第39話 雛鳥はその羽で力強く飛び立った

 行方不明になった明井 奈々を追いかけて、俺はとある場所へと向かっていた。

 憧れの存在であった長生 内斗から拒絶された彼女は、それはもう酷い有様だった。普段の彼女では考えられないくらい顔をくしゃくしゃにしながら長生の前から立ち去った。

 相当、心に来たのだろう……。

 さて、そんなボロボロの彼女は何処に向かったのか。行方知れずとは言え、失恋をした高校生が行くところなど、たかが知れている。

 予想は、トイレと屋上の二か所。だがほぼ確実に奴は屋上に居る。そう確信する理由はいくつかある。

 まず、校内であることは間違いない。自教室に彼女の鞄があったのを確認している。

 それから、彼女はプライドが高い。あんな状態を誰かに見られるのは何としても避けたいはずだ。だが彼女はまだ長生に期待している。

 よって、校内で確実に一人になれる場所且つ、見つかりやすい場所と言えば、トイレか屋上が残る。前者は、彼女のプライドの高さ的に、トイレで一人むせび泣くなんて事は彼女自身が許さないだろし、そもそも探しに行けないので除外。可能性として校舎裏もあるが、この時間帯は部活をサボろうとする運動部がたむろしている筈だ。行きはしないだろう。


「さて、答え合わせの時間だ」


 階段を駆け上がり、屋上に続く扉に手を掛ける。ドアノブを捻り、押しやってやればそこには―――。


「大正解だ」


 屋上の柵から校庭を見下ろす明井 奈々が居た。

 ドアの開く音と俺の声に反応した彼女は、ため息交じりに呟いた。


「あんたか……」

「長生でなくて残念だったな」

「ふんっ、別に期待して無かったし」


 鼻を啜りながら答える明井。そんな彼女の目元は赤く腫れあがっていた。


「しかし残念だったな」

「もう……気にして無いし……」

「強がりか?」

「……何?」


 明井 奈々の眉間に皺が寄った。

 さあ、ここからどれくらい彼女の怒りを引き出せるかが勝負だ。


「気にしてないなんて言ってる割には、俺がここに来るまでサッカー部の方を見ていたようだったが?」

「そんなこと無いし……」

「気になったんだろ? あいつが追いかけて来るのかどうか、自分の居ないあいつの姿がさ。でなきゃこんな分かりやすいところに来るはずねぇよ」


 明井 奈々は俺から目線をずらす。


「だが安心しろ。お前はあいつからしてみれば無価値な存在なんだ。だからそんな心配は無駄だ」

「はぁ!? 今なんて―――」

「お前はあいつに何か出来るのか?」

「それは……」

「お前は本当にあいつの事を理解してるのか?」


 黙り込み、涙目になりながら下唇を噛む明井 奈々をぼんやりと見つめ、俺は聴覚を研ぎ澄ませる。聞こえてくるのは、階段を駆け上がる足音。その足音は徐々に近づいてきて、俺が出て来た扉を勢いよく開けた。


「明井!」

「僚太?」


 俺が明井 奈々を探しに行く前に長生に頼んだ予防線、否、本命。それは酒井 僚太だ。

 さて演者は揃った。ここから熱い青春演劇の始まりだ。


「明井! どうしたんだ?」


 涙を浮かべる明井 奈々を見て、酒井 僚太は彼女のもとに駆け寄る。


「ませっち、彼女に何したんだ」

「自分がどれだけ無価値な人間なのかを、俺が丁寧に教えていただけだ」

「彼女は無価値なんかじゃない」

「いいや、無価値だ。そもそも価値とは希少性の有無だ。そいつに希少性はあるのか? どこにでもいるような人間で、たった一人の人間の事も理解できないような奴に、価値なんてねぇよ」

「そんなことは無い! 誰もが価値のある人間だ!」

「だったら証明して見せろ。そいつに何の価値がある? お前もそいつに無価値だと捨てられただろう?」

「彼女は……俺の大切な人だ。確かに俺は一度、彼女に拒絶された。でも俺は彼女を人として、仲間として助けたいんだ!」

「僚太……」

「虚しいな……。傍観者はいつも弱者の見方をする。そんなにそいつが可哀想か? そんなに自分の事が可哀想だと言いたいのか? それはただの自己陶酔だ。自惚れだよ。そうやって可哀想な自分に酔って、そんな自分を慰めてくれて……気分が良いだろ? 自己中心的で大して他人を理解できない人間が、無価値じゃないなんて言えるのかよ」

