第3話 ヘディ・テレラーテと竜精晶

 結局俺は、朝までぐっすり寝こけたらしい。

 リリーナから秋山鉄平に戻る事はなく、ウルフになる事もなく、右の小指には例の指輪がはまったままだ。

 ベッドに朝食の乗ったトレーが運ばれ、そこで食事をとり、身支度をし、リリーナを除いて現在ただ1人の銀の乙女、ヘディ・テレラーテと面会する事になる。

 現在の銀の乙女、とはいってもリリーナと代替わりするのではなく、協力体制を敷くことになるそうだ。

 勿論リリーナは新米なのだから、ヘディに教えを乞う立場ではある。が、名目上は対等となっているため、これは面会であって謁見とは呼ばない。らしい。

「ヘディ様の前で、くれぐれも失礼のないようになさってくださいましね」

 コニーがリリーナの身支度を仕上げていく。

「寛大な方と評判ですが、この世界をたったお1人で支え続けてこられた、偉大な方ですから」

 目覚めてからずっと、コニーがそう口すっぱく繰り返すのは、うんまぁ、リリーナらしからぬ俺の言動のせいだろう。

 通常20~30年に一人が選び出される銀の乙女ではあるが、銀の乙女の選出の儀式そのものは、毎年世界中から、魔力の高い女性たちを募って頻繁に行われている。

 なので、通例であれば銀の乙女は、ブレイザブリグに3~4人在籍しているのが常である。

 銀の乙女が10人いた時代もあったそうだ。

 一応、銀の乙女とはいかずとも、髪や爪、瞳の一部が銀化した、一般的に“銀結晶”と呼ばれる女性たちも数百人からいて、銀の乙女の指揮下において、調停者の仕事を支えているそうなのだが、その能力は銀の乙女の足元にも及ばない。

 銀の乙女が現行で1人きりというのは、この世界にとっての異常事態だ。ヘディに何かあれば世界の精霊力の均衡は一気に崩れ去ってしまう。

 実のところ、リリーナとヘディの間にはひとり、ユニ・マイヘルンという名の銀の乙女が選ばれていたのだが、選出後すぐに病を得て亡くなり、その直後にヘディの先輩にあたる銀の乙女 “上機嫌の” ソスリア・ベラッツァが老衰で亡くなり、当時は陰謀論まで囁かれる、大波乱が巻き起こったそうだ。

 しかし、銀の乙女は精霊が選び出すものであり、世襲は出来ないのだから、他の銀の乙女を排斥したところで重責を一人で負う事になるだけで、暗殺など無意味な事だと世間のほとんどはこの陰謀論を一蹴した。

 最も、本当にヘディの陰謀により2人が暗殺されたのだとしても、銀の乙女がヘディのほかに存在しない以上、罪を追及し、裁く事など出来はしない。

 銀の乙女がいなくなれば、この世界はたやすく崩壊する。

 かれんちゃん曰く、ポンポン滅ぶ、ってやつだろう。

 ともかくそんなわけで、ヘディの先輩銀の乙女、ソスリアが亡くなった後から、今回リリーナが選ばれるまでの20年近い年月を、6人の夫や銀結晶達がいたとはいえ、たった1人で世界を支え続けてきた大人物こそ、“頑健なる”ヘディ・テレラーテなのである。

 そんな渦中にいた人なんて、一見優しかろうが、いやむしろ優しそうに見える方が怖い。陰謀論が本当にただのうわさ話である事を、切に切に祈るしかない。

 一方で、たった一人で世界の均衡を守り続けてきたという事実もまた、リリーナの知識や身に沁みこんでいる。ヘディへの尊敬の念が確固として胸の内にある。

 さらにそこに重ねて気になるのが、ウルフかれんちゃんが放った

『あ、リリーナ!言い忘れたけど、気を付けてほしい事があって!ヘディ様は』

 これである。

 いや、マジでさ……。

 うう、怖い怖い。何も考えたくない!

 ひとまず面会には向かうしかない。気張れよ、俺!

