第45話 らしく生きる
翌週の半ば、俺は何故か酒井 僚太に連れられ応接室に向かった。
どうやら長生が高校を中退したいと言い出したのだとか。それで現在、応接室にて彼と彼の父親、担任の三好 京子とで三者面談が行われている。
先に着いていた明井 奈々と共に三人で教室の外から聞き耳を立てる。
「お子さんの申し出は成すべきことがあってのものです。そこは理解してあげるべきでしょう」
「そうは言ってもな先生。高校を中退してまでやりたいことが、私の仕事の手伝いとは……。馬鹿な考えだとしか思えん」
「彼は馬鹿ではありませんよ。彼も彼なりに考えがあっての事です。彼の進路は彼自身が決めるべきだと、私は思います」
「先生も頑固なお人だ……」
決して薄くはない応接室の扉から、そんな押し問答が聞こえてくる。
いいや、押しては無い。三好 京子は押しては無いのだ。彼女はただ受け流しているだけ。あくまで仲介役という役柄を通しているだけだ。
しかし、長生 内斗の父、長生 勝太郎は違う。勝太郎は三好 京子を仲介役から自分と同じ考えを持つ仲間にしようとしている。そうして長生 内斗の企みを潰そうとしているのだ。
「うぜぇな……」
「ホント。いくら父親とは言え、あんな態度は無いよね。頑固なのはどっちよ」
明井 奈々、それは違う。確かに勝太郎の言葉は鼻につく部分があるかもしれない。だが、俺が苛立ちを感じているのは父親じゃない。長生 内斗、本人に対してだ。
奴が父親の仕事を手伝いたいと言うのには驚いた。だがこれはきっと本心じゃない。奴が欲しているのは仕事なんかじゃない筈だ。
何故、言わない? 何故、言えない? 奴は自分で立ち上がれる人間だ。今じゃなくても結局は言うだろう。なのに何故……?
「あぁ、そうか……」
奴は立ち上がれないのだ。立ち上がるのに必要な、不必要な物を捨てると言う行為が出来ないのだ。
「お前らしいな……」
「ちょっと! あんた何しようとしてるのよ!」
「ませっち! 今はマズいって!」
酒井と明井の密やかな制止を無視し、俺は応接室の扉を叩いた。
「ん? どうした、松瀬川」
「突然、すみません。先程のお話は本当ですか?」
「盗み聞きとは感心しないな。何なのだね? 君は」
「俺は、そいつの友人です」
「ふ~ん、君がねぇ……。息子が世話になっている」
「こちらこそ」
「しかしだな。だとしても盗み聞きをした挙句、大事な話し合いの場に割り込んで来るとは……一体、どんな教育を受けてるんだ?」
「それについては謝罪します。しかしうちの両親を侮辱するのは止めてください。俺の両親は、俺の事を何よりも大事にしてくれています。あなたとは違うんです」
「……今、何と言った?」
「あなたとは違うと言ったんです」
長生父はスクッと立ち上がり、握り込んだ拳を震わせながら俺を睨む。
そりゃあそうだろう。大の大人が未熟な高校生に賢しい口を利かれるのだ。腹立たしくもなる。
だが怒りとは無力だ。無力とは無知であることが原因だ。だから俺は一丁前に大の大人に説教をする。
「気付かないんですか? 彼の本心が何を願っているのか」
「願っている物……?」
「そうです。彼が願っている物……欲してる物は、過去に彼が無くしている物です。あなたにも心当たりがあるでしょう?」
「無くした物……」
「母親ですよ。あなたも無くした……。子供にとっては大事な物です。母親との時間が長かった彼にとっては特に……。母親が亡くなってもあのアパートに残っていたのは、彼が亡くなった母親の事が忘れられなかったからです」
「だが……内斗は……」
「ええ。そういう事だと思いますよ? 彼は母親と別れたんです。母親の死を受け入れたんです」
そう。彼はあの時、震えながら泣いていた。それは血の繋がっていない父親に拒絶されるのが怖いからではない。孤独になるのが怖かったのだ。
母親とも別れ、父親に拒絶されれば、彼の心の拠り所は何処にも無くなる。彼はそれが怖かったのだ。
怖くて、悩んで、助けて欲しくて……。だから彼は他人を助け続けることを選んだ。他人を助ければ、自分も助かると信じて。
「長生 内斗。俺はお前に謝らないといけない」
「な、何をだい?」
「お前は普通の人間だって、いつだったか俺がお前に言った言葉だ。覚えてるか?」
長生 内斗は頷く。
「俺はお前の事を世間一般の言う普通の人間だと思っていた。完璧で隙の無い、非合理的な人間。人間らしい人間だと感じていた。だが最近になってようやくそれが間違いだって気付いた。お前は完璧すぎる。お前は隙が無さすぎる。お前はあまりにも非合理的すぎる。お前は人間らしくなんかない。お前は白すぎる。白すぎて、理解しすぎて何でも取り込んでしまう。俺がお前に自分と似た物を感じていたのも、お前が俺の事を理解出来てしまっていたからだろうな。俺は自分の事が大っ嫌いだ。だから俺と似ていたお前の事も嫌いだった。すまない」
