第3話 俺は彼女を知らなかった

 自販機に小銭を入れた直後、グラウンド側からこちらに向かってくる足音が聞こえた。始めは自販機が目当てかと思ったが、まるで目的地に着いたかのようにピタリと俺の真横で止まったので、どうやら自販機が目当てではないようだ。


「やあ」

「どうした、長生 内斗」

「反応してくれるんだ……」

「そりゃあ声を掛けられれば、返事の一つや二つはするだろ」

「いつも無視するから、てっきり嫌われてるのかと……」

「お前は良い奴だと思う。ただ俺の平穏を崩す危険な要素として数えてるだけだ」

「君はサイコパスだね……。じゃあそんな己の平穏を第一にしている君が、何故この時間までここに居るんだい? もしかして……遂に部活動に入ったのか?」

「三好先生の手伝いだ。一応、委員会活動にしてくれそうだからやってる」

「へぇ~、一体どういう風の吹き回しなんだい?」

「風向きは変わってねぇよ。そよ風が暴風に変わっただけだ」

「暴風……。ああ! なるほど。脅されたのか。先生らしいね」

「納得すんな」


 自販機に投入していた小銭が戻り、機械の明かりが消える。長生 内斗との会話に気を取られて飲み物を買いそびれてしまった。こいつとこんなに長く話すのは初めてかもしれない。

 俺は自販機から財布へと小銭を戻しながら話す。


「そろそろ戻ったらどうだ? 次期サッカー部キャプテン」

「まだ決まってないよ。けどそうだね、そろそろ戻るよ。顧問に怒られる」


 自販機でスポーツドリンクを買った後、長生 内斗はグラウンドへと走って行った。その姿を見かけた女子生徒達は、彼の名前を呼び、手を振る。長生 内斗はそれに応えて手を振り返す。キラキラと輝くその様はアイドルだった。

 やはり、あいつが傍にいると俺の平穏が崩れる。近寄らせないようにしよう。

 そう言えばアイドルで思い出したが、亀水 咫夜の気になる人とは誰なのだろうか。興味が無いとは言ったが、やはり少しばかり気になる。

 女性は好きな相手には普段の様子とは異なる態度を取ると言われるが、少なくとも俺の知っている限りではそのような素振りは見たことが無い。ということはうちのクラスには居ないということか?

 しかし他のクラスとなると余計に分からない。何故なら彼女が他クラスの人間と絡んでいるのをあまり見ないからだ。もしかして今朝、手紙を渡した三組の沢田君か? いや、それは彼の反応を見る限り無いな。あの痛々しい表情、朝から見るには勇気がいる。可哀そうに、駄目だったんだな……。


「ということは一体、誰なんだ……」


 まずい。興味ないと言いつつめちゃくちゃ考えてる! キモい奴だこれ! うわああああ! これ以上考えるな! 忘れろおおおおお!


「あ、やべっ……。いつもの癖で帰ってた……」


 ああだこうだと考えに耽っている間に、無意識に帰宅していた。まあ人間、時にはこういうこともあるよね。うん、明日は怪我してもいいように救急箱を持って登校しよう。そうしよう。


「おかえり、兄者。今日は遅かったね」

「ただいま。今日から課外活動をすることになってな」

「へぇ~、部活?」

「いや、委員会。相談委員っていう……まあ、スクールカウンセラーの補佐的なやつだ」


 今更、学校に戻るのも面倒なのでこのまま家で過ごそう。そう思った俺は、着替える為に二階の自室へと向かった。薫は余程、俺の委員会の話が気になったのか、俺の後を追いかけて部屋の目の前まで付いて来た。

 薫は扉を隔てて聞いてくる。


「あの捻くれ者の兄者がカウンセリングの補佐って……。大丈夫なの?」

「何が?」

「兄者は他人の事とかあまり興味が無いでしょ? そんな場違いな兄者が居て、大丈夫なのかなって」


 俺のことを知っている人間は少ない。いや少ないどころか、恐らく俺が本音で語れる相手は妹か、せいぜい警察ぐらいだろう。それぐらい俺は今まで他人と距離を縮めなかった。そんな人間嫌いのような俺がカウンセリングの場に居るのは、確かに場違いだ。


「勘違いしているようだから訂正する。俺は入りたくて入ったんじゃない。強制的に入らされたんだ」


 自室の扉を開けて、数十秒ぶりに妹の顔を拝む。

 本当に……どうしてこうも似てないんだ。妹の瞳はいつも力強い。俺のような他人を遠ざける眼でなく、逆に人を惹き付ける眼をしている。顔つきも中性的で、男からも女からもモテる。結った髪を解けば、髪を伸ばしている青年に見間違われるかもしれない。

 妹の顔をまじまじと見て固まっている兄が妙に感じたのか、薫は不思議そうな表情でどうしたのかと尋ねてくる。


「いや、な……。どうしてこんなにもお前と違うのかなって……」

「兄者……」

「今日、二人とも帰って来ないんだっけ?」

「うん」

「じゃあ、今日の晩飯は俺が作るよ」

「え、ほんと!? じゃあ兄者のクリームシチューが良いなぁ」

「……お前、その言い方は危ないぞ?」

「え? 何で?」

「いや、なんでも無い。気にするな」


 わたしの内面は、外見以上に汚れています。そしてクリームシチューはとてもおいしかったです。いもうともほめてくれました。まる。

 そんな小学生の様な感想を抱いて食事を終えると、入浴を済ませた薫が、髪を乾かしながら聞いてきた。


「ねぇ、兄者」

「なんだ?」

「兄者って好きな人いるの?」

「急にどうした」

「今日、学校で私の友達が告白されたみたいでさ。それで気になって」

「うーん、居ないなぁ」

「じゃあ好きなタイプは?」

「う~ん……。俺を許してくれる人?」

「何故、疑問形……」

「考えたこと無かったから、分からんのよ」

「なんか……可哀そうだね、兄者」

「おい。俺だって人間だぞ? 傷つくからな?」

「ごめんね。愛してるぞ、兄者」

「おう、ありがとな」


 そう言って薫は二階へ向かって行った。

 好きな人ね……。果たして亀水 咫夜の気になる人とは誰の事なのか……。

 テレビに映るニュースキャスターが芸能人の結婚を報道している。俺はそれを眺めながら独り寂しく茶を飲んだ。



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