「松瀬川……」

「いい加減にしてよッ! 私が何かしたって言うの?」

「何もしてないさ。何もしないから、何も知らないからこうして強く言ってやってるんだ。お前らは一度でも長生 内斗の事を考えたことがあるのか? いっつも金魚のフンみたいにくっ付いている癖に、いざ不利になれば切り離して弱者面するのか?」

「あんたにナイトの何が分かるっているのよ!」

「お前にあいつの何が分かる」


 今の俺なら奴が何を求めているのか何となく分かる。それはきっと実体の無い物で、けれども確かにそこにあるもの。奴はずっとそれを求めていた。中学時代からずっと……。


「あんたってやっぱり最低……」

「馬鹿だな。人間は無力感を感じたときに怒りと言う感情が発生する。怒りは無力、無力とは無知だ。自分の無力さ、無知さを理解できない馬鹿は怒りに流される。だからお前は馬鹿だ」


 俺はこの馬鹿げた演劇に区切りをつける為、二人に背を向けて扉に手を掛ける。


「こんな馬鹿な奴が傍に居て、あいつはさぞかし苦しんだろうよ」


 そう台詞を残して俺は屋上を去った。


* * *


 演劇の続きを二人に託した俺は、帰宅の為に下駄箱へと向かっていた。

 途中、長生の様子でも見ようかと中庭を覗いたが、奴の姿は無くなっていた。


「はぁ……。疲れた……。ここまで疲れるとは思わなかった……。こりゃあ、あいつに報酬を請求しないとな」


 そう愚痴をこぼしていると、正面から亀水が歩いて来ているのが見えた。

 不味い。今、彼女と俺は複雑な状況になっている。

 俺が慌ててどこかに隠れようかと周囲をキョロキョロと見ていると、亀水がこちらに気付いてしまった。


「あ、松瀬川君」

「よ、よう……」


 気まずさで頬を引きつらせながら答える。

 我ながら気持ち悪い挨拶の仕方だ……。


「こんな時間まで何してたの?」

「ま、まあ……野暮用でな……」

「ふ~ん……。今から帰るの?」

「ああ。そっちもか?」

「うん。丁度、委員会が終わったから」

「そうか……」


 彼女を置いて下駄箱に手を掛けようとしたその直後、亀水は俺の手首を掴んで引き止めた。


「あのね……? あたし……松瀬川君に伝えたいことがあるの」


 何をだ?


「あたし……松瀬川君の事が………好き……です」


 …………。


「ずっと伝えたかった。もっと前に伝えたかった」


 唖然とは今の俺の状態を指すのだろう。

 言葉が出なかった。頭が回らなかった。突如、亀水から告白されたことが俺には理解できなかった。

 何故、俺なんだ? 何故、今なんだ?


「きっと松瀬川君は勘違いしてると思って……。あたしは本心からあなたの事が好きなんです」


 彼女の恥ずかしそうな表情。俺の手を握る柔らかな手。それらは俺の冷え切っていた心を温めてくれた。


「だから逃げないで。一緒に帰ろ?」


 逃げるな。その言葉が俺に強く突き刺さる。だけれど嫌な感じじゃない。

 確かに彼女は、今まで俺から逃げなかった。過去の因縁があるにも関わらず。寧ろ逃げていたのは俺の方だった。他人が怖くて自分の近くに寄せないように距離を取って来た。

 彼女が引き止めてくれた今だからこそ気付いた。俺は自分の事が嫌いなんじゃない。他人が怖いだけだ。だから理解は出来ても、突き放すことしか出来なかった。

 もしかしたら彼女なら俺を救ってくれるかもしれない……。

 もしかしたら彼女なら俺を受け入れてくれるかもしれない……。

 そう考えた瞬間、俺の中に熱く、されど痛みの無い暖かい感覚が広がった。


 嗚呼、これが恋か……。



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