第38話 聞き慣れない声だった

 日曜日の旧校舎周辺の景色は、平日とほとんど変わらない。相変わらず閑散としていて、少し不気味だ。

 

 元から人があまり寄りつくことがない場所。曜日の感覚を忘れてしまいそうなほど、いつもどおりの旧校舎に、俺は〈ロックミュージック研究会〉のOGだという佐々木百合葉ささきゆりはさんの指定した時間よりもかなり早く着いてしまっていた。

 

 悠治ゆうじ井口いぐちさんも、まだ来ていないようだ。

 

 なんとなく辺りを見回してみると、視界の隅で白いものがふわりと動くのが見えた。ちょうど校舎の中に続く玄関の辺り。


 目を向けると、白衣の裾がはためくのが目に止まる。一瞬しか見えなかったが、小柄な女の人――、女子生徒ではなく、大人の女性だったように思う。

 このタイミングでこんな所にいるなんて、あれが百合葉さんに違いない。なんで白衣なんか着ているのかは不明だ。

 

 旧校舎で使われている教室は〈ロックミュージック研究会〉の部室だけだ。校舎に入った時には、すでに姿は見えなくなっていたが、行く場所は〈ロックミュージック研究会〉の部室以外にあり得ない。何故かそう確信していた。


 部室の前まで来ると、中から話し声が聞こえてきた。男の声と女の声。数人が談笑しているような声だった。

 始めは悠治や井口さんが俺よりも先に来ているのかとも思ったが、声な感じを聞くに、どうやらそうではないらしい。

 

 聞き慣れない声だった。

 

 自分が会長を務める部活の部室のドアを開けるだけ。それなのに緊張する。思い切って横に引くと、ガラッと必要以上に大きな音を立ててドアは開いた。


 視界に飛び込んできたのは、男二人、女三人、計五人の大人の男女だった。その内の一人は、玄関で見かけた白衣を身に纏った小柄な女性。五人ともどう見ても高校生には見えない。

 ドアが開き切ると同時に五人の視線が一斉に俺に集まる。


「君が今のロミ研の会長?」


 白衣の女の人は、五人を代表するように唐突に言った。表情は無表情。ぶっきらぼうな物言いに思えた。


「はい。えっと……佐々木百合葉さん……ですか?」


 俺が訊ねると白衣の女の人は無言で頷く。他の四人は、にこやかにこちらを見ていた。


「リサ会長から聞いた。君はロミ研のことを調べてる?」


 百合葉さんは、リサさんのことを会長という敬称をつけて呼んだ。


「ロミ研の何を調べるって言うんだ? 別に調べるようなことなんかないだろ?」


 俺が応える前に男の人のうちの一人が言った。なんとなく態度が横柄な感じがして、少し怖い。ガラが悪いのとは少し違うが、妙な迫力があった。

 まともに顔を見ることができず、視線を逸らした先には、タトゥーがびっしりと入った腕が見えた。


彗河けいが。怖がってるじゃん。あんた、ただでさえ、そんな見た目なんだからさ」


 彗河と呼ばれたタトゥーの男の人を、長い黒髪の綺麗な女の人がたしなめる。この女の人はどこかで見たことがあるような気がする。


「ごめんね。君は……貫井奏ぬくいそうくん、かな?」


 透き通るような綺麗な目に見つめられてフリーズしてしまった俺が、何も応えられないでいると、女の人は、首を少し傾ける。


「どうかした?」


 もう一人の女の人が上目遣いに優しく語りかけてくれたところで俺は我に帰る。女の人はウェーブのかかった肩くらいの長さの髪を金色に染めていた。一見すると派手だが、醸し出す雰囲気は真逆で、優しい。


「あ、すみません。えっと、おねえさんのこと、どこかで見たことがある気がして、思い出そうとしてました」


「なんだそれ? 新手のナンパか?」


 タトゥーの男の人が茶化すように言った。


「いや、そういうのじゃなくて本当に……」


 考えてみれば、もろにそんな口上だったと思い恥ずかしくなる。


「私が千冬の姉だっていうことと関係あるかな?」


 黒髪の女の人が言った。

 頭の中で、リサさんの経営するカフェ兼ライブハウス『アナーキー』で会った、コミュ障気味の千冬さんと、目の前の女の人の像が重なる。与える印象こそ真逆だが、顔の作りはよく似ていた。

 なるほど。姉妹だというのなら納得だ。


「おい、七夏ななか。もしかしたら、テレビで俺たちのことを見たことがあるかも知んないって考えたりしないわけ?」


 それまで黙っていたタトゥーとは別のもう一人の男の人が言った。


「考えない。この子は、私を見てどこかで会ったことがあるって言ったからね。あんたたちには心当たりないってことでしょ? それに、テレビで見てくれた? なんて言って空振りだったら恥ずかしすぎるじゃん」


「それもそうだけど、空振る七夏を見てみたかったよ」


「七夏はそういうヘマはしないよ」


 茶化す男の人を金髪の女の人が窘める。そのやり取りからその場にいる全員の親密さが窺えた。


「あ、ごめんね。自己紹介するよ」


 呆気に取られる俺に気付いた七夏さんは、それまでの軽口をやめて俺に向き直った。


「私は神城七夏こうじろななか。こっちの金髪碧眼の美少女が、桜澤朱音さくらざわあかね。通称、エリ」


「ちょっと、七夏。その紹介いい加減やめてよ〜。もう少女なんて歳でもないんだから。それに、そもそも美少女でもないし……」


 エリさんは、顔を真っ赤にして七夏さんにしがみつく。美少女じゃないと言うが、とても綺麗なのはもちろんのこと、俺と同年代と言っても通じるくらい若く見える。若いというより幼い。本人の謙遜とは裏腹に、美少女という言葉がピッタリだった。


「よろしくね。なんでエリって呼ばれてるかは話すと長くなるから、そういうもんだと思ってくれると嬉しいかな」


 エリさんはそう言ってペコリと頭を下げる。


「それから、こっちのイカついのが内田彗河うちだけいが。見た目はこんなだけどちゃんとしたやつだから、怖がらないでね」


 七夏さんが言うと彗河さんは、「うるせー」と小さくこぼした。


「よろしくな、後輩くん」


 そして、それだけ言うとタトゥーだらけの腕を俺の方に差し出した。握手を求めているらしい。恐る恐るその手を取ると、ぶんぶんと振って握手は終わった。


「それで、こっちのなんの特徴もないのが植村啓うえむらけい。一応、私たちの代のロミ研の会長だよ」


 紹介された啓さんは「ひっでーなぁ」と言いながら頭を掻いて、軽く会釈をよこした。反射的に会釈を返すと、啓さんは小さく頷いた。


「君が今の会長なんだってね。君が調べようとしてること。俺もなんとなく、だいたい分かるよ。と言っても、リサさんや千冬ちゃんが知ってること以上のことは知らないと思うんだけどね。俺に分かることは教えるつもりだよ」


「それから最後にこの白衣の人が、佐々木百合葉ささきゆりはさん。私たちの一つ上のロミ研の会長で、たぶんこの世の誰よりもロミ研に詳しいと思う」


 紹介された百合葉さんは無表情のまま俺のことを見ていた。他の人のように軽い自己紹介や挨拶もなく、ただジッと俺を見ている。


「あ、あの……」


 我慢できなくなって、何か言わなきゃと口を開きかけた瞬間、百合葉さんは手をかざしてそれを制した。


「妹の声。それが君の願い」


 そして突然、百合葉さんはそう言った。

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