第45話 何か解決に繋がるようなことを聞けたらいいな

 彗河けいがさんから連絡があったのは、しばらく経ってからのことだった。

 彗河さんは、第一声で〈ロックミュージック研究会〉の初代会長だという夏帆かほさんと会う段取りがついた、とぶっきらぼうに言った。

 夏帆さんが指定してきたのは、彗河さんたちと会ったのと同じ、日曜日の部室だった。

 

 夏帆さんが日曜日を指定してくるのは、彗河さんたちの都合というよりも、学校側への配慮なのだと思う。彗河さんも夏帆さんもミュージシャンだ。土日休みの仕事ではない。きっと、特に許可を得たりはしていないはずだから、学生がたくさんいる時間帯に学校に来たくはないのだと思う。

 そう思うと、部外者を学校の敷地内に入れることはいいことなのだろうか、と不安になった。もちろん、何か悪事を働くわけではない。それに、みんな不動院ふどういん高校の卒業生だ。だから、問題ない。そう自分に言い聞かせる。


 悠治ゆうじ井口いぐちさんにも夏帆さんと会う場所と時間は伝えてあった。

 約束の時間より少し早く部室に着くと、中から悠治と井口さんの話し声が聞こえてくる。悠治はともかく井口さんまでもが早く来ていることが意外だった。


「彗河さんたちと会ったとき、お前だけ抜け駆けしやがったからな」


 部室に入るなり、悠治は言った。抜け駆けをした覚えはなかったが、なるほど、悠治や井口さんに先んじて彗河さんたちと話を進めてしまったことを根に持っているらしい。


「ひよりちゃんの様子はどうだ?」


 俺たちの間では、もはや挨拶のようになってしまったセリフを悠治は口にする。


「だいぶいいよ。以前のように、とはいかないけど、最近は笑うことも増えた」


「そうか。よかった。ひよりちゃんは、笑っていてこそだもんな。少し安心したよ」


 悠治はひよりのことが好きなんじゃないだろうか、と密かに思っている。直接訊ねたことはないし、悠治がそう口にしたこともない。けれど、悠治のことを見ているとそう思えてならない。

 悠治なら、可愛いひよりと付き合うことを特別に許可しないこともない。何処の馬の骨とも分からないやつと付き合われるのは兄として看過できないが、悠治ならいい。


「夏帆さんから、何か解決に繋がるようなことを聞けたらいいな」


 悠治はいつになく真剣な眼差しで言った。

 隣の井口さんも唇を引き結んで神妙に頷く。


 二人が俺やひよりのために、こんなにも真剣になってくれていることが嬉しい。礼を言う代わりに二人の目を順番に見て、頷き返す。礼を言うのは、ひよりの声が戻ってからと決めている。


そうくん」


 不意に背後から名前を呼ばれた。夏帆さんではない。聞いたことのある声だった。

 目の前の二人は、真剣な表情のまま俺のことを見ている。俺の背後に視線を動かすことはない。

 二人から視線を外して振り返る。


「アオ……?」


 悠治や井口さんがいるときは現れない。そのはずのアオが、そこにはいた。


「久しぶりだね」


 アオは少し照れくさそうに、ちょっとだけ俯いていた。


「アオ……? おい、奏。今アオって言ったか?」


 悠治の声が、何かを言おうとしたアオの声を遮った。俺はその声に促されるようにして悠治の方を見る。


「言った。今、そこにアオはいるけど、やっぱり見えないのか?」


 俺が訊ねると、悠治は俺が示した方に視線を移す。井口さんも同じ場所を見ている。

 悠治はしばらくアオのいる方を見ていたが、一度目を細めると首を傾げて言った。


「見えないな。誰もいない。井口、どう?」


「うん。アタシにも見えない」


 二人の視線の先には、確かにアオがいる。俺の目にはその姿が見えている。幽霊みたいに透けていたりはしない。アオの内側だけ青い髪の毛や、血管が透けて見えるような白い首筋、少し潤んだ瞳までハッキリと見えている。それなのに、二人は声を揃えて見えないと言った。

 だが、二人が嘘をついてるとも思えない。嘘をつく理由がない。

 

「アオ。お前は、そこにいるんだよな?」


 自分でも馬鹿げているとは思ったが、思わず訊ねていた。

 アオは俯いていた顔を上げて、微かに口角を上げて笑う。でも、それだけだった。何も言わない。


「この二人がさ、お前のこと見えないってさ。聞こえたか? お前には二人が見えてるのか?」


 何も応えないアオに構わず訊ねる。アオは寂しそうに笑ったままだった。

 何も言葉を発しないアオが焦ったい。なぜ肯定も否定もしないのか、分からなかった。けれど、俺もそれ以上は何も口にしなかった。井口さんはもちろん、悠治も何も言わない。

 

 誰も何も言わない時間がしばらく続いた。

 沈黙を破ったのは、誰かが部室のドアを開ける音だった。

 その場の全員が一斉に音のするドアの方に目をやる。


「ごめん、ごめん。遅くなっちゃったね」


 入ってきたのは、長袖のスウェットに濃い色のデニムを履いた女の人だった。

 見た感じ若くはない。俺の母さんよりも少し上くらい。あまり化粧気はないが、それでも美人だと分かる。

 どこか浮世離れした雰囲気をまとう目の前の女性は、きっと夏帆さんだと直感的に思った。よくよく見てみればどことなく彗河さんと似ている。


「あれ? アオ。あんた、まだ学校に出入りしてるの?」


 ツカツカと部室内に入ってくるなり夏帆さんが声をかけた相手は、アオだった。

 井口さんが口の中で「えっ?」と驚きの声をあげるのが微かに聞こえた。悠治もやや驚いたようではあったが、それよりも興味が勝ったらしい。顎の先を指で挟みながら、夏帆さんが語りかけた先を目を細めながら見ている。


 もちろん、俺も驚いていた。

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