 色んな感情が入り乱れ、俺の膝は今から元気に震えているのだった。



 ブレイザブリグの中心である精霊城は、遠目には白く輝く雪山のようだ。

 この精霊城は政務を行う場所であり、同時に銀の乙女の住居でもある。

 精霊城を取り囲むように、ぽつぽつ建つ立派な屋敷は、夫たちそれぞれの住居とのことで、これは非常に勇気を与えてくれる光景である。一緒に暮らす必要がないってことだから。

 俺は、儀式を終えたばかりの銀の乙女の仮の宿として与えられる屋敷、“森厳宮しんげんぐう”から、空駆ける精霊馬が牽引する馬車に乗って、眼下に広がる広大な敷地をおっかなびっくり眺めていた。

 森厳宮から精霊城までは徒歩2時間、精霊馬なら10分程度の距離だ。

 リリーナの経験上も乗ったことのない貴重な乗り物に、最初は天アゲだったが、乗り込んで宙に浮いたとたんに胃がきゅーんとなってしまった。

 いや…なんか……普通にこわい。

 魔法だからと割り切ればいいのだろうが、翼もない、ただの箱型の乗り物がまっすぐ飛んでいる理由もわからなければ、精霊馬が空を飛べるからと言って、どうして馬車までもののついでみたいに空を飛ぶのか、意味が分からないところが怖いのかもしれない。

 秋山鉄平もリリーナ・ポワンスワンも高所恐怖症ではなかったはずだけど、精神が世界観に追いついてないのかもな。

 途中から俺は目をつむり、絹のハンカチで口元を押さえて顔面蒼白でぐったりしていた。

 10分が長い。2時間かけても歩きたい。

 ここに来てからビビり倒しで情けないが、はぁ、辛すぎる。

 俺は先ほど見えた、未来の夫たちの屋敷を懸命に脳内に呼び起こし、シミュレーションを行ってやり過ごした。

 万が一、この状況から逃れることが出来なかったら、可哀そうな6人の夫にはこう言ってやるんだ。

 あなたたち、愛人を囲いなさい、おほほ。と。

 私とは良いお友達、仕事仲間でいましょう、おほほ。と。

 おほほ。

 勿論この世界からの脱出が最優先だ。出来る事なら、かれんちゃんと交代する前に、この結婚制度には一石を投じたいところではあるが。

 リリーナの知識の上では、この【ETERNAL SILVERエターナルシルバー】世界は一夫一妻が標準の様だし、かれんちゃんだって事前情報でザワついたといっていた。好きな声優さんが参加していたというだけで、逆ハーレムものが好きなわけではなさそうだった。

 彼女と俺は、いわば共同戦線を張る戦友のようなものだから、出来ることはなんだってしといてあげたい。

 そんなことを考えるうちに、精霊城にたどり着く。

 精霊城に漂う精霊の気配は濃密で、くらりとする。

 気持ちを強く持たなくては圧倒されるだけだ。しっかりしないとな!



 ◆



 精霊城につくと、あまり装飾のない濃紺のドレスを着た2人の女性に案内されて、俺は城内を進んだ。

 女性の一人は茶色い髪のひと房が、もう一人は右手の爪3本が銀色の“銀結晶”だ。

 城内を行きかう人々は基本的に女性は黒のくるぶしまでのドレス、男性は黒のスーツ、または鎧を着ていた。まれに見える濃紺のドレス姿は銀結晶だろうか。どうやら職能毎にお仕着せが決まっているようだ。

 彼らはみなリリーナとすれ違うと、無言のまま恭しくひざを折り、俺たちが通り過ぎるのを見守る。心の底から一般人の俺は、申し訳ないやらいたたまれないやらで、歩く速度が自然とあがってしまうのだった。


「待っていましたよ。本当に。この日をどんなに待ちわびたか」

 そう言って、“幻象球げんしょうきゅうの間”で笑顔で迎えてくれたのは、銀というよりはほとんど白くなった髪の、気品あるおばあちゃんだった。

 この人が、“頑健なる”ヘディ・テレラーテか。

 ふんわりとした軽そうな輝く白銀色のローブを身にまとい、枝を模した様な、背丈ほどの長さの、オパールのように色彩の変わる白っぽい杖を持って立つ。

 背はリリーナより若干高く、背筋はシャンとしていて、笑顔は極めて穏やかだが、心強そうな印象を与える。

 その背後には巨大な銀色の地球儀を彷彿とさせる球体、幻象球が2mほどの高さに浮かんでいた。

 そしてそれを取り囲むように6つの水盤が、みぞおちほどの高さに浮かび、かすかに上下に波打ちながら時計回りにゆったりと動いている。

 さらにその外側では、100枚はあろうかという水盤が円形に配置され、20~30人ほどの銀結晶達が杖を差し向け、様子を見ながら水盤の隙間をゆっくりと歩いていた。

「せっかく足を運んで頂いたのに、ごめんなさいね、こんな状態で。ゆっくりお話ししたいのだけれど、精霊の乱れが落ち着く事が久しくなくて、幻象球からなかなか目が離せないのです」

