第2話 俺は彼女を知らなかった

 三好 京子に手を引かれるままに、俺がやって来たのはカウンセリング室だった。

 そう言えばつい最近、スクールカウンセラーの先生が高齢の為で辞めたらしい。なのでこの部屋は現在使われていないはず。

 その使われていない部屋に連れてきて、彼女は俺に何をしようというのか。まさか今までああだこうだと逃れてきた俺が鬱陶しくなってここで始末する気なのか?


「あの……ここに何の用が?」

「いい加減、お前の屁理屈にも飽きてきてな。だからお前のそのひん曲がった性根を直す為にここに連れて来た」


 やっぱり! 俺はここで殺されるんだ! 嫌じゃあ~。儂はまだ死にとうないんじゃあ~。嫌じゃあ~。


「おい。どこに行くつもりだ?」

「ひぃ……」


 三好 京子は逃げようとする俺の首根っこを掴んで部屋の扉を開けた。

 部屋は広かった。棚や椅子にテーブル、その他小物がたくさんあって狭いように感じるが、部屋自体はそこらの保健室程度にはあった。

 その部屋の奥、面談用の椅子のさらに奥にある恐らくスクールカウンセラー用のデスクの横、そこにあるパイプ椅子に腰かける一人の女子生徒が俺たちの方を見る。先ほどまで読んでいた小説を畳み、こちらを不思議そうに見つめる少女を、俺は知っている。


「先生、その犯罪者はどこから拾ってきたんですか?」


 おい。今、こいつ俺の事を犯罪者と言ったぞ。確かに俺の目つきは悪いが、別に中身も悪いわけじゃないからな。捻くれてるだけだぞ。


「先生、この無礼な女は、何故ここにいるんですか?」

「お前ら口が悪いな……」

「「先生に言われたくないです」」

「お、おう……」


 口の悪いこの女の名前は宿毛すくも 鈴。中学が同じで、彼女と俺は少々因縁があるのだ。彼女の俺への態度もそれが原因だったりもする。恐らくは。


「それで? 先生。その男を連れて、どうしたんですか?」

「ああそうだった。今日からこいつは私のところで働く」

「「えっ!?」」

「お前ら仲良いな」

「どういう事でしょうか。人手なら十分に足りていると思いますけれど……」

「俺も、それは聞いてませんよ?」

「何を言う。言ったじゃないか、前向きに検討します、とな。少しでも前に進む気があるのなら問題ない」

「いや、でも―――」

「お前に拒否権は無い! 文句や異議申し立ても聞かん!」


 この人……無理やりねじ伏せに来た……。もうこうなってしまっては逃げることも出来ない。俺は渋々、頷いた。


「人手は多い方が良いからな。な?」

「え、ええ。まあ一人増えたぐらいなら、別に問題は無いと思います」

「よし。それじゃあ、これからはお互い協力していくように! それじゃあ私は会議があるから、あとはよろしく」

「え? ちょっと!」


 颯爽とどこかに行きやがった……。

 調停役の人間がいなくなった今、俺と宿毛 鈴との空気は「無」そのものだった。窓から吹き込む春の風と、それに揺られるカーテンと長髪。彼女が、読んでいる小説のページをめくるたびに鳴る紙の擦れる音。秒針の音が鳴らないこの部屋で、そのページをめくる音だけが、この空間での時間の経過を表しているようだった。


「じろじろ見てないで座ったら? 気持ち悪いわよ?」

「一言、多いな……」


 しかし彼女の言う通り、入り口に立っているだけでは話が進まない。俺は部屋の中央辺りにある面談用の椅子に腰かける。聞きたいことはいくつかあるが、まずはここで何をするのか聞くところから始めよう。


「ここで何するんだ?」

「スクールカウンセラーの補佐よ」

「補佐?」

「そう。主には記録とその整理。それからカウンセラーに代わって相談者の悩みを聞いたりするわ」

「代わりに相談を聞く? そんなことがあるのか?」

「知らないわよ。先生に聞いただけだもの。私だってあなたと同じ一年だし、まだ一人も来ていないから。でもそうね……人によっては大人や周りの親しい人間に話しづらい人も居るでしょうね。だから私のような補佐が、カウンセラーと同じく、あくまで第三者の立場として必要なのかもね」

「それで何でお前なんだよ」

「それは私も知りたいわ。でも恐らく課外活動が決まっていなかったからでしょうね」


 恐らくじゃないね。絶対そうだね。だって俺がそうだもの。

 彼女、宿毛 鈴は人の好き嫌いがあった。簡単にパーソナルスペースの侵入を許さず、己が気に食わない考えの人間相手には、徹底的に毅然として対立することも厭わない。それでいて常に冷静で、彼女の意見は客観的なことが多い。

