃんに報告しちゃって」

「いえ、何を仰いますか。家族の事ですし、あなたは守るべき順序を守っただけですよ。ノワキ、エアルドに先に伝えてくれて、良かったです」

 そう言うと、ノワキとエアルドは驚いたようにちらっと視線を交わした。

「もぉ、リリーナちゃん、お寝間着じゃなかったら、ぎゅーっとしてるとこよ」

「ご芳情を賜り、感謝いたします」

「リリーナってさ、ちょっと甘いんじゃない?」

「どうしてお前はそういう事ばかり言うんだ。リリーナはお優しいんだ。このご気性に最も甘んじているのはお前だろ。もっと感謝しろ!」

 オズラクにフレイアートがかみつきつ、騒がしくみんなが去って、最後になったルミネルが、無言でリリーナの手をそっと取り、目をまっすぐに熱っぽく見つめ、すぐに離れた。

 いや、ほんと、ゴメンな。


 悪いと思うけど、こっちの心臓も持たないから遠慮してくれ……。


 俺は全員を見送った後、コニーに発掘されるまで枕に埋もれていた。

 イケメン共の圧が辛いのよ。


 はぁ。




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