善も悪も、白も黒も、自分らしさも人間らしさも彼は持っている。持ちすぎているが故に人間に見えない。まるでキメラの様に。
しかし彼はそれさえも受け入れた。だがそれは駄目だ。人間、あらゆるものを受け入れてしまえば、いずれ自我が崩壊してしまう。
自我は、自分らしさとは自分が決めるものでは無い。他人の目が自我を形成する素となるのだ。
例えば、親しい友人にあなたは話すのが上手と言われれば、全くの赤の他人と話すときでも自信を持って話せるように。
例えば、気性の荒い子供がお前は不良だと言われたら、真面目にやろうとするのが馬鹿馬鹿しく思えてしまうように。
人間は群れを意識する。そうでなくてはいけない。
しかし長生 内斗は全てを受け入れてしまうが故に、何処の群れにも属すと同時に何処の群れにも属さない。群れに居るのに群れに居ない存在となってしまう。
群れと関わろうとしない俺とは似て非なるものだ。
「いや、気にして無いよ。薄々、気が付いていたしね」
「そう言ってくれると助かる。だがなぁ……長生 内斗。お前はいつまでそれを背負うつもりだ? 良いのか? 整理整頓の出来ない部屋の汚い奴だと思われるぞ?」
「それは……良いんだ……」
駄目だ。
確かにこいつならば、行く行くは立ち上がることが出来るだろう。しかしそれでは手遅れになってしまう可能性がある。問題を片付けるのに早いに越したことは無いのだ。
「お前はそうやってずっと独りで背負っていくつもりか?」
「覚悟はある」
「はぁ……。あのな、何でお前の母親の事がお前だけの問題だと、最初から決めつけてるんだ? 何でお前の隣に居る人間は、未だにお前の隣に居るんだ?」
「それは……」
「逃げるのが恥ずかしいと思うのなら、その恥を誰かに分けることくらい考えないか? 覚悟だけで人間救われるなら、救急隊は要らねぇんだよ!」
俺も誰かに助けて欲しくて、他人を助けたことがある。だがその結果、助かったのは、助けようとした人間だけだった。誰かを助けるために誰かを犠牲にしたのに、それを行った俺は助かる事は無かった。
こいつも同じだ。こいつも自分が救われたくて、誰かに救って欲しくて、他人を助け続けた。その結果、助かったのは助けようとした人間だけで、自分は傷ついたまま。傷を舐め合う事すら無かった。
「お前は普通の人間じゃない。人間らしく無いんだ。俺はそれこそがお前らしさだと思う。けどよ……家族に対してくらいは人間らしくても良いんじゃねぇのか?」
「家族……」
彼の隣に居るのは家族だ。血は繋がっていなくても、家族であることを選んだ立派な父親だ。
「長生 内斗。お前の願いは何だ?」
「僕は………」
まともな人間ならば、父親になる覚悟を途中で捨てたりはしない。
自らの覚悟は自らを救わない。自らの覚悟は他人を救うきっかけとなる。
「僕は、独りが怖いんです。だから……だから、お父さん! お願いです。僕を、あなたの息子にしてくださいっ!」
「内斗……」
何だよ……。言えるじゃねぇか。
「すまなかった。私もお前との接し方が分からず、お前の事を避けていた……。彼の言う様に、私もお前と出会った時、お前が良い子すぎて気味が悪く感じたんだ。だから……仕事にもたれ掛かった。内斗、不安にさせて悪かったな……」
「お父さん……」
「だが、中退は許さん」
「なっ……!」
「勝太郎さん!」
「それとこれとは別だ。だから仕事と学業、両立して見せろ。私の息子なら出来るな?」
「……はいっ!」
一瞬ヒヤッとしたが、上手く話が纏まって良かった……。
「松瀬川君。ありがとう」
「お前を助けた覚えはねぇよ。でも、良かったな」
「ああ」
「松瀬川、やるじゃないか」
「別に、俺でなくても先生なら、この場をもっと上手く纏めれてたでしょ」
「お前は私を買い被り過ぎだ」
「松瀬川君、だったな?」
「はい」
「ありがとう。まさか学生に助けられるとは」
「いいえ。勝太郎さんは最初からそいつの味方だったでしょう? 寧ろ、俺の行動は無粋でしたよ」
「そんなことは無い。君のおかげで手遅れにならずに済んだ。改めて、ありがとう」
「僕からも改めて、ありがとう」
いや~、なんか照れるなぁ~。
「そう言えば。話は変わるが、先生。例の相談委員という委員会。いつになったら解散するのかね?」
…………。
は?
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