第43話 二人とも本気で俺に付き合ってくれていることが嬉しかった

「よし、約束だ」


 彗河けいがさんは、子供のような笑みを浮かべながら、右手の小指を突き立ててこちらに差し出す。俺は戸惑いながらも、彗河さんの小指に自分の小指を絡ませた。

 彗河さんは言葉を発することなく、何度か上下に手を動かしてから、俺の小指を解放してくれた。


「それで……ヒントになるような人っていうのは……?」


 悠治ゆうじが恐る恐る言った。

 勝手にバンドを続けると約束してしまったが、悠治や井口いぐちさんの許可が必要だったんじゃないかと気がついた。


 バンドをやろうと言い出した言い出しっぺの井口さんは問題ないだろう。


 悠治の方はどう思っているのだろうか。その横顔からは、心の内を窺い知ることはできない。いつも楽しそうにドラムを叩いていたから、案外不満はないのかもしれない。

 ただ、悠治のことだから何かしらの埋め合わせは覚悟しなければならないだろう。


「うん。俺たちロミ研の初代会長なんだけど、その人なら何か知ってるんじゃないかな、と思ってね」


「初代会長……」


「初代会長って言うと大袈裟だけど、つまりは彗河のお母さんなんだよ。ね? 彗河」


 七夏ななかさんが呼びかけると、彗河さんはバツが悪そうに「あぁ」と素っ気なく頷いた。


内田うちだのお母さんは、つまりトレウラの夏帆かほ。トレウラのリーダーにして、ギターボーカル。控えめに言って天才。彼女が作ったバンドを超えるバンドはこの世に存在しない。そういう意味では内田たちですらまだ足元にも及ばない。それくらいの存在」


 それまで静かだった百合葉ゆりはさんが、スイッチが入ったように話出す。

 言ったことは、半分も分からなかったけれど、とにかく凄い人で、百合葉さんが彗河さんのお母さん──夏帆さんを好いていることは、これ以上ないほどに伝わってくる。


「百合葉ちゃんはトレウラの信者だから、話半分くらいに聞いておけ。紹介はしてやるけど、なんつーか、まぁ、めちゃくちゃ変わった変な人だから、素直にあれこれ教えてくれるとは思えねー。会うなら、その辺は覚悟しておいたほうがいいぞ」


 自分の母親のことなのに、彗河さんはどこか他人行儀だった。

 脅すような言葉に冗談の気配はない。本気で言っているのだ。けれど、少し脅されたからといって、こちらもすごすご引き下がるわけには行かない。ひよりの声を取り戻さなければならないのだ。そのためならどんなことでもすると誓っている。


「大丈夫です。何が何でも聞き出しますよ」


 俺の応えに満足したのか、彗河さんはニンマリと笑った。

 

 彗河さんも十分に変わっていると思うが、その人が覚悟して会わなければならないほど変わっていると言う夏帆さんというのは、どんな人なのだろう。彗河さんの母親なのだから、かなり破天荒なのは間違いない。

 初代会長ということは、〈ロックミュージック研究会〉を設立した人だ。


「ところで、トレウラっていうのは何なんですか?」


「なっ……!? まさか、君、トレウラを知らない?」


 何の気なしに訊ねると、百合葉さんは上擦った声を上げた。


「信じられない……」


「いや、百合葉さん、世代を考えてくださいよ」


 七夏さんの鋭いツッコミが入る。その横で、もう一人、エリさんが百合葉さんと同じような表情を浮かべていた。


「百合葉さん。これは由々しき事態ですよ」


 七夏さんが「えっ!?」とエリさんの方に顔を向ける。


「いい? 君たち。トレウラっていうのは、私たち〈ロックミュージック研究会〉のOGで、Tre Un Lineトレウンラインっていう日本一、ううん、世界一のバンドの略称なの。トレウラは最強にして最高。至高にして至極のバンド。ジャンルは、一応ロックに分類されるけど、ジャンルにとらわれず、どんな曲もハイレベルにこなすの。正真正銘、天才の集まりだよ」


 エリさんが口を開くと、彗河さんが「大袈裟なんだよ」と小さく溢した。けれど、その耳には届かなかったようで、エリさんはまるでウィキペディアのような語りを続ける。


「トレウラは夏帆、穂希ほまれ怜花れいかの三人からなるスリーピースバンド。Tre Un Lineっていうのは、イタリア語で『ひとつなぎ』って意味なんだけど、三人の名前を繋げると……『かほ、ほまれ、れいか』ね? 繋がるでしょ? バンド名の由来は、そんなダジャレみたいな感じでも、鳴らす音は本格的。ライブでも三人しかいないとは思えないほど、音圧は強いし、音は華やか。ギターボーカルの夏帆は、さっき話にあったとおり内田くんのお母さん。ドラムの玲花は私と七夏の師匠なんだよ。穂希だけは会ったことがないんだけど、百合葉さんの叔母さんなんだ。ね? 凄い縁でしょ?」


 呆気に取られてしまった。俺たちに楽器の指導をしたときの数倍は熱がこもっている。ここまで熱弁されるとは思ってもいなかった。


「エリ、その辺にしときな」


 俺たちの反応を見て、七夏さんがエリさんを制する。エリさんはまだ語り足りないのか、何事かを口の中で呟いていたが、諦めて「ごめん」と謝った。


「とにかく、君たちの先輩には偉大な音楽家が多いってことだよ」


 よく分からない着地の仕方だったけど、けいさんのその一言で俺の質問から始まったトレウラの話題は終わった。


「夏帆さんには、彗河から連絡してくれるんでしょ?」


 啓さんが訊ねると彗河さんは黙って頷く。


「たぶん、声かけたらすぐにでも会ってくれると思うよ。またこの部室でいいかな?」


 啓さんに言われて、悠治と井口さんを見る。今度は勝手に決めてしまわないようにという配慮だった。悠治も井口さんも俺と目が合うと、頷いて返した。


「この部室で大丈夫です。よろしくお願いします」


 俺が頭を下げると、悠治と井口さんも揃って頭を下げた。二人とも本気で俺に付き合ってくれていることが嬉しかった。


 先輩たちとの別れ際、悠治が質問を投げかけた。


「皆さんは、アオという女の子に会ったことはあるんですか? 百合葉さんは知ってるみたいでしたけど、啓さんはどうですか?」


 アオは会長にしか認知できない存在という考えがあるからだろう。出だしこそ、皆さんと呼びかけていたが、最終的に啓さんだけに問いかけていた。


「俺は会ったことはないよ。でも、メールのやり取りなら。何度かしたことがある」


 悠治が喉の奥を鳴らすのが分かった。

 啓さんの応えは、悠治の考えを確信に変えるには十分だった。

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