第49話 もう一度ほんの一瞬でもいいから──

「もう遅いんだよ。だって、夏帆かほのこと、見たでしょ? 自分でも言ってたけどさ、もうすっかりおばあちゃんだった。今の夏帆には、きっと守らなければならないものが、たくさんある。もうあの頃みたいに一緒に笑い合うことはできないよ」


 失礼なことを言うとは思ったが、確かにアオの言うとおり、夏帆さんはもう決して若くはない。同年代の人と比べたら若く綺麗に見えるが、アオと並んだらよくて親子、場合によっては孫と祖母に見られるだろう。

 それに夏帆さんは今や、伝説的なバンドのメンバーだ。奔放なようには見えるが、縛られるものが少なく自由な高校生と比べたら制約も多いに違いない。

 夏帆さんは、そして、他の先輩たちも、もう、アオと無邪気に同じ時間を過ごすことはできない。アオと一緒に成長することはできない。


「あの頃に帰りたいよ……ほんの一瞬だっていい。もう一度ほんの一瞬でもいいから──、あの頃に帰りたい。私もみんなと一緒がいいよ」


 アオが呟くのを聞いて、頭の中に一つのアイデアが浮かんだ。だが、それは非現実的で、俺の力では到底実現できるものとは思えない。だからといって、アオにどうにかできるものなのかも分からない。それでも訊ねてみる価値はあると思った。


「なぁ、アオ。お前が叶えることができない願いっていうのは、お前に直接関係することだけなのか?」


「そうだよ。誰かが願った私に関することはもちろん、私自身の願いを叶えることもできない。だから私はいつも人の願いを叶えてばかり」


 アオは自嘲気味に応える。


「お前に直接関係するっていうのは、例えばお前を人間にしたい、とか、お前を男にしたい、とか、お前の身長をもっと伸ばしたいとか、そういうことだよな?」


「そう……だと思うけど……それが何?」


「それ以外はどんな願いでも叶うってことだよな?」


「そうだけど。もちろん、本気でそれを願えばの話だけどね」


「分かった。それなら本気で願うよ」


 アオの眉毛が怪訝そうに曲がる。


「何を願うつもりなの?」


 浮かんだアイデア。

 それはひよりの声を取り戻すことができるものだ。

 そして、同時に今、アオが望んでいるであろう願いも同時に叶えることができるはずだ。

 

 かつてアオが願った、夏帆さんに自分を人間にするように願ってほしいという願いは、アオ自身が今更遅いと言っているとおり、おそらくそれが叶うことはもうない。

 けれど、その今更遅いという考えを一時的にでも壊すことができたら。

 かつてのように、もう一度笑い合うことができたら。

 それはアオの願いではないだろうか。アオ自身が言っていた。もう一度ほんの一瞬でもいいから──、と。

 

 俺が思いついたアイデアとは、夏帆さんを含む〈ロックミュージック研究会〉のOBOGを全員高校生当時の姿に若返らせて、そして、盛大なライブをするというものだ。現役部員もOBOGも入り乱れて、全員でライブをする。音楽フェスのようなものだ。

 もちろん全員、高校生の姿で。

 

 ただ、先輩たちには今の生活もある。ずっと若返ったままとはいかないだろう。だから、若返るのはフェスの前後だけの一時的になものにならざるを得ない。だが、例え一時的だとしても、最初から諦めてしまっているアオにとってみれば大きなことのはずだ。

 

 そして、その音楽フェスにはひよりにも参加してもらう。

 音楽フェスに参加するために、ひよりにも〈ロックミュージック研究会〉に入部してもらう。

 軽音部に所属するひよりを〈ロックミュージック研究会)に、入部させるのは簡単ではないかもしれない。説得のために場合によっては、〈ロックミュージック研究会〉の秘密を告げなければならないだろう。

 

 けれど、ひよりが〈ロックミュージック研究会〉に入部さえしてくれれば、ひよりも盛大なライブの出演者の一人になる。なにせ、俺の願いは『〈ロックミュージック研究会〉に所属した者全員が、〈ロックミュージック研究会〉所属当時の姿で音楽フェスをやりたい』だからだ。

 そこで歌が歌えないなんてわけにはいかない。そんなのは出演者ではない。ひよりはボーカリストだ。歌以外で音楽フェスには参加できない。

 そうであれば、きっとひよりは歌うことができる。少なくとも、ライブの時は声が戻るに違いない。こちらも一時的になってしまうかもしれないが、ずっと声が出ないよりはいい。


「ひよりの声も、もちろん元に戻してもらう。そして、お前の願いも叶える」


「そんな都合のいい願い……」


「ある。思いついたんだよ」


 アオの言葉を遮るようにして告げる。アオは口を半開きにしたまま、何かを言おうとしてやめた。


「だから、叶えてくれ。俺の願いを」


「…………分かった。そうくんの願い、叶えるよ」


 少しの沈黙の後でアオは確かにそう言った。その顔は憑き物が落ちたように、清々しいものに見えた。


 次の瞬間には夏帆さんや悠治ゆうじ井口いぐちさんが部室にいた。いつの間にか、元のとおりの部室に戻っている。


「アオ。今の歌はどういうこと? 最初、後ろ向きだったのが、だんだん前向きに変わっていく──。歌詞の内容とは少し違うけど、そんな風に私には聞こえたよ」


「分からない。私は素直に歌っただけだよ」


「そうか。なんにしても、あんた、相変わらず歌が上手いね」


 夏帆さんはそう言っておもむろにアオの頭を撫でる。髪の毛をくしゃくしゃにされたアオは、少し顔をしかめたが、満更でもなさそうだった。

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