第53話 信じている

『アオちゃんは、今日も来てないの?』


 ふいに、ひよりが俺の顔の前にタブレットを掲げた。

 俺の願いを叶えると言ったあのとき以来、アオは一度も姿を見せていない。〈ロックミュージック研究会〉に入部した今も、ひよりとアオが同じ空間にいることは一度もなかった。

 

 ひよりは、どういうわけかアオに会いたがった。〈ロックミュージック研究会〉の会長にしか姿を見ることができないらしいと説明してやると、それなら『アオちゃんがいるときは必ず教えてほしい』と言ってきた。

 まさか、自分の声を奪った原因であるアオに、文句の一つでも言ってやろうというわけではないと思う。それなら、同じくその原因になった青山あおやまさんにだって、言いたい恨み言はたくさんあるはずだ。けれど、ひよりは今日まで青山あおやまさんに恨み言一つ言っていない。

 

 実のところ、ひよりは俺や悠治ゆうじが驚くほどフレンドリーに青山さんを受け入れていた。

 初めてひよりと会ったときの青山さんは、見ている俺たちが痛々しく思うほど縮こまっていた。そんな青山さんに、声が出ないひよりは、ともすれば大袈裟にも見えるジェスチャーと、タブレットに打ち込んだ文字で心から『気にしないでほしい』と思っていると伝えた。

 しばらくは痛々しく、申し訳なさそうにしていた青山さんも、わざとらしいくらいのひよりのフレンドリーさに次第に打ち解けていった。

 

 今では、仲の良い友達のようになっている。

 

 だから、ひよりがアオを恨んでいるわけがない。


 ライブは明日に迫っている。

 俺が願う〈ロックミュージック研究会〉のライブに、アオの存在は不可欠だ。〈ロックミュージック研究会〉OBOGの先輩たちを高校生当時の姿にしてもらって、少しでもアオの願いに報いるということは、もちろんだが、そのためには何よりアオに参加してもらわなければ意味がない。

 これは、アオのためのライブなのだ。

 

 改めて、ライブが明日に迫っていると思うと、俺の頼りない心臓が一度大きく跳ねた。アオがちゃんと現れてくれるかという心配と、月並みだが、ライブに対する緊張からくるものだ。

 

 ライブの出番は、夏帆かほさんの提案で年代の古い順に出演することになっている。つまり、俺たちはプロだらけのメンバーの中で、ラストを飾ることになる。オオトリというやつだ。

 緊張しない方がどうかしている。


 見ると、悠治がこちらに向かって手を振っていた。

 俺が気がついたことを知ると井口いぐちさんと二言三言交わして二人揃ってこちらに歩いてくる。徐々に近づいてくる悠治の顔は、緊張で強張っていた。


「よう。会長。なんか、とんでもない規模になってないか? 俺たちには身の丈に合わない規模っていうかさ」


「俺も正直驚いてる。でも、先輩たちはプロなんだし、当たり前なのかもしれないな」


「まぁな。つか、お前、声が震えてるぞ。緊張しているのか?」


 そう言う悠治の声も掠れ気味で震えていた。自分の緊張を誤魔化すために必死なのが分かると、おかしくて吹き出してしまった。


「お前に言われたくねぇよ」


 俺がそう言うと悠治は、強張っていた顔を崩して笑う。おかげでお互いに緊張がほぐれた。


「ひよりちゃん、明日はよろしく。アタシたちの演奏じゃ物足りないかもしれないけど、精一杯やるからさ」


「だな。ひよりちゃんの歌は、俺たちには勿体無いもんな。でも、やるからにはちゃんとやるし、何よりひよりちゃんとライブできるのが、俺は嬉しいよ」


 井口さんも悠治も、前日に迫った今もひよりの声が出ないことは知っている。それでも、二人とも本番には声が出るようになると信じている。二人の言葉から、それが伝わってくる。


『ありがとう。物足りないとか勿体無いとか、そんなことないよ。私もみんなとライブできるのが楽しみ!』


 ひよりだけは、緊張でガチガチの俺たちと違って、終始いつも通りだった。割とぶっきらぼうな井口さんともあっという間に打ち解けてしまった。

 初めてひよりと対面したとき、井口さんが「お前の妹、いい子だな。声が聞けないのが残念でならないよ」と俺に耳打ちしたのが印象的だった。


 ひより本人も二人と同じく、明日歌えることを信じている。もしかしたら、二人よりも強く信じてすらいるかもしれない。それは、俺を信じているのと同義だ。俺が明日には声が出ると言ったのだから、必ず出る。ひよりは、そう信じてくれている。

 それを感じれば感じるほど、先輩たちの姿に変化がないことと、アオが現れないことに焦りを覚えた。


 湧き上がる不安と焦りを押し殺すように、一度深呼吸をして、瞼を閉じる。閉じた瞼の裏に、俺の願いを叶えてくれると言ったときの、憑き物が落ちたように晴れやかなアオの顔が映った。

 ハッとして目を開くと、ひよりが不思議そうに俺のことを覗き込んでいた。その向こうには悠治と井口さんもいる。瞼を閉じる前と変わらない光景だった。


『どうかした?』


 ひよりのタブレットが眩しくて少し目を細める。


 アオは必ず来る。そう思うと自然と笑っていた。


「なんでもない。大丈夫だ。明日はみんなで楽しもう! 〈ロックミュージック研究会〉の全員で、最高のフェスにするんだ」


 柄にもなく熱いことを言ってしまったが、悠治ですら茶化すことなく、真剣な表情で頷いていた。

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