第9話 やっぱり青春は好きじゃない
西宮たちが試合場に入場しているところを、俺たちは二階から眺めていた。
「あたし近くで応援しに行ってくる」
「咫夜さんが行くなら私も行くわ。松瀬川君は?」
「いや、俺はここで応援するよ」
亀水たちと別れると同時に、試合開始のブザーが鳴り響いた。大切な初球は西宮のサーブから始まり、西宮の得点に終わるという素晴らしい立ち上がりだった。
そういえば、事前に西方先輩と話をしていて、その中で西宮の実力について聞いてみた。
西宮はうちの卓球部の中で二番目に強いらしい。部長である西方先輩曰く、下手をすれば普通に負ける。一年後には自分より実力が上になる、と少し嬉しそうに言っていた。
西宮は入部してから毎日、誰よりも練習し、誰よりもひた向きに卓球と向き合っていた。そんな彼にあてられて西方先輩だけでなく、他の三年生も負けじと練習に励んだそうだ。そして現在の大会のレギュラーメンバーを決める部内戦で、西方先輩を除く三年生に全勝。同級生に至っては圧倒的な勝利を収めたそうだ。こうして西宮 宗次郎は卓球部の新たなエースとなった。
だがしかし、現状はあまり楽観視できないと俺は感じた。
「あ、試合始まってんじゃん。一応、見とこうぜ」
「だな。あーあ、早く終わんねぇかなー」
「心配しなくても、どうせ一回戦負けだって。それよりこの後、近くのゲーセン行かね?」
「お! 良いねぇ!」
「俺はもうちょっと長引いて欲しいな~」
「なんでだよ。急にやる気が出たのか?」
「ちげぇよ。ほら、あれ」
「ん? あー、亀水 咫夜か……。確かにもうちょっと一緒に居たいよな~」
「だろ? 顔が良いだけじゃなくて胸もデカいとか……」
「上から見ると余計目立つよな。眼福だぜぇ……」
「あーあ。あんな子と付き合いてぇー」
楽観視できない理由はこいつらにある。西宮 宗次郎が不安に思っているのは部長になる事じゃない。こいつらと上手くやって行けるかどうかだ。
亀水の言う通り、放っておけば良いのかもしれない。しかし西宮との温度差をこのまま無視し続ければ、困るのは西宮と未来の後輩だ。
このタイプは居心地が良い所を見つけると、そう簡単に場を離れることはしない。すなわち来年いなくなる可能性は低いという事だ。馬鹿な奴ほど群れたがる。こいつらがさらに増えれば、真面目な奴が生きづらくてしょうがない。
とはいえ俺はこの事に首を突っ込む理由も無いし、悪を駆逐しようとする正義感も無い。少数が消えていくのも自然の摂理だ。卓球部がやる気の無い奴らの巣窟になろうと、はたまた存在自体が消えようと俺の知ったこっちゃない。俺にメリットも無いのに首を突っ込む必要は無い。
だから俺は助けない。
「よぉし! 終わったー」
「帰ろ、帰ろ。さっさと片付け終わらせようぜ」
「だな。顧問への報告も後日で良いから楽だな、この部活」
「そうだよな。別に成績、残さなくても三年間いれば内申書に書いてくれるしな」
「ホント、尊敬するぜ。真面目ちゃんはよ」
そう言ってそそくさと帰り支度を始める奴ら。俺はそいつらから目線を外し、眼下で背中を丸めている西宮たちを見つめる。亀水はそんな彼らに寄り添い、励ましていた。ブザーと球を打つ音、それから人間の声とで何を言っているのかここからでは分からない。でも彼女らが励ましたおかげで、彼らはまた前を向いて歩くことが出来たようだ。
試合場から出て行く彼らの表情は、どこか楽しげだった。
真面目な奴ほど恥を掻く。そんな言葉を言った奴は、きっと不真面目な奴だ。真面目な奴は、恥とは何かをよく理解している。たとえ自分の言動が世間一般的に変だとしても、それが正しい事だと知っているし、それで笑われても恥ずかしいとは思わないからだ。
真面目な奴ほど恥に敏感だ。だからこそ恥ずかしい人間にならない為に恥を切り捨てる。恥を理解し、恥を避ける。そうして避け続けた結果、恥を体験しない、違う意味での恥知らずと言えると思う。
真面目な奴とは恥に飲まれない人間だ。だからそいつらを笑う奴はきっと不真面目な奴だ。
「これも青春か……?」
「何、考え込んでるの?」
突然、亀水が顔を覗き込んできて驚く。どうやら気付かぬうちに西宮たちが帰って来ていたようだ。
「西方先輩たちから最後の挨拶があるみたいだから、みんなについて行こ?」
「なあ……亀水……」
「ん? 何?」
