第12話 それは俺の厄日、もしくは誰かの吉日
茶屋へと歩き出してほんの少し、先を往っていた宿毛が俺の歩調に合わせて横へ並んできた。
「ねぇ、松瀬川君。ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」
「なんだ?」
「咫夜さんのことなのだけれど……。彼女が想いを寄せている人物を、あなたは目星を付けているのかしら?」
「ああ。亀水 咫夜の好きな相手は、長生 内斗だろ?」
「………」
図星か……。やはり俺の推理は合っていたようだ。だがここで宿毛の口から直接、亀水 咫夜の想い人は長生 内斗だと聞くわけにはいかない。俺があのとき席を外した意味が無くなる。だから亀水の為にも、俺の平穏の為にも何としても避けるべきだ。
「松瀬川君……実は彼女が好きな相手は―――」
「いや、それは聞けない。聞かない方が良い。そのことについてはお前と亀水だけの秘密にするべきだ。相談に乗るってそういう事も大切だと思うぞ?」
「そう……ね……。なら私は今後、あなたには伝えようとしないわ。絶対に」
「そうしてくれ」
宿毛は顔を伏せ、黙り込む。
脇に植えられたアジサイが青からピンクに変わる。この気まずい空気を変える為、俺は違う話題を振ることにした。
「にしても意外だな。お前が花に興味があったなんて」
「本当に失礼な人間ね、あなた。花が嫌いな人間なんて、そう居ないわよ」
「そうか? 花粉症の人は好きじゃないと思うぞ?」
「そうかもしれないわね。世の中探せばひとりぐらい居るでしょうね。そういうあなたは花が好きでここに来たのかしら?」
「いいや、違う。俺は妹が行きたいと言ったから連れてきただけだ」
「へぇー、妹想いの良いお兄ちゃんじゃない」
「だろ?」
「兄者ー! 鈴さーん! 先、行ってるよー!」
「おう!」
「仲いいのね……。羨ましい……」
「何言ってんだ。お前も両親と仲いいだろ?」
「ええ。でも、鬱陶しくも感じるわ」
「なんだ? 反抗期か?」
「ふふっ、そうかもしれないわね」
「なに笑ってんだよ」
「なんでも無いわ」
アジサイエリアを抜け、小川に架けられた小さな石橋を渡る。宿毛はその石橋の途中で屈み、川の中を覗き込む。川の中に何かいるのだろうか、彼女はその何かを目で追っている。
俺も釣られてその何かを何であるか確かめる為、小川に視線を落とした。しかしこれが不幸を招く。
互いに視線を小川に向けていた俺たちは、後ろから走って来ていた子供に気が付かなかった。何かに気を取られていた子供が宿毛にぶつかり、彼女の体が川に向かって傾く。
更に不幸なことに、この石橋は幅が狭く短い為、手すりが設置されていなかった。
このままでは宿毛は顔面から川に落ちることになる。そう判断した俺は、咄嗟に彼女の肩を掴み、傾く方向とは逆の後ろへと引いてやった。そのおかげで彼女は小川に落ちる事無く石橋の上で尻もちをつくだけで済んだ。
まあ、代わりに俺が落ちるんですけどね。
「松瀬川君!?」
幸いにも池はとても浅かった。
宿毛が尻もちをついたのと同じように、俺も池に向かってそこそこの勢いで尻もちをついた。
パンツだけが濡れて気持ち悪い……。
「大丈夫?」
「お兄さん、ごめんなさい」
心配する宿毛と謝罪する子供に見られながら、俺は内心ため息をついた。
下半身から水滴を垂らしながら立ち上がった俺は、ズボンのポケットに違和感を感じて裏返した。すると中から小エビが勢いよく出てきて池に落ちた。
「クールビズにはまだ早いかな?」
その言葉を聞いた宿毛は、珍しく声を出して笑った。
「そんなクールビズ、初めて見たわよ。うふふ」
「あぁ、全く気持ち良くないね」
はぁ……。ホントに今日は厄日みたいだ……。なんだよ……占い、当たるじゃねぇか……。
* * *
今パンツ履いていないの。この言葉を女性が言ったら異性である男性の諸君は興奮するかもしれない。
だが俺は男だ。男がそれを言ってしまうとただの変態になり兼ねない。異性である女性は興奮どころか恐怖すら感じるだろう。俺は今、ノーパンだ。
「兄者……お尻、大丈夫?」
「まだちょっと痛い」
宿毛の代わりに川に落ちた……というより尻もちをついた俺は園の事務所内で下着諸共、乾燥するのを待っていた。
尻もちをついた後、流石にあのまま帰るのは難しく感じたので、仕方なく園の事務所へ助けを求めた。園の職員の方は事態を理解し、下半身びしょ濡れの俺に着替えのズボンと乾燥機を貸してくれた。生憎パンツの替えは無かったので、今はそのまま下を履いている。誠に不本意ながら。
因みに子供は母親と共に頭を下げに来た。罪を隠さず母親に告げるとは、よく出来た子供だった。
「松瀬川君……。その……ありがとう……」
「なに、大したことないよ」
そう、大したことないのだ。彼女の服が汚れるよりかは大したことじゃない。本当に汚れなくて良かった……。だって俺の服より絶対高いでしょ、あれ。ファッションに疎い俺でも分かる。レースは高い。
「にしてもびっくりだよ」
「手すりが無かったからな。まあ、今思えば川に落ちないやり方はあったろうな」
「いや、兄者が人を助けたこと」
「そっちか……」
「だって兄者、他人に興味が無いじゃん」
「うん、無いね」
「即答……。松瀬川君、あなたそれでも相談委員としての自覚はあるの?」
「自覚は無い。でも相談者の悩みを解決しようという気はある。じゃないと殺されるからな」
「なら、まあ……良いのかしら……?」
「兄者……それはやる気も無いって言ってるようなものだよ……。でもホントびっくりしたよ。兄者が自主的に人助けをするなんて中学以来じゃない?」
薫の何気ない言葉に、俺と宿毛は固まる。宿毛は俺から目線を逸らし、落ち込んだような表情を見せる。多分、俺も吐き気と似た感情のせいで、良い表情では無かったと思う。
俺と宿毛の顔色を見た薫は、何かを察した。否、察してしまった。
「もしかして兄者……。鈴さんは中学のときのあれと関係があるの?」
応える気は無かった。
教える気は無かった。
もうこれ以上、家族に立ち入って欲しく無かった。
特に妹には―――。
だから俺は逃げることを選択した。
誰かが落とした十円玉を見つけた俺は、それに話題を逸らす。すると他の二人も自然と話に乗って来てくれた。敢えてかどうかは定かでは無いが、それでも俺からしてみればありがたかった。
なんだよ……当たるじゃねぇか、占い。毎朝、確認しよっと!
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