第44話 らしく生きる

 俺は通い慣れた通学路を往く。正確には通い、いつしか忘れていた通学路。


「ねぇ! ちょっと!」

「何だうるさいな」

「何でこっちなのよ!」

「分からないんなら黙ってろ」


 俺は忘れていた通学路を明井と酒井と共に往く。目的地は長生 内斗の自宅。

 長生 内斗。旧姓、桐原。彼の母親は、彼が中学三年生の途中で再婚した。相手は大企業の社長、長生 勝太郎かつたろう

 長生、いや桐原は父親の顔を知らなかった。彼が生まれた時には既に母親しか居なかった。

 彼は強かった。母親の為に強く生きた。

 だがしかし彼の母親は再婚まもなくこの世を去った。まだ会って少ししか経っていない義理の父との生活。こんなものが上手くいくはずが無かった。


「ここだ」

「ここ……? でも……」


 明井 奈々の言いたいことは分かる。何故、あの長生 内斗がこんな古そうなアパートに住んでいるのか……と。

 彼女も決して嫌味で言いたいわけでは無いだろうが、勝ち組であるはずの彼が、何故、このような粗末な生活を送っているのか心から理解できないのだろう。

 俺もそう思う。

 俺が彼のこの真実を知ったのは高校の入学式の日だった。このアパートから出てくる彼を、俺は見てしまったのだ。

 見ただけで理解してしまった……。見てはならないものを、見なくて良いものを見てしまったのだ。

 俺が現在、通っている高校は、俺が通っていた中学校とは自宅を挟んで反対方向にある。そして彼の自宅であるこのアパートは俺の自宅から程近く、高校のある方角にあった。ついでに言うと、彼の父親の家はアパートとは逆方向だ。

 だから俺は入学式以降、少し早くに起きて、わざと遠回りになる道を選んで登校してきた。

 あれには触れるべきではないと、本能でそう感じたから。


「あいつの部屋は二階だ」


 俺は奴が住んでいる二階の部屋を訪ねた。奴は呼び鈴一回で出て来た。


「何で……君たちがここに……」

「見舞いだよ。入るぞ」

「あ、ちょっと!」


 俺は長生の了承を待たずにズカズカと部屋に入る。それを見て諦めた長生は、後の二人も部屋に招き入れた。


「ナイト……。体は平気なの?」

「ん? ああ、熱が出てただけだよ。今はもう元気そのものだよ」

「そう……なら、良いんだけど……」

「長生、お前一人暮らしか?」

「見れば分かるだろ? 君は礼儀というものを知らないのか? 人の部屋にズカズカと……」

「お前に対しての礼儀なんてそもそも無い」

「えぇ……」

「そんなことより」

「何だい?」

「お前……何で休んだ」

「何言ってんだよ、ませっち。内斗は高熱で――—」

「その割には、部屋が綺麗すぎる。学校を休む程の高熱だったにも関らず、薬の一つも見当たらない。それどころかこの片付き方はまるで………引っ越すみたいだ」


 長生 内斗は顔を伏せる。

 こいつの表情は読みやすい。人間らしいこいつは特に。


「ナ、ナイト。引っ越すの……?」

「引っ越すというか……何と言うか……」

「帰るのか?」


 帰る。

 俺のその言葉に長生はゆっくりと、深く頷いた。


「か、帰る? ませっち、どう言う事か説明してくれよ」

「説明なら、俺じゃなくて本人に聞くのが早いだろ。なあ? 長生」


 長生は渋々ながらも自分の過去を明かした。

 以下、彼曰く。

 再婚した少し後、母親が病気に倒れ、この世を去った。その後、彼と彼の今の父親は関係が冷え込んだ。父親の勝太郎からは空気の様に扱かわれ、彼はそれを仕方の無い事だと諦めた。否、諦めようと努めた。

 だが父を知らず、母を失った彼には、孤独は死ぬよりも辛かった。今まで我慢に我慢を重ね、ようやく普通になると思っていた矢先に訪れた崩壊。そう長くは持たなかった……。

 こいつの中ではもう、我慢の限界だったのだろう。今の俺には分かる。奴が欲していたのは家族愛だ。奴が探していたのは親友だ。


「だから僕は父親の下に帰ろうと思った。……でも」


 傍で座っている俺たちから目を逸らすように、長生 内斗は自身の膝を抱いて縮こまる。肩を震わせ、何かに怯えるように小さくなる。


「怖いんだ……。僕はあの人の子供じゃない。拒絶されたどうしようって……」


 今の彼には普段、学校で見る長生 内斗の面影は無かった。そこに居たのはただ愛に飢えた子供だった。

 俺たちは、いつも通りの長生 内斗が帰って来るまで何もしてやれなかった。


「ごめん……。見苦しいところを見せたね」

「ううん。私達のことは気にしないで。でも……そこまで嫌なら止めれば良いのに……」


 明井 奈々はそう言う。

 とても現代的な考えだ。だがそれが決して当人に対しての最善ではない。逃げとは恥ではない。しかしそれと同時に誇る事でも、美しい事でもない。

 逃げに美しいも汚いも無いのだ。逃げとは、あらゆることから目を逸らし、放棄し、考えることを止め、捨てる事。捨てるだけで綺麗になったと思い込む奴は、きっと部屋の片づけが出来ない奴だ。数が減れば綺麗に見える。だがそれは今まで見えなかった物が見えるようになっただけで、実際はその見えるようになった物自体は何も変わっていないのだ。

 そんな逃げると言う選択肢が最善な筈が無い。無責任な言葉だ。


「いや、どの道、このアパートからは出ないといけないんだ。契約的にも、気持ち的にも……。それに、僕にはやりたいことがあるんだ。その為にもけじめは付けないと……」


 自分で立ち上がれるのか……。俺には難しいことだ。

 部屋の中に夕日が差し込む。

 当初の目的だった長生の見舞いも済んだので、俺たちは帰宅することにした。


「気を付けて」

「うん。ナイト、また明日」

「内斗、それじゃあな」

「ああ」


 部屋を後にする二人とは違い、俺は玄関先で長生 内斗に振り返る。


「ん? どうしたんだい?」

「なぁ、長生」


 部屋に差し込んだ夕日が、俺の足先まで伸びてくる。


「俺を殴った時、俺がお前に言った事を覚えてるか?」

「ああ。俺に夢を見るのは止めろ、だろ?」

「覚えてるなら良いんだ……」


 そう言って彼の肩に手を置いた。



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