「もし……誰かを助ける時、同時に誰かが傷つくとしたら……お前は助けるか?」
俺の唐突の質問に対し、亀水の顔から笑みが消えた。彼女は視線を下に下げて考える素振りを見せる。ほんの数秒の沈黙の後、彼女の口がゆっくりと開かれた。
「助ける。出来ることならみんな助けたいけど、あたしの器じゃ無理だから……。だからせめて手の届く範囲だけでもって思うよ」
「お前もか……」
「ううん、違うよ?」
「違う?」
「うん。両方、助けれる。助けた人も、そのせいで傷ついた人も、二人とも同じ距離だから手が届くよ」
「それは無理だ」
「ううん、出来るよ? だって、昔……君があたしにしてくれたじゃん」
昔……。昔ねぇ……。
人は変われる、時間と共に……。宿毛は変わった。亀水も恐らく変わっている。そして俺も変わった。だから次はもっと上手くやれるはずだ。
「松瀬川君?」
「……すまん、変なこと聞いた。気にしないでくれ」
宿毛と卓球部員たちは、身支度を済ませて会場だった体育館の外へと向かっている。俺は心配そうに見つめる亀水の真横を、なるべく速く通り抜けて彼らを追いかけた。
屋外に出た卓球部は、西方先輩を先頭に引退の挨拶をする。俺たちはそれを少し離れた場所で見守った。
西方先輩を含めた三年生の挨拶は、どれも感慨深いものだった。弱くてもそれなりに努力をしていたのを感じ取れる内容だった。だが彼らの言葉は奴らには届かない。
奴らは先輩たちが話している間も、聞こうとする姿勢に全くなっていなかった。それどころか我慢できなくなった奴らの一人がこんなことを言い始める。
「まだ掛かりそうですか?」
これには流石の西方先輩でもカチンと来たのだろう、言葉を発した奴に態度を改めるとように注意するのだが、全く聞く素振りを見せない。
「聞いてるのか? 坂本」
「はーい」
「ちょっと坂本君。もう少し真面目に―――」
「真面目にやったって意味無いでしょ」
奴らの内の一人、坂本と呼ばれた人間が発した一言に、西宮と三年生たちは言葉を詰まらせる。
「真面目にやっても試合に勝てる訳じゃ無いし、なんなら勝たなくっても内申に影響する訳じゃ無いから問題無いでしょ」
「でも頑張ればそれだけ良い評価もくれるよ?」
「それは個人の自由だろ。俺は別に成績なんて気にしてない。みんながみんな同じだと思わない方が良いぜ? 多様性だよ、多様性。な? に・し・み・や・く・ん?」
「………」
「坂本……お前って奴は……」
「先輩たちも、他の三年より早く受験勉強が出来て良かったじゃないですか。一回戦負けなんて大して内申に影響しないでしょ? だったらこの貴重な時間を使って勉強に勤しんではどうですか?」
坂本の嫌味のような言葉に、西方先輩たちは何も言い返せなかった。自分たちが弱いことを自覚していたからだ。
「何よ! その言い方!」
「亀水さん……」
「努力している人を笑うなんて! 最低っ!」
坂本らは反論したそうにしているが、流石に学校のアイドルという立場を持つ亀水 咫夜には無理なようだ。
「そうやって自分たちは違うみたいにかっこつけてるけど、ダサいよ……。そんなのだから彼女いないんだよ」
「な、なんだと!」
「咫夜さんの言う通りね。ダサいわよ、あなた達。そんな他人を見下せるほど、あなた達は偉いの? 成績を気にしてないとか言っておきながら、一番気にしてるのはあなたじゃない」
「うるせぇよ! お前が俺を批判できる権利がどこにあるんだよ! そもそも他人を尊重出来て無いのはお前だろ。今の世の中は多様性が大切なんだ。そんなことも知らねぇのかよ、馬鹿が!」
「馬鹿はあなたよ。尊重して欲しいのならそれに見合うだけの努力はするべきよ。それとさっきから多様性、多様性ってうるさいけれど、残念ながら多様性という言葉は免罪符ではないわよ? もし多様性を重視するなら、まずあなた達のような腐敗臭のする異物を世の中から取り除くべきだと思うのだけど?」
「うっせぇ!」
坂本の言っていることは意味分からんが、彼らの気持ちは分かる。亀水や宿毛が怒る気持ちももっと分かる。だが対立するだけでは何も進まない。こういう状況、つまり互いが悪だとしてぶつかる場合、解決するにはいくつかの方法がある。
例えば、対立したまま第三者の手によって雌雄を決するという方法や互いの主張の落ち度を見つける為に交渉という方法等、様々なやり方があるだろう。だが俺が考えうる中で最も素早く、最も平和的で、最も効果的な方法がある。それは対立する双方に共通する新たな悪をぶつけることだ。
