第63話 奇跡みたいなこと
ロックミュージック研究会フェス以降、変わらない日常が戻っていた。
ひよりの声は、出るようになった。あれからも出るようになったままだ。結果的に俺が〈ロックミュージック研究会〉に入部するきっかけとなった願いは、叶っていた。もちろん、嬉しいし安堵もしている。
けれど、アオに関する胸のもやもやはどうすることもできなかった。
俺は、ロックミュージック研究会フェス以降も惰性のように〈ロックミュージック研究会〉の会長を続けている。
ここ最近の〈ロックミュージック研究会〉の部室にはいつも誰かがいて、それなりに賑やかだった。
けれど、そこにアオはいない。
いつものように惰性で部室のドアを開ける。ふわっと柔らかい風が頬を撫でた。いつのまにか部室を駆ける風は、埃臭くなくなっていた。
いつも賑やかな部室は、珍しくしんと静まり返っている。静まり返った部室に、アオがいた。
「
「アオ……。アオなのか? お前、今までどうしてたんだよ。急にいなくなっちまって」
「あ〜、あはは。ごめん。心配してくれてありがとう。このとおり、一応はなんともないよ」
両手を広げて笑うアオは、心なしか元気がないように思えた。
「なんともないならよかったけど。本当に心配したんだぞ?」
「うん。ありがとう」
「いや……でもまぁ、礼を言うのは俺の方だよ。俺の願いを叶えてくれてありがとう。あれから、ひよりは歌えるようになったままだよ」
「そっか。よかった。ひよりちゃんの歌、本当に素敵だもんね。私、ひよりちゃんの歌大好きだよ」
アオは屈託なく笑っている。けれど、どうしても気になることがあった。
「アオ。何があったんだ? 何もなくいきなり姿を消したりはしないだろ? それに、みんなお前のことを知らないって言うんだよ。
俺の問いかけに、アオはしばらく黙り込む。辛抱強く待とうと思った。
再び静まり返った部室は、時が止まってしまったかのように動きがなかった。
どれくらいの時間、そうしていたのだろう。なんの前触れもなく不意にアオが口を開いた。
「これでよかったんだよ」
たった一言。それだけだった。
「どういうことだよ。これでよかったって? どういう意味だ?」
「私は、本来誰かに認識されてはいけない存在なの。でも、どういうわけか〈ロックミュージック研究会〉の会長にだけは見えてたんだよね。だから、私、どんどん欲張りになっちゃって、最後にはみんなと同じになりたいって思っちゃった」
「それの何がいけないんだ?」
アオはにっこりと優しく微笑むと、少し間を置いて、また口を開いた。
「いけなくはないよ。でも、私はどうしたってみんなみたいにはなれない。それは、神様にもどうにもできないことなの。だから、私は元の誰にも認識されない存在に戻る。そうじゃないと、私はどんどん欲張りになっちゃうから。奏くん。ロックミュージック研究会フェス、ありがとうね。すっごく楽しかった。最後にひよりちゃんと歌えて、私は本当に幸せだった」
「ちょっと待てよ。〈ロックミュージック研究会〉の会長は、どんな願いも叶えることができるんだろ? なら俺の願いでお前を普通の人間にしてやるよ」
「奏くんの願いはもう叶えたでしょ? 叶えられる願いは一つだけだよ」
そのとおりだった。俺の願いはもう叶っていた。頭が混乱している。
「それに、私自身に影響するような願いは叶えられない。私がみんなに見えるようになったこと自体、奇跡みたいなことだったんだよ。大丈夫。私、これでも全然嫌じゃないんだよ。奏くんやひよりちゃんと、それに
「そんなこと言うな。また一緒に、ライブをやろう」
「すごく魅力的な誘いだけど、そこまで欲張りにはなれないよ。奏くん。本当にありがとう。音楽っていいものだったでしょ?」
アオの問いかけに、俺は一片の迷いもなく頷くことができた。俺は、アオのおかげで音楽が大好きになっていた。
「よかった。奏くん。音楽を嫌いにならないでね」
アオがそう言うのとほぼ同時に、窓から強い風が吹き込んだ。思わず目を瞑る。顔を背けたくなるくらい強い風はしばらくの間、吹き続けていた。
風が止むと部室に静寂が戻る。
目を開けると、部室には俺一人だった。さっきまで誰かと一緒にいたような気がするが、誰といたのか思い出せない。
「お、奏! 今日は早いじゃないか」
不意に背後から
「奏くん。どうしたの? まさか、泣いてる?」
ひよりに言われて、初めて自分が泣いていることに気がついた。
「あれ? 俺、なんで泣いてんだ?」
理由は分からない。泣きたくもないのに涙が溢れてくる。
「お前、大丈夫か?」
珍しく悠治まで心配そうに俺の顔を覗き込む。俺は制服の袖で雑に涙を拭って、「大丈夫だ」と応えた。
「びっくりさせるなよ。じゃあ、今日もいつものように練習しましょうかね」
悠治が気を取り直したように、わざとらしく明るい声で言う。俺に気を遣ってのことだろう。
「あれ? あのギターって奏くんの?」
ひよりが指さす先に、見慣れない青いギターがあった。
「似てるけど、なんかちょっと違くない?」
井口さんが独り言のように言う。
「アオ……」
声にならない声が漏れる。
「ん? 何?」
ひよりが不思議そうにギターと俺を交互に見比べる。
「いや、なんでもない。俺のギターだよ。練習だろ? さぁ、始めようぜ」
迷いなくそのギターを手に取って、オープンコードを鳴らす。
澄んだ歌声が部室全体に響き渡ったような気がした。
【了】
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