第34話 友達が欲しかったんだと思う

「それって、どういう意味ですか?」


 思わず訊ねていた。

 

 当たり前だが、歌声合成ソフトというのは意思を持たない人間にプログラムされた単なるアプリケーションのはずだ。

 それが語りかけるというのは、どういう意味なのだろう。歌以外の機能だろうか。それとも、何か隠しプログラムのようなものがあって、それが意図せずに作動したということなのだろうか。


「そのままの意味。月華つきかは、私が入力したとおりに歌うことしかできないはずなのに、ある日突然、友達みたいに話しかけてきたの」


「友達みたいに……」


 口数があまり多くない井口いぐちさんが、千冬ちふゆさんの言葉をそのままオウムのように口にする。『友達みたい』というところに意味を感じたのだろう。単なるプログラムの予期せぬ誤作動なのであれば、こんな言い方はしない。


「そう。友達みたいに」


「その月華は、なんて語りかけてきたんですか?」


 悠治ゆうじが訊いた。顎先を親指と人差し指で摘んでは離す。そのスピードがだんだん速くなる。


「あなたは一人じゃない、って」


「それだけですか?」


 千冬さんは静かに首を横に振った。


「私、それまでは月華のことをゲッカって呼んでたんだけど、ゲッカじゃなくてツキカだって言われた。かなりトリッキーな自己紹介だよね」


 月華という歌声合成ソフトは、千冬さんが作ったものだ。千冬さんがゲッカと呼んでいたのなら、必然的にそれが正式な呼び名であるはずだ。それなのにソフトの方から呼び名を訂正してきたということなのだろうか。


「それだけじゃなくて、それ以降は私が作る曲に色々と注文を付けてくるようになったの。正直、鬱陶しいと思うこともあったけど、そのどれもが的確だったから従わざるを得なかった。悔しいけど」


「なるほど。それが千冬さんの言うありえないことなわけですね。そして、それには〈ロックミュージック研究会〉の噂が関係してるんじゃないかと。確かに、どんな願いでも叶えることができるという噂どおりなら、そんな不思議な現象も起こりうるのかもしれません」


 歌を歌わせるためのアプリケーションであり、ただのツールでしかない歌声合成ソフト。いわば楽器と大差のない存在だ。呼び方だの歌い方だのを注文をしてくるなんて俄かには信じがたい。

 千冬さんの言うとおり、あり得ないことだった。

 

 それでも悠治は、そのあり得ないことを真正面から信じているようだった。

 

「となると、千冬さんの願いは『月華に人格を与えたい』とかそういうことになるんですかね」


 悠治が誰にともなく問いかける。

 千冬さんはゆっくりと目を閉じて静かに首を横に振った。綺麗な黒髪がそれに合わせて揺れる。


「たぶん、そうじゃないと思う」


「というと?」


 悠治は表情を変えずに千冬さんに訊ねた。


「あの頃の私は、友達が欲しかったんだと思う」


「友達、ですか」


「うん。私は引っ込み思案で性格も捻くれてて、人と上手く関係を築くことができなくて。まぁ、それは今もあんまり変わってないんだけど……。そんなんだから、小さい頃から友達らしい友達っていなかったんだよね。別にそれでいいやって強がって諦めてたんだけど、今にして思えば、無理して諦めてるふりをしてたのかなって」

 

 千冬さんは、他人のことを語るように淡々としていた。けれど、これは紛れもなく千冬さんの話だ。その証拠に千冬さんの指先が微かに震えている。

 俺の視線に気がついたのか、千冬さんはそれを隠すように両手を重ね合わせて寒くもないのに擦り合わせた。


「〈ロックミュージック研究会〉の不思議な力で、人間ですらない月華が千冬さんの友達になってくれた、というわけですか?」


「もしそんな不思議な力が現実にあるんだとしたら、もしかしたら、そうなんじゃないかって思うだけ」


 千冬さんの言葉が本当なのであれば、超常現象以外の何物でもない。『友達が欲しい』という願いの叶え方としては、少し斜め上な気もするが、その斜め上具合が〈ロックミュージック研究会〉の会長に宿る力という超常現象の存在を証明しているように思えた。


「アタシは違うと思うけどなぁ」


 全員が納得しかけたとき、リサさんが横槍を入れるように言った。


「どういうことですか?」


「だって、あんたロミ研に入ったおかげで友達ができたじゃん。それどころか恋人までできちゃってさ」


 リサさんから『恋人』という言葉が出た途端、千冬さんの雪のように白い肌が、みるみる内に赤く染まっていく。


「なに? 照れてんの? もうそういう年でもないでしょうに」


 リサさんはニヤニヤと揶揄からかうように言ったが、すぐに真剣な表情になった。


「あんたの願いは『友達が欲しい』じゃないよ。もっと広く、大きな願いだったとアタシは思うね。例えば、そうだなぁ……輝かしい青春を送りたい、とかそういう願いだったんじゃないかな」


 言われた千冬さんは、思い当たる節があるのか、ハッとリサさんを見る。そして、「そうかもしれない」と呟いた。


「そうでしょ? だって、ほらあんた、陽太ようたと付き合い出したときの喜びようったらなかったじゃん。もしかしたら、あんたにとっての青春って恋人がいるかいないか、だったんじゃな〜い?」


 リサさんは再び揶揄うように言ったけど、千冬さんはもう赤くならなかった。


「それも、そうかもしれないです。陽太くんのおかげで私の高校生活は、入学前からは想像できないくらい楽しく充実したものになりましたし、今もこうして音楽を続けていられるのは、陽太くんのおかげだと思っています」


「いやに素直じゃん。つまんないなぁ〜」


 口を尖らせたリサさんは、言葉とは裏腹に穏やかな表情をしていた。そんな二人の様子を見ていると、当然だけど俺たちの知らない歴史があるのだと思った。


「それで、月華と千冬さんは今もなんですか?」


 井口さんが訊いた。


「うん。少なくとも私は友達だと思ってるよ。でもね、実は、月華はもう私に語りかけてはこないの」


「えっ? それってどういう……」


 きっと井口さんは何気なく訊いただけなのだと思う。それが思いがけない応えだったからか、井口さんは申し訳なさそうに眉を下げた。


「でも、今でもちゃんと友達だし、私の思ったとおりに歌ってくれてるよ」


「心配しなくても大丈夫。ほら、『月で歌う君へ』って曲知らない? あれ、千冬の曲だよ」


 リサさんが口にした曲は、ここ最近で一番のヒット曲と言っても過言ではないくらい有名な曲だった。元々はネットを中心に人気に火がついた曲だ。俺たちと同世代なら知らない人はいない。


「でも、あれって歌っているのは……」


 ボーカロイドだとは思えない。滑らかに、絶妙な抑揚を持って、情緒的。ひよりがそう言って褒めていたのを思い出す。


「あの声の主が月華。ね?」


「うん。一応ね」


 リサさんの問いかけに千冬さんは、当たり前のように頷く。


「驚きました。まさか俺たちの先輩にそんな有名な人がいるなんて」


「アーティスト名は本名と違うからね。でも、私なんて全然だよ。ロミ研にはもっと凄いOBOGがいるし」


「千冬さん以上、ですか?」


「謙遜だよ。千冬も充分、すごい。でも、確かに千冬に負けないくらいすごいのはいるかな」


 千冬さんの代わりにリサさんが応えた。


「そうだ。君たち、ロミ研のこと調べてるんだよね? なら、そのすごい人、紹介してあげようか」


 俺は思わず悠治と顔を見合わせた。そして、図らずも二人同時に「是非」と大きな声で応えていた。

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