 そう言いながらも、油断なく幻象球や水盤の周りに視線を走らせている。

「私の夫たちもあなたに会いたがっていたのですけれど、今は忙しく飛び回っている状態なの。あなたの婚儀の準備もある事ですしね」

 夫たち。あなたの婚儀。目の前にいる、穏やかで品の良さそうな老婦人の口から発せられる重婚肯定ワードに心拍数が上がる。

「こっ、婚儀などは、そんなに、お急ぎになられならなくても……」

 気が動転し、言葉遣いがおかしくなる。

 慌てる俺の様子にヘディは笑う。

「ふふふ、わかりますよ。わたくしもそうでしたから。銀の乙女に選ばれた以上、こうなる事は知っていても、6人と結婚だなんて、動揺して当然です。選ばれさえしなければ、無縁の世界だったわけですものね」

 そう語るヘディの背後で、幻象球の一部に赤色がにじむ。

「いけない」

 ヘディはそう言うと、水盤の一つに杖をかざす。水盤の水面がかすかにさざめくと同時に、幻象球ににじむ赤色が縮小し、元の銀に戻る。

 これを見て、銀の乙女の本能か、リリーナは瞬間的に理解した。

 あの赤色のにじみは、火の精霊力の災禍だ。

「あらあら、困りましたね」

 火の災いが収まったと思ったら、幻象球に次々と、青、黄、黒、白、緑と、災いが広がる。

 ローブを片手でたくし上げ、ヘディが水盤の周りをイソイソと動き回り、銀結晶達も慌ただしく動き回るその様子に、一体どうしたらいいのかなど一切の理屈はわからぬまま、俺は突き動かされるように走って水盤に取りつき、手をかざす。

 手に伝わるのは、さらさらとした粒子の細かい砂山だ。

 その一粒一粒から脳裏に向けて、この世界に息づく、様々な空、草花、人々の姿や営まれる生活が映像となって押し寄せてきた。災禍の生み出すでこぼこの山や谷をならし、小石や枝葉を取り除いていくような感覚。穏やかに、安全に。誰もつまずいたり、怪我をしないように。

 その動きに合わせるように、幻象球の色が落ち着いていく。

「ああ、助かりました。本当に助かりましたよ」

 ヘディがこちらを見て微笑んでいるが、額に疲れがにじんでいる。

 一方俺はというと、ドッと冷や汗が吹き出し、立っているのがやっとの有り様だ。

 砂に水が吸われるように、体内の魔力があっという間に失われてしまった。

「誰か、コレグリア、ミョリ!杖と、お水を頂戴」

 ヘディが声を上げると、名を呼ばれた2人の銀結晶が、それぞれ杖と、冷えた水の入った水差しとグラスを手に駆け付けてくれた。

 俺は遠慮なく一気に水を飲み干すと、少し落ち着いた。

「その杖は簡易的なものですが、余分な魔力の流出を抑えてくれるでしょう。やはり早く婚儀を進めないといけませんね」

「婚儀と、何か、関係が?」

 与えられた杖に取りすがり、引きつりながら尋ねると、へディは答える。

「あなたと夫たちの魔力を混ぜて竜精晶りゅうせいしょうを正式な杖へと変化させる必要があるのです。昨日被った冠の宝石、覚えているかしらね」

 Lサイズの鶏卵より大きい、馬鹿でかサイズのオパールみたいな宝石、忘れろと言われても難しい。

 へディはこちらに杖の先端を向ける。先端には一部枝が絡み合ってコブ状になっている箇所があり、その隙間から覗くのは。

「たまご」

 俺がそう呟くと同時に杖の絡み合った枝がグリグリと動き、あっという間に30㎝ほどの小さな竜へと変化してヘディの腕に収まる。

 ぽてっとした、まん丸いおなかがかわいい。

 真っ黒な大きい瞳でヘディを見つめ、頭をぐりぐり押し付けているさまもかわいい。

 なんつーかこう、かわいい。

 あぁ~~、かわいい~!かわいいな~~!なでなでさせてくれないかなぁ~!