 俺が社長なら、彼女を秘書として雇いたいくらいだ。いや、口が悪いからやっぱりやめておこう。

 とにかく彼女と仲良くするのは難しいと言うことだ。


「でもここは委員会でも、まして部活動でもないだろ? 良いのか? 学校としては」

「あら。ここも一応、委員会よ?」

「そうなのか?」

「ええ。まだ申請は通っていないけれど、いずれ委員会と名乗れるわ」


 新規委員会登録の申請が通ってないんだったら委員会じゃないじゃん。一応ですらないじゃん。


「それで、なんて名前の委員なんだ? カウンセリング委員とかか?」

「相談委員よ」

「安直だな」

「文句なら三好先生に言ったらどう? あなたが安直ではない、素晴らし名前の候補があるならね」

「そうだな……。口だけ委員とか」

「その心は?」

「カウンセリングなんて、相談に乗るだけで解決するわけじゃない。適当にうんうん頷いて、よくある言葉で相手を安心させれば良いんだ。そうやって口だけ出しときゃ、俺たちの株は上がる」

「呆れた。無能な政治家でもそこまでではないわ。それだと詐欺に片足突っ込んでるじゃない。あ! もしかしてあなた詐欺を働いたの? てっきり殺人を犯したのだとばかり」

「ちげーよ。詐欺師でも殺人犯でもねーよ」

「じゃあ……痴漢?」

「なんで犯罪を犯してる前提なんだよ。お前は俺をなんだと思ってるんだ」

「犯罪者」


 即答ですか……。確かに俺の目つきは人を殺めてそうな感じだが、君の言葉は俺の心を殺しにかかってますよ? 私も人間ですからね?

 心の中でツッコミを入れていると、部屋の扉が優しく叩かれた。


「どうぞ」

「失礼します……」


 宿毛 鈴の返事を待って入ってきたのは、一人の女子生徒だった。

 さらりとした髪に、出るところは出ている男好みなシルエット。その整った容姿と性格は、まさしくアイドルと言える。そんなこの学校のアイドル的な立場の人間と言えば、彼女しかいない。


「あなたは……」

「二組の亀水 咫夜です」

「一組の宿毛です。どうぞこちらに」

「う、うん……」


 宿毛 鈴は亀水 咫夜を面談用の椅子に招く。俺の横に宿毛、テーブルを挟んで目の前に亀水 咫夜が座った。

 にしても、学校のアイドルとまで謳われる彼女がここに来るとは意外に感じる。いつも元気で明るい性格の彼女が、俺とは真逆の立場の彼女が何かに悩むというのが考えられなかった。


「今日はどういった用件でしょう」

「えっと、ちょっと相談したいことがあって……」

「そう……。生憎、カウンセラーの先生は会議に出ているから、また後日

に来てもらった方が―――」

「ううん。むしろ先生じゃない方が良いっていうか……。その方が話しやすいって言うか……」

「そう。なら話だけでも聞くことは出来るわ。一応、カウンセリングの補佐として悩み相談の心得はあるから」

「本当!? じゃ、じゃあ聞いて欲しいんだけど……」


 そう言って亀水 咫夜はモジモジと手遊びをしながら、何度も盗み見るように俺の方をチラチラと見てくる。

 何だ? そんなに可愛い仕草で見られたら勘違いするぞ? 男って単純だからな? 良いのか? 好きになっちゃうぞ?


「実はあたし……気になってる人がいて……」


 ああ、なるほど。ここに来てからずっとソワソワしてたのは俺がいたからか。恋愛相談というデリケートな内容、そしてその相談者が、かの有名な学校のアイドル様ともなれば出来るだけ波をたてない方が良い。特に俺のような異性に聞かれるのはなんとしても避けたいだろう。

 俺のことをチラ見していたのは、俺が邪魔だと言い出しにくかったからだろう。先ほどまでの俺をぶん殴りたい。


「邪魔になりそうだから席を外す」

「え?」

「ええ、そうしてくれるかしら。あなたが居ても役に立ちそうに無いものね」

「うっ……。ち、ちげぇし。恋愛経験が無いからじゃねぇし。気を利かしただけだし……」

「はいはい。あなたが寂しい人だというのは分かったから、早くどこかに行ってちょうだい。話が進まないわ」

「ひでぇ奴だな……」

「良いよ、別に。松瀬川君が居てもあたし―――」

「いや、聞かないでおく。あいつの言う通り、俺は力になれないし、そもそも興味が無い。遠慮すんな」

「でも……」

「じゃ、あとはよろしく」


 そうして俺はカウンセリング室を後にした。

 放課後すこし時間が経っていたということもあり、廊下にいる人は少なかった。今、学校に残っている生徒は皆、真面目に課外活動をしているのか……。大した人間達だ。荷物も一緒に持って出たことだし、このまま帰ってやろうか。

 そう思っていたら、正面から今しがた職員室から出てきた三好 京子に運悪く見つかる。


「あれ? こんなところで何してるんだ?」

「先生こそ、何してるんですか?」

「先ほど会議が終わってな。今から戻るところだ。そう言うお前は……まさか帰ろうとはしてないよな?」

「そんな訳ないでしょ。今さっき相談者が来て、男の俺が居ると話しずらい内容だったから、気を利かして席を外してるんです」

「ほう、それは気が利くな。それで? 何処に向かっていたんだ?」

「えっと……。と、図書室に行こうかなと……」

「そうか。なら終わったら迎えに行ってやる。それまで時間を潰すと良い」


 なんとか嘘を交えながら危機を脱した俺は、一階の渡り廊下付近にある自動販売機に向かう。

 冷たいコーヒーでも飲んで一休みしようと自販機に小銭を投入した直後、俺はとある人物に声を掛けられた。



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