第9話 銀の乙女、1人

 エアルドに事の次第を伝え、ノワキと2人で協力して調査してほしいと伝えると、エアルドはノワキの協力に謝意を伝えに行くと言ってくれた。

 はぁ良かった。よそ様の家庭の事情でもあるから、勝手して不快に思われたらと少し心配だったが大丈夫そうだ。

 これが落ち着いたら、ノワキは調査能力の高さを買われてきたと言ってたし、相談したら幽体離脱の方法がないかも調べてくれないかなあ。


 幻象球げんしょうきゅうの間のお勤めは仕事ではあるものの、世界のいろんな映像が次々と脳内に流れ込み、ちょっとした旅番組を見ているような楽しみがあって、周りからは大変だろうといわれるが、俺は結構好きだ。

 そのお勤めをこなし、何かあるまでは自由にしてよい時間となったので、晩餐の支度の為、部屋に戻る。

 貴族の子女というのは、何かにつけて着替えが必要で大変だ。

 ヘディに教えてもらったが、本来の平時であれば、実は銀の乙女は幻象球の間に仕事をしに行く必要はないらしい。

 なんなら幻象球の間まで銀の乙女に足を運ばせるというのは、国婿こくせいや銀結晶達の不明であり、恥とまでされていた時代もあったそうだ。なぜなら、銀の乙女はただそこに存在するだけで、ある程度は精霊力の調停に貢献し続けるからだという。

 だが、ユニの没後あたりから乱れ始めた精霊力は、ピークは越えたとはいえ未だに平時の状態とは言い難く、銀の乙女が幻象球の間に頻繁に出入りせねばおさまらない事態が続いているのだ。

 俺が自室に入ると、そこに俺の背丈はありそうなでかいロール紙が置いてあった。

「なんぞこれ」

 よく見ると、ロールには手紙が添えられており、差出人の名は『フレイアート・トルニヨキ』となっていた。

 ご所望の地図をお持ちいたしました。と。

 ち、地図……。

 ご所望してなかった感じの地図が来てしまった。

 俺は現代人の感覚で、手帳の末尾あたりに付属する路線図的な地図が欲しいと口にしたのだが、印刷技術のない、手書きの城の全体詳細図なんて、そりゃどデカいに決まってる。こんなサイズ、小中学校で触った模造紙以外に俺は見た事がない。

 俺が地図を片手に散歩したいとのたまった時、フレイアートはどんな顔をした?エアルドは何て言ってた?きっと完全にアホか、ド天然と思われたろうな。

 ついつい張り切って全体地図を欲しがってしまったが、詩集のレーダー範囲はそもそも400m程度だとベアクマートも言っていたじゃないか。

 こんなの広げてレーダーと比較して位置を調べるくらいなら、そこらへんで人に道を尋ねた方がよっぽど早い。

 準備してくれたフレイアートには申し訳ないが、これは返そう。お詫びに何か付けて。

 今度フレイアートと飯食えるのはいつかな……その時に、好きなものとか聞こう。いや、一回全員にそういうのはリサーチかけとこ。

 考えると背中がぞわっとするが、目下の目標が全員落とす、なんだし。



 それから、たびたび俺はかれんちゃんの、ウルフの活躍を目にした。

 向こうは気付かない一方通行ではあるが、レーダー様様である。

 レーダーが反応するのは400m、詩集から音楽が聞こえ始めるのは30m付近から、といったところか。

 おそらくこれはあのイベントだな、と思う出来事もあれば、全く知らない出来事もあった。

 しかし、とにかくかれんちゃんが明るい。剣を振るっていない時は、基本笑顔で旅をしていて、楽しそうですらある。

 旅の商人のレンドンと同道する事があれば商売を手伝い、フェベンタスと名乗る吟遊詩人がウルフの英雄譚を作ると言っては付きまとい、それには若干迷惑している様子だが、基本的に誰にでも親切で、強く、甘いものを食いたい食いたいと不満をもらす以外には、取り立てて困った様子を見せない。

 この前などはフェベンタスの前で日本のアイドルソングを披露し、それじゃ酒場でウケないと一蹴されて、ふてていた。かわいい事してる。

 ベアクマートから一度コンタクトがあり、ウルフに“最初の魔人と戦うな”と伝言出来たそうだが、ウルフ側からは特に何もなかった。

 さみしい……。

 なんか、俺の片思いみたい……。

 いや、気を落としていても仕方ない。俺はユニについて知っている事はないか、ヘディの何に気をつけるべきか、という2つの質問をベアクマートに託した。

 どんな回答が来るだろうか。


 それからまた数日後。

 朝、とてつもない不快感で目が覚めた。

 どう例えていいものかわからないが、ずぶ濡れのスウェットを10枚くらい重ね着させられているような、まとわりつくような重量。

 夜の眠りの魔法をかけてもらわずに寝たからか?疲労だろうか?