「別にいいんじゃねぇの?」
「松瀬川君? あなた何を言って―――」
「だから、別にやる気を出そうが出さまいがどっちでもいいんじゃね? って言ってるんだよ。たかが部活動だ。たった三年間、部活を続けたくらいで就職に有利になるわけが無い。世の中の人間の大半が、生まれてからの二十数年で人生のほとんどを過ごしたと感じるらしい。だったら今、楽しくやっても問題ない。どうせ将来、今やってることは全て青春という言葉で片付けるんだからな。むしろそうしている奴の方が多いと思うぞ?」
「松瀬川君、あなたの考え方は間違っているわ。陰ながら努力している人も多いわ。表に出ていないだけよ」
「何も間違ってないだろ。努力なんて言葉は結果を残した人間だけが言える言葉だ。結果が出ないなら努力なんて言えない。言えないは無いと同じだ。ここにいる誰一人として努力が出来ていないんだ。だったら坂本の言う事の方が楽でいい」
「そ、そうだよな」
「それに俺から言わせてみれば、取り除かないといけないのは西宮の方だ」
「え!? 僕? なんで……?」
「多数決って言葉を知ってるか? 人間社会が生み出したクソみたいな言葉だ。規律を乱す奴は消す、少数は切り捨てる、弱者は殺す……。人間は群れで生きる生き物だ。イレギュラーは排除する、そうやって人間は進化してきた。それは今も変わらない。三年生という拮抗が崩れた今、最もイレギュラーなのはお前だよ、西宮」
この瞬間、俺の胸の中で何かがチクリと刺さった。
俺の言葉に西方先輩が食らいつく。
「松瀬川君! 西宮君はうちの部に必要だ!」
「先輩は黙ってください。あなたはもうこの部から消える人間だ。口を出す権利は無い。西宮、お前……変だと思わなかったのか?」
「な、何が……?」
「顧問の先生がここにいないことだよ」
「そ、それは忙しいからで……」
「確かに、うちの学校の先生で部活を複数兼任している先生はいる。だが卓球部は違ったはずだ。なのになぜ来ない? 答えは簡単だ。お前らに期待していないからだ。教師が弱小だからと割り切って自分を優先した結果がこの状況だろ。西宮を部長に任命できたのも、顧問が全く部活に関わろうとしなかったからでしょ? ねぇ先輩?」
西方先輩は俺の問いかけにバツが悪そうに頷く。
「普通は最終的な決定権は顧問にある。部長が出来るのは精々、推薦までだ。だが卓球部の顧問は卓球部にどんな生徒がいるか知らない。だから前部長である西方先輩に対しても何も言わなかった。誰も期待していないし、誰からも必要とされてないんだ、お前は」
チクリと刺さった何かは、さらに深く刺さる。
「それは卓球部内だからでしょう? 学校全体としてはきっと必要よ」
宿毛が不機嫌に反論する。
「そうだな。だがそれなら卓球部じゃなくていい。卓球部にいる必要性は全く無い」
「で、でも……」
西宮は何かを心配するように坂本たちの方を見て呟く。きっと自分が居なくなれば彼らが困ると思っているのだろう。やはり西宮は真面目だ。
「そうだよな! 俺たちは弱小なんだから無理して努力する必要は無いよな!」
坂本が開き直ったかのように声を挙げる。そんな彼に同調するように他の一年達も頷いたり、肯定するような言葉を口々に言い始める。
西宮の悲しげな視線が、俺の胸の中にある何かをさらに深く押し込む。
「ああ、全くだ。こんな部活、消えて当たり前だろ」
「な、なんだと!」
「さっき言ったろ? 卓球部じゃなくていいって。それはつまりここには価値が無いってことだ。お前らみたいな弱者という船に乗ってくつろいでいる奴は弱者なんかじゃない。動かない死体だ。そんな場所に価値なんて無い。墓石でも立てた方がまだマシだろ」
「てめぇ……」
「新聞部に知り合いがいるから、そいつにこの卓球部の現状をネタとして売り込みに行ってやろうか? どうせ困るのはお前らとここに居ない顧問だからな。せいぜい紙面の一角ぐらいは埋められるだろ」
「くそ野郎……」
「お前らには言われたくないね」
西宮の今にも泣きそうな表情、西方先輩たち三年生からの嫌悪の視線、坂本たちからの怒り、自分に向けられる負の視線から逃れるために、俺は背を向けた。
「こんな
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