第57話 けれど、つまらなそうだった

 トレウラのライブは、まさに圧巻だった。

 

 流石プロ、といってしまえばそれまでなのだが、それだけでは到底収まらない迫力と凄みがトレウラのライブにはあった。

 

 ギターボーカルの夏帆かほさんが、ナビゲーターのギターを携えて現れた時には、割れんばかりの歓声がフロアから巻き起こっていた。

 各メンバー共に、どこか面影はあるものの、失礼ながら、どう見たって本物のトレウラには見えない。トレウラのメンバーは、それなりに年を重ねているのだ。

 きっと今日の観客の中で、ステージに立つトレウラのメンバーを本物だと思って見ている人はいないだろう。それでも、彼女たちは聞いたことのないような歓声を自然と観客たちから引き出していた。

 

 ひよりや百合葉ゆりはさんが『伝説的バンド』と表現するのも頷ける。姿が変わろうが、観客に知られていなかろうが、そんなことは関係ない。トレウラはトレウラだった。

 

 オリジナルメンバーで演奏された初めの何曲かは、まさに『伝説』をなぞる演奏だった。

 

 けれど、アオが加わった後半は、少し様子が変わっていた。断っておくが、アオの歌はトレウラの演奏に引けを取らないくらい、上手かった。なんなら夏帆さんよりも上手いまである。それでも、観客の反応はオリジナルメンバーの時よりも、明らかにトーンダウンしていた。


 繰り返しになるが、ステージ上のメンバーをトレウラのオリジナルメンバーだと思っている観客は、おそらくいない。だから、せっかくオリジナルメンバーの演奏を聞けるのに水を差された、とかそういう理由でのトーンダウンではない。かといって、アオの歌が下手だからというわけでもない。

 

 アオの歌は、確かに上手い。今日だってしっかり上手かった。きっと誰よりも上手かった。

 けれど、つまらなそうだった。

 アオが加わったことで、観客の反応が鈍ってしまったのは、シンプルにステージの真ん中で歌っているアオがつまらなそうだったからだ。


そうくん。お疲れ。どうだった? 私とトレウラのライブ」


 ステージから降りてくるなり、そう訊ねるアオに、俺はなんと応えていいか分からなかった。凄く良かった、と月並みなことを並べることはできたのかもしれないが、きっとすぐに嘘だとバレる。それに、そんなお世辞にはなんの意味もない。

 どんなライブだったかは、ステージで観客の反応を浴びたアオが一番分かっているはずなのだ。


「全然楽しそうじゃなかったよ」


 どう応えようかと悩んでいると、後ろから俺を追い越すように、責めるでもなく、残念がるでもない声が聞こえた。ひよりだ。

 背後で悠治ゆうじ井口いぐちさんが息を飲むのが分かった。


「……そっか。やっぱり分かっちゃうか」


「うん。たぶん、私だけじゃなくて、お客さんにも伝わってたよ。でも、本当はアオちゃんが一番よく分かってるんじゃない?」


「そうだね……。私がいない時の方がトレウラの演奏は良かったし、お客さんの反応も良かった」


「アオちゃん。どうしてあんなにつまらなそうに歌うの?」


「……分からない。自分でも、よく分からない」


 ひよりの声はずっと優しかったが、アオは問い詰められていると思ったのかもしれない。あるいは、自身でどうにもできないもどかしさから、気分が落ち込んだのかもしれない。アオは、ひよりの言葉に応えながら、段々と顔を下に向けてしまった。


「何が不満なの?」


 遅れてステージから降りてきた夏帆かほさんが、それこそ不満そうに眉を歪ませながら言った。アオは、それに言葉では応えず、ふるふると顔を振るだけだった。


「……はぁ。まぁ、失敗とまでは言わないけどさ、あんな風に歌ったら聴いてくれてるお客さんに失礼だ。もちろん、あんたはプロじゃないかもしれないけど、お金を取って見てもらう以上、中途半端は許されないんだよ」