 なんとか体を起こし、這いずるように動き、食事をしていると、ヘディの光婿が訪ねてきた。

「お食事の時間に申し訳ない」

「いえ、どうされましたか」

「ヘディが、倒れました」


 この世の終わりが来たかと思って冷や汗をかいたが、ヘディは風邪を引いただけとの事だった。

「ごめんなさいね、夫が大げさな事を言って」

「いえいえ、症状は軽微とのことで、安心しました。お大事になさってください。」

 ヘディがベッドで寝込んでいる。

 顔が上気して、熱がありそうなのに、リリーナに一斉に精霊調停の圧力がかかったのではないかと心配してくれている。

 つまり、この“ずぶ濡れのスウェットを10枚くらい重ね着させられているような、まとわりつくような重量”の正体は、今までヘディが単身で背負ってきた、銀の乙女が支える世界の重圧そのものに近いのだろう。

 いや、ヘディは生きているのだから、本当の一人、はこんなものではきっと済まない。

“頑健なる”ヘディ・テレラーテ、これを20年余りも耐えてきたのか。

 なるほど。なるほどね。頑健、だなぁ。

 国婿の扱う精霊力は、あくまで杖竜を介した銀の乙女の力の一部に過ぎず、ヘディが不調となった今、ヘディの夫たちも能力を十全に振るえない。

 とはいえ彼らには40年培ってきた政治手腕があるので、ヘディが回復するまではリリーナの夫たちのサポートに回ると、請け負ってくれた。

 銀結晶達も、コレグリアの指示のもと、リリーナを常に10人からで取り囲み、少しでも重圧分散の助けとなるように動いてくれる。

 リリーナが来る前は、ヘディの周りは常に大勢の銀結晶が取り囲んでいたそうだ。

 銀結晶に取り囲んでもらったことで、ようやくずぶ濡れのスウェットが6枚くらいに減った気がする。

 立って息してるだけで疲れる……もう来月くらいから新しい銀の乙女が採用されてほしい……履歴書不要、アットホームでやりがいのあるお仕事です。

 銀の乙女って常に100人くらい必要でしょ……頼むよ精霊様……好き嫌いしないでさ……ぜいぜい、はあはあ。

 そういえば、俺が来てからヘディの体調が良くなった、というようなことを以前聞いた気がする。

 もっとヘディから仕事を取って、いっぱい休ませてあげたら良かった。

 こんなにしんどいとは、思いもよらなかった。

 ヘディに何かあったら本当にまずい。

 ぐぬぬ、踏ん張らなくては。


「ヘディ様の病状には、魔術錬金薬石部門の精鋭とオズラクが当たってくれるらしいから、リリーナはあまり気負わないようにね」

「ああ、オズラクは水の守人ですからね」

 ヘディを見舞った際にルミネルと鉢合わせ、その後は幻象球の間へと送ってくれる運びとなった。

 水の守人はブレイザブリグ国内の生活インフラを整備するのが主な役割だ。ヘディの水婿は、道路交通や上下水道などに主に力を入れていたらしいが、オズラクは教育や錬金薬石施設の拡充に注力する方針らしい。

 なので、魔術錬金薬石部門の官僚たちのおぼえがめでたい。

 普段錬金術は魔術の端くれとされてあまり目立たない。回復魔法で怪我や病気も治せてしまうからだ。

 ただ、回復魔法も万能ではなく、体が弱り切っているものに回復魔法は強く効きすぎてかえって負担にある、未知の症状に対して効果が出しにくい、または病を活性させてしまう、などのリスクがあり、さらには乳幼児や高齢の人への使用制限が厳しく定められていたりする。

 効用の微調整や、患者の様子を見ながら長期間かけた治療にあたれる錬金薬石という部門は、回復魔法の救済が求められない者にとっての駆け込み寺だ。

 銀の乙女が体調を崩すと、その周囲の精霊力や魔力が乱れ、並大抵の回復魔法が無効化されてしまう、というか、これまで病気知らずの“頑健なる”ヘディ・テレラーテに、前述の理由から回復魔法が効かないことが今回初めて分かった。

 いや、ヘディ以前の銀の乙女には回復魔法は効いていたようだが、精霊力の乱れが大きすぎるのかもしれない。

 そこで、回復に多少の時間がかかっても、魔力をほとんど含まない薬石を用いての治療をしましょう、とオズラクの提案となったのだ。

 魔術錬金薬石部門の威信がかかっている。

「あとでオズラク達になにか激励の品を届けさせましょう」

「ああ、それがいいと思う。彼らはよく研究で寝食を忘れるというし、軽食があれば喜ばれるかもね」

「それはそれで困りものですね~」

 じゃあ、あとでコニーに言づけて、簡単につまめる軽食を用意してもらおうかな。

 喜んでくれるといいけど。

「ルミネルの方は大事ありませんか?」

「ありがとう。少々忙しくはなっているが、問題ないよ」

 光の守人は精霊力の揺らぎにより、世界各地に発生する魔物と戦う軍隊を整備、派遣するのが仕事だ。

「魔物が発生しないように、私たちも頑張りますね」

 後ろに侍る銀結晶達に目配せする。

「大変だろうけど、頼りにしているよ、リリーナ。それから、銀闕所の皆さん」

 ルミネルに笑顔を向けられた銀結晶達は、ほほを染めてはにかむ。

「ルミネル」

 俺はルミネルの手を取り、今日一日の様子が知りたいから、晩餐の席を設けたいと約束を取り付け、その場を分かれることになった。

 ルミネルの心底嬉しそうな顔が胸に温かい。



 幻象球の間で災禍を鎮めながら、ひそかに頭を抱える。

 さっき、思わずルミネルの手を取ってしまった。

 ルミネルが他の女の子に愛想を振りまくのが、無性にむかついたのだ。

 これは、リリーナの感情だ。俺じゃない。俺のわけがない。


 おお、リリーナ。どうして俺はリリーナなの。







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