 指がわきわきしてしまう。

「この子はマゴワグ、私の竜精晶りゅうせいしょうから孵った私の杖竜です。あの宝石、竜精晶を孵化させて育て、あなたの杖になってもらうのです。そのためにも夫たち、守人の助力が必要となるのですよ。さ、あなたの竜精晶はこちらです」

 へディは何かあったらすぐ呼ぶように銀結晶達に言い含めると、俺を手招く。



 向かった先は巨大なホールで、その中央には例の卵、竜精晶りゅうせいしょうが安置された祭壇があった。

「今、世界各国に赴任している銀結晶の元に、新たな銀の乙女が現れた事が伝達されています。そして各地の良家の中でも高い魔力を有した子弟たちが、ひと月後にはあなたの夫候補としてこの地に集います。数百か、今回は1000人を超えるかもしれませんね」

 せ、1000人の夫候補。

 こんなに現実味の無い言葉があるのか。

「その中からあなたや精霊力と相性のいい方々をこの竜精晶が選ぶのです。銀の乙女の夫、国婿こくせいともなれば、その排出家は長く栄光に浴せますし、それが叶わなくとも銀結晶との出会いや、ブレイザブリグと強い繋がりを得る絶好の機会となりますからね」

 なるほどね~~。

 銀結晶は普通数年間ブレイザブリグで修練したのち、大抵は故郷へ帰る。銀の乙女に遠く及ばずとも、精霊力を操る能力というのは、あらゆる人々に必要とされる貴重な能力で、魔法使いよりは魔法の本質に近い力をふるう事が出来、また同時に彼女たちは強力な魔法使いでもある。

 銀結晶を何人国内に抱えているか、というのは国家間のパワーバランスにも影響する。

 彼女らの夫という立場は政に身を置く身なら、喉から手が出るほど欲しいものだ。

 また、ブレイザブリグの要人と顔を繋ぐ事も重要となる。

 銀の乙女が現れた今なら、政治的な思惑や軋轢を気にせず、祝賀の名目でブレイザブリグに堂々と渡航出来る事そのものも、実は各国の有力者たちにとっては意義深い事なのだ。

 世界規模の外交祭りがワッショイでフィーバーしているのである。

 リリーナの予備知識のお陰で色々な事情が見えてくる。

 しかし、銀の乙女としての活動は彼女も未経験なのだ。それは俺が頑張るしか無い。

「目下あなたの最も重要な務めは、竜精晶を孵化まで大切に扱う事です。魔力で繋がっているから、どうしてあげればいいかは、あなたが一番よくわかるでしょう。6人の夫が決まれば精霊力が安定し、孵化して竜となります。そして一年後の結婚の儀が行われる頃までにみなと良い関係を築き、精霊力の交換を円滑に行えるようになれば、この子はあなたにとって最高の杖となるでしょう」

 一年かけて、じっくり6人の攻略対象の好感度を上げていけとおっしゃられましたなぁ。今。

 へディがマゴワグに合図すると、マゴワグが鳥のような翼を広げて飛び、竜精晶を取って俺の手元に運んでくれた。

 竜精晶はほんのりと温かく、指先からトクリトクリと熱が広がる。

「ありがと、マゴワグ。いい子だね」

 マゴワグを撫でると、卵と同じオパール的な鉱石っぽいに見た目に反し、輝く鱗と羽毛はとてもなめらかなさわり心地だ。マゴワグは気持ちよさそうに目を細めて、くるくると喉を鳴らす。

 うぐぅ~~~!可愛い。大変だ!可愛い。

 はぁいや、まーじでかわいいな!?

 いやいやいやぁ、俺だけのドラゴンが手に入るのか。それは反則でしょテンション上がっちゃうでしょ!

 ここに来て唯一の楽しみが出来た。

 こんなぽんぽこのおなかの竜、名前はどうしよう。

 ぽこ太?ぽこ太かい?ぽこ太なのかい?

 マゴワグは俺に撫でられるのに飽きたのか、ピュンとヘディの腕に収まり、杖の姿に戻る。

「杖竜はとても強力な存在です。大きさも、この程度から、かなり巨大な姿にまで自在に変化できますし、あなたを背に乗せて飛ぶことも可能です。扱いには十分気をつけてくださいね」

 ヘディはそう言うと、肩掛けの小さな袋をくれた。竜精晶入れだそうだ。

「はい、もちろんです」

 あたたかですべすべで、オパールのように様々な色彩に輝く竜精晶をそっと手で包み、慎重に竜精晶入れへと収めた。

 何だかすでに、無性にかわいくていとおしい。

 うんうん、元気に育ってくれよ

 おっちゃん頑張るからさ!





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