「そんなこと、分かってるよ。でも……」


「でも?」


 途中で口篭ってしまうアオに、夏帆さんはやや強い口調で被せるように訊ねる。アオは、続きを口にするかどうか悩んでいるようだった。


「トレウラは完成されている……ってことかな?」


 助け舟を出したのは、ひよりだった。


「どういうこと?」


「すみません、出しゃばっちゃって。でも、私、なんとなくアオちゃんの気持ち、分かるんです。夏帆さんとアオちゃんは、お友達なんですよね?」


「──うん。まぁ、そうだよ」


「でも、それはきっとずっと昔の話なんです。アオちゃんと友達だった夏帆さんは、まだ〈ロックミュージック研究会〉の会長で、トレウラもまだ無名の高校生バンドで。

 アオちゃんが知ってるトレウラは、いい意味で、もっと身近で荒削りだったんです。

 でも、今のトレウラは、音楽ファンはもちろん、そうじゃない人も知っている有名な伝説のバンド。非の打ち所がないくらいに完成されたバンドです。トレウラの皆さん以外に誰かが入る余地なんかない。

 きっと、アオちゃんは、居心地が悪かったんじゃないかと思うんです。だって、そんなこと絶対にあり得ないですけど、仮に、私がトレウラのセンターで歌えって言われたら、嬉しいですけど、絶対に普通には歌えないと思います」


 昨日まで声が出なかったのが嘘のように、ひよりは流暢にアオの気持ちを代弁した。本当にアオがそう思っているのかは、その反応だけでは分からない。けれど、思わずうなずいてしまうような説得力が、ひよりの言葉にはあった。

 さっきまで不満そうだった夏帆さんは、虚を突かれたように目を丸くしていた。


「そんなこと、考えもしなかった。アタシら、年を取って、見た目は老け込んじまったけど、中身ははずっとあの頃と変わってないと思ってたのにね。見た目をこのとおり、若々しくしてもらったら本当にあの頃のままだと思ってたんだけど」


 おどけるように両手を広げて見せる夏帆さんは、どこか寂しそうだった。


「夏帆さんたちが悪いって言いたいんじゃないんです。私はただ……」


 夏帆さんが寂しそうにするのを敏感に察知したのだろう。ひよりは慌てて謝ったが、夏帆さんはそれを遮るように言った。


「気にしなくていいんだよ。良いも悪いもなくて、事実だから。あの頃のままだったのは、アオだけってことだね。分かってるつもりだったけど、分かってなかったみたい。あの時、あんたが言いたかったのはこういうことだったんだね」


 四十年ぶりにアオと再会した部室でのことを言っているのだろう。アオがわずかに頷いたように見えた。


「でもアオちゃん。いつまでもそうやっていじけてたってしょうがないよ。お前に何が分かるんだって感じだと思うけど、でも、一人でいじけて殻に閉じこもってたっていいことなんかないんだよ。苦しいことや、つらいことから目を背けてばかりじゃ何も変わらない。まずは信じること。そして、前向きになること」


 ひよりの言葉は半分くらい自分自身に言い聞かせているようでもあった。


「だからさ、アオちゃん。私と一緒に歌わない?」


 本当は俺がかけるべき言葉を、ひよりが口にする。


「そうだよ、アオ! 俺たちの演奏じゃトレウラの皆さんの足元になんか及ぶわけもないけど、でも一生懸命演奏するから、俺たちの真ん中でひよりと一緒に歌ってくれないか?」


 ひよりに先を越されてしまったのが情けないのと悔しいので、俺はやや早口でアオに向けて言った。俺たちの言葉が届いているのかは分からない。アオは、ただ、まっすぐに俺のことを見ているだけだった。

 

 ふいに乾いたギターの音が鳴った。

 どうやら二番手のリサさんの出番が始まったらしい。

 俺もひよりも、リサさんの歌声が響く中、黙ってアオの反応を待った。ややあって、アオの表情が動く。


「分かった。そうくんたちと一緒に歌う」


 乾いたギターの音とリサさんの澄んだ歌声に紛れても聞き逃すことはなかった。アオは確かにそう口にしていた。

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