第13話 俺の嫌いな過去

 時は遡って中学時代、俺こと松瀬川 重信は他人が嫌いだった。

 他人と一緒に何かをするのが苦手で、誰かと何かをしている誰かの事が自分の内で馬鹿みたいに感じて、俺はいつも教室の隅で本を読んでいた。今と同じ様に見えるけれど、今よりも酷い状態だった。

 そんな過去の俺が今の俺に変わったのは、ある大きな出来事を経験したからだ。


 とある日。俺はいつも通り朝食を食べる。

 玄関の扉が閉じる音が聞こえたが、俺は何も言わずに食事を続ける。そして食べ終えた食器を台所に漬け置きした後、空になったPTPシートを捨てながらコップの水を流し込んだ。

 支度を終えた俺は、廊下に置いていた鞄を少し乱暴に持ち上げて、そのままの勢いで靴を履く。靴の踵を鬱陶しく感じながらしっかりと靴を履き直して、ため息混じりに玄関の扉を開いた。


「行ってきます……」


 慣れ親しんだ通学路を無心で歩く。途中で散歩中の老人が挨拶をするが、俺はそれに反応せずただ足を動かした。ただただ無心で。

 気が付けば学校の校門にいた。いつも通りだ。いつも気が付いたら校門に着いている。登校時間ぎりぎりの今の時間は通学路で出会う学生は少ない。なるべく独りで居たい俺には嬉しいのだが、ここに来るとそうは言えなくなる。時間が遅いせいで教室は既に人で溢れている。校門外まで聞こえてくる喧騒が俺のやる気を奪っていく。

 勘違いして欲しく無いのは、学校に行きたくないのではない。ただ無気力なだけだ。

 いつも通り力を振り絞って校門をくぐる。下駄箱から上履きを雑に取り出して履くと突然、横合いから声を掛けられた。


「おはよう」


 にこやかに笑いかけるそいつは、学校の人気者で、俺を見かける度に声を掛けてくる嫌な奴だ。名前は確か……。


「ちょっ、ちょっと!」


 まあ良いか。別に思い出せなくても困らないし。

 俺はそいつを無視して教室へ向かった。教室は相変わらず騒がしかった。俺の席は窓際の列の真ん中、窓際なのに窓が無い光の当たらない席。教室に入ると急ぎ足でそこに向かう。そして席に座るとすぐに机に突っ伏して寝たふりをする。

 これが俺のルーティーンだ。

 この教室で俺に話しかける奴は居ない。というかこの学校で話しかけてくる奴なんてほとんど居ない。教師ですら話しかけようともしない。それこそ話しかけてくる奴なんて朝のあいつぐらいだ。

 しかしこれを聞いた並の人間なら、俺が学校でいじめを受けていると勘違いするだろう。違う、断じて違う。俺は誰からもいじめを受けていないし、受けているとも思っていない。ただ空気として扱っているだけ、俺という人間を視界に入れていないだけだ。だからこれはいじめなんかじゃない。いじめなんていう安心できるものじゃない。


「また……」


 俺の隣からそんな呆れた声が聞こえる。

 俺はその声に反応して隣を盗み見た。俺の隣はおさげの女の子だ。そのおさげの子は色の無い眼で自分の机の中を見つめる。中に何かがあるのか、ここからでは分からない。でも彼女のあの色の無い眼を見れば分かる。多分、机にゴミか何かが詰められているのだろう。

 おさげの子は教卓の近くにあるごみ箱を持って来て、机に詰められたゴミをかき出し始める。

 そう、いじめとはああいうことを言うのだ。

 人間とは群れで生活する生き物だ。群れから出てしまえば、それは死を意味する。だから皆、群れの中で生きようと必死になる。しかし人や年齢によってはその生存本能が良くない方向に向かうこともある。特にプライドが高く、生存本能が強い奴ほど危うい。例えばこのクラスにいるみたいな奴が一番危ない。

 隣のおさげの子はそのに目を付けられたということだ。

 そんな彼女を見ても周りの奴は見て見ぬふりをする。手を出せば自分もいじめられる。きっと誰かが助ける。みんなが助けていないからやらなくて良い。評価・責任・無知。この世界は傍観者が多い。自分も含めて……。

 だが奴は違った。


「手伝うよ」


 そう言っておさげの女の子に声を掛けたのは朝、俺に声を掛けてきたあいつだ。おさげの子はそいつの申し出を断ったが、そいつは彼女を手伝った。

 浅はかだ……。


「ちょっと~、何やってんの~?」

「やあ、おはよう。それがね、この子の机に誰かが悪戯をしたみたいなんだ。だからそれを片付けるのを手伝っているんだ」

「えー、かわいそー。でもそれさ、ナイト君がやらなくてもいいよね」


 あー、思い出した。こいつの名前は桐原 内斗だったな。


「それでも彼女は困っているから」

「えー、そんな奴、気にしなくてもいいでしょ。それよりさ、向こうでSNSにあげる動画、撮ろ?」

「あ、ちょっと!」


 そうしてあいつは女王に連れて行かれた。一方でおさげの女の子は、そんなあいつのことを気にする様子は無かった。


 朝が過ぎ、昼を乗り越えて下校時間になった。いつも通りの一日だった。

 普段ならチャイムが鳴ると同時に帰宅するのだが、借りていた本を返すのを忘れていて、それに加えて図書委員の人間がしばらく不在だった為に、放課後遅くまで残っていた。

 下駄箱へと向かっている最中、怪しげな動きをしている人物を見かける。


「今日も精が出るなぁ……」


 その怪しげな人物、もとい女王は教室に向かっていた。俺は彼女の後を付けた。

 彼女が何をしているかなんて知っている。おさげの子の机に嫌がらせをするためだ。事の発端は中学一年のある日、いや発端と言えるほど正確ではない。ただいつの間にかこうなっていて、それは恐らく一年前のある日が原因なのだろう。それぐらい曖昧な始まりだった。

 理由は知らない。だがいじめの理由なんて、相手の事が気に食わないからか、群れの中で自分の存在価値を示したいから程度だ。こんな存在が生まれるのは人間社会だけの話じゃない。だから俺は理由がどうであれ、自分が標的にされないのなら気にしない。

 俺は女王がおさげの子の机に嫌がらせを行うのを見届けてから帰宅した。


「あ、お兄ちゃん。おかえり」


 自宅の玄関を開けると、妹の薫が出迎えてくれる。


「ただいま……」


 小さく囁くように返事を返した後は、急いで自室に向かう。後ろから薫の声が聞こえるが何を言っているのか分からない。

 そうして俺は鍵をかけた。



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