それでも俺は好きとは言えない。
鶉 優
第1話 俺は彼女を知らなかった
春———。
それは草花が目覚め、彼らの自分だけの色を世界に見せつける時。
陽気な日差しに手を引かれ、柔らかなそよ風に頬を撫でられる。冷たく色の無い冬を越せば、そうした優しさに溢れた春がやって来る。
春は季節だけの物ではない。人の人生にも春はある。そして人生の季節も春だけではない。大きく成長する夏、日々の努力が実る秋。そして冬が来る。人の人生にも春夏秋冬はある。だが無い物もある。
それは青春だ。人生に青春などと言う物は無いのだ。
そもそも何だ、青い春って。例えば春夏秋冬を色で表すなら何色ですか、とそこらのニュースキャスターに街頭インタビューされれば、ほとんどの人間は春には暖色を当てはめるだろう。そして夏には青色を当てはめる。それぐらい春に青色は似合わないのだ。
青い春は来ない。青春は存在しない。そんな幻想に
春よ、こっち来んな。
「兄者……。春に親でも殺されたの?」
うーん……。妹に哀れみの目を向けられるのも悪くない。朝食と共にその悲しそうな視線をいただくとしよう。とても美味である!
「いや、うちの親はまだ生きてるだろ」
「春に敵意を向けすぎでしょ。どんだけ春が嫌いなの……」
「春は嫌いじゃないぞ? むしろ好きな方だ。俺が嫌いなものは世界に三つしかない。戦争と蚊と、それから―――」
「はいはい、もうそれは聞き飽きたから。早くしないと学校に遅れるよ?」
そう言って
後始末を終え、支度を済ませて玄関に向かう。学校指定の靴を雑に履いていると、下駄箱上に置いてある小さな鏡がふと目に入った。だが俺はすぐにその鏡から視線を逸らし、手提げの鞄を持ち直す。
「行ってきます」
妹より早く家を出た俺は、最近ようやく慣れた通学路を独りで往く。朝の散歩をしている老人に挨拶すらされることのない、静かなこの時間が俺はとても好きだ。あらかじめ定められた目的地に足だけを動かし、思考はどこかへ飛ばすこの時間が俺には良い水分補給になる。
自分の通う高校が近づけば近づくほど、自分と同じ学生や職場に向かう社会人が増え、その喧騒が俺の水分補給の邪魔をする。けれども止めることは無い。何故なら周りが騒がしくても、俺に直接、害を与えることは無いからだ。
「おはよう」
ほら、この挨拶も俺にではなく、目の前を行く集団に対しての物だろう。俺は騙されないぞ。声に反応して後ろを振り返れば『えっ、何こいつ。何でお前が反応してるの?』みたいな顔をされながらすれ違うことになる。それだけならまだいい。もし陽気に挨拶を返してみろ。その日は一日中、羞恥に身を焼かれることになる。
「聞いてるのか? おーい」
呼ばれてますよー。キャッキャ騒いでるお嬢様方、呼ばれてますよー。声質的に美形な男性が、あなた達を呼んでいますよー。
「呼んでるのは君だよ」
肩を掴まれ強制的に減速させられた俺は、少し不機嫌な表情で肩を掴んだ人物に答える。
「何か御用でしょうか?
「何で挨拶を返してくれないんだ」
「それはあなた様とお話ししたくないからです」
「その喋り方、止めてくれないか?」
「だったら俺に近づくな。本来、お前は俺と居るべき人間じゃない」
「そんなこと無いよ」
「そんなことある。俺は誰からも注目されずに静かに学生生活を送りたい。だがお前は違う。周りを見てみろ。お前を見つめる眼がどれだけ多いのか、お前はよく分かってるだろ? 注目されがちなお前は一番、横に居て欲しくないんだ」
「周りの眼なんて気にしなくていいだろ。僕が君と仲良くしたいと思ってるんだから」
「だったら尚更どっかに行ってくれ。これ以上、関係を悪化させたくないなら。迅速にな」
「分かったよ……。また教室でね!」
俺こと松瀬川
そんな俺とは違い、長生 内斗は誰もが認める完璧超人だ。顔良し、体格良し、性格良し、スポーツも勉強も万能。リーダーの素質もありつつ、細やかなところまで気を回せる良い奴だ。
「そんな目立つ奴の傍に居たら、俺も目立っちまう……」
それも悪い意味で。現に今、俺に複数の視線が寄せられている。疑問や嫉妬、嫌悪あるいはそこから来るもっと酷く醜い感情。そんなものが徒党を組んでこちらに来られたら堪ったもんじゃない。
だから俺は敢えて、他人にギリギリ聞こえる声でこう言った。
「長生君……。こんな俺に話しかけてくれるなんて……」
するとどうだ。先ほどまで俺に向けられていた負の視線が、次第に俺への哀れみと長生 内斗への称賛に変わり、それに満足した人間たちは普段通りの生活に戻るのだ。何とも馬鹿げている。
朝からこんなことを考えなければいけないとは……。
「今日は厄日かな?」
その場から静かに逃げた俺は、校門を抜け、靴を履き替えて自らが所属する教室へと一直線に向かった。
「でさ~、あの時、ナイト君がさ~」
教室に入いると早速、いつものくだらない会話が飛び込んで来る。後方、窓際の席に四人の男女がグループを形成し、楽しそうに会話をしていた。その内の一人は朝、俺に話しかけてきた長生 内斗。その横でスカートを限界まで短くして足組みをしているギャルが
いつもくだらない会話を切り出すのが、明井とは長生を挟んで反対にいるザ・ムードメーカー、酒井 僚太。
そして最後に、このクラス……いや、この学校のアイドルと言っても過言では無い美少女、
「あ! 松瀬川く~ん!」
廊下側にある自分の席に着いて早々、その学校のアイドルこと亀水 咫夜が甘ったるい声で話しかけて来た。
「おはよう。着いて早々に悪いんだけど……これ! 三組の沢田君に渡して来てくれな~い?」
そう言って渡してきたのは一枚の封筒だった。形状からして恐らく手紙か何かが入っているのだろう。
「あたし今日、日直でさぁ~」
知っている。けどそんなのは理由にはならないだろ。先ほどまでそこの三人と楽しく会話していたじゃないか。時間が無いわけじゃあ無いはずだ。
本当ならここで拒否したいところだが、クラスカースト底辺な俺が彼女に噛みつけばどうなるか、説明しなくても誰でも分かるだろう。
だから俺は彼女から渡された手紙らしき封筒を無言で受け取り、彼女から礼の一つも聞くことなく、三組の沢田君らしい人物に渡しに行ったのだった。
全く……。今日は本当に厄日みたいだ……。
放課後。俺は職員室に呼び出されていた。
目の前で椅子にふんぞり返っている女教師は、うちのクラス担任の三好 京子。年齢は三十代半ばで、容姿は長い黒髪に整った顔立ち、グラマラスな体型。これだけ見れば彼氏の一人や二人……何なら男遊びでもしてそうに見える。
ここまでで察しの良い人なら分かると思うが、この人には大きな問題が一つある。それは性格が横暴で暴力的なところだ。
「今日も呼び出された理由は……分かるな?」
「はい」
「ならいい加減、何かに入ったらどうだ?」
そうため息と一緒に言葉を漏らす。三好 京子を悩ませている原因、それは俺が課外活動をしていない事だ。
俺の通っている高校は、一年生の間は部活や委員に入ることが義務付けられている。ほとんどの生徒は入学からおよそ一週間でこれを達成するのだが、稀に達成できない者もいる。
「今までお前のような生徒は毎年いくらかは居たが……。ひと月以上、粘ったのはお前が初めてだ」
「美しい三好先生の初めてを頂けるとは、光栄です」
「ぶっ飛ばすぞ」
「すいません……」
「はぁ……。何故、入らないんだ?」
「いやぁ、どれもこれも俺の好みじゃないって言うか……」
「好み云々じゃなくて。どうせ二年に上がったら辞めれるんだから、取りあえずどこかに入れ」
「いくつか入ろうとしましたよ? 入ろうとしたら『え、君、入るの?』って嫌な顔されたり、『なあ。あいつ、お前の知り合い?』とか、『え? さあ? 私あんな人、知らないよ』という会話が聞こえてくるんです。肩身が狭くて入る気も失せます。それにこういう奴ら程、仕事の仲以上になると、何かと理由を付けて休日にも呼びつけるんです。これが同僚ならまだしも、先輩や上司になると苦痛以外の何物でもないんです」
「それは悲しいな……。でも良いじゃないか。人との繋がりが増えて」
「俺は仕事とプライベートは一緒にしたくないんです」
「仕事って……お前まだアルバイトすらやったこと無いだろ」
「何で俺がアルバイトもやったことが無いって知ってるんですか? もしかして俺の事をストーカーしてたんですか? 三十を越えても彼氏の一人もいないからって、流石に未成年を狙うのは―――」
「それ以上、口を開いてみろ……。その減らず口に、怒りの鉄拳をぶち込むぞ?」
ひえぇぇ……。この人怖いよぉ……。目が笑ってないし、すぐに動けるように腰を少し浮かしてるよ……。
「……すんません」
まあでも、普段ならここらで会話が終わりへと向かう頃だろう。いいから早く入れよ、と先生の拘束が緩む。そうして何だかんだで解放されるのだ。こうして会話を流し、時間を稼げばどこにも入らなくて済むと思っていた。
「まあ良い。とにかく、どこかに入れよ? 何なら私のところでも良いんだぞ?」
来た! これはもうすぐで終わる流れだ! あとは適当に流せば……。
「前向きに検討します」
「お前は政治家か」
三好 京子のツッコミを流し、そろそろ解放されるだろうと思っていた矢先、彼女は突然、不敵に笑いながら俺の手首を掴んでこう言った。
「前向きにと言ったな? それは入るかどうかってことだよな?」
「え? ま、まあ……。そう、先生が言い出しましたし……そういう意味です、よ?」
「そうか! 入る気はあるんだな! ならちょっと来い」
「え? ちょ、ちょ、ちょっと! どこに連れてくんですか! ちょっ、ちから強っ!」
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